第十九話
その夜、俺は学院の図書館の地下に繋がる階段の前に立っていた。
街案内はほどほど回ったところでユミルとヤシロが合流。それからは日が落ちるまで四人でいろいろな場所を見て回った。
どういうわけか合流したときにユミルに褒められた。理由は結局わからなかったが、どうせ大したことではないだろうから言及するまでもあるまい。
「ここが禁書庫――ねぇ」
すでに閉館されているため照明はついていない。左手に持ったランタンで周囲を照らす。オル・エヴァンスの血筋の人間しかはいれないとはいえ、禁呪教典を保管しているだけあって階段まで続く通路も厳重な警備が敷かれていた。
今はミレアに頼んで俺限定で警備が解除されている。ほかの許可の降りていない人間が立ち入れば警報が鳴るようになっているので、もしも外部の人間が入ってくればすぐに駆けつけられるだろう。そうなれば生活費に悩まされることもなくなる。
そんな打算的なことを考えながら階段を降りる。
夜の図書館は暖房がついていなくてやや肌寒かったが、地下はそういった寒さではなく、心の芯が凍えるような不気味な寒さがあった。ともすれば二度と地上に戻ることはできなくて、一生ここで彷徨うのではないか――という悪い想像だけが俺のなかを駆け巡った。
俺は頭を振って嫌な考えを振り払い、四方を闇に支配される地下空間に足を踏み入れる。
かつ、とブーツの底が石階段を叩く。
「――ッ!?」
その瞬間、うなじ辺りに強烈な悪寒が走った。
俺はとっさにランタンの火を消してバックステップでその場から離脱すると、足音を消して物陰へと身を潜める。直前まで灯りがあったおかげで暗闇に目がなれていない。周囲の気配を探ってみれば、二人分の息遣いがどこからか聞こえてきた。
さっきまで誰もいなかったはずなのに、いつの間に接近されていたのだろう。
俺は右腕の包帯を解きつつ、カードリッジの残弾数を確認する。昼間に買ったのはタイミングが悪いことに部屋に置いてきてしまった。シリンダーに詰められているのは初級魔術が三つと中級と上級が一発ずつ。左脚もそのくらいだ。全部で一〇発。
敵の正体はわからないが、こんな時間帯に図書館にいるのだ。おそらく学院生ではないだろう。――であればおのずと敵の正体が掴めてくる。
魔術教典の場所を確認するために訪れただけなのだが、早くもヒットしてくれたようだ。
「――set.」
小声で呟き、魔導器を起動させる。
さすが初代ヴァレン・タインにも劣らない名工だと謳われるレヴィ製の魔導器というべきか起動音がいっさいしない。魔導師の弱点の一つは、隠れているときに起動音が鳴って居場所がバレることだ。ただでさえ魔術に差があるのに場所バレまでしたら、よほど上手く立ち回るか相手が格下でなければこちらの勝機は薄い。
そう考えると、今の状況はかなり劣勢にあると言える。
敵は二人。どの程度の実力かも不明。気配も上手く隠されてなかなか捕まえられない。
……ここは定石を無視して俺から仕掛けるべきか。
魔導器は起動しているので、あとは魔術師と同じように唱えるだけでいい。
「Re:cord‐No.48『White Net』ッ!!」
「なっ……!?」
突如として背後に現れた気配に俺は驚嘆して思いきり前に転がる。暗闇でもはっきと見えるほど白い編み状の物体が直前まで俺のいた場所に落下した。柔らかそうな見かけに反して鈍い音が周囲に響く。
「そっちに行きました!」
「了解!」
絶叫したくなるのをぐっと堪え、二方向から聞こえた声から逃げるように移動する。
なんであの二人は暗闇で俺の居場所がわかるんだ。今のやりとりからして男女の二人組、しかも年齢も俺とかなり近いだろう。
そして、あの二人は何故か俺を狙っている――。
世界最強の弟子がグラスティア学院にやってきた。その話自体は届いているだろう。けれど俺が魔術教典の護衛任務についたことも、ましてや俺がこの時間帯に図書館に訪れるなどと知れるわけがないのだ。
俺が今日図書館に来たのなんて気まぐれだ。ミレアにどころか口にすら出していない。偶然にしてはおかしすぎる。最初から俺を狙っていたにしても、正直ここまで気づけないわけがないのだ。
俺は二人から離れた位置に隠れると、左脚の裾をまくって魔導器を起動させる。実力のほどはわからないが数的不利の上に相手は気配を悟らせずに背後に回れる何かを持っている。力の出し惜しみはしていられない。
ひとまず敵の裏をかける状況を作り出さねば。今回はシズキとの試合と違って敵は油断もしてないし確実に俺を始末しようとしているのだから。
「Re:cord‐No.68――」
またもすぐ後ろで、今度は男が魔術の詠唱を始めた。
しかもこれって氷系統上級魔術――。
「『Diamond Dust』ッ!!」
「――……っぶねぇッッッ!!」
これでは魔術で相殺しても余波を食らう。
俺は左手を前に突き出すと、食堂でシズキの魔術を消滅させたように、抽出した魔力をぶつけて術式自体を世界から隔離する。
「な、に……!?」
「ご主人、わたくしにお任せあれ!」
再び出現した女の術式を同じように消し去り、床をごろごろと転がって体勢を立て直す。
「クソッ!!」
身を投げ出したせいで受け身もまともにとらず鼻をぶつけた痛みに悪態をつき、もうなりふり構っていられないと魔術の詠唱を開始する。
こうまで裏取りをされ続けてたらいつか必ず背中を撃ち抜かれる。この際カードリッジの消費なんて考えていられない。全部使い切ってでも押し切る。
「Re:cord‐No.19『Light Ball』ッ!!」
天井に向けて瞬間的に爆発的な光量を放つ球体を打ち上げる。
暗闇でいきなり目に悪いほどの光を直視すればしばらくは視覚の不良、最悪は失明させることもできる。奴らが俺の背後に気配もなく出現するのは、暗視や転移などの能力を使っているからかもしれない。亜人にならそれが可能だ。
だけど目を潰し、身動きを一時的にでも封じてしまえば一気に俺が優勢になる。
近い位置で女が苦悶を漏らしたのが聞こえた。やはり転移か、それに準じた能力を持っているようだ。
「Re:cord‐No.6『Boost On』ッ!!」
脚部の魔導器からカードリッジが排出され、超加速で男へと接近する。女は一時的に戦闘不能。あとは男さえ倒してしまえばいい。
「Re:cord‐No.98――」
「やっべ……!!」
最上級魔術まで使えるなんてさすがに想定外だ。詠唱の完了までわずかに数秒。その間に男の懐に潜り込み、気絶させるか始末しなければこっちがやられる。
「『Sword……――え?」
「は?」
男の詠唱完了と俺の拳が直撃する寸前、お互いに暗闇に目がなれたきたころ、お互いの姿を見てぽかんと口を開けてしまった。
そこにいたのは敵でも何でもなかったのだから。
「ひ、ヒビキ!?」
「アルク!?」
『なんでここにいるんだ!?』
さすが兄弟。こんなときまで息ぴったりである。