第一話
「こういうことする人って毎年いるんですよねぇ。困るからやめてくださいよ」
ジト目で薄紫色の髪を持つ少女が、たった今俺が渡したばかりの紙を弄びながら、心底めんどくさそうに眉をひそめてそう言った。
予想外の対応に俺はしかめっ面になる。
「だめですよぉ。いくら入試試験に合格できなかったからってこんなことしちゃ」
「はぁ? あんた何のこと言ってるんだ」
「しらばっくれてもだめでーす」
神経を逆撫でする甘ったるい猫なで声に、青筋が浮かび上がったのをはっきりと感じた。
「こんな偽物の推薦状を渡されて、はいそうですかと通せるわけないじゃないですか。今すぐに回れ右するのでしたら通報しないであげますから、これを持ってとっととお帰りになってください」
「は、はぁ!? おいふざけんじゃねぇよ! 偽物なんかじゃねぇってッ。その半分閉じたジト目をひん剥いてしっかり確認しやがれ」
「私のチャームポイントをバカにしないでください! ……まったく」
やれやれと鼻から息を吐き出しながら、少女はもう一度推薦状を受け取る。
「名前はアルク・ランセル。年齢は十六歳の男性。経歴は機巧都市セメルベルクにて『国家指定魔術師』のライセンスを取得。ここまでですでに嘘くささしかないのですけど……まあここは私のジト目に免じて見逃してあげましょう。私のジト目に免じて!」
「…………」
ジト目に免じてって何だよふざけやがって。
俺は殴りかかりそうになる右手を左手で必死に押さえ込む。
「問題はこの先です。推薦者がミレア・スカーレットとなっていますね」
「どこに問題があるんだよ。おかしいところなんてねぇだろ」
「大ありです。ミレア・スカーレットは魔術師の育成機関、そのなかでもエリート校である『グラスティア魔術学院』の学院長の名前なのですから。アルクさんと同じように推薦状を偽装して学院に入ろうとする不届き者は何人もいましたが、ここまであからさまに偽物ですと堂々としてるのはあなたが初めてでしょうねぇ」
「だから偽物じゃねぇって言ってんだろ。ここに本人の署名もあるだろうが」
とんとんと指で叩きながら言う。
「だから、これも偽物なんでしょう?」
「…………」
少女の言い分に絶句して空を仰いだ。
俺は現在、カルマフォート王国グラスティア魔術学院の門扉の前にいた。正確には門扉をくぐった先の受付カウンターにて足止めを食らっていた。
原因はこの女がいちゃもんをつけてきたせいだ。
シノーラ・ナナシキ。制服の胸元にあるネームプレートにはそう書かれていた。これが彼女の名前だろう。
……シノーラ?
どこかで聞いたことのある名前に引っ掛かりを覚えた。
「いいですか? ここは筆記と実技と魔術適性。この三つを厳正な試験によって選抜して、合格できた人間だけが入学できる場所なのです。たしかに推薦状があれば試験が免除されますが、実力がなければ痛い目を見るだけなんですよ?」
「だから偽物だって決めつけてんじゃねぇよ」
「……ていうかアルクさんの格好、どう見ても不審者じゃないですか。特にその右腕。包帯でぐるぐる巻きにされてますけど、怪我でもしてるんですか?」
俺は反射的に右腕を体の後ろに隠す。
「あんたには関係ねぇだろ」
「なんですか、答えられないんですか? この前も不審者の侵入を許して怒られたばっかりなので、今度は絶対に見逃しません。怪しいところは徹底的に調べます」
「それはあんたの自業自得だろ」
俺はこんなしょうもない理由で足止めを食らってたのかよ。
「もういいから学院長を呼んでくれ。そうしたらこれが本物だってわかるから」
「あなたみたいな怪しい人に学院長を会わせられるわけないじゃないですか。あははは、もしかしておバカさんなんですか?」
「このクソアマ……」
超殴りてぇ。
しかもジト目が地味に苛立ちを煽りやがる。
「はい、お返しします。どうぞお帰りください」
「おいあんたなんてことしてんだ!?」
返却された推薦状はあろうことか折り鶴となっていた。
俺は慌てて広げ直し、シノーラを睨む。
「可愛いでしょう――私が」
「しかもあんたかよ!? いやまあ、美人ではあるよな」
育ちのよさそうな顔立ち。左右で色彩の違う瞳はとても綺麗で、自分でチャームポイントと言うだけはある。後頭部で一つに結い上げられた紫色の髪は光を受けて輝いている。
制服を内側から押し上げる胸元は少々残念だが、それが気にならないほどに整った容姿をしている。
俺の観点でいいのならシノーラは間違いなく美人に分類される少女だ。
「おや、見る目がおありのようで。褒めたって何も出ませんよ」
「別にあんたには何も期待はしてねぇよ。ここを通してくれればいい」
「あ、それはだめです。超絶美少女シノーラちゃんのジト目にかけて、凶悪な目つきなアルクさんは絶対に通しません」
「うっせぇよブス」
「誰がブスですか!?」
「あぶねっ!?」
目の前まで迫ってきていたシノーラの手をがっちりと掴む。二本の指が立てられており、彼女が何をしようとしたのかは明白だった。
「離して! そいつ殺せない!」
「ざっけんな! あんた人の眼球潰そうとしてんじゃねぇよ」
盛大に舌打ちをこぼしたシノーラは、乗り出していた姿勢を正して咳払いする。
「……で、この茶番はいつまで続けたらいいんだ? いい加減になかに入りてぇんだけど」
「はい? だから入れませんってば」
依然としてふざけた態度のシノーラにほんきで苛立ってきた。意思に反して足が地面を何度も叩き、目つきが鋭くなるのが自分でもはっきりと感じ取れた。
「おや? もしかして怒りました? だめですよぉ。女の子のお茶目に少しくらい目を潰れないようじゃモテないですよ?」
「そう言うあんたは友達いなさそうだよな」
俺が皮肉を込めて言えば、シノーラはきょとんと首を傾げた。
「アルクさんはおかしなことを言いますね。友達なんてお伽話のなかだけでしょう?」
「……ん?」
「私なんてここまで長く話したのは久しぶりです。私と話した人はどうしてか避けるようになってしまうんですよね。なんでですかね?」
ここに天然物のぼっちがいた。
そりゃ話してるだけでストレスで禿げそうになる奴の相手なんかしたくないだろう。
「じゃあ俺の友達になってくれねぇか?」
ほんきで首を傾げるシノーラを見てるとこっちが悲しくなってくる。
そのせいか無意識にそんなことを口にしていた。
はたと動きをシノーラは動きを止め、俺を凝視してくる。そこに先ほどまでのふざけた態度はなく、瞳を揺らして口元を震わせていた。
ど、どうしたのだろうか。さすがに初対面でこれはなかったか。
「いやほら、こっちに来たばっかで知り合いもほとんどいねぇから……さ」
「し、しょうがないですね! 私が友達になってあげます!」
「お、おう」
急に元気になったシノーラに俺は顔を引き攣らせる。
こいつと付き合っていくにはコツがいるのかもしれない。友達になるって言っただけで満面の笑みを浮かべてるし案外可愛いところもあるんだな。
そんなことを思っていると、シノーラの後ろから見知った顔が現れた。
「――仲良くなってくれたみたいで何よりです」
「あ、学院長。お疲れさまでーす」
穏やかな微笑を湛える銀色の髪を左右で縛った少女。背丈は一七〇センチの俺よりも頭二つ分は低く体の起状もかなり乏しい。見た目もシノーラよりもずいぶん幼い。けれど雰囲気はすべてを包み込むような穏やかさがあり、おもわず甘えたくなる魅力に溢れていた。
彼女こそグラスティア魔術学院の学院長、ミレア・スカーレットだ。
「ちょうどよかった。ミレアさん、こいつに推薦状が本物だって言ってくれ。さっきから通してくれねぇんだよ」
「あらあら。アルクが時間に遅れるなんて珍しいから探しに来てみたけど……そういう」
ミレアはおっとりと微笑むと、シノーラの手元にある紙に指を這わせる。
「これは私の直筆です。通して構いませんよ」
「はい。知ってました」
「はぁ!?」
俺はおもわず絶叫する。
「あ、あんた知ってて……」
シノーラは「てへり」と舌を出して片目をパチっと閉じる。
俺のなかで堪忍袋の尾の切れる音がした。
「ざ――、ざっけんじゃねぇよコラァ!!」
「やん♪ そんなに怒んないでくださいよぉ。私たち、お友達でしょう?」
「このクソアマが……!」
「落ち着いてアルク。この子がこうなのはいつものことなのよ」
あらあらと微笑を湛えたままミレアは俺の右腕をがっちり掴み、さりげなく関節技まで決めている。
「二人ともすごく仲良くなったみたいで私も嬉しいわ。これからも仲良くしてあげてね?」
「……ッ。まあ、せっかく知り合ったわけだしな」
ミレアの言い方に含むところがあったようだが、あえて詮索はしないことにした。
「それにしても、学院長が自ら招待するなんてお二人はどんな関係なんですか? すごく親しげに見えますけど、ただならない関係ですか? 私としてはただれた関係だと面白いなぁって思うんですけど」
「あ? あんたには関係ないだろ」
「えー、私たち友達じゃないですかぁ。教えてくださいよぉ」
「あんた友達が万能の言葉と勘違いしてないか?」
「え? 違うんですか?」
シノーラは真顔でそんなことを言ってくる。答えに困って後ろ頭を掻く俺を見てミレアは口元を隠して優雅に微笑んでいる。
「二人とも仲良しで私も嬉しいです。ですが、私はアルクとお話があるので」
行きましょう、とミレアが手を差し出してくる。
あんたはいつまで俺を子供扱いするつもりだよ。
「私もついていってもいいですか?」
「――だめですよ」
ミレアは強く言い放ったわけではない。けれど短く紡がれた言葉は絶対の強制力を持っているかのように、それに従わなければならない気にされた。
相も変わらず微笑みを湛えるミレア。
しかし彼女の本性を知っている身としては、それが恐ろしくてならない。
シノーラもミレアから何かを感じ取ったのだろう。表情は崩していないものの、腰が完全に引けてしまっていた。
「よろしい。良い子は大好きです」
ミレアは依然として、微笑みを作っていた。