第十八話
「おーいアルクくん!」
「あ?」
しばらく街を探索していると誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。
きょろきょろと周囲を見渡してみるが、あまりにも多い人垣のせいで探すのも一苦労だ。
一瞬で探す気が失せたのでさっさとこの場から去ろうとするも、今度は怒声にも近い声で叫ばれた。しかも小石までぶつけられては、さすがに無視するわけにもいくまい。
「あそこじゃないですか?」
「おお、そう……げっ」
そこにいた人物を見て、見つけなければよかったと後悔した。
雪のように白い肌。絹糸のように滑らかな白髪。世界を映す瞳は空色で、行き交う人々が彼女の美貌に見蕩れて何度も振り返っていく。
「すごい美人ですね。アルクさんのお知り合いですか?」
「できれば違ってほしいんだがな」
俺の知り合いは揃って個性的すぎるのだ。絶対に見間違うようなことはない。
「なんでこっちにいるんですか、シェナさん」
「アタシは商人だぜ? 品が売れるんだったらどこにでも行くさ」
「……タイミング的に俺が出てすぐですよね?」
「べ、別にアンタを追いかけてきたわけじゃないんだからね! ……ぷはっ!」
シェナは「超きめぇなぁ」と大爆笑する。
自分で言っておきながら噴き出してんじゃねぇよ。
「んで隣の女の子は彼女かい? まったく。こっちに来てすぐ女の子に手ェ出すなんて、フィオナさんが聞いたら泣くんじゃないかい?」
「違うから。変な勘ぐりしてんじゃねぇよ」
「こら! 年上になんて口の聞き方だい! しばくよ!?」
「いってぇ!?」
シェナは立ち上がると俺の首に腕を回し、挟み込むようにして力を込めてきた。反射的に悲鳴を上げたがほんとうは全然痛くない。むしろ彼女の豊満な胸がクッションになっていて気持いくらいだ。
しかしこの体勢はマズイ。シェナの格好のせいだ。
上は胸を隠す布一枚でそれ以外は肌が剥き出しになっており、下半身はホットパンツ姿で見事な脚線美が披露されていた。その隙間からは彼女の下着がチラチラと顔を覗かせていて、先ほどからそれ目当てで露店の前を往復する男があとを絶っていない。
「ちょ、ちょちょちょ、な、何をしてるんですか! アルクさんから離れてください!」
「おっとと。元気なお嬢さんだねぇ」
俺からシェナを引き剥がしたシノーラは、喉を鳴らして威嚇していた。
「そんなにアルクくんが好きかい?」
「は、はぁ!? そそそんなわけないじゃないですか! バカにしないでください!」
そこまで全力で否定しなくてもいいんじゃないですかね。しまいには泣くぞ。
シェナは呆れたふうに腰に手を当てる。
「ここまでわっかりやすいのも珍しいけど、アルクくんも相変わらずだねぇ。死ねよ」
「ストレートにふざけんな。殺すぞ」
俺たちは笑顔で、しかし瞳には敵意を灯して視線をぶつけて火花を散らせる。
すると後ろから服を引っ張られる。振り返った先では、シノーラがやや不機嫌そうに頬を膨らませていた。
「アルクさん、その人誰ですか?」
「こいつはシェナ・ラフォリア。セメルベルクで魔導器関連をメインにしてる商人だ」
シェナは俺から離れると「どうも」と商人の笑顔を貼り付けて挨拶する。
「燃える熱血雪女とはアタシのこと。よろしくね、お嬢ちゃん」
「雪、女? もしかして亜人の……!?」
シノーラは明らかに敵対心を剥き出しにし、大袈裟にシェナから距離を置いた。腰を低く沈め、何をされても対応できるように構えている。
それを見たシェナは不快げに舌打ちをこぼした。
「なんだい、アンタもそういう口かい?」
「…………」
だがシノーラは答えない。
よく見ればシノーラの体は震えていて、敵対心をカモフラージュにして何かに気づかれないようにしているような印象を受けた。その正体はわからないが、ここで険悪な雰囲気になられては俺が困る。
「そこまでにしてくれ。シェナさんは悪い人じゃねぇから」
「……わかり、ました」
ここまでシノーラが敵意を表面に出すとは思いもしなかった。ひとまず牙は引っ込めてくれたが、まだシェナに対して警戒心を解いた様子はない。
「あーやだやだ。いくら亜人が『妖魔』の血を引いてるからって、そんなふうにあからさまにされちゃ気分が悪いよ」
「悪いなシェナさん」
「なんでアンタが謝るんだい。まあ、こういうのには慣れてるから構わないよ」
シノーラに侮蔑の視線を投げ、シェナは鼻を鳴らした。
亜人というのは、かつて世界を滅亡させようとした邪神が従えていた『妖魔』の血を引いている限りなく人間に近い人々のことだ。
十皇家の元となった十人の魔術師は、邪神を滅ぼして各地の妖魔を殲滅して回った。しかし世界に放たれた数千万という数の妖魔すべてを殲滅させることは叶わず、十人の魔術師が死したあともかなりの数が生存してしまった。後継とした多くの魔術師が妖魔を討伐しに回るも、すでに全滅させるには世に根を張りすぎていた。
そんななか妖魔たちに変化が起こった。自分たちを滅ぼそうとする魔術師に対抗するために力をつけようとする個体と、彼らと共存して生きようとする個体が現れ始めたのだ。
前者はわずかに宿っていた知性を失った、人間を排除するだけの獣――『魔獣』へと変貌し、後者は知性を伸ばし、妖魔としての力を残したままの『亜人』へと変化した。
シェナの先祖は氷系統の妖魔だったようで、氷系統限定だが、魔力を喚起させることなく魔術と同じだけの現象を起こすことが可能だ。
ただそれ以外は人間と同じで、言語も話すし家族だっている。
けれど未だに邪神の配下だった妖魔と同列視する人間はいる。そのせいで迫害を受けている亜人は多い。セメルベルクはそういったことはなかったが、どうやらグラスティアでは少なからずあるらしい。
「あ、アルクさん早く行きましょうッ」
「ちょっと待ってくれ。……シェナさん、商品を見せてもらってもいいか?」
「あいよ。アンタのためにいろいろ持ってきたんだよ」
シノーラは一刻も早く離れたいようだが、俺としては重要なことなのだ。魔導器がほとんど普及されていないグラスティアでカードリッジを補給するのは至難だ。できるときにしておかなければ。
「とりあえずこんな感じかね。遠慮しないで買っていきな」
「…………」
さすが魔導器を専門に扱うだけあってどれも高精度だ。高精度――なのだが、いかんせん値段がとんでもない。セメルベルク通貨ならともかく、ミレアからもらった額だけでは到底足りなかった。
「な、なあシェナさん。常連のよしみで負けてくれたりとか……」
「え? なんだい? 急に耳が遠くなったねぇ」
このクソ女。足元見やがって。
俺がカードリッジなしじゃ魔術を使えないってわかってて言ってやがるからタチが悪い。
「す、少しだけならいいだろ?」
「だめだね。アタシは公私混同はしない主義なんだ」
「くっ……こ、この悪魔!」
「雪女だよ!」
シェナが激昂する。そこは譲れないところらしい。
「まったくしょうがないね。じゃあこれでどうだい?」
「うぐっ……」
提示された金額に俺は唸る。たしかに高価ではあるのだがシェナにしては格安だ。彼女の作るカードリッジはブランドがついている名品なので、この額で売られることはまずありえない。セメルベルクにいたら待ったなしで買いだ。
しかし現在シェナが取り扱っているのはグラスティア通貨。この値段でも使ってしまえば今後の生活がしにくくなる。
仕事は早期決着を狙っているけれど、いつまでかかるかわからないのだ。
「ぐぬぬぬ……か、買った!」
「毎度あり!」
いい笑顔しやがってちくしょうめ。
俺は財布からお金を取り出してシェナに渡す。
「えっと? 上級魔術二つに初級が三つだね。これだけでいいのかい?」
「それしか買えねぇんだよ!」
「はっはっは!」
これで俺の生活費はかつかつになってしまった。もし仕事が長引いたら、生活費稼ぐためにギルドとかに行かなくてはならない。なんで仕事を続けるための仕事をしないといけないんだよ。
「アタシはしばらくここにいるから、金が貯まったらいつでも来な」
「安くしてくれるならな」
「それは相談しだいだねぇ。……次に来るときは、あの子はなしで頼むよ」
シェナは後ろを指差して苦い顔をする。離れた位置にいるシノーラが、苦々しい面持ちで俺たちを睨んでいる。
「悪いな、嫌な思いさせちまって」
「なれてるって言ったろ? それにあの子、どうも亜人にってじゃなくて、むしろ……」
スッと目を細めたシェナは、シノーラを見て何かを納得したように頷く。
「まあいいや。仲良くしてやんなよ? せっかくの美人なんだからさ」
「あんたに言われるまでもねぇよ。学院にはミレアさんもいるから、挨拶にでも行ってみたらどうだ? そのときは案内するよ」
「そりゃあいいね。それじゃあ、またのお越しを!」
そう言ってシェナと別れる。
俺はカードリッジを予備の弾倉に詰め、急いでシノーラのところに戻る。
「待たせたな」
「……女の子を差し置いて自分だけお買い物するのってどうなんですかねぇ」
物凄い不機嫌なトーンで言われる。
たしかに男女で買い物といったら普通は逆だろう。
俺としては死活問題なので多目に見てもらいたいが、シノーラを置いてきぼりにしていたので怒られても仕方がないのかもしれない。
……しょうがねぇなぁ。
俺はシノーラに小さな包みを投げる。
「ほれ」
「え? わわっ。な、なんですかいきなり?」
落としそうになりながらもキャッチしたシノーラは、眉間に皺を寄せて訊いてくる。俺はジェスチャーだけで開けてみろと言うと、怪訝そうにしながらもそれを開ける。
「髪飾り……ですか?」
「おう。シズキにやられたときに壊されたんだろ?」
ちょいちょいと俺は頭を指差す。
初めて会ったときには髪飾りをしていたのに今日はしていない。単につけてないだけとも思ったが、ちょうどよさげなのがあったので買っていたのだ。値段も安かったし。
「よ、よく見てるんですね」
「まあな。ほんとうは街を案内してくれたお礼として渡そうと思ってたんだけどな。それで機嫌直してくれよ」
ぱちくりと目を瞬かせたシノーラは、
「お……女の子の機嫌をプレゼント一つで直せると思ったら大間違いですよ? で、ですけど私は直してあげます。よかったですねぇ?」
「へいへい。どうもありがとうございますよ」
けれどひとまず落ち着いてくれたようで何よりだ。
――にしても、さっきシェナは何を言いかけたのだろうか。
何かに気付いた様子だったが、あえて俺には言わなかったのは態度を見てわかった。
シノーラ・ナナシキ。
彼女といると、疑問ばかりが俺のなかで膨らんでいく一方だった。




