第十五話
学院を出ると空は茜色に染まっていた。学生寮に向かう道にはちらほらと生徒の姿が見えて、そのほとんどが俺に戸惑いの視線を投げて寄越すが、俺は無視して学生寮に向かう。今日はいろいろありすぎて疲れた。名前も知らない相手に構っていられない。
まだグラスティア学院に来て二日目だというのに俺が魔導師なのも手足が魔導器なのもバレ、おまけに事前にいないことをたしかめておいたヒビキとヒズキに会うはめになった。最初から簡単な仕事ではなかったけれど、おかげで難易度が二段ほど上昇した。
ヒズキとヒビキの両名は生徒会の数名と、国家指定魔術師の資格を持つ教師を伴ってとある用事のため隣の国であるスペルイーンに足を運んでいた。用事の内容はさほど重要ではない。俺にとっては仕事の間、彼らがいないことに着目していた。
シズキはともかくとして、あの二人は俺を見た瞬間に、俺がアルク=オル・エヴァンスだと悟ってしまうからだ。現にひと目で正体を看破されてしまい、行動に制限がかかってしまった。
彼らがいない間に決着をつけてしまおうと考えていただけに、予定を早く切り上げられてしまったのは痛手だ。
「しかもヒズキにあんなこと言っちまったし……」
あの女は昔から負けず嫌いで執念深いのだ。しかも性格が悪い。粘着して嫌がらせするくらいはやりかねない。
とにかく今はミレアの依頼通り、ヒズキとヒビキの二人に魔術教典のことを勘付かれる前に片をつけることだけを考えよう。
どうせ仕事を完遂したらセメルベルクに戻るのだから。
玄関口をくぐって学生寮の階段を上がる。幸いにして、ヤシロとユミルはまだ帰ってきていないようだ。
……いや、ユミルは帰ってきてたらおかしいんだけどさ。
俺は半眼で苦笑いしながら自室のドアを開ける。
「あ、アルクさんお帰りなさい。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも、わ・た・し?」
俺は残像が見える速度でドアを閉めた。
「……え?」
そして混乱する。おかしいおかしい。
俺は目をごしごしと擦って合鍵と部屋番号が合ってるか交互に見比べる。が、ここは間違いなく俺の部屋である。
さらに混乱する。おかしいだろ。絶対おかしいって。じゃあなんであいつがいるんだ。
俺の目が腐ったのか、無意識に幻覚を作り出してしまったとでもいうのか? お願いですから後者だけは勘弁してください。
まったく信じていない神に祈りながら再びドアを開ける。
「もうアルクさん、なんで閉めちゃうんですかぁ? もう一度言いますからちゃんと聞いててくださいね。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも、わ・た・し?」
どうやら俺の目が腐ったわけでもなく幻覚でもなかったようだ。
やたらとフリフリとした可愛らしいエプロンを着て、片手にはお玉を持っているシノーラがそこにはいた。新婚のつもりかよ。あざとすぎるだろ。
「チェンジで」
「なんでですか!?」
「だから危ねぇって!?」
眼球に突き立てられそうになった二本の指を直前で掴む。
「い、いい加減潰されちゃってくださいよ……!」
「ふざけんな!」
「友達じゃないですか!」
「あんたの友達の定義は根本から間違ってる!」
俺は絶叫してシノーラの頭に手刀を喰らわせる。「あうっ」と以外に可愛らしい悲鳴を上げたシノーラは、涙目で頭を抱えながら睨みあげてきた。
「痛いじゃないですかアルクさん。私、怪我人ですよ?」
「だったらそれらしくしてろ。見るからに元気じゃねぇか」
ボロボロになった学生服の上着を脱ぎ捨ててベッドにダイブする。
あとでミレアに新しい制服もらわないと。
「あれ? 私の格好についてはスルーですか? ねえねえ見てくださいよぉ。同級生の女の子のエプロン姿ですよ?」
「はぁ? あんたのエプロン姿見て感想言えってか? ……うん、似合うんじゃね?」
「適当ですか!」
「ぐえええっ!?」
ベッドでうつ伏せになる俺にシノーラが飛び乗ってきた。いくら女の子でも何十キロと体重があるのだ。小柄の彼女でも四〇キロ前後だろう。油断してるところに全力で乗られたらそりゃあ悲鳴も出る。
いやまあ、ぶっちゃけドキドキしちゃったんだけどさ。シノーラって美人だし。それを悟られないように適当に返事したらこの様だよ。
「ふふん、動けないでしょう?」
「あ、あんたが……いや、なんでもない」
ここで重いなんて言ったら追撃を喰らうのは確実だ。黙るのが賢い選択だ。
そんなときだった。不意に背中をぎゅっと押された。
「な、何してるんだ?」
「マッサージですよ? どうですかこのシチュエーション。ドキドキしませんか?」
さっきからしっぱなしだよ。
だが認めるのは癪なので「しねぇよ」と辛辣に返しておく。不満そうな声を漏らしたシノーラだったが、どうやらマッサージは続行するらしい。
「気持ちいいですかぁ? 要求があったら言ってくださいね。超絶美少女シノーラちゃんが今日だけはなんでも言うことを聞いてあげますから」
「ん? 今なんでもって……」
「えっちなのはなしですよぉ」
「わ、わかってるわい!」
おもわず変な口調になってしまった。そんなこと微塵も考えてないの言われると妄想が捗ってしまうじゃねぇか。
「ところでどうやって俺の部屋に入ったんだ? 鍵はかかってただろう?」
予想外に上手いシノーラのマッサージを堪能しながら疑問をぶつける。
「この学院って未だに前代的な鍵を使ってるんですよねぇ。だからちょちょっとピッキングしただけで入れちゃうんですよ」
「あんた何やってんの!?」
「ちなみに私の部屋も同じです」
俺に同じことしろという前振りなのだろうか。やったら速攻でスーラに見つかって停学にさせられるわ。たぶん下手したら退学もありえる。
「アルクさん、その……今日はすみませんでした」
「なんだよ急に。あんたに謝られることされた覚えはねぇぞ?」
目潰しされかけたり飛び乗られたりはしたけれど、こんなのはおふざけの範疇だ。気心の知れた相手同士なら別に謝るようなことでもないだろう。
「教室が壊されたり、アルクさんが魔術が使えないってこと、バレちゃったんですよね? 全部私が関わったせいです」
「違うだろ。あれはシズキがやっただけで、あんたのせいってわけじゃねぇだろ」
「――ですけど!」
シノーラは大声で叫ぶと、ぎゅっと服を掴んだ。
「……アルクさんを私に関わらせなかったら、ほかのみなさんに迷惑かけることもなかったんです。だから全部、私のせいなんです」
「めんどくせぇなぁ」
俺はそうぼやいてシノーラの正面に座りなおす。
「だったら俺のせいでいいじゃねぇか」
「え……?」
「俺が自分の勝手であんたを助けた。その結果、教室は破壊されてシズキと決闘するはめになった。俺が割って入んなかったら、今までどおりだっただろうからな」
「そんな! 違います! 私が……」
まだ自分が悪いと言おうとするシノーラの鼻っ柱を指で弾いて黙らせる。
このまま喋らせてたら延々と懺悔の言葉を吐き出し続けそうだ。そんなのはごめんだ。聞く側の身にもなってほしい。
「あんたは俺に責めてほしいのか? あんたに関わったせいでこんな目に遭ったって」
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
「だったらいいじゃねぇか。この状況であんたが悪いなんて言う奴がいたら、そいつのほうがおかしいんだよ。言いたいなら言わせときゃいい」
ただしそんな奴らは揃って俺がぶん殴ってると思うけど。
「友達の助けになるのって、あんたにとってそんなにおかしいことなのか?」
「アルクさん……」
シノーラは肩を震わせて俯くと、ぽすっと胸に頭を押し当ててきた。
ぽたぽたと雫が滴り落ちて制服に染みを作っていく。
「女の子を泣かせるなんて、だめじゃないですかぁ。どう責任取るんですか?」
「泣き止むまで胸を貸してやるよ」
「ふふっ、じゃあお言葉に……甘えさせてもらいます」
嗚咽を漏らしながら言ったシノーラは、やがて大声で泣き始めてしまった。
廊下に聞こえてんじゃねぇのか――なんて。場違いな心配をしながら背中を撫でる。
こんな薄い壁一枚隔てたくらいでは遮るなんてできないだろう。
けれど今日くらいは見逃してくれるんじゃないだろうか。
俺は泣きじゃくるシノーラに苦笑いしながら、彼女を撫で続けた。
 
 




