第十四話
「……は?」
俺はわけがわからず乱入してきた男を見る。
黄金色の頭髪。顔立ちはとても柔和で、物腰の柔らかい雰囲気をまとっている。一見しただけで彼の人柄のよさが伝わってきた。そんな彼の右手には白金の剣が握られ、シズキを鋭く睨みつけていた。
「僕たちがいない間に、ずいぶん好き勝手してくれたみたいだな」
「な、何故貴様が、ここにいるんだ」
――ヒビキ。
シズキはそう男の名を呼んだ。
「貴様らはスペルイーンに行ったはずなのに……!!」
「思ったよりも早く予定が消化した。だからここにいるんだよ」
ヒビキは腰に下げられた鞘に剣をしまう。
「それでこの騒ぎはなんだ? 大方、また彼女に何かしたんだろう? しかも無関係な生徒まで巻き込ん、で……?」
そこで初めて俺を見たヒビキは、まるで信じられない光景を見たように硬直した。
様々な感情がごちゃまぜになったような顔で、ヒビキは俺の頬に触れてくる。それどころか無遠慮にぺたぺたと俺の体までも調べ始めた。
周囲の生徒は、ヒビキのおかしな行動に戸惑っていた。けれど俺はヒビキの心情を理解することができた。死んだと思っていた家族が目の前に現れたら、幽霊か何かの類いではないのかと疑ってしまうだろう。
存分に調べ終えたヒビキは俺をジッと見つめ、
「アルク……?」
俺の名前を呼んだ。
アルク・ランセルのことをではない。
アルク=オル・エヴァンスのことをだ。
「ほんとうに、アルク……なの?」
「あー、えっと」
いつか彼らにバレるとは思っていたが、いくらなんでもこの場ではマズイ。全校生徒がいる前で俺がアルク=オル・エヴァンスだと知られるのだけは悪手すぎる。仕事に影響が出るところではない。今後の生活にも支障が出る。
どう誤魔化したものかと思案し始めたところで、もう一つの声が割り込んできた。
「シズキが何をしたかなんてどうでもいいわ」
会場全体から色っぽい吐息が漏れた。それだけで誰が現れたかなど想像がついた。
足元にまで届く黄金色の艶やかな長髪。まるで女神に愛されているかのような完成された美貌は、見た者すべてを魅了する魔性さを帯びている。しかし緋色の瞳は絶対零度の冷気を放っており、背筋がゾッとする感覚を覚えた。
「ひ、ヒズキ姉様……」
ヒズキ=オル・エヴァンス。
現オル・エヴァンス家の頭首がそこにはいた。
「あなたはオル・エヴァンスでありながら魔導師に遅れを取り、無様な姿をさらした。それさえわかればどうでもいいわ」
「ひ、ヒズキ姉様! これは違うのです。そ、そこの平民がオル・エヴァンス家を侮辱したのです! ですから僕は、その愚行を懲らしめようと――」
「言いわけを聞くつもりはないわ。目障りよ」
ヒズキはシズキの言い分を一蹴する。
「あなたの行動は前々から注意してきたでしょう? けれどあなたはそれを直そうとはしなかった。あなたのやっていたことは、ただただオル・エヴァンス家を貶めているだけというのを、どうして気づけないのかしら?」
「そ、それは……」
口ごもったシズキをつまらなそうに見下したヒズキは、長い髪を翻して背を向ける。
「これ以上あなたを野放しにはしていられないわ。オル・エヴァンスがあなたのような愚か者だけだと思われるのは不快だもの」
「なっ……!」
シズキは顔を真っ赤にしてヒズキを見上げた。
しかしそこにあるのは汚物を見るような嫌悪しか宿っていない瞳だ。
「あなたをオル・エヴァンスから追放します。今後二度と、オル・エヴァンスを名乗ることも敷居を跨ぐことも許さないわ」
「そ、そんな! ヒズキ姉様、それだけは――」
顔面を蒼白にしたシズキは縋りつくように手を伸ばすが、ヒズキは高速で魔術を詠唱。発動した術式によってシズキの手を――肘から消滅させた。
一瞬何が起こったかわからず感情を消したシズキだったが、自分の足元に血だまりができているのに気づいてようやく状況を飲み込んだらしい。
「ぎゃああああああああああッッッ!! 腕が、腕があああぁぁぁ……ッッッ!!」
喉奥から絶叫を迸らせ、その場に蹲った。
ヒズキの突然の行動に、俺でさえも思考が飛んでいた。
「汚らしい手で、平民風情がわたしに触れないでちょうだい」
まるで今までシズキがやってきたことへの仕打ちのように、ヒズキは淡々と言った。
それっきり興味を失ったようにシズキから視線を外す。
「ああ、そうね。あと前々から言いたかったのだけれど、わたしを姉と呼ばないでくれるかしら? わたしを姉と呼んでいいのはヒビキと……」
そこでヒズキが俺をちらりと見たような気がした。
「ヒビキだけなのよ。あなたからそう呼ばれるたびに虫唾が走っていたわ」
「こ、の……悪魔、がァ……!!」
片眉をぴくりと動かしたヒズキの目に一瞬だけ殺意が灯るも、次の瞬間には冷気が戻っていた。片手を上げてどこかに指示を出すと、あっという間に大勢の人間が集まってきてシズキを連れて行ってしまった。
オル・エヴァンス家を追放されたシズキの末路が気にならないわけではないが、どうやら今はそっちを構っている場合ではないらしい。
ヒズキとヒビキの両名が、俺を真っ直ぐに見据えている。
「あなたには事情を聞かせてもらうわ。今すぐ生徒会室に来なさい」
「…………」
正直勘弁してほしいのだが、さすがに断るわけにはいかないだろう。
俺は渋々と頷くしかなかった。
◆
「アルク!」
「ぎゃあああ!?」
ほとんど連行される形で生徒会室に入った途端、これまで無表情だったヒビキが破顔して俺に抱きついてきた。この歳になってまさか同年代の男に熱い抱擁をされるとは思わず、ついつい絶叫してしまった。
しかしヒビキは俺の絶叫など聞こえていないのか肩に顔をうずめ、マーキングでもするようにぐりぐりとこすりつけていた。
おい、鼻水つけてねぇだろうな?
「ほ、ほんとうにアルクなんだよね? 僕の双子のお兄さんのアルクなんだよね?」
がばっと顔を上げたヒビキは、俺の両手を握って目と鼻の先にまで近づいてくる。
俺が別人だったらどうするつもりだったんだか。
それにヒビキは一つ間違いをしている。
「違う。俺はお前の兄じゃない」
「え……」
そう告げれば、ヒビキはショックを受けたように視線を泳がせた。
だけどこれは事実なのだ。俺はヒビキの双子の兄でもなければ、ヒズキの弟でもない。
八年前に家を追放され、殺された元兄なのだ。
ヒビキが苦痛に表情を歪めるのを見て申しわけなく思う。あのときもヒビキだけは俺を助けようとしてくれた唯一の家族だ。口では違うだなんて言ったけど、ほんとうは今でも兄でいると思っている。いたいと思っている。
けれど現実は甘くはない。オル・エヴァンスの『欠陥品』と呼ばれたアルク=オル・エヴァンスは、本家襲撃によって逃げ遅れて殺されたことになっている。それが虚実だと露見してしまえば、家だけでなくヒビキにまで迷惑がかかってしまうのだ。
俺がここで兄だと認めてしまえば、いずれ最悪な結末を手繰り寄せてしまうだろう。
だから線引きはきっちりしておく。
ここにいるのは彼らの知っている『アルク=オル・エヴァンス』ではなく、機巧都市セメルベルクにて世界最強の魔術師に拾われた『アルク・ランセル』なのだと。
「あら、亡霊風情が『欠陥品』の形をしているなんて、なんて不快なのかしらね」
「――ッ、ヒズキ……!!」
ヒビキが憤怒の形相で魔力を昂ぶらせながらヒズキを睨んだ。基本的に魔力は魔術にすることで形を作るか、特殊な眼でしか見ることができない。だが、あまりにも濃密に練り上げられた結果、こうして可視化できるにまで至っていた。
それだけで八年前のヒビキとは全然違うのだと思い知らされた。ヒズキのことも『姉さん』と呼ばないで呼び捨てにしてるし。
「ヒズキが魔術を放ったからアルクは……!!」
「わたしがやらなくても、どのみち死んでいたわ。あの怪我で生きていられるほうがおかしいのよ」
そしてどうやら二人の関係もかなり悪くなっているらしい。
俺を守ろうとしたヒビキと、殺そうとしたヒズキ。あの後何があったのかは知らないが、二人の関係に亀裂が入らないわけがなかった。
「その腕と脚、魔導器と言ったかしら? しかも十皇家の一つ、ヴァレン・タイン家の現頭首、レヴィアウォート=ヴァレン・タイン製と言っていたわね」
「だからどうした?」
自然と俺の口調は厳しいものとなっていた。
しかしヒズキは露ほども気にした様子はない。あいつにとってこの程度の変化は、いちいち気にするに値しないのだろう。
「別にどうもしないわ。けれどシズキの言うとおり、魔術師として出来損ないの象徴である魔導器を腕や脚に移植しているなんて、ほんとうに愚かだと思っただけよ」
「あんたに比べりゃ負けるよ」
「……どういう意味かしら?」
不快そうにするヒズキ。やたらと豪華なソファに腰を沈めるヒズキを嘲るように笑う。
「そのままだ。オル・エヴァンスのお人形さん? お家の命令にしか従えない操り人形。魔術に愛されてるなんて言っても、所詮は誰かの言いなりにしかなれないあんたに比べれば俺のほうがよっぽどマシじゃねぇか?」
「『欠陥品』の分際でよくも吠えたものね」
「十皇家でもあんたくらいのもんだぜ? 誰かの命令でしか動けない頭首ってのもさ」
俺はセメルベルクに腰を落ち着ける以前は各地を回っていた。そこで十皇家の頭首とも面識を持てたのだ。誰も彼もが一癖も二癖もある性格だったが、そこには確固とした自分というものがある。
ヒズキのように、誰かの命令がなければ動けない無能頭首とはわけが違う。しかも強さだけは別格だから手に負えない。
「言ってくれるわね『欠陥品』のくせに」
「ハハハッ、あんたそれしか言えねぇのか? もっとほかのことも言ってみろよ?」
俺が魔術師として『欠陥品』なのは言われるまでもなくわかっていることだ。師匠にだって散々言われた。けれどそんな師匠こそ、親身になって俺を鍛えてくれたのだ。今さら『欠陥品』だの何だの言われたところで痛くも痒くもない。
「これだからお飾りの頭首は救いようがねぇんだよ」
「――ッ、あなたにわたしの何がッ――」
カッと目を見開いて激昂しかけたヒズキだったが、すぐに冷静になったのか途中まで吐き出していた言葉を嚥下した。
「まあいいわ。部外者のあなたには関係ないことだもの」
それで、とヒズキは疑いの眼差しを向けてくる。
「こんな手の込んだ真似をしてまでここに何をしに来たのかしら? もしかして復讐でもしようというの?」
「正直なところ考えなかったわけじゃねぇよ」
「アルク……」
心配そうにするヒビキの頭を撫でる。昔もこんなふうにやってたっけ。
オル・エヴァンスなんてどうだっていいと言った。
実際そんなわけがない。魔術が使えなった。それだけのことで俺は片腕片足を失い、師匠に拾ってもらわなければ生きてすらいなかったのだ。何度と復讐してやろうと思ったか。
俺は世界最強の魔術師から手ほどきを受け、少なくとも十皇家の人間とまともに戦えるだけの実力を手に入れた。さらに奥の手をも用いれば、おそらくヒズキをこの場で殺すことだってできるだろう。
グラスティア学院に来るまでも、ヒズキに会ったら殺してやろうと何度も思った。八年前のあの日を思い出すたびに、憎悪の炎は激しく燃え盛った。
「けどさ、あんたに復讐したって俺には何も残らねぇんだ。殺したいほど憎んでる相手と同じことをやっちまったら、俺は絶対に後戻りできなくなる」
一度でもタガが外れてしまえば、俺は修羅の道を行かねばならない。どこまでも追いかけてくる憎悪や復讐心に駆り立てられて、殺して殺して殺しまくって――その先に行き着くのは果てしない虚無感だけだろう。
「だから復讐なんてどうでもいい。あんたのことなんて忘れて、いつか笑い話にできるようにしてやるよ」
「…………」
「俺がここに来たのは仕事のためだ。聞いて驚けよ。これでも俺、いちおう国家指定魔術師なんだぜ?」
そう言うたびになんだか虚しい感情が込み上げてくる。
やっぱり口でいろいろ言ってみたけど、ヒズキが――俺を殺そうとしたオル・エヴァンスが許せないって気持ちだけは誤魔化せそうになさそうだ。
「もういいか? いつまでもあんたと一緒にいたら吐いちまいそうだ」
「だ、大丈夫か?」
「ハハハッ、冗談に決まってるだろ」
「……目が全然笑ってないんだけど」
ヒビキが若干引いた様子で口元を引き攣らせていた。
「邪魔だけはすんじゃねぇぞ。俺は自分からは何もしねぇけど、あんたから仕掛けてくるっていうんだったら喜んで噛み付いちまうからな。――一生のお願いだから、俺をあんたのせいで修羅に落とすのだけはやめてくれ」
もう二度と俺に関わるなと言外に告げて踵を返す。
背後でヒズキが立ち上がる気配があった。
「待ちなさい! わたしは――」
「うるせぇよ。あんたなんか死んじまえ」
俺はヒズキに決別の言葉を吐きかけると、生徒会室をあとにした。