第十話
ヤシロと共に一旦寮に帰って身支度を整え、目の下に隈を作るユミルと合流した。
朝からスーラのおかげで眠気が吹っ飛んだ俺たちと違って、まだまだ寝たりないらしい。
「シノーラは寮で休んでるのか?」
「昨日の今日で怪我も治ってないし、何よりあの男と鉢合わせでもしたら大変だもの。大事をとって休んでもらってるわ。帰りにお見舞いにでも寄ってあげたら?」
「……スーラ先生に次はないって脅されてんだよ」
今朝のことを知らないユミルは眠そうに目をこすりながら首を傾げた。
ユミルは男子寮に公認で出入りしているようなものだから、俺とヤシロが味わった苦労がわからないのだろう。
女に飢えてる男子寮にユミルほどの美貌を持つ少女が出入りするのを嫌がる奴はいない。寮長も思春期男子の迫力に押されて許可を与えているのだろう。
ただし、ユミル相手では夢もへったくれもない。ユミルに手を出そうものならヤシロが烈火のごとく怒り出すからだ。
俺より付き合いの長い寮生たちのことだ。十分に理解している――いや、理解させられているはずだ。
そんなことを考えながら昨日はシノーラに足止めされた門扉をくぐり、校舎に入ると下駄箱で靴を履き替える。
「……そういえば、俺ってまだ転入二日目だっけ」
「お? 言われてみりゃあそうだな」
独り言のつもりだったのだが、ヤシロが相槌を打ってくれた。
「なんだか昔っからの付き合いみてぇな感じするな」
「それだけ仲が深まったってことよ。実際、世界最強の弟子ってくらいだからどんな気難しいのが来るんだって思ってたけど、話してみたら平凡なんだもの」
「ほんとうに拍子抜けだよな」
「悪かったな平凡で」
あんたら二人に比べたら平凡に決まってるだろう。
半裸で背中に女の子を乗せながら腕立て伏せする大男に、大男に乗って鞭を振るう少女。
どうやったって俺が平凡に決まってる。
「あなたの強さは平凡では済まされないでしょうけど――あら? どうしたのかしら?」
やたらと長い廊下の先。俺たちが在籍する教室の前に群っている生徒たちを見ながら、ユミルは怪訝そうに眉を寄せた。
「アルクのこと見に来たんじゃねぇか? 昨日の一件で学院中に広がったろうしさ」
「……そうじゃないみたいよ」
ユミルは声低く言う。
それで俺たちが来たのに気づいたのだろう。人ひとり通る隙間もないほどに埋め尽くされる廊下の両端に生徒たちが寄り、中央に道が出来上がった。
そして壁際に寄った生徒たちは、揃って俺たちを――俺を見つめている。
何故だと俺は疑問を抱く。居心地が悪いまま道を抜け教室の前に立ったとき、その疑問はあっさりと氷解した。
俺が目にしたそこは、すでに教室ではなかった。
きちんと整頓されていた机はどれも跡形もなく灰になっており、壁や床には焦げ跡が刻まれ盛大な破壊がなされていた。
「なんだよ、こりゃあ……ッ!!」
「魔術だな」
俺は教室だった部屋をぐるりと見回す。
おそらくは炎系統の爆発タイプの魔術だ。壁や床が破壊されているのはその衝撃と、火種を消すために土系統の魔術が使われたためだろう。空中には魔力の残滓が漂っているが、それだけでこれをやった犯人を特定するのは難しい。
だが、別に魔力の残滓で誰かを特定するまでもない。
狙われたのは俺が転入したクラス。教室を丸ごと使い物にならなくすれば普通は罰則は逃れられない。しかし教師陣を上回る権力を持っているからこそ、こんな手段に出られた。
……まあ、ごたごた推測を並べるまでもなく、一人しか候補はいない。
「ずいぶんとひどいありさまだな」
憎たらしい声が背後よりやってくる。
顔を見ずとも、奴のにやけツラが手に取るように想像できた。
「……ッ!! テメェ!!」
「下がれ狂犬。誰が僕の前に立つことを許可した」
「この野郎……ッ!! テメェがこれを――」
「落ち着けヤシロ」
怒りで我を忘れ、今にも殴りかかりそうになっているヤシロの肩を引いて下がらせる。入れ替わりで前に出れば、昨日とは違う取り巻きをつれたシズキが立っていた。
「わざわざお出迎えご苦労さま。朝から重労働で疲れてるのにな」
「貴様、口の利き方には気をつけろ」
俺とシズキは火花を散らせて睨み合う。
「これ、あんたがやったんだろ? 言っとくが、これは質問じゃなくて確認だ」
「何の話だ。証拠もないのに言いがかりをつけてくるとは、世界最強の弟子もずいぶんと横暴なのだな」
「あんたがそれを言うのか」
俺は喉を鳴らして笑う。
そんな俺の態度が気に入らなかったのだろう。シズキは不快そうに眉間に皺を寄せて眼光をよりいっそう鋭くした。
気に入らないのは俺も同じだ。
俺は呆れ混じりに息を吸い込み、
「あんたの狙いは俺のはずだろう。関係ない奴らまで巻き込んでんじゃねぇよ」
全身から魔力を迸らせた。足元から外側へ渦を巻くように放たれた魔力によって、ギリギリで形を残していた教室を崩壊していく。窓ガラスにぴしりと罅が走り、一枚目が割れたのを皮切りに次々と透明の破片を廊下に撒き散らした。
生徒のなかには俺の魔力の重圧に耐えられなかったのか、顔を青ざめさせ、口元を抑えて蹲っている者もいる。少し解放しただけでこれだ。
俺の魔力量は師匠に言わせれば災害クラスに属しているらしい。
普段は魔力を最小限に抑えているから特に問題はないが、意識して放出量を上げると周囲に多大な影響を与えてしまうとのことだ。
簡単な魔術でさえ使えない俺には過ぎた代物だ。
しかしこういったときには最適だ。魔力をぶつけただけで相手を威嚇できるのだから。
そんなことを考えつつ、魔力を解放し続けることたっぷり二〇秒。
ゆっくりと魔力を抑えつけ、平穏が戻ったころには立っていられたのはユミルやヤシロのほかにあと数人。あとはシズキだけだった。
「な、なんだ今のは……ッ」
シズキは息も絶え絶えに血走った目で睨んでくる。
「横暴な世界最強の弟子が魔力を解放しただけだが?」
「ふざけるな! それだけで、こんなことになるわけがないだろ!」
シズキは大粒の汗をいくつも流しながら、声を荒らげてくる。
「そうか? だったらこれはどう説明するんだ?」
「くっ、それは……」
「認められないならそれでも構わねぇよ。俺がやったのはそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
言い淀んだシズキを俺は一瞥する。
「もう一度訊くぞ。これは、あんたがやったんだな?」
今度はシズキだけに魔力の重圧を与える。再び苦痛に顔を歪めたシズキだったが、口元に凶暴な笑みを貼り付けて口を開いた。
「だったらどうするというんだ? 僕がこれをやったとして、貴様に何ができる?」
「さあな。ただ言えるのは、オル・エヴァンスの人間っていうのはやられた仕返しに回りくどいことしかできない臆病者ってことだけだ」
「……なんだと」
シズキの顔から一瞬にしてありとあらゆる感情が消えた。
俺を睨みつける瞳には強烈な憎悪が灯り、徐々に大きくなっていく。
「僕の聞き間違いか? 今貴様は、オル・エヴァンスを貶すことを言ったのか?」
「だったらどうする?」
さっきのシズキとまったく同じセリフを返してやる。
「絶対に許さん。アルク・ランセル。僕は貴様に――決闘を申し込む」
俺の口元に三日月が宿った。