第九話
翌日。
夜明けまで質問攻めにあった俺だったが、女子寮で平然と睡眠ができるはずもなく、二日分の疲労を残したままの起床となった。
登校するには早すぎて、二度寝するには不十分な時間だ。
ユミルの部屋には押しかけてきた寮生たちが重なるように眠っており、まだまだ目覚めそうになかった。
俺は腕を真上に伸ばし、床に寝ていたせいで凝り固まった体をほぐす。ボキボキと全身の関節が悲鳴を上げ、おもわぬ痛みに小さく呻いてしまった。
「起きたか?」
不意に声をかけられ、俺は弾かれたようにその方向に振り返る。
いつから起きていたのか、ユミルの近くに腕を組んだ大男が控えていた。
「な、なんだヤシロか。驚かせんな」
「別に驚かせたつもりはねぇんだけど。それより起きたんだったらさっさとずらかろうぜ」
ヤシロは言って部屋のドアを親指で指し示す。
「忘れてたんだけどよ、女子寮の寮長ってスーちゃんなんだよ」
「あんたそれもっと早く言えよ……ッ!?」
告げられた内容のあまりの衝撃に眠気など遥か彼方に飛び去っていった。
よりによってスーラが寮長なのかよ。
校則で男子は女子の、女子は男子の寮への侵入を禁止されているのに、あの堅物のスーラに見つかったりしたら一発で停学だろう。
転入二日目にして――いや、二日目にも満たずして停学とか冗談にしても笑えない。
俺は学院に仕事をするために来たのだ。停学なんかになって学院に入れなくなって、その間に敵の目的を達せられたりするなど論外だ。
「すまん。お嬢の部屋に招待されるとか嬉しすぎてすっかり忘れてたぜ!」
「威張って言うことじゃねぇよ!?」
このクサレスイーツが。これで停学になったらヤシロのせいだぞ。
俺はすぐに行動を起こす。彼女たちに気取られないよう立ち上がり、物音を立てないよう細心の注意を払いながら窓をゆっくりと開ける。
「何やってるんだ? 早く行こうぜ」
「普通に出て行ったらスーラ先生にバレるかもしれないだろ」
おそらく男子寮と女子寮の構造は同じだろう。だとすれば、このまま寮を出ようとすれば出口付近にある寮長室のスーラに気配を掴まれるかもしれない。
「まさかそこから飛び降りるのか? 怪我でもしたらどうすんだ」
「あんたの筋肉はその程度だったのか?」
「嘗めてんじゃねぇ!! 上等だ。おれの筋肉の素晴らしさを見せてやるッ!!」
窓の骨子に足をかけたヤシロは「とうりゃ!!」と叫ぶといっさいの躊躇なく飛び降りる。
ヤシロが騙しやすくて乗せやすい脳筋で助かった。俺はほっと息をつく。
しかし下ではヤシロが「おれの筋肉の素晴らしさを見たか!!」と高笑いするのを見て瞬時に肝が冷えた。俺も素早く部屋から飛び降り、勢いをつけた拳骨をヤシロの脳天に叩きつけた。
「い――ってぇぇ……!?」
だが、ダメージを喰らったのは俺だけだった。
ヤシロは呆れたような眼差しで腰に手を当てている。
「何やってんだよ。あぶねぇだろ」
「な、なんて石頭してんだよあんた……!?」
俺は涙目で痛む拳を撫でる。
「ふんッ。日頃の筋トレの成果だ!」
「そこは鍛えられねぇよ普通は! まあいいや。急いでここから――」
しかし俺の言葉は半ばで途切れた。
何故なら顔を上げた先には、彼女がいたのだ。
「どこに行こうというのですか?」
昨日のスーツ姿とは打って変わり、肌を大胆に露出させた格好をしていた。女性にしては高めの身長に、女性らしさに溢れた肉付きのある胸。黒のチューブトップにノースリーブのシャツの格好をしており、裾は腹部を見せるかのように縛られていた。
手には二メートルを越えようかというほどの鞘入りの大太刀とタオルがが握られている。
おそらく鍛錬でもしていたのだろう。美貌を汗が彩っていた。
俺は顔を引き攣らせながら、彼女を見上げる。
スーラ・レラントがそこには立っていた。
「アルク君、ヤシロ君。どうして君たちがここにいるのですか? もう一度言います。どうして男子である二人が、こんな朝方に女子寮の部屋から飛び降りてきたのですか?」
「あ、あはは、どうしてでしょうか?」
「真面目に答えなさい」
底冷えするスーラの双眸に俺とヤシロは揃って背筋を伸ばす。
や、やばい。見つかった。
普通に出なくても見つかっちまった。
俺は冷や汗をだらだらと流しながら、どうにかできないかと言い訳を考える。
「き、昨日お嬢に誘われて部屋に泊まらせていただきました!」
「ヤシロ!?」
しかし裏切られた。
こいつスーラの威圧に負けて暴露しやがった。
「ほう。ユミルさんのお部屋に泊まったのですか」
スーラの目がすっと細められる。
「転入初日から校則破りとはあまり褒められたことではありませんね」
「い、いや先生。昨日はやむにやまれず事情があったといいますか……」
「言い訳ですか。どうやら反省の色はないみたいですね」
向けられたスーラの眼光に俺は怯む。
スーラは汗で張り付いた髪を鬱陶しげに払う。
「これは学院長に報告させてもらいます。停学を覚悟しててください」
「す、スーラ先生! それだけはどうかご勘弁を!」
「ええ、わかってます。冗談ですから」
「はい?」
俺は頭を途中まで下げた姿勢で固まった。
スーラの言ったことが理解できずにいると、彼女はこほんと咳払いを一つ入れる。
「だから冗談です。昨晩のうちにユミルさんから話は通してあります」
「え……ってことは停学はなし?」
「そうなりますね」
「な、なんだよもう……」
俺は押し寄せてきた安堵感に空を仰ぎ見た。
ヤシロも俺と似たような反応をしている。
「スーちゃんが言うと冗談っぽく聞こえねぇんだからやめてくれよ。心臓が止まるかと思ったぜ」
「誰がスーちゃんですか。スーラ先生と呼びなさい」
そう言いつつも彼女の表情は満更でもないと語っていた。
「ですが次からは許可しないので気をつけてください。昨日だけの特例です」
大太刀を壁に立てかけると、縛っていた裾をほどいてシャツを脱ぐ。チューブトップだけになったスーラは持っていたタオルで汗を拭く。
「シズキ君を止めてくれたアルク君への感謝の印です。彼の問題行動には我々も手を焼いていたところでしたので」
言ってスーラは重々しく息を吐き出した。
「オル・エヴァンスの家柄のせいで彼に強く言える教師がいないのです。……とはいえ、私もそのうちの一人なのです」
情けない話ですが、と言ってスーラはきつく歯を食い縛った。
まだ二回目の会話だが、彼女が責任感の塊なのは重々身に染みている。このまま話させたら長くなるのは目に見えていた。
俺は慌てて話題を変える。
「あいつはいつもあんなことを?」
「いいえ。普段はあそこまでではありません。ですが今は彼を抑制する生徒会のメンバーが学院にいませんので、好き放題に暴れているのです」
「生徒会?」
俺は眉を吊り上げる。
「はい。優秀な生徒で結成された組織のことです。主に学院の行事を執り行ったり、生徒同士の諍いを止める役割を担っています」
「へえ。生徒会にはあいつを止められる奴がいると?」
「いますよ。実力的にも権力的にも、シズキ君を上回る生徒が二人も」
「……なるほど」
俺の脳裏に元姉と弟の姿がよぎる。
シズキの実力もそこそこだったが、所詮はそこそこだ。
俺がオル・エヴァンスを追放されたころの二人にも届いていない。
あの二人は別格だ。片や魔術に愛され、片や才能に溢れている。にも関わらず努力を怠ることなく愚直なまでに上を目指す向上心。
家柄を自慢し、権力を振りかざすような奴が敵うわけがない。
「ですので気をつけてくださいアルク君。シズキ君はプライドが高い。君にやられた彼が黙っているとは思えません」
「大丈夫ですよ。あのくらいだったら何度挑まれても返り討ちにしてやりますから」
しかし俺はシズキのことを見誤っていたのだろう。
スーラの助言をもっと大切にしていればと後悔するのは、すぐのことになる。