「猫狂いは死んだ」
「俺は猫が好きだ。」
パチッと目を開けた30代の男が、目覚めとともにつぶやいた言葉がそれである。何事もなかったかのように伸びをして、猫のプリントされた布団から出て行動し始める男。ちなみに履いたスリッパも猫の顔をしている。
洗った顔を拭くタオルも猫柄。朝のコーヒーを飲むためのコップにも猫のプリント。コタツに敷くラグマットも猫柄で、キッチンマットも猫のプリント。行ってきますのハグをしたのも当然、巨大な猫のぬいぐるみである。男の部屋のどこを見渡しても猫グッズの無い所はない。異様、いっそのこと異常と言いたいほどの部屋である。
…だが、どこを見渡しても「本物」の猫の姿は無い。
「ふぅ…いよいよ今日か。すばらしい日々の始まりだな。」
猫のネクタイピンでとめた猫柄のネクタイを整えて、男は満面の笑みを浮かべる。そして、猫のワンポイントが入ったサングラスをかけて猫のシールを貼ったマスクを装着する。構えたのはカメラ。当然猫のシールを貼っている。
「むほぉぉお!元気でしたか三毛ちゃん!虎ちゃん!!今日もかわいらしい!美しい!いやいっそ神々しいいぃぃ!!」
息を荒げながら撮影をしているのは近くに住む野良猫たち、当然気味悪がって逃げ出す。周りの人間も同じように逃げ出していく。男は人間などまったく気にせずに猫を追いかけてカメラのシャッターを切る。
…しかし、決して猫たちの「3m以内」には近づかない。
「皆さんお早うございます!今日も猫は完璧ですね!」
爽やかで人の気分を高揚させるエクセレントな挨拶、と思っているのは本人だけな言葉を吐きつつ、出社した男。働いている会社は、主にキャットフードを生産、販売している会社だ。
「…お、おはようございます…主任。今日も絶好調ですね…。」
女性社員が引き気味にお茶を置いてくれる。
「ありがとう!それはきっと猫のおかげだね!今日もお互い全力で猫たちに奉仕をしよう!!」
キラキラと星が見えるような眼差しを女子社員に向けながら、高速で両手はタイピングをしていく。男は、キャットフードの開発主任を任されていた。ちなみにこれまで開発した商品はコストを度外視することは多いものの、ユーザーの満足度は高い。でなければとっくにこの変人はクビになっていただろう。
「おつかれー。主任にお茶だしとかマジ勇者。猫トーク引きずり込まれなかった~?」
「はぁぁ。大丈夫。すぐに逃げ出してきたから。」
給湯室で繰り広げられるガールズトーク。もっぱらの話題は猫狂いの主任のことである。
「あれさえなきゃねぇ。まあまあイケメンだし、稼ぎも良いし、優良物件なのにねぇ~…。」
「ホントよね。人間の女なんか眼中に無いんでしょ。ネコのメスにしか発情できないんじゃない?」
「うわっ厳しい言い方。けどまぁそれはおそらく正解だろうね。」
女子社員3人はクスクスと笑い合うと、話題の中心人物を眺めた。話題の彼は、課長に新商品のコストを下げろと命じられて「猫のために」猛反対をしているところである。
「…ん~でも、ちょっとかわいそうよね…主任。」
「…そうね。あんなに愛してても、実際には触れられないんだっけ。」
「そうそう。たしか~3m以内に近づくとぉ、入院レベルで反応が出ちゃうんだってさ。」
3人はまた男を眺めたが、その眼差しにこめられた感情の7割は「哀れみ」であった。
そう、猫マニアの主任、自宅も猫グッズまみれにする自他共に認める猫狂いの彼は…生まれつき重度の『猫アレルギー』だったのだ。
僕が、その美しく愛らしいものの存在を意識したのは5歳の時だった。「見ているだけで心が癒され、明るい笑顔を生み出してくれるこの生き物は何なのだろう。」そう思ったのを覚えている。
たまたま道端でその生き物に出くわしたとき、僕は興奮のあまりに母親の手を振り払ってその生き物に突進していった。そして、柔らかく暖かい毛並みに触った。……触ってしまった。その感覚を最後に急に息苦しくなった僕の視界は黒い闇に閉ざされた。
次に目を覚ましたとき、僕は病院のベッドに横たわっていた。隣にいた母親が涙をこぼしながら僕を抱きしめてくれた。その母と僕ごと、父は笑顔で抱きしめてくれた。安心に包まれながら僕は絶望していた。
「僕は決してあの生き物には近づけないのだ、一生触れられないのだ」と、誰に説明されなくても理解したからだ。疑問を挟む余地すらなく、圧倒的でいながら静かに、僕の心には納得の感情が満ちていった。僕は抱きしめられながら一粒だけ涙を零した。
それ以来、僕の猫好きは加速した。普通逆じゃないかって?「ロミオとジュリエット」を見てごらんよ。愛情とは許されないときこそ燃え上がるのさ。猫アレルギーじゃなかったら、僕はここまで猫に狂わなかったかもしれない。
小中高大、毎年の誕生日には必ず猫グッズをもらい、バイトの金で猫グッズを買い、休日は完全武装で野良猫の撮影に出歩く。完璧な猫マニアとしての人生を歩んできた。
それでいながら、僕の心には静かに静かに絶望が降り積もっていく。……どこまでも愛しても、絶対に僕は「彼ら」に触れない。
「だが、今日でそんな日々ともお別れだ…。ふふふ。ふははっ。はははははっ。はぁっぁぁぁ!はあぁっはぁああ!!!」
天高く、変態が笑い声をあげる。両手に大きな箱を掲げながら。それを彼に手渡した男は、その笑い声に若干怯えながら声をかける。
「う、うるせぇって。落ち着けって。そんなことより約束の金を早くよこせよ!こっちも割りと危ない橋渡ってんだからなっ。」
男は手を突き出して要求を重ねる。男が彼に渡したのは「ゲーム機器」。しかし、ただのゲームではない。世界初のフルダイブ型のVRMMORPGを遊ぶための機材だ。そのゲームの名は「Technical Knight Online」略してTKOと呼ばれている。
世界初というだけあって、発売前から人気が過熱しており、入手は困難といわれている。今日が発売日ではあるが、世界中で100万人しかプレイをすることはできない。発売価格の100倍近い値段でオークションに出ていたりしても売れるのが現状だ。
そんなゲーム機を、彼は持っている。合法すれすれな部分にまで手を出し、貯金の4分の3以上を費やして(ちなみに給料の内、猫グッズ購入貯金を含めた生活費以外のすべてのお金は、猫のためのボランティア団体などに寄付をしていた。)彼はゲーム機を手に入れていた。
何故か。
それは、そのゲームのある部分に理由がある。そこにはこう書いてある。「ありとあらゆる自由を確約するTKOでは、当然ペットを飼うことも出来ます。犬や鳥や猫や蛇やいろいろな動物をペットにすることが可能です。当然毛並みも完全再現しており、戦闘の際には――」
このことを数少ない友人から伝えられた彼は、その場で行動し始めて(すぐに飲み屋を飛び出して情報収集を始めた。当然友人は置いていった。)今に至る
「ぐふ、ぐふふ。まっててね僕のスイートラバーゴッデスたちよ。いや僕の生存理由たちよ~。もうすぐ会いに行くからね。ぐふふ。ぐひゅひゅひゅ。」
ゲーム機を後生大事に抱えた彼は、喜びのあまり気味が悪いとしか言えない笑い声のようなものを漏らしていた。周りの女子高生は本気で110番を押そうとして、彼氏に止められている。
その時、かれの磨きぬかれた猫センサーが反応した。どんな時であろうと、彼は猫の姿は逃さない。彼が目を向けた先には、純白の可愛い子猫がいた。…道路の真ん中で、高速で走る車に轢かれそうになりながら。
彼はまったく考えずに飛び出した。ゲーム機は放り投げられている。
あと3歩
車の運転手は、携帯を見ているのかまったく視線上げていない。つまり気づいていない。
あと2歩
白い子猫は、ライトに怯えて凍り付いてしまっている。
あと1歩
放り投げる暇は無い。
――0
追いついた彼は、子猫を抱えて車に背を向ける。瞬間、何もかもを吹き飛ばすような衝撃と色々なものがへし折れていく音が響く。…彼は吹き飛ばされていた。
「…あ…あの子は?…」
かすむ目をあけると金色の猫目が視界に入る。「良かった、生きてる。」声に出したつもりが、心の中でのつぶやきにしかならない。自分の命が消えかけていることを悟った彼が、手元の猫を目に焼き付けようと力を振り絞って再度目を開ける。
金色の猫目がまた彼を見返す。子猫を抱きしめた手には、じんましんが生じ始めていた。「死ぬ間際まで猫アレルギーは有効なのか…。」苦笑しようとした彼の意識は、闇に包まれた。
猫狂いは、こうして死んだ。
皆さん猫は好きですか? 私は大好きです。




