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恋巡り  作者: 春名みやび
2/5

第二話 部室

「はあ……終わった」


部室の中は、もう薄暗い。

窓際のハードルやロールマット、ストップウォッチが茜色に染まっている。

俺、美咲雄二(みさきゆうじ)はロッカーに寄りかかって落書きだらけの壁を眺めていた。


さよなら!りくじょー!


県大会おめでとう


祝! 卒業


みゆき好きだった


ケンジ大好き


県大会悔しかった


あと頼んだぞ


先輩おつかれさまでした


「……」


いろんな落書きが残っている。

先輩たちが残していったもの、顔も知らない先輩が残していったもの。

そして……俺たちがさっき書いてったもの。

もう、部室に残っている部員は俺だけだ。

最後の大会……。

高校駅伝が終わった。

結局、全国に行けなかった。

三年はようやくここで引退する。


「俺も、もう引退……」


胸に縫い付けられている、学校名の刺繍を握る。

この名前を背負って走るのは終わったんだ。

そう考えると名前だけだと思っていた学校名に、深い感情を感じる。

一人、オレンジ色の部室にいるのはとても虚しい。

何もかもが遠い過去のように感じる。

あそこで俺が競り負けていなければ、出遅れていなければ、もっとスパートできていたら――。

後悔は絶えない。

でも、全力だった。

後悔だらけなのに、不思議と心はすっきりしていた。

達成感、まではいかないけど。

やりきった感が、そこにはあった。


ーーけど、ただひとつ。心残りがあった。


クラスも目指す高校も、委員会も違う。

部活がなくなったら接点はほぼ皆無になる。


また、好きなだけで終わっちゃうのかなあ。



* * *



「美咲」

「なんだよ。ミサキ」


俺は靴ひもを結んでいた手を止めて、顔を上げた。

見下ろしてくるのは、橋本(はしもと)ミサキ。

小学校からの腐れ縁で、中学も一緒、さらに部活もずっと一緒だった。

そして、ミサキもこの駅伝を最後に引退する。

ミサキは女子駅伝。俺は男子駅伝。

女子は男子よりも先にスタートする。

女子はそろそろスタートのはずだ。


「コール場所にいかなくていいのか?」


陸上の大会では、出場登録だけでなく当日の最終確認のコールがある。

ここで棄権か出場かも申告する。

コール漏れすると、走らせてもらえない。

まあ、駅伝だから棄権はないだろうから、ちゃんと走者がいるかどうかの確認だけだろう。


「分かってるよ。けど、ほら! なんか他に言うことない?」


それこそ、分かってるよ。

何年走ってると思ってんだ。

最後の大会。

負けられない。

誇れる結果を残したい。

俺は靴ひもを結び終わる。


「……シッ!」


勢いをつけて立ち上がる。

俺もそろそろウォームアップの時間だ。

スタートには立ち会えないのは残念だな。

だから。

俺はほほを膨らませたミサキとのすれ違いざまに、肩に手を置いた。


「全力で走ってこい。お前なら大丈夫っしょ」


俺はそれだけ言うと、走り出す。


「美咲もがんばれ!」

「お前も頑張れよ!」


後ろからかけられた言葉に、振り向いて手を上げる。

ミサキなら、十分トップを狙えるタイム差で二区にタスキを渡すだろう。

俺は競技場の外周を周り出す。

自分以外にも、ちらほらとアップをする人とすれ違う。

その中には後の区間を走る女子選手もいた。

一区は出だしの区間。

ここで流れに乗ればかなり有利。

だからこそ、強敵揃いなんだ。

頑張れよ。ミサキ。

俺は強く心の中で念じた。


パァン!


わぁぁぁあああ!


「……!」


号砲とそれに続く大歓声が競技場の外にも聞こえてきた。

応援の声がこだましてひとつの大きな歓声に変わっている。

スタートしたのか。

スタートしたランナーは競技場内のトラックを二周半してから外のコースに出てくる。

せめて、出てくるところくらいは見たいな。

俺はすぐそこのコースに駆け寄った。

まだか。

ミサキは今、集団のどの位置にいるだろう。

あまり前に出過ぎると風を受けてペースが乱れる。

ちゃんと風よけしてるかな。


「きた……!」


隣にいた他校の生徒がつぶやいた。

そいつの言ったとおり、歓声がゲートの向こうからこっちに近づいてくる。

来た!

俺は先頭集団のやや後方にミサキがいるのを確認した。

姿はだんだんと大きくなって正面にやってくる。


「ミサキ、ファイットー!」


周りの声援にかき消されないよう、全力で声を張り上げた。

先頭からは二メートルくらいだろうか?

差がついてしまっている。

前に人はいない。

一人で行くのは危険だ。

けれど、下がるのは……。

できれば前に追いついていってほしい。

……。

やがて、ランナー全員が走り切り応援の人たちは散っていく。

おそらく次の応援ポイントへ移動するのだろう。

一周五キロの周回コースだから毎回応援場所を変えられる。

俺はその流れには乗らずに自分の体を温める。

今日は風が強いな。

日が出ているとはいえ、体感温度は低そうだ。

手袋つけて走ろうかな?

俺はジョギングを終えて、ベンチに戻る。

ミサキの心配ばかりしてられない。

俺は、ストレッチを始める。

俺だって、万全の状態で走らなきゃ……。

……ふぅ。

ーー集中……。



* * *



苦しい。

始めについて行こうとして、置いてかれたダメージがここで出てきた。

ヤバイ。

足が……。

太ももが上がらない。

後ろから足音が近づいてくる。

じっくりと。

確実に。

ラスト二キロをきってもうすぐラスト一キロの標識も見えるはずだ。

今、前には何人いるだろう。

二桁は避けたいな。


……ラスト一キロ!


ラインを通過する。

後ろの足音のリズムが明らかに変わった。

……せめて。

後ろのヤツには抜かれない。

一人抜くとか、じゃない。

全力を尽くして、やっとできる。

一呼吸、息を吐く。

苦しい。

呼吸と足のリズムが乱れる。

リズムを変える。

ピッチを上げる。

いつのまにか横並びに赤いユニフォームがいた。

くっ。抜かせるもんか。


美咲……。


念じた頭に、美咲の走りが見えてくる。

凄まじいラストスパート。

大きなフォーム。

腕は大きく振れ、足は飛ぶように流れる。

一切の無駄がない。

流れるような走り。

憧れた。

性別が違っても、どうしても引きこまれた。

いつも、見ていた。

大会で見るたび聞きたくなる。

どうして美咲は、そんなにラストに力を出せるの?

苦しい。ラストに苦しいのはわたしも美咲も変わらない。

なのに、なんで……。

ああ。

誰にもすがらない力が欲しかった。

でも、今だけは。

頼ってもいい?

美咲。


「……ッ!」


美咲の走りが、前に見える。

いける。

一歩抜かされかけていた体を強引に前に出す。

ひじで相手をはじく。

こんなこと、八百メートルくらいでしか、やんないよ!


「ミサキ! ラスト、ラスト!」


美咲……!

周回だから。

美咲のアップ場所にもう一回まわってきたらしい。

こくり。

あごを引いて、前だけを見る。

最高の走りを美咲に。わたしが一歩前に出る。

まだだ。

まだ、気を抜いちゃいけない。

相手に絶望的な差をつけるまでッ!

タスキを取る。

直線の先に仲間のユニフォームが見えた。

手を上げて笑顔で待ってくれてる。

ホントの、ラストだ。

タスキを持った手を、突き出す。


「はいっ!」


タスキがリレーされた。

数秒あとに赤いユニフォームがリレーする。

勝った……。

頑張れ。

けど、トップについていけなくてごめんね。


「お疲れ様です」


一年生がタオルとベンチコートを持ってきてくれた。


「ありがとう」


それらを受け取り、続々来る走者の邪魔にならないようにコース外に出る。

あ。

遠くに美咲の姿が見えた。

二時間後にはあいつも走り終わってるだろう。

頑張れ。

わたし、助けてもらった。

精一杯、応援するよ。


……頑張れ、美咲。



* * *



歓声がうるさいくらいに満ちている。

これで、八人目のランナーが通過した。

まだか。

ウチは。


「!」


自分のゼッケンナンバーがコールされた。

白線の引かれたコースに出る。

自分たちの青いユニフォームが見えた。

顔が険しい。


「ラスト、ラストぉ!」


手を上げて、仲間を呼ぶ。

向こうもスピードを上げて応えてくれた。

手を前に構える。

刻んだ時計が、トップとの差を教えてくれる。

四分半……。

一人で縮めるには絶望的だ。

けど、俺が最後じゃない。

俺は後に繋げる努力をすればいい。

タスキの確かな感触が手のひらに感じられた。


「すまん。任せた」

「オッケ! お疲れ」


短い交錯の間に言葉を交わす。

背中を押されて前に出る。

行くぞ。

目の前にランナーが二人見えた。

あの二人を抜けば七位だ。

俺はタスキを肩にかけ、腰にとめる。

俺より後に走る二人は俺以上の実力だ。

だから、俺はできるだけ差を縮めて後の二人に繋げばいい。

そのために、まずはあの二人だ。

俺はペースを上げて抜きにかかる。


チラッ……。


横並びになった時、相手が俺を見た。

気にするもんか。

俺は並走することなく、一気に突き放す。

どうだ。

……。

後ろの足音を聞く。

いる?

下を見る。

一人は落ちたけど、一人はピッタリと後ろにいるようだ。

ちっ……。

俺のところで、五位には上げたいな。

仕方ない。

こいつを引き連れたまま行くか。

どれぐらい走ったか。

半分は過ぎたな。

俺は手元の時計を見る。

調子はまずまず、か。

試走の時より、タイムは速い。

後ろにはまだ、いた。

一緒に一人抜いて、俺は六位、そいつは七位になっている。

あと、一人。


「……!」


いた。あと二百メートルくらいかな。

直線のコースになった途端、見えた。

ラスト三キロの表示が見えた。

いけるか?

難しいな。

でも、やるしかない。


ラスト一キロ。


差は百メートルまで詰まった。

ヤバイ。

一キロ。

あごが上がってしまっている。

呼吸が荒い。

もっとペース、上げなきゃ。

……足が、ついていかない。

くそ。

隣から猛然と追い上げる足音。

てめぇ!

最初からずっとついてきて、ここで前に出るのかよ。

こいつには、抜かされねぇ。

ああ!

足が回らない。

差は少しずつ開いていく。

ダメか。

悔しい。

俺にはまた抜き返す力はないのか。

なら、せめて差はこのまま。

ミサキ。あいつも頑張ったじゃん。

不慣れなラストスパート。凄かった。

負けられるかよ。

行くぞ。


「美咲ー! ラストふぁいとー!」


ミサキ!

沿道の最前列にミサキがいた。

結局、助けられたか。

前に、中継所が見える。

ホントのラストだ。

タスキを肩からむしりとる。

強く握る。

握りしめる。

腕を大きく振る。

歯を食いしばる。

足を回す。

腹筋に力を込める。

届け。


「お疲れ! ナイスファイト」

「……頑張れ」


背中を叩かれ、ゆっくりとコースに倒れた。

背中、押せたかな。

抜き返せなかったけど、ほぼ横並びのタスキリレーだった。

役に立ったかな。

まわりっぱなしの時計は、タイムを教えてくれなかった。

全力だった。

悔しいけど、さ。


「大丈夫か? よくやった。トップとの差は一分縮まったよ」

「そうか」


前の区間を走ったやつが教えてくれた。

もう少し、頑張れたかな?

それは、欲張りか。


「美咲!」

「なんだよ。ミサキ」


肩を貸してくれていた仲間から離れ、自分の荷物のところに行く。

ミサキは、荷物のわきに立っていた。


「お疲れ」

「お疲れ」


互いの健闘を労う。

ありがとう。

ミサキ。

お前のおかげで、ラストに力が出せたよ。

やっぱり、お前の応援は、何かが違うよ。


「なに笑ってんの?」

「いや、別に」


やっぱり俺。

お前のこと、好きだ。


今はまだ、心の中でしか言えないけど。



* * *



最後の駅伝から五日。

反省と引退挨拶も含めたミーティングがあった。

三年生の俺とミサキは、そこで正式に引退になった。

そして、最後にみんなで部室にやってきたんだ。

もう、みんな帰ってしまった。

もちろん、ミサキも。

結局、俺は告白できなかった。

部活以外で、接点のない俺たちだ。

関係は、希薄になっていくだろう。

ズキリ。

少し、痛い。

思うだけで、終わりか。

諦める?

それは辛い。

けど、我慢できちゃう。いや、するしかないんだ。

はあ。

直接、言えないなら。

俺は、棚に転がったチョークを取る。

みんながいる時には書けなかった。


ミサキのことずっと好きだった


恥ずかしいな。

けど、もうミサキが見ることはない。

後輩もこんなゴチャゴチャした中にある小さな告白なんか気にしないだろ。

俺はチョークをもとあった場所に戻した。

帰ろう。

外は茜から紫への鮮やかなグラデーションなはなっている。

俺はカバンを背負って、ドアに手をかけた。

そのドアが、いきなり開いた。


「……!」

「美咲! ……まだ、いたの?」


ミサキだった。

ミサキも驚いたのか、顔を赤くして目を見開いている。

まさか、こんなことってあるのか。


「ああ。今から帰るとこ。ミサキはどうした?」

「ちょっと、忘れもの」


そうか。

そうだよな。

俺の考えは都合よすぎ。

ミサキは俺の横をすり抜け、部室の中に入る。

俺も、開いたままのドアから部室を出る。

……。

ここで、ドアを閉めたら……?

もう、俺たちは。

イヤだ。

そんな。

これが最後のチャンスじゃんか!

俺は、一思いに振り返った。


「ミサキ!」

「美咲!」


二人の声が、重なった。

叫んだからかな。

息が。


「ミサキ……! 俺、お前のこと……好きだ」


息を整えながら、言いきった。

耳が一気に熱くなった。


「……美咲ぃ」

「うわっ」


ミサキがいきなり抱きついてきた。


「わたしも、美咲が好き。大好き」


少し嗚咽の混じった声が、聞こえた。

言って、よかった。

安心と幸福が、体を包んでいた。


ーー部室の窓から三日月がのぞいていた。



* * *



付き合い始めて何年だろう。

花が美しく咲く季節になった。

俺とミサキは、花に囲まれたテラスにいる。


「ありがとう。嬉しい」


ミサキは笑顔だ。

そして、少し顔が赤い。


「けど、まさかね。美咲ミサキは冗談だと思ってたのに……」

「俺も思ってた」


式は、葉が緑からオレンジになる頃に。

それは、どんなときでも美しく咲く二人が始まった季節。


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