捜索者 二
3年C組の教室は、普段二人が過ごしている2年C組とほとんど同じ造りではあったが、カーテンが閉ざされ灯りも落ちているそこはあまりにも暗く、目の前にあるはずの教壇さえもよく見えない有様だった。2本の懐中電灯の光線がいたずらに二人の前方の空間を照らす。
「お兄さんはどこの席?」
「誰?」
「わからない…って、え!?」
二人の会話の合間に弱々しい男の声が混じっていた。
「誰?」
「は、羽田、明子です」
「答えるなよ!」
晃太は種々のオカルト話のセオリーから、咄嗟にこの世ならざる者の呼びかけに答えれば魂を奪われてしまうと思って否定した。しかしすぐに、晃太自身もその発言によって会話に参加してしまったことに気付いてぞっとした。
「…羽田はそこ、その前の方だよ」
「どこですか!?」
兄の消息に、思わず明子は晃太の警告も忘れて勢い込んだ。
「そこだって」
男はどこかを指し示しているようだった。しかし暗過ぎて二人には見えない。懐中電灯で教室の後方を順に照らしていくが、声の主が見付からない。
晃太の心臓が破裂しそうに暴れる。そしてようやく懐中電灯が彼の姿を捉えた。
「うおわ!!」
「ひゃあ!!」
二人は同時に叫び声を上げた。腹の底からの怯えた声に、普段なら恥ずかしくなってしまいそうだったが、今は心臓の鼓動が収まらない。
声の主は学ランを着たまま、予想に反して教壇付近の席に座っていた。
声が弱かったため彼が教室の後方にいると考えていた二人は、意表を突かれた。
しかし声の主は二人の驚きにもさしたる反応を示さず、動く気配は無い。
「何してるんですか」
晃太には耐えられなかった。何とか現実を取り戻そうと、必死に問いかけた。
「…わからない」
会話が成立したことに少しだけ落ち着き、晃太の思考が少しずつ回り出す。
相手の恰好とこの場所を考えれば、彼も自分達と同じ倉野高校の生徒のはずだった。懐中電灯に胸元を照らされている彼は小柄で、学ランも特に乱れていたりもせず、手は机を触ったままで、何か危険な物を持っているようには見えない。
オカルトの怪異などではない。しかし、晃太達に顔も向けず、机に視線を落としたまま独り言のように意味不明な返答。何かがおかしい。
「なんで帰らないんですか」
「帰る? 帰るよ。いや、帰ってきたんだよ」
「ここは学校ですよ。家に帰ればいいじゃないですか」
「…よくわからないよ。僕が帰る場所はここだから」
聞いたような話だ。まさか、と思った。
明子も同じことを思ったのだろうか?
「お兄ちゃんはどこですか!?」
「羽田はそこだよ」
彼が相変わらず視線を落としたまま、見もせずに指差した先を追って、二つの懐中電灯が動いた。
しかしすぐに彼の姿を失うことに気付き、晃太だけ懐中電灯を彼の方に向け直す。彼は相変わらず明かりにも反応しない。
「どこ!?」
明子は男子生徒が指差した先の方に兄を探しに動いた。
「明子、離れるなよ!」
晃太も、明子が心配なのか自分が心配なのかもわからず、縋るように明子に着いて移動する。
明子は懐中電灯を頼りに次々と机を探すが、なかなか兄のものが見付からないようだった。
そこでやっと晃太は気付いた。そして、教室の灯りを点けた。久し振りに飛び込んできた色彩に目が眩む。教室に彼等三人以外の姿はなかった。
「あった!」
一転して平凡な光景と化した教室の空気を、明子の声が貫いた。明子と一緒になって晃太もその机を調べる。
机の脇には、月に1回しか使わない美術の授業用の絵具がかけられていた。明子はそれが兄のものだとわかって、その机が兄の席だと判断したようだった。しかし明子が必死に調べても、他に目ぼしいものは何も無いようだった。
「ねえ、お兄ちゃんはどこですか」
ずっと席から動かない男子生徒に再び二つの視線が集まった。
「羽田ならそこだよ」
彼は相変わらず明子の兄の空席を指して、繰り返した。
「他に何かわからないんですか。ねえ、教えてください!」
「羽田の場所はそこだ」
「あなたは、ずっとそこにいるんですか」
今度は明子に代わって晃太が訊ねる。
「僕はここだ」
晃太はこれ以上彼から何かを聞きだすのは不可能だと感じた。
「僕達は羽田さんを探してきます。あなたも家族や友達が探していると思うから、本当に、家に帰ってください」
晃太は最後に一方的にそう告げると、動けない明子を無理に引っ張って教室を出た。