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死刻蝶  作者: 森村芥
6/14

06

着替え終わって部屋に戻ると、琳子が食事の用意をしている所だった。

「あ、着替え終わりはった?服は…よかった、小さくはないみたいやね」

ほっとした様に笑う琳子に思わず笑みを返してしまう。

「そうや、お名前…まだ聞いてへんかったね」

「あぁ…俺は濤崎千寿だ」

思い出したように、俺もそう琳子に自己紹介をする。

「えらい変わったお名前…一度で覚えれるわ」

何故か楽しそうに笑う琳子に、やはり疑問を感じてしまう。見知らずの人間…それも男を自分の家に引っ張ってくるというのはどういうことなのだろうか…

「あぁ、うちも自己紹介しとらんかったね。琳子…そう呼んでくれはったらええよ」

予想通りの名前に小さく返事を返す。

「変な女や…そうおもてはりますやろ?」

返事を返したっきり黙りこんでしまった俺に、そう言葉をなげかけた。

「変…?」

「見知らずの男を家に引っ張ってきて、なんも無かったみたいな顔してるから」

それは確かにそうだと思うが、やはり口にはしない。変…というよりは変わっていると思う程度だ。

「そうやね…千寿はんも、もうすぐ死ぬんやって告白してくれたことやし、うちも話とこかな…聞きたくなかったら聞き流したって…うちも千寿はんに先がないって分かってるから話すんやし…」

小さく漏らした声は、少しだけ元気がなく、その顔もいつの間にか下を向いていた。

「うちな…小さい頃、親に売られて今遊郭で働いてるんよ…小さい頃はお客取るわけやあらへんし、別に気にもしてへんかった。それに…」

悲しげだった琳子の表情が少しだけ優しく微笑む。

「好きな人もおったんよ…優しくて、いつも泣いてたうちを慰めてくれた…せやから頑張ろう…そう思えた。勿論いつの頃からか将来遊郭で働くって言う事の意味も分かるようになった。それはどう頑張っても変えられへん…覚悟はいつか出来るようになってた……はずやった」

小さくため息を漏らした琳子は、そっとこちらに視線を移す。

「…?」

「千寿はんは…好きな人おりはるん?」

そう不意打ちのように聞かれて、言葉を失ってしまう。好きな人…と聞かれてもとっさには出てこない。

「ふふ、なんや悪い事きいたみたいやね…気にせんとったって」

笑う琳子に思わず頭を掻いてしまう。どうにも調子を崩されてしまうようだ。

「いざとなったら怖ぁなってんよ…せやからうちも…死のうかと考えたことがある」

そこまで言われてようやく汐弥が話していた、彼女は自殺をしようかと考えていたことがあった話を思い出す。

「でもとある人に止められてん…自分から死ぬようなことしたあかんって、好きな男がおるなら尚更…それが全てやないからって…」

とある人というのはおそらく汐弥の事であろう。世話焼きなところは昔から変化がないらしい。

「だから死ぬんは止めにした。別に言われた言葉に感銘を受けたわけやないけど…なんやろなぁ、その時のその人の姿が…少しだけ自分と重なって見えたんかもしれへん」

どんな顔をしていたのか、俺には全く見当もつかない。けれど恐らく、琳子にそう思わせるほどに哀しげに見えたのだろう。その理由が自分自身などと自惚れた事は言わないが、それでも一端を担ってしまっていたならと、言葉が出てこなかった。

「けどな…結局その恋は終わってしもた」

あっけらかんと笑う琳子の姿が少しだけ痛々しい。当の本人はもう気にしていないかもしれない。案外とあっさり忘れ去っているかもしれない。それでもその顔を直視することができなかった。

「あんなに好き合って、あんなに幸せやったのに……ほんまに些細なすれ違いで壊れてしもた」

人の気持ちなんてそんなものなのかもしれない。辛い事があるからこそ幸せを幸せと感じられるというのに、ずっと幸せでありたいなどと傲慢なことを思うのだ。だから擦れ違い、傷つけて、別々の道を歩む。

「あほやね…誰も傷つけへん恋なんてあれへんのに、どっかでそれを期待してた」

きっと、傍にいるぶん一番相手を傷つけるのかもしれない。それでも幸せが勝っていたならば、その関係は続くのだろう。

「本当に…とんだ阿呆だな」

まるで絶望にでも打ちのめされたかのような顔をして、悲劇を自分の盾にして、もう嫌だからと逃げ出した。与えられた優しさと哀しみを天秤にかける事すらせずに、全てに蓋をした。そのくせ窮地に立たされて、哀しくなればその優しさを辿るんだ。

「自分のことしか考えられていない、そんな余裕すらないのか…」

知らず顔を伏せる。今更だと思いながらも不甲斐無さに腹が立つ。どうして優しく出来ないのか、どうしてもっと思慮深く行動出来ないのか…いつも傷つける間際にしか解らない。

「そんなん、しゃーないよ…」

ふわっと甘い香りに包まれる。気がつけば琳子に抱きしめられていた。背中に回された手は添えるように、頭に触れた手は優しくその髪を撫でる。まるで小さな子供を相手にしているかのように。

「怖いやろ、死ぬんわ……余裕なくてええんよ、喚いたってええんよ、死にたないんやもん」

そっと抱きしめる手が離され、両手で顔を包まれる。優しい笑みを浮かべたその顔と目が合い、言葉を失ってしまった。

「泣いて、喚いて、怒って……そんで最後は…幸せだけ感じたらええんよ」

にっこりと微笑まれたかと思うと、静かに口付けされる。どうしてそんな事をしたのか琳子の本心は定かではない。それでもその人の温かさに酔ったように、琳子の背に腕を回す。

「変な女や…そうおもてはりますやろ?」

聞くのは二度目のその言葉。思わないといえば嘘になった。だから今度は正直に答える。

「そうだな…見知らずの男に体を許していいのか?」

少しでも気が変わったならば止めるつもりでいた。けれど返されたのはやはり同じ笑顔。

「見知らず?自己紹介しはったやろ?もう知らん人やあれへんよ」

当然のように口にして、それからもう一言。

「…泣きそうな顔してはる」

そっと細い指が髪を掠める。その手をとって口付けてみた。視線だけを向けると、こういう扱いには慣れていないのか、少し照れたような年相応な少女っぽい笑みが返される。

「慰め…か、そう悪いもんじゃないな」

そんな風に思ったのは初めてだった。今までは慰めなんて煩わしいだけのものだと思っていた。

「そうとも言い切られへんよ…ほんまは慰めてほしいんかもしらへん」

直感的に嘘だなと思う。それでも悪い気はしなかったのだから…それでいい。

「勿体ないぐらい…ええ男やと思うんやけどなぁ」

小さく笑った琳子を抱きしめて、口付ける。

外は手先が悴む様な寒さ。暖かくなり始めた部屋の中でも熱く感じるほどに、琳子の肌は暖かかった。それを感じながら頭の隅によく知った顔が思い浮かぶ。それははっきりと解ったというのに、掻き消すように俺はもう一度琳子を抱きしめた。




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