02
「千寿さんは風景しか描かれないのですね」
話を聞かせてやるといったのがつい先日。さっそく櫻花は俺の部屋を訪ねてきた。
「あぁ…人を書くのはどうもな…」
特に人を書きたくないというわけではなかった。むしろ書こうと思ったことがないと言った方がこの場合は正しい。俺の場合はその姿形を残しておきたいと思って筆をとる、すなわち人物はその対象外なのだ。
「櫻花は人を書くのか?」
「えぇ…少し…ですが」
何故か照れたように笑みを漏らす櫻花の横顔を見ていると、人物を書くのも良いかもしれない等と思ってしまう。それほどまでに彼女は絵に描いたような可憐さがあった。
「でも風景を描く方が好きです……と、いうよりは…風景に溶け込んだ人を書くのが好きなのです」
面白いことを言う少女だと思う。風景に溶け込むような人…白い雪の中で白い着物を着ているとか、そういうことだろうか…否、多分違うであろうから口にはしない。
「千寿さんの絵には…雪景色が一つもないのですね……」
ふと、気がついたように言葉を漏らした。櫻花の言葉通り手元にあった絵には一枚も雪景色がない…いや、実際今まで雪景色なんてものは書いていないのだが…
「雪は…あまり書く気が起きんのだ」
「どうしてですか?わたくしは白く儚く…無垢で美しいと思うのですが…」
無垢とは…また変わった事を言う。けれど彼女が言葉にすると、そんな気がしないでもないのは櫻花自身の魅力のせいなのだろう。
「何故か昔から雪には情が移らなくてな」
俺もこの街で過ごした期間は長い。けれどもその景色を残しておきたいと思ったことは一度もなかった。
「そうなのですか……きっと描かれたら素敵でしょうに」
目を伏せそう呟く櫻花に、俺は言葉を失い頭を掻く。有名な画家ならばまだしも、俺の書いた絵などで素敵という言葉を使われるとどうもしっくりとこない。
「世辞はいい」
「お世辞などではありません!わたくしは千寿さんの描かれる絵をとても気に入りました」
素直にそんな言葉を向けられると、照れからか何も言えなくなってしまう。彼女はなんとも不思議な純粋さが滲み出ており、褒められると素直に受け取ってしまいそうになる。
「まぁ気に入ってくれるのは有難いが…そう褒められると調子が狂う……」
これ以上褒め殺されてはたまらんと、俺は櫻花にそれだけいい窓の外に目をやった。後ろからはくすくすと少女らしい笑い声が聞こえるが、この際聞こえないことにする。
外は相変わらずの雪…下に目をやると、汐弥と若い娘が話をしているところだった。とは言うものの、会話までは聞こえるわけはないのだが…汐弥の世話焼き加減から見て、相当に気に入っているらしい事が見て取れた。
「……どうかしました?」
窓の外を見たまま動かなかった俺を不思議に思ったのか、櫻花が同じように窓の外に目をやる。
「あの娘…見ない顔だと思ってな」
「あぁ…琳子さんですね」
そう当然のように口にした。琳子…とはまた聞かぬ名だとまた首をひねるしかない。
「千寿さんは会ったことありませんでしたね…琳子さんはこの街の……えぇっと、遊郭で働いていらっしゃるんです」
言うか言うまいか悩んだような口ぶりで櫻花は頬を染める。この程度のことで頬を染めるとは…本当に清楚なお嬢様だ。
「遊郭…それはまた可笑しな知り合いだな」
「琳子さん汐弥さんと仲がいいみたいですから」
確かに櫻花の言う通り、仲がよさそうだ。しかし遊郭などに汐弥が顔を出すとも思えない…と、いう事は他の場所ででも出会ったのだろうか…ピンとこないとどうも気持ちが悪い。
「ふぅむ…汐弥に聞いてみるか」
「何をですか?」
つい口に出してしまった言葉に、意味を図りかねると櫻花が首をかしげる。
「いいや、なんでもない」
当然のようにそう誤魔化すと、櫻花はさらに首を傾げるばかりだった。
「琳子というそうじゃないか」
汐弥が部屋に来た時に唐突にそう聞いてみる。特に驚いた様子もなく汐弥は顔を向けた。
「なんだ…やっぱり見ていたのか」
「やっぱりとは?」
汐弥の意味ありげな言葉に鸚鵡返しで問いかけると、彼女独特の薄い笑みを浮かべ窓のほうを見やる。
「琳子がそこの窓から誰か見てる…って言ってたからね」
その言葉に思わず納得してしまう。ほかの場所を見ていないようであの琳子という娘はそれなりに周囲を見ているらしい。
「遊郭で働いてるとか……珍しい知り合いだな」
話の糸口をつかめたと、俺は聞きたかった本題へと入っていく。無論当然のようにそれを分かっていた汐弥は、窓の傍に腰掛けて俺に目を向けた。
「そうだねぇ…あの子とはかれこれ三年ほどの付き合いかな、雪の中薄着で立ち尽くしていたから声をかけちまったんだよ」
「薄着で?こんな寒いのにか…」
と言うのも、部屋の中でさえ上着を脱ぐことを躊躇ってしまうほどにこの時期になると寒い。年中雪が降るような場所なのだから、当然と言えば当然なのだが、ついそんな事を思ってしまう。
「…自殺でもしようかと三時間も悩んでたらしいよ」
その言葉に俺は目を丸くしてしまった。窓から見た琳子は明るい元気な娘と言うイメージがあり、とてもじゃないがそんな事をするような娘には見えなかった。
「ずっと遊郭で育ったらしいけどね…好きでもない男に操を捧げたくはなかったんだってさ…」
「ほぅ…古風な娘だな」
思わずそんな言葉。汐弥の叱咤が飛んでくるかと思ったが、そんなつもりはないらしく薄い笑みを浮かべたまま窓の外に目を移した。
「男のあんたには分からないだろうけどね……女っていうのはそういうもんさ」
「多少の違いはあれど…か?」
揚げ足を取るつもりは毛頭ないのだが、遊郭のような場所で働く女を全て否定するようで申し訳がなかった為でた言葉。
「あぁ…でも好きになった男に初めて抱かれる時は、例え他の男に抱かれた後でも誰もが処女だとアタシは思うけどね」
にこりと綺麗な笑顔を見せた汐弥の言わんとする事が、理解できたような出来ないような……そんな中途半端な気持ちで釈然としない。けれどこれ以上、汐弥に問いかけても答えは教えてくれんだろう。
「まぁ気になるなら、今度話してみるといいよ」
そう言って汐弥は立ち上がり俺の横をするっと通り抜けて部屋を後にした。
日が完全に落ちた後、俺はぼぅっと外の景色を眺めていた。この街を出て行くときに見た白い雪と、今外で降っている雪がまるで別物に見える。不思議なもので、今まで一度も書きたいと思わなかったこの景色を、残しておきたいと思った。
「……最後の一枚は雪景色か…悪くない」
おそらく最後になるであろうその絵が、死に場所と決めたこの地の風景。それも中々に面白いと思う。思うが早いか俺は筆を手にその景色を描き始めていた。




