11
数日ぶりに戻ってきた部屋は、出ていった時と何一つ変らない状態のままだった。
日が落ちて、夜になった後、俺はその部屋で汐弥と肌を重ねた。
口付けをして、白い肌に手を滑らす。まるで少女のように照れた笑みを浮べる汐弥の白い肌は、少しずつ紅潮し、汗を滲ませた。
「千寿…」
不意に名前を呼ばれる。俺の好きな、安心する声だ。名前を呼ばれるたびに、まるで返事の様に口付けをした。
どうして今までそう思わなかったのか不思議なほど汐弥が愛しくて仕方なかった。
俺が求めれば汐弥は受け入れてくれる。
ただそれだけの事が…酷く嬉しくて、同時に哀しくて、気が付けば泣いていた。
「千寿」
汐弥の指が優しく俺の頬に触れ、涙を拭った。どうして泣いてなんているのか、自分自身が一番聞きたかったが、汐弥はその訳が分かっているかのように微笑む。
「千寿が思う程、アタシは弱くないよ」
汐弥が口にしたのはそんな言葉だった。その言葉で俺も理解する。
「汐弥…好きだ、お前が好きだ」
きつく細い体を抱きしめたら、優しく背中に手を廻された。
「アタシも…好きだよ」
耳元で囁かれた声を聞いて、俺はまた汐弥に口付ける。
何度も何度も、飽きる事なく汐弥を抱きしめた。
微かな肌寒さに目を覚ますと、すでに日は昇っていた。
汐弥はもう起きたのだろうかと隣に目を向けると、まだその姿はそこにあり、穏やかな寝息を立てて眠っている。
その姿を見て、やっぱり汐弥は綺麗だ、などと思ったのもつかの間、すぐにハッとした。
もうとっくに日は昇っていて、普段であれば汐弥は起きている。否、起きていなければならない時間ではないのかと言う事…
あまりにも穏やかな寝顔で、起すのは忍びなかったが、そうも言ってられないだろう。
「汐弥…朝だぞ」
その体を静かにゆすれば、案外あっさりと汐弥は目を開けた。
「おはよう、千寿」
ふわりと微笑んだ汐弥に慌てた様子はない。ただ少しだけ辺りを見渡してから…
「初めて寝坊した」
なんて笑みを俺に向けた。
目が覚めたばかりだと言うのに、手早く身支度を済ませた汐弥は俺をおいて部屋を出ていった。
汐弥はこの宿の主なのだから仕方がないとは思うのだが…何もする事がなくなってしまった俺は、そのまま二度布団に転がり込んだ。まだ眠いのかもしれない。そんなボーッとした頭ながら考える。
俺が汐弥に自分の口から告げた「時間がない」と言う言葉について、汐弥は深く聞いては来なかった。
理由は…分かる訳もなく、何となく聞かれなくてほっとした自分がいる事に呆れていた。余り話したくはない。話すとそれが事実なのだと嫌でも確認させられている気分になる。
(…だから聞かなかったのか…)
自分の事だと言うのに、いつも汐弥の方が俺の事を理解している気がした。
事実そうなのだとも思う。だからこそここまで愛しく思ったのだろう。
(後どれだけ残されている?)
答えのでない自問自答が頭の中で繰り返された。
残された短い時間の中で、どれだけの時間を汐弥と共にいられるのかも考えた。
「……」
暫くまどろんで、俺は起きあがった。
忘れてなどいない、俺にはもう時間がないのだ。まどろんでいる時間すらも惜しい。
簡単に身支度を整えて、俺は書きかけの絵を取り出した。
純粋に絵が好きだった頃の様に、一心不乱に筆を取り描き続けた。
俺がここにいた証を、汐弥と過ごした時間の証を残す為に…




