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婚約破棄を告げられましたので、三年前から準備していた離縁承諾書を差し出したら元婚約者が固まりましたが、私は隣国の冷血宰相に拾われて溺愛されることになりました

作者: uta
掲載日:2026/03/15

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

第一章 婚約破棄は突然に――いえ、待ってました


「リリアーナ・フォン・クレスティア。貴様との婚約を本日をもって破棄する」


王宮の大広間に、アルフレッド殿下の声が高らかに響き渡った。


シャンデリアの光を浴びて金髪を輝かせる第二王子は、正義の味方を気取った表情で私を見下ろしている。その隣では蜂蜜色の巻き髪をした少女――セラフィーナ・ベルティーニ嬢が、大粒の涙を流しながら殿下の腕にすがりついていた。


周囲の貴族たちが息を呑む音が聞こえる。


本日は第二王子の誕生祝賀会。国中の貴族が集まる一大イベントだ。


そんな晴れの舞台で、婚約破棄という名の公開処刑が執り行われようとしていた。


(きたきたきたきた!ついにこの日が!)


私は深く俯いた。


震える肩。握りしめた拳。零れ落ちそうな涙。


完璧な「傷ついた令嬢」の演技である。前世のブラック企業で鍛えに鍛えた感情労働スキルが、今まさに火を噴いていた。


「セラフィーナを虐げ、彼女の評判を貶めようとした罪、万死に値する」


殿下が厳かに宣言する。


(虐げた? 私が? 廊下ですれ違う時に会釈しただけなんだけど)


「アルフレッド様……私、怖いんです……リリアーナ様が睨むから……」


セラフィーナが可憐に震えながら訴えた。翡翠の瞳から涙がぽろぽろと零れている。


(あの、目が全然笑ってないんですが。というか睨むって何。私はただ真っ直ぐ前を見ていただけよ)


前世でパワハラ上司から理不尽な叱責を受けていた時のことを思い出す。「お前の態度が悪い」「目つきが気に入らない」。ああ、あの時と全く同じ構図だ。


違うのは、今の私にはちゃんと逃げ道があるということ。


「何か申し開きはあるか」


殿下の問いに、私はゆっくりと顔を上げた。


俯いていた顔を持ち上げ、涙で潤んだように見える目で殿下を見つめる。


「――承知いたしました」


静かに、しかし明瞭に答えた。


「は?」


殿下の顔が間抜けに歪む。


その反応を見て、私は内心で小さくガッツポーズを決めた。予想外だったらしい。そうでなくては困る。


私は懐から一通の書類を取り出した。


三年前から準備していた、婚約解消承諾書。署名済み、公証人の印つき、法的効力完備。


「こちらに既に署名してございます。殿下のご署名をいただければ、本日中に手続きが完了いたしますわ」


大広間が凍りついた。


貴族たちが石像のように固まっている。セラフィーナの涙がぴたりと止まった。殿下に至っては口を開けたまま、完全に思考が停止している様子だった。


(あら、台本にないことされると困る顔してるわね)


「な、なぜそのような物を……!?」


セラフィーナが金切り声を上げた。


「いつ殿下のお心が変わられても良いよう、常に携帯しておりました」


私は慎ましく答える。


「ご配慮が足りず、申し訳ございません」


嘘だ。


いつでも逃げられるように三年前から準備していただけだ。前世で突然の解雇通告を食らった経験が、私を用心深くさせていた。


「リ、リリアーナ様! 私のせいで……私のせいで申し訳ありません!」


セラフィーナが泣き崩れる演技を始めた。周囲の視線を集めようとしているのだろう。被害者ポジションを死守しようという魂胆が透けて見える。


(いや、今そのターンじゃないから)


「セラフィーナ嬢、どうかお気になさらず」


私は完璧な微笑みを浮かべた。


「殿下がお選びになったのは貴女です。私はただ、身を引くのみですわ」


令嬢の鑑のような対応。傷つきながらも気高く振る舞う悲劇のヒロイン。


(内心は今すぐスキップしたいくらい嬉しいけどね!)


三年間だ。三年間、私はこの婚約に縛られていた。


殿下に無視され、セラフィーナに陥れられ、社交界で針のむしろの日々を過ごしてきた。それでも耐えてきたのは、この日のためだ。


「で、殿下。ご署名を」


私は書類を差し出した。


アルフレッド殿下は困惑した顔で書類を受け取り――そして気づいた。


日付欄に、今日の日付が既に記入されていることに。


「……なぜ今日の日付が」


「本日が殿下のお誕生日会ですもの」


私は小首を傾げてみせた。


「晴れの舞台で発表なさりたいだろうと存じまして」


大広間がざわめいた。


今日という日を選んだのは殿下だ。最大限に私を辱めるために。


――だから私も、この日を選んだ。


「さあ殿下、ご署名を。皆様がお待ちですわ」


私の笑顔に、殿下の顔から血の気が引いていく。


婚約破棄を宣言したのは殿下。だが今、衆人環視の中で追い詰められているのは誰か。


署名しなければ、殿下は自分の宣言を撤回できない立場に追い込まれる。署名すれば、用意周到な私に出し抜かれたことが明白になる。


どちらを選んでも、殿下の威厳は傷つく。


(三年間の忍耐が報われる瞬間ね)


ふと、大広間の隅に見慣れない人影を見つけた。


漆黒の髪。氷のような銀灰色の瞳。周囲の貴族たちとは明らかに異なる雰囲気を纏った男が、こちらを真っ直ぐに見つめている。


その男が、かすかに口の端を上げた。


(……誰?)


あの目。何か企んでいる目だ。前世で何人もの「できる上司」を見てきたが、あの男の目はそれと同じ種類の光を宿している。


油断ならない、と本能が告げていた。


「……っ」


殿下がペンを取った。


震える手で、署名欄に名を書き込んでいく。さらさらと、王家の紋章入りインクが紙面に広がる。


「これで満足か」


書類を突き返す殿下の声には、隠しきれない苛立ちが混じっていた。


(満足も何も、あなたが始めたことでしょうが)


「ありがとうございます、殿下。長らくお世話になりました」


深々とお辞儀をする。完璧な角度、完璧な秒数。十八年間の令嬢教育の賜物だ。


顔を上げた時、再びあの視線を感じた。


大広間の隅。漆黒の髪の男。今度ははっきりと目が合った。


銀灰色の瞳が、まるで全てを見透かすように私を捉えている。


「リリアーナ嬢」


低い声が響いた。


男がゆっくりと歩み寄ってくる。周囲の貴族たちが道を開けた。まるで海が割れるように、自然と人波が左右に分かれていく。


その威圧感は、この場の誰よりも強かった。王子殿下でさえ、この男の前では霞んで見える。


「お初にお目にかかる。ヴィクトル・アッシェンバッハだ」


心臓が跳ねた。


(アッシェンバッハ……隣国の宰相公爵!?)


冷血宰相の異名を持つ男。政敵を容赦なく排除し、隣国を繁栄に導いた天才。


外交の場ではその名を聞くだけで相手国の使節が青ざめるという噂だ。


――なぜ、そんな人物が私に声をかける?


「先ほどの見事な手並み、感服した」


男の唇が微かに弧を描いた。氷の仮面のような表情に、ほんの僅かな温度が宿る。


「準備の良さ、状況判断、そして何より――その胆力」


銀灰色の瞳が、熱を帯びて私を見つめている。


獲物を見つけた猛禽類のような目だった。


「我が国で働く気はないか」


大広間が再び凍りついた。


(……え、就職のお誘い?)


婚約破棄された直後にヘッドハンティングされるとは思わなかった。


前世でもこんな展開はなかったぞ。



第二章 署名のインクが乾く前に



「我が国で働く気はないか」


ヴィクトル・アッシェンバッハ公爵の言葉が、広間にこだましている。


周囲の貴族たちは石像のように固まっていた。かくいう私も、数秒ほど思考が停止した。


(え、ちょっと待って。今なんて言った?)


「隣国の宰相殿が、我が国の令嬢を引き抜くと?」


アルフレッド殿下が不快そうに眉をひそめた。ようやく我に返ったらしい。


たった今婚約を破棄した相手のことなど、もう関係ないはずなのに。プライドが許さないのだろう。


「引き抜く、とは人聞きの悪い」


公爵は涼しい顔で応じた。


「つい先ほど、そちらが手放したのだろう。落とし物を拾うのに許可がいるのか」


(落とし物って私のこと?)


殿下の顔が紅潮した。侮辱されたと感じたのは明白だ。


「リリアーナは我が国の公爵令嬢だ。そう易々と他国には――」


「殿下」


私は静かに口を挟んだ。


「僭越ながら、私の身の振り方は、既に殿下のご関心の外ではございませんこと?」


婚約破棄したばかりの相手が、何を今更。


殿下が言葉に詰まった。その隣でセラフィーナが私を睨んでいる。涙はもう乾いていて、そこにあるのは剥き出しの敵意だけだった。


(ほら見て、あの子また目が笑ってない。というか隠す気すらなくなってる)


「ふむ」


公爵が小さく頷いた。感心したような、面白がっているような、読めない表情だ。


「やはり見込んだ通りだ。君は実に肝が据わっている」


「恐れ入ります」


社交辞令で返しながら、私は必死に状況を分析していた。


隣国の宰相公爵。冷血の異名。政治の天才。


そんな人物が、なぜ私に目をつけた?


婚約破棄を受け入れた手際を褒められたが、それだけで他国の人材をスカウトするだろうか。何か裏がある。絶対にある。


「公爵閣下、突然のお申し出に戸惑っております」


私は当たり障りのない返答を選んだ。


「即答は難しいかと存じます。少しお時間をいただけますでしょうか」


「もちろんだ」


公爵は懐から名刺らしきものを取り出した。


「滞在先はこちらだ。三日以内に返答をもらえると助かる」


名刺を受け取る。上質な紙。隣国の紋章。指先に伝わる重みが、この申し出の重大さを物語っていた。


「三日後、私は帰国する。それまでに決めてくれ」


(三日って短くない? 人生の岐路を三日で決めろと?)


……まあ、前世では即日解雇されたこともあったけど。それに比べれば三日は長い方かもしれない。


「承知いたしました。ご検討させていただきます」


深々とお辞儀をする。公爵は満足そうに頷いた。


「では、また」


踵を返し、公爵は広間を出て行った。まるで嵐が去った後のような静けさが残る。


ざわざわと、貴族たちが囁き合い始めた。婚約破棄の衝撃と、それに続く隣国宰相のスカウト。今夜の社交界は、この話題で持ちきりだろう。


「リリアーナ様」


聞き慣れた声がした。振り返ると、兄のエドワードが駆け寄ってくる。銀髪に紫の瞳。私とよく似た顔立ちが、心配で歪んでいた。


「大丈夫か。怪我はないか」


(怪我? 婚約破棄で怪我する人いる?)


「お兄様、ご心配なく。私は元気ですわ」


兄は私の顔をじっと見つめた。嘘をついていないか確かめるように。


「……本当に、大丈夫なのか」


「ええ」


私は微笑んだ。今度は心からの笑顔だ。


「むしろ、せいせいしておりますの」


兄の目が見開かれた。驚きの後に、安堵と、それから少しの苦笑が浮かぶ。


「お兄様、帰りましょう。マリーが待っておりますわ」


兄の腕を取り、私は広間を後にした。


背後で、セラフィーナの金切り声が聞こえた気がした。だが、もう振り返らなかった。


振り返る必要など、もうないのだから。



***



「お嬢様、お疲れ様でございました」


クレスティア公爵邸の私室に戻ると、マリーが温かい紅茶を用意して待っていた。


栗色の髪をきっちりまとめた三十代の女性。私の乳母であり、侍女頭であり、そして唯一の共犯者である。


「ありがとう、マリー」


椅子に腰かけ、ようやく肩の力を抜く。令嬢の仮面を外せる、数少ない瞬間だった。


「完璧でございましたわ」


マリーの目が悪戯っぽく光る。


「殿下のお顔、見ものでしたこと。あれほど見事な間抜け面は初めて拝見いたしました」


「マリー、それは言い過ぎよ」


(言い過ぎじゃないけど)


「三年分の鬱憤が晴れたわ」


私は紅茶を一口啜った。芳醇な香りが喉を潤す。クレスティア領で栽培している茶葉だ。私が改良した品種。


「それにしても、予想外のことが起きたわね」


「アッシェンバッハ公爵のことでございますね」


マリーが眉をひそめた。


「冷血宰相と呼ばれるお方。何をお考えなのか……」


「それよ」


私は名刺を取り出した。


「なぜ私なの? 婚約破棄された令嬢なんて、政治的価値はゼロよ」


「お嬢様の才覚を見抜いたのでは?」


「たかが書類一枚出しただけで?」


(前世のプレゼン資料に比べたら、あんなの序の口よ)


「あの方は、ただ者ではございません」


マリーの声が真剣になった。


「噂では、人の本質を一目で見抜くとか。お嬢様の内面に、何かを感じ取ったのかもしれません」


内面。


私の内面には、前世のブラック企業戦士の魂が詰まっている。残業と理不尽で鍛え上げられた、サバイバル精神。


「……まさかね」


ありえない。転生者だとバレるはずがない。


「いずれにせよ、選択肢が増えたのは良いことですわ」


マリーが微笑んだ。


「この国に留まるか、隣国に行くか。どちらをお選びになっても、私はお供いたします」


「マリー……」


心強い言葉だった。この人がいてくれて、本当に良かった。


「三日か」


私は窓の外を見た。夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。


「三日で人生を決めろ、ってね」


前世では、もっと短い猶予で人生が変わったこともあった。突然の異動。理不尽な解雇。過労による入院。そして、気づいたらこの世界に転生していた。


「案外、悪くない話かもしれない」


呟きは、誰にも聞こえないように。


「お嬢様、今のは心の中だけにしておいてくださいませ」


……聞こえていた。



***



翌朝、予想外の来客があった。


「リリアーナ、話がある」


エドワード兄様が、深刻な顔で私の部屋を訪れた。


「昨夜、父上と話した。お前の今後について」


私は身構えた。


公爵家の長として、父は私をどう処遇するつもりだろう。婚約破棄された娘は、家の恥。修道院送りか、辺境への追放か。


前世の記憶が蘇る。窓際部署への異動通告。あの時と同じ胃の痛みが込み上げてきた。


「父上は――」


兄が言葉を切った。


「お前の好きにしろ、と」


「……え?」


「この国に残るもよし、隣国へ行くもよし。お前が選んだ道を、クレスティア家は全力で支援する」


予想外だった。


「父上が、そう……?」


「ああ。それと、これを渡せと」


兄が一通の封書を差し出した。父の筆跡で「リリアーナへ」と書かれている。


封を開く。


中には短い手紙と、一枚の書類が入っていた。


手紙にはこう書かれていた。


『お前の準備の良さには感心した。三年前から気づいていたが、黙っていた。公爵家の娘として、誇りに思う』


そして書類は――私名義の口座の残高証明だった。


記載された金額に、目を疑った。


「お兄様、これ……」


「お前が王宮で節約した交際費と、領地経営で上げた利益だ。父上が全て、お前の名義で貯蓄していた」


知らなかった。


王宮での倹約も、密かに学んだ領地経営も、全て見られていたのか。


「父上は言っていた。『あれは私より有能だ』と」


兄が苦笑した。


「悔しいが、私も同意見だ」


目頭が熱くなった。


前世では、誰にも認められなかった。頑張っても頑張っても、報われなかった。


でもこの世界では――。


「お兄様」


私は深く息を吸った。


「私、決めました」


「何をだ」


「アッシェンバッハ公爵に、会いに行きます」


逃げるのではない。


新しい人生を、自分の意思で選ぶのだ。



第三章 氷の宰相は意外と強引



公爵の滞在先は、王都の高級宿泊施設だった。


「クレスティア家のリリアーナ様がお越しです」


従者に取り次いでもらい、応接室に通される。


豪華だが趣味の良い内装。隣国らしい、シックな色調で統一されている。前世で見た北欧のデザインに似ていた。


「待っていた」


ヴィクトル公爵が入ってきた。


昨日の正装とは異なり、今日はシンプルな黒の衣装。それでも隠しきれない威圧感がある。空気そのものが張り詰めるような感覚。


「お招きいただき、ありがとうございます」


私は定型句を述べた。


「堅苦しい挨拶は不要だ。座れ」


公爵が向かいの椅子を示す。遠慮なく腰かけた。ここで遠慮しては、相手に舐められる。前世の経験が教えてくれたことだ。


「さて、返答を聞こうか」


「その前に、いくつかお聞きしたいことがございます」


公爵の眉がわずかに上がった。興味を引いたらしい。


「なぜ私なのですか」


単刀直入に聞いた。回りくどい駆け引きは、この男には通用しないだろう。


「婚約破棄された令嬢など、政治的には無価値です。むしろ厄介者。それを承知で声をかけた理由は」


「……ふむ」


公爵が椅子に深く腰かけた。銀灰色の瞳が、私を値踏みするように見つめている。


「まず訂正しよう。君は無価値ではない」


「と、おっしゃいますと」


「あの場での君の振る舞いを見た。三年前から書類を準備していた周到さ。状況を逆転させた機転。そして何より――」


公爵が身を乗り出した。


「感情を完璧に制御していた」


(……バレてる?)


「婚約破棄を告げられ、衆人環視の中で辱められた。普通なら取り乱す。泣く。怒る。だが君は――」


「私は取り乱しませんでしたわ」


「ああ。それどころか、状況を楽しんでいた」


心臓が跳ねた。


「喜んでいたろう。あの瞬間」


公爵の目が鋭くなる。氷の刃のような視線だった。


「婚約破棄を告げられた時、君の目は笑っていた。ほんの一瞬だけ」


(見抜かれていた――!)


前世からの癖だ。本当に嬉しい時、一瞬だけ目が笑ってしまう。表情を作ることはできても、目の奥の光までは制御できない。


「……観察眼がおありですのね」


認めるしかなかった。嘘をついても、この男には見破られる。


「隠すことはない」


公爵の口元が緩んだ。昨日より柔らかい表情だ。


「私も似たような経験がある。望まぬ婚約、政略結婚の道具。そこから逃れた時の解放感は――格別だった」


意外な告白だった。


「公爵も、ですか」


「ああ。だから君の気持ちは分かる」


公爵が紅茶を一口飲んだ。仕草一つ一つが洗練されている。


「私が君を欲しいのは、その能力と胆力だ。我が国には、君のような人材が必要だ」


「具体的には、どのような仕事を」


「外交顧問、もしくは内政補佐。君の経歴を調べた」


(調べた? いつの間に?)


昨日から今日までの間に、どうやって。情報網の広さに背筋が寒くなる。


「クレスティア領の農業改革。新しい灌漑システムの導入。薬草園の設立。全て君の発案だろう」


言葉が出なかった。


あれは父の名義で行った事業だ。私の関与は表に出ていないはず。


「情報源はあえて言わないでおく。だが、君が優秀な実務家であることは確認済みだ」


公爵は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。


「この国では、君の才能は埋もれる。婚約破棄された令嬢という烙印を背負って」


振り返る。逆光で表情は見えない。だが、その声には確かな熱がこもっていた。


「我が国に来い。正当に評価し、正当に報いる。それが私の提案だ」


正当な評価。正当な報酬。


前世で最も欲しかったものだ。


残業しても評価されず、成果を出しても手柄は上司に取られ、最後は使い捨てにされた。あの絶望を、もう味わいたくない。


「……一つ、条件がございます」


「言ってみろ」


「侍女のマリーを連れて行くことをお許しください。彼女なしでは、私は十全に働けません」


公爵が笑った。初めて見る、本当の笑顔だった。氷のような印象が嘘のように和らぎ、その顔立ちの端正さが際立つ。


「当然だ。有能な部下を連れてくるのは当たり前のことだ」


(……意外と、人間味があるのね)


「では、返答を聞こうか」


公爵が手を差し伸べた。


私は一瞬だけ迷った。


この国を離れれば、もう二度と戻れないかもしれない。父や兄とも離れることになる。


でも――。


「参りますわ。隣国へ」


私は公爵の手を取った。


「よく決断した」


公爵の手は、思ったより温かかった。


「後悔はさせない。約束する」


銀灰色の瞳が、真剣な光を宿している。


不思議と、信じられる気がした。


「ところで」


公爵が私の手を離さないまま言った。


「出発は明後日だ。その前に、一つ見せたいものがある」


「見せたいもの?」


「ああ。君が隣国で担当することになる――最初の仕事だ」


公爵が微笑んだ。


その笑顔が妙に楽しそうで、少しだけ不安になった。


(何を企んでいるの、この人……)



***



その頃、王宮では。


「どういうことですの!」


セラフィーナの金切り声が響いていた。


「アルフレッド様、なぜ追いかけないのですか! リリアーナが隣国に行くなんて、許してはなりませんわ!」


「落ち着け、セラフィーナ」


アルフレッド王子は疲れた顔をしていた。昨夜からずっと、この調子なのだ。


「追いかけてどうする。婚約を破棄したのは私だ」


「でも、でも……!」


セラフィーナは地団太を踏んだ。


リリアーナが惨めに追放されるはずだった。泣いて許しを乞うはずだった。


それなのに、隣国の公爵に拾われるなんて。しかも、あの冷血宰相に。


「許せませんわ……あの女……」


憎しみに歪んだ顔を、セラフィーナは隠そうともしなかった。


「必ず後悔させてやる。絶対に」


その呟きを、王子は聞いていなかった。


彼は窓の外を見つめていた。リリアーナが去った方向を。


(なぜだ……)


心の片隅に、小さな棘が刺さったような感覚があった。


(なぜ、あんな顔で笑えるんだ)


婚約破棄を告げた時の、リリアーナの笑顔が脳裏から離れなかった。



第四章 冷血宰相の意外な一面



翌日、公爵に案内されたのは、隣国の大使館だった。


「ここで何を」


「君の能力を試させてもらう」


公爵は書類の束を示した。


「この国との通商条約の草案だ。両国の利害が対立している部分がいくつかある。君ならどう解決する」


(いきなり実務テスト!?)


前世でも、入社初日からOJTに放り込まれたことはあったが。まさか異世界でも同じ目に遭うとは。


「……拝見いたします」


書類を受け取り、目を通す。


関税の問題。通行権の問題。穀物輸出の割り当て。複雑に絡み合った利害関係が、整理されないまま羅列されている。


「これを作成したのは」


「我が国の外交官だ」


「なるほど」


(つまり、相手国の視点が欠けている)


前世の経験が役に立つ。取引先との交渉で学んだことだ。相手の立場に立てない提案は、必ず頓挫する。


「少しお時間をいただけますか」


「好きなだけ使え」


私は書類を持って、隣の部屋に移動した。


三時間後。


「こちらが修正案でございます」


私は新しい書類を公爵に提出した。


公爵は黙って目を通す。一ページ、二ページ、三ページ。表情は変わらない。


「……なるほど」


公爵が顔を上げた。


「関税を下げる代わりに、技術供与を要求。穀物の割り当ては季節変動制に変更。通行権は限定的に認め、代わりに通行税を設定」


「はい。両国が一方的に譲歩するのではなく、それぞれが得るものがある形にいたしました」


「win-winの関係か」


公爵が呟いた。


(あれ、この世界にもその概念あるの?)


「前任者は、こういう発想ができなかった」


公爵が書類を閉じた。


「君を欲しいと思った理由が、より明確になった」


銀灰色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「我が国に来てくれるな」


疑問形ではなかった。確認だった。


「はい。参りますわ」


「よろしい」


公爵が立ち上がった。


「では、出発の準備を。明朝、国境へ向かう」


「承知いたしました」


私も立ち上がり、一礼する。


「リリアーナ」


公爵が呼び止めた。珍しく、私の名前を呼んでいる。


「何でしょうか」


「……いや、何でもない」


公爵は一瞬、何か言いかけて、やめた。


(何だったの、今の)


氷の宰相らしからぬ、曖昧な態度だった。



***



出発前夜。


私は父と兄と共に、最後の晩餐を囲んでいた。


「寂しくなるな」


父がぽつりと言った。普段は感情を見せない人なのに、今夜は目元が潤んでいる。


「お父様……」


「だが、お前の選択を尊重する。どこにいても、お前はクレスティア家の誇りだ」


「ありがとうございます」


胸が詰まった。この家族に恵まれたことが、この世界での最大の幸運だった。


前世の家族は、私のことをあまり理解してくれなかった。仕事ばかりの私を心配しつつも、どこか距離があった。


でもここでは、ありのままの私を受け入れてくれる人がいる。


「リリアーナ」


兄が真剣な顔で私を見た。


「困ったことがあれば、いつでも連絡しろ。国境を越えてでも駆けつける」


「お兄様……大袈裟ですわ」


「大袈裟ではない。あの公爵が妙な真似をしたら――」


「その時は、私が公爵を懲らしめますわ」


兄が目を丸くした。そして、声を上げて笑った。


「ははっ、そうだな。お前なら、できるか」


「当然ですわ」


和やかな空気が流れた。


その時、ドアがノックされた。


「旦那様、お嬢様に来客でございます」


使用人の声だった。


「こんな時間に?」


父が眉をひそめる。


「アルフレッド第二王子殿下と、セラフィーナ・ベルティーニ嬢です」


空気が凍った。



第五章 因果応報は突然に



「……何の用かしら」


私は静かに立ち上がった。


「お嬢様、私も参ります」


マリーが即座に後に続く。


応接室に向かうと、不機嫌そうなアルフレッド殿下と、にやにや笑うセラフィーナがいた。


(嫌な予感しかしないわ)


「こんな夜分に、何のご用でしょうか」


単刀直入に聞いた。もう婚約者ではない。敬意を払う必要もない。


「リリアーナ」


殿下が重々しく口を開いた。


「セラフィーナの名誉のために、一つ確認したいことがある」


「名誉?」


「そうですわ!」


セラフィーナが勝ち誇った顔で前に出た。翡翠の瞳が、爛々と輝いている。


「リリアーナ様が私を虐めていた証拠が見つかりましたの!」


(はい?)


「これを見てくださいませ!」


セラフィーナが数枚の手紙を振りかざした。


「リリアーナ様が私に送った脅迫状ですわ! 『王子から離れないと酷い目に遭わせる』と書いてありますの!」


私は手紙を一瞥した。


「……それ、私の筆跡ではありませんが」


「嘘! 絶対にリリアーナ様が書いたものですわ!」


「いいえ」


私は冷静に指摘した。


「そもそも、私はセラフィーナ嬢に手紙を送ったことがありません。一度も」


「そ、それは――」


「それに、その手紙の紙。クレスティア家では使用していない銘柄ですわ」


セラフィーナの顔色が変わった。


「さらに言えば」


私は一歩前に出た。


「その手紙の封蝋。ベルティーニ家の紋章が押されていますわね」


「えっ」


セラフィーナが慌てて手紙を見た。


封蝋には確かに、ベルティーニ家の紋章が刻まれていた。自分の家の紋章で、脅迫状を封じている。


「自作自演の証拠を、ご自分で持ってきてくださるとは。ご親切なことですわね」


部屋の温度が下がった気がした。


「な、これは……違……」


「セラフィーナ」


殿下が低い声で言った。


「これは、どういうことだ」


「ア、アルフレッド様……これは陰謀ですわ……リリアーナ様が仕組んだ……」


「仕組む?」


私は首を傾げた。


「私は明日、この国を発ちますの。何のために陰謀を仕組む必要がありますの?」


セラフィーナの顔が青ざめた。


「それよりもセラフィーナ嬢」


私は微笑んだ。営業スマイル。前世で培った最強の武器だ。


「証拠の捏造は、王国法で重罪ですわよ。ご存知なかったのかしら」


「ひっ……」


セラフィーナが後ずさった。


「アルフレッド様、この女を捕まえて! 私を陥れようとしていますわ!」


殿下は無言だった。


その目は、セラフィーナを見ていなかった。手紙を見つめていた。自分が騙されていた証拠を。


「……セラフィーナ」


「は、はい!」


「今まで、私に話したことは――全て嘘だったのか」


「う、嘘ではありませんわ! リリアーナ様が本当に私を虐めて――」


「この手紙を書いたのは、誰だ」


低く、冷たい声だった。初めて聞く、殿下の本気の怒り。


セラフィーナが口を開閉させた。言い訳を探しているのだろう。でも、証拠は彼女自身が持ってきてしまった。


「私は――その――これは――」


「もういい」


殿下が踵を返した。


「衛兵を呼べ。セラフィーナ・ベルティーニを証拠捏造の容疑で拘束する」


「え? アルフレッド様!? 嘘ですわよね!?」


殿下は振り返らなかった。


「リリアーナ」


出口で立ち止まり、殿下が言った。その背中が、少しだけ小さく見えた。


「……すまなかった」


それだけ言って、部屋を出て行った。


セラフィーナの絶叫が響いた。


「嫌! 待って! アルフレッド様! 助けて!」


衛兵に連れて行かれる彼女を、私は無表情で見送った。


(因果応報。自業自得)


同情は、一片もなかった。


三年間、私を陥れ続けた報いだ。自分の愚かさで自分を破滅させた。私は何も仕掛けていない。


「お嬢様」


マリーが隣に立った。


「お見事でございました」


「何もしていないわ。彼女が勝手に自滅しただけよ」


本当にそうだった。私は静かに指摘しただけだ。


セラフィーナは、自分で墓穴を掘り、自分で飛び込んだのだ。


「さあ、荷造りの最終確認をしましょう」


私は歩き出した。


明日から、新しい人生が始まる。


振り返る必要は、もうない。



***



翌朝、国境に向かう馬車の中。


「お嬢様、よろしいのですか」


マリーが窓の外を見ながら言った。


「何が?」


「殿下が、謝罪に来るかもしれませんわよ」


「来ないわ」


私は断言した。


「あの人のプライドが許さないもの。それに、来たところで――」


「お断りになりますわよね」


「当然よ」


馬車が揺れた。王都の城門を出たのだ。


窓の外に、見慣れた街並みが流れていく。三年間暮らした王宮。社交界での日々。嫌な思い出ばかりだが、それでも少しだけ感慨深かった。


「さようなら、この国」


小さく呟く。


「ようこそ、新しい人生」


数時間後、馬車は国境に到着した。


検問所の前に、一人の男が立っていた。


漆黒の髪。銀灰色の瞳。


「公爵閣下が直々にお迎えですか」


驚きを隠せなかった。宰相公爵ともあろう方が、わざわざ国境まで。


「当然だ」


公爵は当たり前のように言った。


「我が国に迎える大切な人材だ。自ら出向くのは礼儀だろう」


(……そういうものかしら)


馬車が停まり、扉が開く。


公爵が手を差し伸べてきた。


「ようこそ、リリアーナ嬢」


その手を取り、馬車から降りる。


隣国の土を初めて踏んだ。空気が少しだけ冷たい。風の匂いが違う。


「我が国へ。そして――」


公爵の銀灰色の瞳が、やけに優しく見えた。


「私の傍へ」


(……え?)


その言葉の意味を理解する前に、私の手は公爵の手に収まっていた。温かくて、大きな手だった。


「公爵閣下、それは……」


「今はまだ、仕事の話だ」


公爵が微笑んだ。氷の宰相とは思えない、柔らかな笑顔。


「だが、いずれ別の話もする。覚えておけ」


(何それ、告白の予告?)


展開が早すぎる。ついていけない。


「お嬢様」


マリーが後ろから声をかけた。


「これからが、本当の始まりでございますね」


振り返ると、マリーがにっこり笑っていた。この人、絶対に分かってて言っている。


「ええ」


私も微笑み返した。


「今度こそ、自分の意思で生きていくわ」


前世でも、この世界でも叶わなかった夢。


自由に、自分らしく生きること。


それが、ようやく手に入る。


「さあ、行こう」


公爵が私の手を引いた。


「君の新しい人生が待っている」


国境の向こう、隣国の大地が広がっていた。


青い空。白い雲。どこまでも続く緑の丘陵。


(悪くないわね)


私は一歩、前に踏み出した。


婚約破棄された元令嬢が、隣国の宰相公爵に拾われ、やがて溺愛される。


そんな物語の、幕開けだった。



【終章】



後日談を、少しだけ。


セラフィーナ・ベルティーニは証拠捏造と詐欺の罪で裁かれ、男爵家は取り潰しになった。彼女自身は修道院送り。二度と社交界に顔を出すことはなかった。


アルフレッド第二王子は、自分の愚かさを悔いたという。だが、私はもう振り返らなかった。彼が反省しようが後悔しようが、私には関係のないことだ。


そして、私は。


隣国で外交顧問として働き始め、公爵の片腕として活躍することになる。


仕事は大変だが、やりがいがあった。何より、正当に評価されることが嬉しかった。前世では味わえなかった充実感だ。


「リリアーナ」


ある日、公爵が言った。


「一つ、聞きたいことがある」


「何でしょうか」


「君は、私をどう思っている」


唐突な質問だった。


「……有能な上司だと」


「それだけか」


公爵が一歩、距離を詰めた。


「私は、君を部下としてだけ見ているわけではない」


銀灰色の瞳が、熱を帯びて私を見つめている。


「君を、正式に妻として迎えたい」


(……ええぇぇ!?)


内心で絶叫した。外面は、かろうじて冷静を保っている。


「急すぎませんか」


「三ヶ月、共に働いた。君の能力も、人柄も、十分に知った」


公爵が私の手を取った。


「返答は今すぐでなくていい。ただ、考えてほしい」


「……考えます」


それだけ答えるのが精一杯だった。


公爵が微笑む。氷の宰相とは思えない、穏やかな笑顔。


(この人、私の前でだけ表情が緩むのよね……)


不思議な気持ちだった。


婚約破棄されて始まった、新しい人生。


思いもよらない方向に転がっていくが、悪くない。


むしろ、前世よりずっと幸せかもしれない。


「お嬢様」


マリーが後ろから声をかけた。


「今のお話、全て聞こえておりましたわよ」


「……聞いてたの」


「ええ。おめでとうございます」


「まだ何も決めてないわよ」


「でも、お断りにはなりませんでしょう?」


マリーが悪戯っぽく笑う。


「お嬢様のお顔を見れば、分かりますわ」


(そんなに顔に出てる?)


自分の頬を触った。少し熱い気がする。


「マリー」


「はい」


「心の中だけにしておいて」


「お嬢様のお言葉をお借りしますと――無理ですわね」


窓の外に、隣国の空が広がっている。


新しい国で、新しい人生で、新しい恋が始まろうとしていた。


婚約破棄は、不幸の始まりではなかった。


――幸福への、第一歩だったのだ。



【完】

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