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5-2:隔離病棟と銀葉草

アトリエ(小屋)への道のりは、かつてマルクを背負った時とは、また違う種類の緊迫感に満ちていた。

「ゲホッ……ゲホッ……」

ソフィアとバルカスに担がれたロイドは、意識が朦朧としながらも、苦痛に満ちた咳を途切れ途切れに漏らし続けている。そのたびに、彼の体から熱気と病の匂いが発散され、ソフィアの(マスク代わりの)布越しにも、その脅威が伝わってきた。

(まずい……この咳、湿った音(湿性咳嗽)が強すぎる。肺に水が溜まってきている証拠よ)

前世の知識が、最悪のシナリオ(肺水腫による呼吸不全)を予測させる。

村人たちは、遠巻きに、恐怖の表情でその一行を見送るだけだった。

いや、一人だけ。

「薬師様!」

ハンス(マルクの父親)が、意を決したように、斧を捨てて駆け寄ってきた。

「そ、そいつを運ぶのを、手伝う! あんた一人に、そんな重いもん(病人)を運ばせるわけにはいかねえ!」

「ハンスさん……!」

「父ちゃん!」

村長の制止を振り切って、ハンスはソフィアの反対側に回り、ロイドの体を軽々と担ぎ上げた。

「……ありがとう存じます。ですが、あなたにも感染のリスクが」

「うるせえ! 俺の息子の命の恩人だ。あんたがやるってんなら、俺も手を貸すまでだ!」

熊のような大男は、ぶっきらぼうにそう言うと、ソフィアの歩調に合わせて、アトリエへと進み始めた。

(……愚直なほどに、義理堅い人)

ソフィアは、その申し出に、一瞬だけ口元を緩めた。この村に来て、初めて得た「仲間」と呼べる存在かもしれない。

アトリエに到着すると、ソフィアはすぐに「隔離病棟」の設営に取り掛かった。

「ハンスさん、申し訳ありませんが、ここからは私とバルカスさんだけで。あなたは、これ以上、小屋の中には入らないで」

「だが……」

「これは、村を守るためです。あなたは、村とアトリエの『連絡役』をお願いしたい。私が指示する薬草を、アトリエの外まで運んできてください。いいわね?」

ソフィアは、ハンスに「村を守る」という大義名分を与えることで、彼を納得させた。

「……分かった。薬師様の言う通りにする」

ハンスは、名残惜しそうにアトリエの中を振り返りながらも、扉の外で待機することを選んだ。

ソフィアは、干し草のベッド(マルクが使った後、ソフィアがすべて新しい干し草に入れ替え、天日干ししていた)に、ロイドを横たえた。

「バルカスさん。まず、患者の服をすべて脱がせて、この桶に入れて。そして、あなたも、その革鎧を脱いで、服をすべて着替えなさい。替えの服は……これを」

ソフィアが差し出したのは、村から物々交換で手に入れた、清潔だが粗末な麻の貫頭衣だった。

「なっ、俺まで!?」

「当たり前でしょう。あなたもすでに病原体に濃厚接触している。その服にも、菌が付着している可能性が極めて高い。今ここで、徹底的に消毒と隔離を行わなければ、あなたも、私も、そして村も、数日後にはこの患者と同じ運命を辿ることになるのですよ」

ソフィアの、貴族令嬢としての威圧感と、薬師としての絶対的な自信に満ちた(そして、わずかな脅迫を含んだ)口調に、バルカスは「ひっ」と息を飲み、大人しく従った。

ソフィアは、ロイドとバルカスの服をすべて銅鍋で煮沸消毒し、その間に、アトリエ内の「空間消毒」を開始した。

暖炉の火を最大にし、その上に、鉄の皿(ガラクタから発掘)を置く。

その皿に、タイムとローズマリーの乾燥ハーブ、そして、先日抽出した『ラベンダー精油』を数滴垂らした。

ジリジリとハーブが熱せられ、煙と共に、強烈な殺菌作用を持つ芳香が、アトリエの隅々にまで行き渡っていく。

(タイムのチモール、ローズマリーのカンファー、ラベンダーのリナロール……。前世の知識では、これらは強力な抗菌・抗ウイルス作用を持つわ。この世界の菌に、どれだけ効くか……!)

アトリエの中は、まるで異国の寺院のような、荘厳で、しかし科学的な匂いに満たされた。

「さて、治療開始よ」

ソフィアは、煮沸消毒した薬研を取り出した。

まずは、対症療法だ。

(高熱と、気道の炎症。マルクに使った『メドウスイート(アスピリン)』と、咳止めの『タイム』、それから……)

彼女は、アトリエの裏のハーブ園で育てていた、ペパーミントを数枚摘んだ。

『名称:ペパーミント』

『薬効:Lv.1(健胃)、Lv.2(覚醒・鎮痙)、Lv.1(清涼)』

『主成分:メントール』

(メントールで、気道の炎症を和らげ、呼吸を楽にする!)

ソフィアは、メドウスイートとタイム、ペパーミントを煎じ、濃縮した「解熱鎮咳シロップ」を作り上げた。

「バルカスさん、彼の頭を押さえて。これを飲ませます」

意識のないロイドの口をこじ開け、強引に流し込む。

「ゲホッ、ゴホッ……!」

ロイドは激しくむせたが、メントールの清涼感が効いたのか、あるいは薬効そのものがわずかに届いたのか、ほんの少しだけ、呼吸が楽になったように見えた。

だが、根本的な解決には至っていない。

(ダメだわ。熱が、下がらない)

シロップを飲ませて一時間経っても、ロイドの体温は依然として危険な領域にあった。

(対症療法では追いつかない。病原体そのものを叩く、『抗生物質』に相当するものがなければ……!)

ソフィアは、焦燥感に唇を噛んだ。

彼女は、アトリエの奥に積んであった、未解析の薬草サンプルに目をやった。

(この中に……? いや、時間がない)

(こうなったら……!)

ソフィアの脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。

牙猪ファングボアは、あの毒キノコ『ファング・キャップ』を食べても平気だった。……強い毒がある場所には、それに対抗する、強い『解毒』あるいは『抗菌』の薬草が、セットで生えていることが多い。それが、自然界フィールドの法則!)

牙猪がいた、あの森の奥。

そして、マルクたちが食べようとした、猛毒の『ドラゴンズ・ブラッド(竜血の実)』があった、あのエリア。

あそこなら、この『黒咳病』の病原体に打ち勝つほどの、強力な薬草ハーブが、眠っているかもしれない。

「バルカスさん」

ソフィアは、決意を固めた。

「あなたは、ここでロイド様の看病を続けてください。熱が上がったら、この布で体を拭き、水を……ああ、この『解熱シロップ』を少しずつ飲ませて。私は、特効薬の『材料』を探しに行ってきます」

「なっ、一人で行くというのか! あの森の奥にか!?」

バルカスが、驚愕の声を上げた。彼は道中、この森の魔物の恐ろしさを、嫌というほど味わってきたのだ。

「薬師様、危険だ! 俺が行く!」

「あなたが行って、どうなるのですか?」

ソフィアは、冷ややかに言い放った。

「薬草を見分けられるのは、私だけ。それに……」

彼女は、腰のナイフを抜き放った。その切っ先が、暖炉の火を反射して、赤く不気味に光る。

「これでも、牙猪の群れを追い払った経験はありますので。……心配はご無用ですわ」

ソフィアは、バルカスの返事も待たず、採取用のバスケットを肩にかけ、嵐のような勢いでアトリエを飛び出していった。

(間に合って……!)

彼女は、魔物の危険も顧みず、ただ一点、未知の薬草が待つ、森の深部へと突き進んだ。

彼女が目指したのは、牙猪の縄張りであり、猛毒の『ドラゴンズ・ブラッド』が自生していた、あの不吉なエリアだった。

(リスクが高い場所ほど、リターンも大きい。研究とは、常にそういうものよ!)

ソフィアは、木々の間を縫うように走りながら、インターフェイスを起動させ、視界に入るすべての植物に、意識を集中させた。

『毒性:中』『食用:不可』『薬効:Lv.1(鎮痛)』……。

(違う、違う! もっと強力な……!)

牙猪の縄張りの、さらに奥。

霧が一段と濃くなり、巨大な木々の根が、まるで蛇のように絡み合う、薄暗い谷間に差し掛かった。

(……空気が、違う)

腐葉土の匂いに混じって、清冽な、どこか金属質にも似た、不思議な香りが漂ってくる。

ソフィアは、香りの源を探して、急な斜面を滑り降りた。

そして、彼女は、それを見つけた。

谷底の、わずかな陽光が差し込む場所に、それは、ひっそりと群生していた。

月光をそのまま固めたかのように、淡い銀色に輝く葉。その中央から伸びた茎には、星屑のような、小さな白い花が咲き誇っている。

植物そのものが、周囲の魔力を浄化するかのように、清らかなオーラを放っていた。

ソフィアは、その神々しいまでの光景に、息を飲んだ。

(……なんて、美しい)

彼女は、吸い寄せられるように、その植物に、そっと指先で触れた。

『――シグナル検知。高レベル魔力植物ハイ・マジックハーブを発見』

『スキャン中……データベース照合……前世知識データベースに該当なし。新規登録……』

『名称:銀葉草シルヴァリーフ

『分類:不明(聖属性魔力植物)』

『成分:アルジェンマイシン(未知の強力な抗菌物質)、聖属性魔力(高濃度)』

『薬効:Lv.4(強力な抗菌)、Lv.3(解熱)、Lv.3(魔力浄化・解毒)』

『特記事項:極めて強力な抗菌作用を持つが、同時に、高濃度の魔力が生体(特に魔力を持たない人間)に強い拒絶反応ショックを引き起こす可能性がある』

(……Lv.4の、抗菌作用……!)

ソフィアは、震えた。

これだ。これこそが、あの『黒咳病』の病原体を根絶やしにできる、唯一の希望だ。

(アルジェンマイシン……アルジェントゥムマイシン。このインターフェイス、ネーミングセンスもなかなかね)

だが、ソフィアは、最後の『特記事項』の警告文を読み飛ばさなかった。

(魔力による、拒絶反応ショック……)

前世の知識が、即座に警告を発する。

(ペニシリンショック(アナフィラキシーショック)と同じだわ! 強力すぎる薬は、それ自体が毒にもなる)

ただ、この銀葉草を煎じて飲ませるだけでは、ロイドは病気が治る前に、魔力ショックで死んでしまうかもしれない。

(……どうする? この強力な魔力を、中和、あるいは『緩衝』させる必要がある)

ソフィアの脳が、猛烈な勢いで回転を始めた。

(緩衝剤……。そうだわ! あの花よ!)

彼女の脳裏に、この森に来るきっかけとなった、あの花が浮かんだ。

王都の庭園で、彼女のインターフェイスを初めて不完全ながら起動させた、あの青い花。

『名称:ルナティア・ブルー。薬効:鎮静、魔力安定化』

(銀葉草の強力すぎる魔力(攻撃)を、ルナティア・ブルーの『魔力安定化』の力で制御コントロールする。そして、メドウスイート(アスピリン)で炎症を抑え、タイム(チモール)で殺菌を補助する……)

ソフィアの頭の中に、前世の「カクテル療法(多剤併用療法)」の知識と、異世界のハーブの力が組み合わさった、完璧な「処方箋レシピ」が、組み上がりつつあった。

「……ふふふ。やってやろうじゃないの」

ソフィアは、銀葉草を、根を傷つけないよう慎重に、しかし素早く採取すると、アトリエへの道を、今度は希望を胸に、駆け戻っていった。

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