第5話 無辜(むこ)
俺は、何もしてないんだ。
本当に、何も。
あの夜、外で誰かが叫んでた。
「たすけて!」って。
でも俺は、イヤホンを外さなかった。
夜のニュースを見ながら、ビールを飲んで、
「物騒な世の中だな」
って、ひとりごとを言っただけ。
窓の外、見下ろせば人だかりができてた。
赤いライトが点滅して、警察のテープが張られて。
[あぁ、また誰か落ちたんだな]って思った。
他人事だよ、そりゃ。
知らない女の子だもん。
俺の生活は何も変わらなかった。
朝になれば会社に行って、
昼にカップ麺を食べて、
夜はまた帰ってくる。
同じ部屋、同じテレビ、同じ独り言。
俺は、誰も殺してない。
俺はただ、見なかっただけだ。
……なあ、見なかったことって罪になるのか?
助けられたかもしれないなんて、あとで思っても仕方ないだろ。
だって、あのときの俺は、疲れてたんだ。
少しくらい、自分を守ったっていいじゃないか。
誰だって、そうするだろ?
新聞に載った写真を見たとき、少しだけ胸が痛んだ。
白いブラウス、髪の長い少女。
どこかで見たことがあるような気がして、
でも思い出せなかった。
彼女の部屋、俺の隣だったらしい。
管理人が言ってた。
「たまに挨拶してたよ。おとなしい子だった」って。
俺は頷くだけだった。
記憶があいまいで、声も思い出せなかった。
なあ、俺は本当に何もしてないんだ。
助けなかっただけなんだ。
……それだけなのに、どうして、
夜になると声が聞こえるんだろう。
―――
……ねえ。
聞こえてる?
あの夜、助けてって言ったの。
あなたは振り返らなかった。
窓の隙間から見えた、あなたの背中。
ほんの少しだけ、こちらを向いた。
でも、すぐに目をそらしたね。
みんな、正しかったんだよ。
お医者さんも、
おまわりさんも、
あの教会の女の人も、
みんな。
みんな、それぞれの
[正しさ]で、
私を囲んでいた。
でもね、
もう、どの正しさもいらなかった。
優しさも、祈りも、正義も、
ぜんぶ、私を潰してたんだよ。
ただ、一度でいい。
誰かに言ってほしかった。
――生きてていいんだよ、って。
それだけで、たぶん私は、
まだここにいた。
……だから、ねえ。
聞こえてる?
もう、目を逸らさないで。
みんなの気持ちがすり潰された毒として混ざりあったの
そんな私は……
――私……あなたのすぐ隣にいるんだよ。
ほら、私を今度は見なさいよ……
見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ
見ろ見ろ殺ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろよ!




