第1話 慈悲
あの子は、よく笑う子だった。
それが不思議で仕方なかった。
あんなに痛みに満ちた顔で笑うなんて、どうやって覚えたんだろう。
私は医師だ。
体を治すことが仕事だが、心までは治せない。
それを知ってから、私はずっと敗北者だった。
あの夜、彼女は救急搬送されてきた。
手首に包帯。目は焦点が合っていなかった。
「生きたくない」と言いながら、酸素を吸っていた。
その矛盾が、私には耐えられなかった。
苦しむために生かすのは、医療じゃない。
彼女が眠りたいなら、眠らせてやることも、ひとつの救いだ。
私はそう思った。
……そう、
[思ってしまった]
のだ。
静脈から入れたのは、少し多めの鎮静剤。
規定量をわずかに超えた、それだけ。
彼女は安らかに眠った。
痛みも、叫びも、もう要らなかった。
その瞬間、私は初めて、自分の手が
[神に近づいた]気がした。
命を奪ったのではない。
苦しみを終わらせただけ。
……それを、人は殺人と呼ぶ。
法はそう言うだろう。
だが私は法ではなく、慈悲を信じた。
翌朝、病院の廊下で記者が待っていた。
目の奥が、異様に光っていた。
「先生、この子の最期について、ひとことお願いします」
その声が妙に甘く、ぞっとした。
まるで、私の中に眠る
[正しさ]を嗅ぎ取ったように。
私は答えた。
「彼女は、もう苦しまない」
記者は微笑んだ。
「いい言葉ですね。見出しに使わせてもらいます」
その笑顔を見たとき、思った。
――この世界のどこにも、ほんとうの救いなんてない。
だから私は今日も、祈るように注射器を握る。
どうか、次の命も安らかでありますように。




