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首狩りの赤銅  作者: 星屑アート
プロローグ
1/11

1話

 街から遠く離れた海沿いの小さな町。突き刺す冷気が風に混じる秋の明朝。海岸に吹き付ける風は街よりも一層多く冷気を含んでいる。明朝の海岸に街灯は届かず、明かりが無ければ足元も見ることができない程に暗い。

 そんな暗闇に包まれた海岸に集う釣り人たち。ベテランの釣り人が100mほどにわたって、小石の混じった砂浜に横一列に並ぶ。防寒具を着込み、こだわりの釣り具を携えた彼らは、街での仕事で溜まった疲労も潮の混じった冷風も忘れて、潮の流れや魚の気配を読みながら海に潜む大物を狙って一心不乱に竿を振るう。

 常連の釣り人であふれかえる海岸から少し離れたところ。積み上げられたテトラポットの上で一人の男が釣りをしている。海岸に空きスペースがあれば、「お隣よろしいですか?」「調子はどうですか?などの挨拶を交わしていただろうが、海岸線にずらりと並ぶ釣り人達を見るや声もかけず、諦念とともにテトラポットを登ることにしたのだった。

 この男もまた平日の激務をこなしたのに加え、深夜の山道の長時間運転を経てこの場に立っていた。釣り場への到着が遅れた男の足場は海底から積み上げられたテトラポットで、水平ではなく、細長く、短く、狭い。さらには波が海からの風が追い風となってテトラポットに打ち付けて濡らし、足元の悪さに拍車をかける。

 底の擦り減った安物の長靴は、辛うじて男を不安定なテトラポットの上に縫い留めるものの、運動不足で体幹の弱った男の身体では、少し体を動かすだけでバランスを崩して海に落ちる危険があった。

 心許ない防寒具を身に着け寒さに体を震わせながら、ふらふらと身体の重心を微調整しつつ、仕掛けを投げては、浮きを見つめながらリールを巻き続ける。回収した仕掛けをもう一度投げ込み浮きが沈み込むのを待つーーー。

 趣味に没頭し始めた男からもまた、波風の音が、突き刺す冷気が掻き消えてゆく。危ういバランスの調整も無意識に任せ、潮が満ちるにつれて力を増す昏い海へと誘う波も男の意識の中から霧散する。

 何度竿を振るっただろうか。満ち切った潮が下がり始め、空を塗りつぶす色が黒から濃藍へと変わる頃、男の蛍光色を発する浮きが不意にとぷんと沈んで海面から姿消す。同時に、竿から男の両手に伝わる抵抗がズンと重くなる。

「...!」

刹那、男は鋭く竿を振り上げ、あわせを入れる。

「きたっ!」

 歓喜の声とともに、あわせを入れると重さの増した竿から獲物が暴れる振動がさらに伝わってくる。同時に、男の身体が海へと強烈に引き寄せられる。青年は反射的に前方に出していた左足をさらに前に出して踏みとどまろうとする。

「...なっ!?」

 しかし、釣りに没頭していた男は気づいていなかった。濡れた足場に海藻が打ち上げられていることに。男の左足は濡れた海藻を踏みつける。頼りない足場に踏みとどまるために左足に自重を乗せると同時に、海藻がずるりと滑り、男の身体は後方へ倒れるようにしてさらに姿勢を崩す。

「がっ...!」

 男は倒れる勢いのままに細い足場に身体を打ち付ける。受け身を取ろうと繰り出した腕は足場が足りず空を切り、背中と後頭部が男の全体重を受け止める。

 男の視界は一瞬で濃藍の空に切り替わり、強い衝撃を後頭部に受けて星が舞う。

 思考が衝撃と痛みで途切れる。危機的状況にあることを思い出し、すぐさま思考を再開させるも、すでに手遅れだった。傾いた足場が容赦なく男を海へ突き落さんとする。傾いた重心のために堪えられなかった青年は為す術なく寝返りを打つように足場から転落する。

 背中から落ちる青年は濃藍の中から漆黒の足場を視界に捉えるとすかさず手を伸ばす。

「...っ!」

 伸ばした手が足場を掴むより早く、下層のテトラポットに身体を、それも運悪く後頭部を打ち付ける。再び頭部に衝撃が走り、視界がちかちかと明滅する。

 男は空に伸ばした手が虚空を掴む光景を最後に意識を手放す。

 制御を失った身体は重力に従って、未だ昏き海へと落ちる。男の着水音はテトラポットに打ち付ける波の音にかき消され、海岸の釣り人たちには届かない。男の身体は意識を手放してなお、万力をもって固定されたかのように釣り竿を握りしめていた。釣り竿の糸の先で青年を海に落とした何かはさらに力を強め、落ちた青年をそのまま奈落の海底へ引きずり込む。

 男が海へ転落する様子はテトラポットによって遮られ、身体を打ち付ける音も波風に掻き消されていた。そして、海岸の釣り人たちは自身の仕掛けの浮きしか眼中になく、竿の感触に心血を注いでいた。加えて、海岸の彼らにも続々と獲物が掛かり始めたらしく、駆け引きに熱中する釣り人と仕掛けが絡まらぬよう仕掛けを回収して声援を送る釣り人で賑わい始める。

 その結果、海岸の釣り人たちは男の異変に気付くことはなく、救いの手は差し伸べられなかった。





 海岸が落ち着きを取り戻した頃、ふと一人の釣り人が呟く。

「そういえば、あっちのあんちゃんは釣れたんかね?」

「あっち?テトラポットのとこか?」

「おお。」

「あんな危ないとこでやる奴なんていないだろ。今日も登ってるやつ、見てないぞ。」

「...そうか。俺の気のせいか。」

獲物との駆け引きを存分に楽しみ制した釣り人。興奮冷めやらぬ釣り人の記憶は朧気で、釣果がなく虫の居所が悪い友人にの機嫌をこれ以上損ねぬよう、確信の持てない記憶を塗り替える。

「おお。んなことより、今年はいつごろまで釣れるかねー。」

「来月の頭くらいまでかなー。もうあと10匹は釣りてーな!」

 海岸は時折歓喜と興奮に包まれながら、空が白く、青く染まっても釣り人で賑わう平和な時間が過ぎていく。とある男が海の底に消えたことに気づかぬままに。

 こうして一人の男は釣り人の記憶から、海岸から、そして世界から、彼が犯した禁忌とともに姿を消したのだった。

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