86信仰
ライオネス侯爵領の都の一角。
騎士たちのために開かれた一夜ばかりの酒場の端で、キグナスはネストからレオニードとの諸々の話を聞いていた。
増長、対価として女性を差し出すように要求、勇者像から外れていった彼は、聖剣が折れ、そしてリリスティアに敗北して完全に心折れた。
「……そう、か」
曲がりなりにも弟子として、そして自分の次の勇者として活動していたレオニードの話に、キグナスは苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやいた。
決して上手くなどない、アルコール度数を高めただけの蒸留酒をあおる。喉を焼くような熱が走り抜け、胃の中がじんわりと温かくなる。
これだけ飲んでも酔えなくなったのはいつだったか――そんなことを思う。
勇者としてのキグナスの戦いはひどく過酷なものだった。まだ人類内部でも対立していた中、キグナスはおそらくは歴代勇者の中で最も勇者としての適性が低い人間として、数々の死地に立ってきた。
キグナスは、魔力関連の適性が非常に低い。聖剣の力などほとんど引き出せず、振るう聖なる刀は実際のところ、ただの刀に比べて少しばかり丈夫であるだけだった。
それでもキグナスは剣聖と呼ばれるほどに刀術を鍛えた。だが、多くの者が知らない。キグナスは剣聖だから勇者に選ばれたのではなく、勇者に選ばれてから汚水をすすり、血だまりに倒れ、何度も絶望し、その果てに剣聖という頂に至ったのだと。
苦難ばかりだった。どれだけ仲間を、守るべき民を目の前で失ったかわからない。それでもキグナスは勇者という道を歩いてきた。
その道を知っていたから、キグナスは己にできるだけのことをレオニードに叩き込んだ。
そうして、確かにレオニードは強くなった。けれどキグナスが旅の中で得た精神性を、戦士としての在り方を、養殖成長させられたレオニードは獲得できなかった。
自分のせいだと、キグナスはテーブルをじっと見つめながら告げる。それに、ネストは黙って首を横に振る。
「もしレオニードが勇者になり切れなかった責任を問われるものがいるとすれば、それは僕ですよ。仲間でありながらレオニードを諫めることもできず、ただ見切りをつけて逃げ出した僕に、僕だけに責任があるんですよ」
「……いや、それは違うだろ」
「違いませんよ。どれだけ不当に扱われようと、イレイナは逃げ出さなかった。僕は逃げ出した。それが、すべてでしょう?」
勇者パーティを脱退した件は、今でもネストの心のしこりになっている。もし自分がレオニードたちとともに冒険を続けていれば何か変わったのだろうか、そう考えて、けれどすぐにネストは首を振る。
散々悩んだうえで決めたことだったのだ。少なくともレオニードとともにいたところで、これ以上何の意味もないと、そう判断したのだ。多くの命が指の間から滑り落ちて、あの時ああしていれば救えていたかもしれないと後悔で眠れぬ夜を過ごし、心を病み、それでも戦いは途絶えなくて、レオニードは少しずつ道を踏み外していって。
「……どうすれば、よかったんでしょうね」
「さあな」
どうすればよかったのか、そんなことは誰にもわからない。わからなくて、だから、手探りで、時にがむしゃらに進んでいくしかない。そうしないと道は開けない。そうしないと、暗闇に閉ざされた道の先にある、光照らす地へとたどり着けない。
魔王殺し――世界を救うその未来は、ひどく遠かった。
男二人のため息が重なったその時。テーブルの上に置いてあった蒸留酒の瓶に、細い手が伸びる。
「……ん?」
白魚のような手が運ぶ蒸留酒を目で追って、その先に見えた相手に、キグナスは顎が外れるほどに口を開いた。
ネストもまた、何度も瞬きして、すでに酔っていたのかと頬をつねって痛みで涙目になる。
そこには、天使と呼べるような美しい少女の姿をした人物がいた。
「……エルフィード様」
「久しいな、キグナス。我をのけ者にして酒を飲んでいるなど、随分といい身分になったじゃないか」
「はは……まあぼちぼちやっていますよ」
かつて亜人として迫害されていたエルフを救うことで人間との関係を取り持ったキグナスは、エルフを守護する精霊エルフィードと旧知の仲だった。勝利の美酒を酌み交わしたこともある。
「……まずい酒じゃな」
「仕方ないでしょう。アルコールを入れられるだけましですよ」
建物の中を見回すキグナスの目に、様々な様子を見せる兵士たちの姿が映る。テーブルに伏して泣き続けるもの、死者を悼んで酒を飲み続けるもの、狂ったように笑う者、殴り合いをする者。救出作業を続け、多くの遺体を回収し、どうして間に合ってくれなかったのかという住民の怒りを受け止め、ただひたすらに心を殺して作業を続けてきた者たち。
戦士たちにいくばくかの心の休息をもたらすためには、酒が必要だった。
「正確には、酒と女じゃな」
外へ出ていく兵士と扇情な姿をした女性を見送り、やれやれと首を振る。ラッパのみしていた瓶を口から離せば、ぽたりと一滴だけ滴る。
「なんじゃ、もう空になってしまったか」
「……飲みすぎですよ」
「この程度の酒精など大したことない。……ええい、今日は我が大盤振る舞いしてやろう。エルフどもには秘密にしておくのじゃぞ?」
言いながら、エルフィードは歌うように、異国風の呪文を奏でる。それと同時に酒場にあるテーブルのあちこちから芽が生え、樹木が成長し、その枝の先にひょうたんのような果実が大量に実る。
「我のおごりだ!」
ちぎり取った果実の先をかじり取って掲げ、一気にあおる。よくわからないながらも、酔っぱらった兵士たちはカップやら酒瓶、そして果実を掲げて乾杯を復唱する。
酒気の入っていない者たちは、突如現れた酒を含む果実と美しいエルフィードとの間で何度も視線を行き来させ、それから余計な詮索など酒の場には不要だと思考を止める。
呆れた目で見ながらも、キグナスもまた目の前に生えた果実の一つをもぎ取ってその先端を噛みちぎる。
「まったく。怒られますよ?」
「我のもとに集まった力をどう使うかは我の自由だとは思わんか?」
「そうして肝心な時に力が足りないんですからね。最近も眠っていたのでしょう?」
「…………む」
話に全くついていけてないネストの存在に気づいたキグナスは、視線で話していいかエルフィードに訪ねてから、虚空を見上げて懐かしげに目じりを緩める。口元に苦笑が浮かんでいるのか、これからの話を思えばご愛敬。
聞きたくなどないとばかりにそっぽを向いたエルフィードは、けれどやっぱり気になるのか、エルフそっくりな長い耳を小さく揺らしている。
「エルフィード様がいながら、かつてエルフの国・エアリアル国が危機にあったというのはおかしいとは思わなかったか?」
キグナスの功績の一つに、エルフの国を救い、エルフと人間が手を取り合って魔王と戦う状況を作り上げたというものがある。だが、危機にあったというその国には精霊エルフィードがいた。精霊であるエルフィードの力が生半可なものでないのは肌身に感じている。
てっきり当時のエルフィードは眠っていて、それゆえにエアリアル国は危機にあったとばかり思っていたため、ネストは目をしばたたかせながら同意を示す。
「ではなぜエアリアル国が危機にあったのか……それはエルフィード様が力を使いすぎていて、本気を出せなかったせいなのだ。しかも、今のように酒を生み出すのに力を使っていたため、そのあとしばらくエルフの女王はそれはもうガミガミと説教をしていたな」
「……酒を生み出す力?」
「ふむ、それは我が答えようぞ。精霊やドラゴン、あとは神と呼ばれる一部もモノもそうじゃが、我らの力の源は信仰にある」
「祈ってもらうことで力を得る、と……でも、エルフィード様は恵みを司る精霊じゃありませんでした?てっきり司るものによって力の大小が決まるものとだと思っていました」
「その理解でも間違いではない。ただ、正しくは司っている力がどれだけ多くの信仰を集めるかで精霊としての格が決まるのじゃ。我の場合なんかだと、人間はもちろん、あらゆる生物は豊穣に喜び、恵みたる我への祈りをささげておるの。まあ、我に直接祈りをささげるエルフに比べれば、ほかの生物から届く信仰はそれほど効率は良くないのだがの」
「その一部を大樹に注ぎ、エルフの守護のために使うと契約したそうじゃないですか?……外で流通している酒を確保するために」
ジト目をしたキグナスの言葉を聞かなかったことにする。そうでもしなければ、精霊のイメージが粉々に砕けてしまいそうだった。
ネストはこれまでの話を頭の中でまとめて、そこから生まれる予想を口にする。
「……つまり、神と呼ばれるに至った魔物や動物も、神と呼ばれるだけの信仰を得ていたからこそ強大な力を持っていたわけですか」
「うむ。例えば竜神が復活したのは、新たに恐怖という信仰を得たためじゃな。もっとも、恐怖など集めてもまっとうな力にならんから完全な復活とは程遠かったようじゃが」
かつて戦った竜神がどうして生き返ったのか、それは驚くべき話で、けれど恐怖という信仰を集めたというのはわからなくもない話だった。
大陸中央、ドラゴニスと呼ばれる一帯を吹き飛ばしたという話は、今もなお語り継がれている。そして、曲りなりにも神と呼ばれた存在を自分たちで倒せたことが、イレイナが超人だったからだけではなかったと知って、ネストはどこかほっとしていた。
「……イレイナ(あやつ)は確かに神懸っておるぞ」
「思考を読まないでください……神懸っている?」
「うむ。何、あやつには魔王を倒してもらわなければならんからな。守護者にしたのは相応の意味があるのじゃ」
守護者という聞きなれない言葉に、キグナスはじっとエルフィードを見る。果たして、エルフィードはすぐに視線をそらし、ヒュイヒュイと口笛を吹き始める。上手いのが腹立たしい。
何か余計なことをしたと感じつつも、精霊の行動を縛ろうとするなど無理な話。天災にでもあったのだと、ネストは不安な心に言い聞かせる。
「……さて、過去の話などもういいだろう?今宵くらいは浴びるように酒を飲むぞ!」
言いながら、一人でぐびぐびと酒を飲み始める。空になった果実を手の中で弄びながら「やはり自分で作った酒など飲んでもあまり高揚せんな」とぼやく。
そんなエルフィードから務めて意識をそらしながら、ネストはまっすぐにキグナスを見る。その真剣な様子に、キグナスは酒を飲む手を止めて、無言で言葉を待つ。
イレイナが大きな力を授かり、本当に魔王を倒す運命にあることは分かった。であれば自分はイレイナを守るためにさらなる力を得ないといけない――。
すでに何度も力不足を経験してきたネストはキグナスに問う。自分が、イレイナの横に立って戦うためにはどうすればいいか。
少し考えてから、キグナスはネストに指を突き付ける。
「今から教えたところでお前が身に着けてきた戦闘スタイルが崩れるだけだ。だから、たった一つ、状況をひっくり返すための、奥の手というやつを教えておこう」
そこで、ニィと笑って見せる。
「いいか、これはまだ実践できていな、最後の手。けれどお前なら――」
夜は更けていく。様々な思いを抱えながら、人々は闇の中で時間を過ごす。
新たな力を求めて、過去を懐かしんで、未来へと希望を託して、悪夢に苦しみながら。
ネストはキグナスの言葉の一つ一つを聞き逃さないように、全神経を傾けて話を聞いた。




