85未来
ベルコットは一人ライオネスの領都を歩いていた。戦いによって荒れ果てる前のこの街についてベルコットは何一つ知らないが、余裕のある広い通りやわずかに無事な姿をさらす家屋を見ればこの街の発展具合を想像できた。
大陸北部に位置するライオネス領の都であるここは、削り出した岩石を利用した建物が並ぶ。家屋の一部には杉などの針葉樹林も使用されるが、そのほとんどは冬の間の燃料として消費される。
ライオネス領は比較的降雪量は少ないとはいえ、それでも長く積雪が続くくらいには雪が降る。寒さは厳しく、ライオネス領の者にとって木材は必需品である。ゆえに建材として使われるのは岩石が多い。
近くの荒野にある石切り場から運ばれてきた岩で作られた建物の一部は全く継ぎ目が見られない。まるで巨岩をくりぬいたように錯覚するそれらの建物は、魔法使いによって成型されることでできる。魔法によって岩石を圧縮、あるいは岩石内部に穴をあけて金属パイプを通すなどの方法によって、一部の建物はただ石材を積むよりも一層頑丈なつくりをしている。
そんな建物も、無事なものは半数に満たない。形を保っている半数にしても、壁が倒壊したり、屋根が落ちたりと散々な姿をしている。
空から降ってきた魔族による襲撃のせいか、倒壊した家屋の中にはまるで踏みつぶされたような姿をさらすものもある。
物悲しさを感じずにはいられない街の中、両手に息を吹きかけながらベルコットは周囲を見回す。時折足を止めては、無事な家屋の軒下にある樽の影や小道へと視線を向ける。何かを探しているベルコットを、復興作業にいそしむ者が不思議そうに眺めながら遠ざかっていく。
悪魔ディアボロが夜半に街を襲ってから一週間の時が過ぎた。その時間は、絶望から立ち上がるにはあまりある時間だった。
自然は厳しい。家屋を失った中で生きているには、領都の冬は厳しすぎた。
摩耗した心に鞭打ってでも、あるいは死者を悼むこともよそに、人々は生きるために動き始める。決して前向きに行動しているわけではない。後ろ髪をひかれ、時折なんてことないように名前を呼んで、その者が隣にいないことを思い出して絶望しながらも、人々は今日という日を生きていく。
早くも経営を始めている店は、猟師の組合が運営する肉屋だった。冬の厳しい森や草原に踏み入っては獲物を狩る彼らは、捨て値に等しい金額で人々に肉を打っていく。
この冬を乗りこえるためには、食料と暖が必要だった。街の猟師組合が前者を、木こりや木工職人などをはじめとする職人たちの輪が後者を担当していた。
一部の者たちはこの書入れ時に値段の高騰をもくろむも、住民の反感にあい、なおかつ領主命令によって潰えた。危機的状況にあって足元を見た彼らはきっとそう遠くないうちにこの街での居場所を失うだろうが、それはともかく。
体力仕事をするには力不足だったベルコットは、そうした組合と領主とのやり取りのために街を行き来していた。そんな中、領主から頼まれたことを遂行するためにベルコットは目的の人物を探す。
がれきの前、雪の上に跪く女性の姿を見つけ、ベルコットは足を止める。進路を変更、祈りをささげる彼女の背後へと、なるべくその祈りを妨げないように足音を消して近づく。
短い緑髪が風に揺れる。身じろぎ一つせずに倒壊した家屋へと祈りをささげていたのはスラシャ・ライオネス。ライオネス侯爵の一人娘だった。
「……またこんなところにいたんですね」
かじかむ手をすり合わせて温めながら、立ち上がるスラシャに話しかける。スラシャは苦い顔で頷き、もう一度がれきの山を眺める。
ベルコットはその揺れる髪を眺めながら昨日のことを思い出していた。
がれきの山の中から一通り生者と死者を救出し終えた昨日、早くも慰霊祭が執り行われた。通常の街では一か月は準備にかけるそれがまだ心の傷がいえてない時点で執り行われたのは、ここが魔王軍との最前線に位置する街であるから。何より、冬の真っただ中にあるこの街は、足を止めてはいられなかったから。
慰霊のその場、領主に続いて黙とうをささげたスラシャは、何を思ったか、懐から取り出したナイフでその長い髪を肩口で切り裂き、死者にささげた。
息をのむ領主や住民の視線の中、仮の慰霊碑へとまっすぐ視線を向けていたスラシャの横顔は、ベルコットの瞼の裏に焼き付いていた。
あの日、スラシャの中で何かが変わった。覚悟が決まった。
けれどそれは、他者から見ればひどくもろく、はかなくも見えるものだった。ただ己を苦しめているような、そんな自罰行為のようにも見えた。
「スラシャさんは、さ。これからどうするの?」
これから――ひどくあいまいな言葉を受けて、けれどスラシャは目を閉じて真剣に考え始める。その脳裏には、一週間前の恐ろしい光景がよぎる。耳の奥で悲鳴が残響する。狂ったような怒声が聞こえる。目の前で死んでいった者たちの、絶望にゆがんだ顔が思い出される。
肩が震える。冷えているうえに強く握りしめたこぶしが真っ白になる。
「……私は、この街を守ります」
「うん」
「仮に魔王が倒されたとしても、街が荒れ果てた魔王軍の最前線にあることには変わりません。魔物はきっと絶えず襲ってきます。だからこそ、街には力が必要です。自衛できるための力が……」
けれど、とスラシャは暗い顔で、かみしめるように告げる。
ライオネス家には、力がない。古くから続く侯爵家とあって資源や金、名声はそれなりにある。けれど、それだけ。領民を守るための戦力が、ライオネス家には全く足りていなかった。
騎士団では、人がなす犯罪への対処はできても、強力な魔物一体を相手にすることは難しい。平均化された数という力による武力は、たった一体の魔物に、魔族に、悪魔に蹴散らされる。それを、スラシャは嫌というほど実感した。
今後、凶悪な魔物が領を襲っても街を守れるためには、戦士が必要だった。でも、優秀な戦士はライオネス家には仕えていない。であれば、スラシャがすることは一つ。
「私は、この身を領にささげます。領民に、その安寧に、平穏な日常にささげます」
決意と、少しの諦観と、一抹ほどの絶望。それでも、スラシャは凛と背筋を伸ばし、まっすぐベルコットを見据えながら告げる。
「私は、この身、この立場をもって、民を守るに足る人を夫に迎え入れます」
その姿に、その覚悟に、ベルコットは言葉を失う。
ただじっと、何を言うこともできずに、まっすぐに見つめる。
途端に、羞恥がベルコットの心にこみあげてくる。
ベルコットはネストが好きだ。だからこそ、無理を言ってこの旅に同行している。けれど、この度でどれだけ活躍できたか。ただ足を引っ張っただけではないか。
そもそもベルコットは、よりよい結婚相手を見つけるという意味もあって冒険者組合の受付嬢の仕事に就いた。玉の輿をして楽に生きていけたら、そんな思いがあった。
ベルコットは、俗物な己が恥ずかしく思えて仕方がなかった。
スラシャはその身を、その人生を民のために捧げようとしている。
自分は、これだけの死を、日常が壊れた様を、それを守るためにあらがうイレイナやネストの姿を見て、まだネストたちと平穏に過ごしたいとだけ思っている。
スラシャは、貴族として生まれ育った人間だ。その心身をなす教育は、その価値観はベルコットとは違う。違って当たり前だ。違うからこそ、その在り方がまぶしく見える。自分には足りないものが多すぎるように思う。
でも――ライオネス侯爵の頼みを思い出しながら、ベルコットは唇を軽くかむ。
『あの子に、幸せになってもらいたい――私は、貴族当主である前に一人の父親なんだよ』
眉尻を下げて告げていた一人の男の顔が脳裏をよぎる。
その身を、その人生を犠牲にして、献身に尽くす?ああ、結構なことじゃないか。誰もが拍手喝采するだろう。スラシャの覚悟を称えるだろう。
けれど、気づけばベルコットの心の中には激しい怒りが渦巻く。恥ずかしさは、すっかり飲み込まれてしまっていた。
立場が違う。在り方が違う。理念が違う。価値観が違う。
スラシャとベルコットに、同じところなんて数えるほどしかない。その人生が今こうして交わっていることが不思議なほどなのだ。
ただ、このかかわりに何かの意味があるとするならば。
今この時、自分が何を語るかにかかっている――ベルコットは、心の中に広がる激情に任せて手を伸ばす。
「ふざ、けるなッ」
スラシャの襟ぐりをつかみ、叫ぶ。
突然のことに、スラシャは大きく目をしばたたかせる。どうして叫んでいるのか、どうして怒っているのか、どうして怒られているのか、何もわからない。
ただ、ベルコットの熱が、視線や声を通してスラシャの中に流れ込んでいく。
「ふざけないで。自分が犠牲になればそれで解決。自分の人生は領民を守るために存在した?……はっ、笑わせないで」
「何、を――」
「いい、私たち平民はね、いろいろと苦労しながらも、それでも自分の足で生きているの!手に職をつけて、時にひもじい思いをしながら、時に幸福を感じながら、自分たちの手足で日々を紡いでいるの」
目の前にあるスラシャの顔には傷一つない。その手にだって、ここまでの道中にできたわずかな傷こそあるものの、幼少期から家事を手伝ってきた平民の子どもほど皮膚が厚くなっているわけではない。
スラシャは貴族だ。どうしようもなく貴族だ。
そして、ベルコットは平民だ。
立場が違う。だからこそ、無責任に叫ぶことができる――それを、ライオネス侯爵も求めていた。
「いい!?耳をかっぽじって聞きなさい。私たち平民はね、領主に、貴族に守ってほしいとか、そんなこと毛ほども思っていないの!」
実際にどうかは知らない。ベルコットが勝手に平民を代表して代弁しているに過ぎない。けれど、少なくともそれは紛れもないベルコットの本心だった。
魔女の孫娘として、嫌悪のにじむ目で見られたことがある。魔女を排斥しようとする貴族に狙われたこともある。
だからこそ告げる。貴族なんて知ったことかと。自分たちは勝手に、自分たちで生きているのだと。
「だから、私たち平民に人生をささげるだとか、ふざけたことを言うのはやめなさいよ。勝手に生きればいいでしょ。勝手に領主を次いで、勝手に幸せになっていればいいのよ……」
はらりと、ベルコットの瞳から涙が零れ落ちる。どうして泣いているのか、わからない。
どうして叫んでいるのかも、何を叫んでいるのかも、すでにベルコットにはわからなくなりつつあった。
スラシャの胸元に顔をうずめるようにしながら、ベルコットはくぐもった声で告げる。
自由に生きればいいじゃないと、その在り方を、押し付けようとしないでと。
何が本心なのか、ぐちゃぐちゃになった心は答えを見いだせない。
己を犠牲にして領民を守ろうというスラシャに敬服し、その生き方に憧憬を覚える自分がいた。スラシャを前にして、自分事ばかりな己が恥ずかしくなって。
同時に、スラシャのあり方を否定する気持ちがあった。そんなことをして何になるのかと。そんなことを、誰も望んでいやしないと。そんな在り方で、自分たちにあなたの人生を背負わせないでー―そう、叫ぶ己がいた。
そして、そうした感情の渦の中にいるのは、スラシャも同じだった。
本当は、ただ夢のように、幸せを夢想していたかった。貴公子然とした人に恋に落ちて、燃え上がるような恋愛をして、結婚して、子どもを産み、育て、幸福に生きていく。そんな温かな家庭を想像しなかったわけじゃない。
けれど、それよりも目指すべきものがあったから。しなければならないことがあったから。夢ばかりを追い求め続けるには、今という足場が壊滅的だったから。
だから、夢を捨てた。心を封じた。歯車の一つとして、領地のための礎になろうとした。
それなのに、ベルコットの言葉が、幸せになれという声が、心の中で存在を主張する。
「私、は――」
言葉は続かず、代わりにこみあげる無力感に歯を食いしばる。
同じ無力感を分かち合った旅の仲間として。二人は傷をなめあうようにして、寒空の下で互いを抱きしめ続けた。




