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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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84一夜明けて

 戦いは終わった。けれど、誰もが無事とは言い難い状況にあった。

 ライオネス領都は大破し、焼け出された住民は数知れない。傷つき倒れた者は多く、臨時の診療所はすでにけが人であふれていた。

 広場には多数の遺体が並ぶ。数が多すぎるために布で姿を隠してやることもできない。

 親のいない子どもが、死体の中で必死に歩き回って家族を探す。どうか無事であってと、そう祈りながら。

 倒れる者たちの中には魔族によって殺された者もいれば、火災やパニック状態で圧迫死した者もいる。あるいは、この街で最も丈夫だと思われていた地下の避難所で生き埋めになって死んでしまった者もいた。

 ただ、とりわけ魔族あるいは悪魔に殺された者はその遺体の症状がひどかった。ただ、遺体が残っている者たちはまだ幸いといえた。

 死者の一部は肉体も残っていない。人食いの魔族たちの腹に消えてしまった者たちは、すでに一部が消化吸収されてしまっており、遺体を供養することもかなわない。

 それでも、倒した魔族たちの腹を切り裂き、少しでも遺品を回収しようとする動きはあった。

 けれど、人手が足りなかった。二度に渡る悪魔の強襲に住民はおびえ切っていた。家を失い、家族を失い、己の手足を失った者たちは、絶望して動くこともままならない。

 失意に座り込む者たちがほとんどで、絶望の中で動くことのできる人は少なかった。

 それでも、悪魔が倒されたことを知った一部の人々は、心を閉ざすように、あるいは思考を放棄するようにがむしゃらに目の前の作業に臨んだ。

 そうして、少しずつ街は動き出した。


「さすがにこれは引退か……」

 街の一角、無事だった家屋の軒下に座り込む老齢の男は胸元を抑えながら小さく吐息を漏らす。

 怜悧な青眼が特徴的な着流し姿の彼の名はキグナス・リシェント。現勇者レオニードの前に勇者を務めていた男である。

 すでに六十を超えてなお気力が充溢していた彼の姿には、今では陰りが見える。苦しそうに胸元を抑える彼は、あちこちで座り込む街の住民たちの中に埋没していた。

 キグナスは悪魔による奇襲によって致命的なダメージを受けた。持っていた貴重な霊薬によってかろうじて応急処置は達成できたが、流した血がもとに戻るわけでもなく、そもそも完全な回復とは程遠い。体には力が入らず、胸はまだ痛み、何より精神的なダメージが大きかった。

 戦士でありながら、戦地で気を抜いてしまったこと。孫娘であるアレインの記憶喪失。そして弟子であるイレイナの大成。

 もう十分だろうか――そう考えながらキグナスは空を見上げる。薄い雲に覆われた空は、時折その切れ間から太陽が顔をのぞかせる。火災によって解けた雪がところどころ凍り付くほどには気温は低い。

 吹き抜ける風に外套の前を掻き抱く。寒さに弱くなったように思えるのは、老いのせいか、血を流しすぎたせいか。

 白い息が空気に溶けて消える。見上げる空に顔をのぞかせた陽光に目を細める。

 伸ばした手で光を透かし見る。その先に神はいるのか――キグナスは救いを求めるように、高く手を伸ばす。

 自分を勇者に選んだ神。観測されたことはなく、けれど確かに実感として神はいる。職業という不思議な力が、その証だった。

 キグナスは勇者になった。勇者に、選ばれた。神が、キグナスを勇者に選んだのだ。

 キグナスは誰にも言っていないが、かつて彼は、転職の瞬間に神の声を聴いた気がした。

 それは今現在大陸で使われている言語ではなかった。そもそも、音でもなかった。

 ただ、思念波のようなものがキグナスの頭に届いたのだ。世界を、救って――声は、そう告げていた。

 あれが神の声だったのか。神が、自分をここまで導いたのか。

 天は何も答えない。

 溜息一つ。キグナスはやれやれと首を振って視線を下ろして。

「……おお、イレイナか」

 近づいてくる弟子の姿に破顔する。

 自分の人生の価値の一つとも思える弟子たち。その中でも目をかけていた弟子の一人は、社会にもまれ、戦闘経験を重ね、気づけばキグナス自身を超えていた。

 そのことに少しの寂しさはある。けれど、それを上回る感慨深さもある。

 ただ残念なのは、イレイナが刀使いではないというただその一点。今から自分の技を教え込もうか――そう考えるほどに、キグナスはイレイナを評価していた。

「……黄昏てた?」

「そう、だな。……いや、どちらかといえば不貞腐れていたというほうが近いか?」

 顎に手を当てて少し考えたキグナスは、自分の言葉に納得げに頷く。

 キグナスは不貞腐れていたのだ。これまで鍛え続けた自分の肉体はとうに全盛期を超えていて、体には衰えが来ている。力が弱くなっても技のキレは増した――それがキグナスにとっての誇りだったが、今ではもう彼は胸を張って己の技量を口にできなかった。

 イレイナと悪魔の戦いに、キグナスは衝撃を受けた。最盛期にあった自分は、果たしてあれだけのことができたか――少なくとも、奇襲を受けておらずともキグナスには、自分が悪魔ディアボロを倒すことができたとは思えなかった。

 それくらいに、今のキグナスとイレイナの間には差があって。

 キグナスは師匠でありながら弟子に超えられた自分の力量に気落ちしていた。

 イレイナは少し迷ってからキグナスの隣の雪を払って腰を据える。民家の軒下、石の上に並んで二人は街を眺める。

 復興作業で火照った体を、冬の冷気が冷ましていく。汗が冷え、イレイナは小さく体を震わせる。

「まだまだ戦えると思っていたつもりだったが、この体では厳しいな」

 額に油汗をにじませるキグナスをちらりと見てから、イリエナはおもむろにカバンをあさり始める。

「どれだけ効果があるかはわからないけれど……使う?」

 差し出したのは、回復用に作っていた赤黒い液体。揺らさずともガラス瓶の中で液面を上下させるそれはスライムのように自力で動く。

 目が点になったキグナスは、一体どういうことかと視線でイレイナに問う。

「回復薬のようなものよ。ただし、私の料理だけれど」

「イレイナの料理……作れたのか?」

 キグナスの脳裏をよぎったのは、かつて村でイレイナたちに指導していた際に食べた料理のこと。イリエナが腕を振るったそれは、狩りで手に入れた生焼け肉。表面は焦げ、内側は生。さらにはハーブの調合もよくなくて、非常に残念な香りがしていた。

 食べられなくはないが進んで食べようとは思えないような代物。

 それを思い出したキグナスはイレイナの成長を予想し、目の前のそれに少しだけ頬を引きつらせる。

 そういえば、と彼が思いだしたのは精霊エルフィードからの伝言ゲームにあった、異様な料理の話。呪いもかくやというそれのおかげで孫娘(アレイン)は救われたという話で。

「……呪い」

「呪い?」

 瓶の中で揺らめく赤黒い物体を見るキグナスの額を冷汗が伝う。

 いぶかしげなイレイナは、キグナスとその視線の先にある自分の手の中のそれを確認。何に対して「呪い」と告げたかを理解して頬を膨らませる。

「呪いだなんて失敬な。これでも成長したのに。……それに、師匠が望むのなら、さらなる力を手に入れることだって可能よ」

 成長、悪化、あるいは極端な方向への発展。イレイナの料理は、すっかりキグナスの手に負えないものに進化していた。

 それを、キグナスはまだ理解していない。

 だから、さらなる力という単語に目を輝かせてしまう。

「本当に、力が手に入るのか?一時的なドーピングというわけではないのだろう?」

「やりようによっては、成長ボーナスをもたらす料理や、筋肉に負荷をかけるための料理なんかが作れるわ。他にも、方法によっては衰えた体を全盛期以上にできるかもしれないけれど?」

 尊敬する師匠に呪いと言われたのがよほど腹に据えかねているのか、イレイナは瞳に怒りの感情を燃やしながらずいとキグナスに瓶を近づける。

 ゴクリ、とキグナスがのどを鳴らす。甘い誘惑には毒が潜む。けれどの程度の毒を飲めずに何が英雄だと、キグナスは自分の中で思考を完結させて瓶へと手を伸ばす。

 蓋を開ければ、強烈な異臭が立ち込める。料理――これが料理かと、キグナスは首をかしげる。

 イレイナは何も言わない。ただ真剣な目でキグナスを見守っている。

 それは、料理と呼ぶよりは薬と表現したほうがふさわしい液体。何ものとも例え難いにおいをした粘性のあるどろりとした液体。

 少し迷ってから、キグナスはぐいとその液体をあおった。

「……ッ!?」

 強烈な腐臭が口の中を駆け抜けて鼻へと至る。だが、むせている余裕はない。ねばつくうえにザラリとした舌触りを与える料理はキグナスの口内を蹂躙していく。強い粘性のせいで中々胃の中に消えてくれない。

 水を求めるように手を動かすも、この場にはグラスの一つもない。

 のどを掻きむしりたい衝動に駆られながら、キグナスは必死に吐き気をこらえる。顔を真っ赤にして小刻みに肩を震わせるキグナスを、イレイナはじっと見つめる。

 腹の中でうごめいていた違和感が消失する。それと同時に、キグナスは胃を中心に全身に熱が広がるのを感じた。体に力が満ちる中、頭は逆にひどく冷えていく。高速で思考し始める脳はこれまでにない感覚をキグナスにもたらしていた。

「これは……すごいな」

 感嘆を漏らせば、イレイナはまんざらでもなさそうに胸を張る。

「……で、これはなんだ?」

「何って、何が聞きたいの?」

「材料とか、そのあたりだ。さすがに食べられないものは使ってないだろう?」

 顎に人差し指を当てて虚空を見上げて考えるイレイナを見ながら、キグナスは頬がひきつるのを感じていた。いまさらになって後悔が押し寄せるが後の祭り。すでにキグナスは料理とも呼び難いナニカを食べてしまっている。

 やがてキグナスへと視線を戻したイレイナは小さくうなずく。安堵の吐息を漏らすキグナスだが、続くイレイナの言葉に頬を引きつらせる。

「ドラゴンの骨髄と血を煮詰めたスープだから、食べられるし栄養もいいはず」

「ドラゴンの血に、骨髄……」

 確かに栄養がありそうなラインナップだった。ドラゴンの血や骨髄といえば霊薬の素材としても利用されるような貴重な品だ。それを薄めることなく使ったならば、今気力も体力も驚くほどに充溢しているのもうなずけるというものだった。

 けれど、そもそもドラゴンの血や骨髄を薄めることなくそれだけで加工しようという発想が、半ば狂気じみていた。価値観がおかしい。素材の一つだと考えない発想がおかしい。そもそも霊薬の素材を用いて「料理」だと念を押すあたりに異常性を感じずにはいられなかった。

 なんと言葉を返したらよいかキグナスが頭の中でぐるぐると考え続ける中、イレイナは続けてカバンからいくつもの小瓶を取り出していく。

 それらのほとんどは、先ほどキグナスが食したそれよりも忌避感を抱かずにはいられない見た目をしていた。

「……食べる?」

 期待に満ちた視線にさらされながら、キグナスはごくりと唾をのむ。弟子の頼みとあっても、ここでうなずけるほどキグナスは常識を手放してはいなかった。

 眉間に深いしわを刻んで首を横に振るキグナスを前に、イレイナはがっくりと肩を落とす。

「まあネストに食べてもらえば――」

 ぽつりと聞こえてきた言葉に、キグナスは心の中で合唱する。ネストよ強く生きろ――と。


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