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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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83悪魔

 常人には手出し戦闘が続く。イレイナと悪魔の動きは、もはや目に追うことも困難なレベルに至っていた。

 誰もが、それを前にただ見ているしかなかった。

「……う、ぁ」

 地面に倒れこむスラシャが、己の無力感をかみしめながら石畳に爪を立てる。

 わずかに血の飛沫が舞い、赤いしずくがネストの頬を濡らす。

「……イレイナ?」

 ネストには戦いの推移はわからない。ただ、自分がイレイナの足を引っ張っていると、そんな確信をしていた。

 神出鬼没のディアボロを前に、中途半端な戦力など足手纏いにしかならない。歯がゆい思いをしながらも、ネストには動くこともできない。

 もし動いて戦況がディアボロのほうに傾いたら――そう思ったらその場に立ち尽くすしかできなかった。

 頬を強風がなでる。すぐそばを何かが通過する感覚がある。

 竜滅剣を構え、意識を研ぎ澄ませながらネストはその時を待つ。

 ドガッ。

 吹き飛んだ影が家屋にぶつかり、倒壊させる。果たして、満身創痍で吹き飛んだのはディアブロのほうだった。六本あった腕は実にその五本が切り落とされ、片方の角も半ばから折れ、体のあちこちに無数の傷が見えた。

 対して、イレイナは片腕の骨が終えてだらりと力なくぶら下げているものの、あとはせいぜい小さな裂傷だけだった。

 勝敗の差は、五感の鋭さにあった。いかに早く敵を捉えるか。それが勝敗の分かれ目で、そして斥候としての経験の分、イレイナがディアボロを上回った。

 ディアボロが空間魔法を発動する。イレイナは、足を動かすことなくその場でナイフを振るう。漆黒のナイフは、伸び、まるで鞭のようにしなってディアボロの体に新たに裂傷を刻む。イヴィルドラゴンの闇魔法の効果が秘められたその武器は、刃を包むようにして闇の刃を生み出すことができる。

 高速で飛翔する鞭の先は鋭く、その速度は長さの分だけは早くなり、ディアボロの強靭な毛皮を切り裂くに足る威力を発揮した。

 ちなみに、イレイナがある程度の鞭術を使えるのは、その並外れた基礎能力と、斥候時代にナイフが尽きてロープを武器にして戦った経験からきている。

 それはともかく、イレイナはディアボロが魔法を発動しようとした瞬間にその体を打ち、痛みと衝撃で魔法を発動させない。

 止まってしまったディアボロなどただ体が大きいだけ。むしろ的が大きい分、ダメージを与えるのはたやすかった。

 無数に伸びる闇の切っ先がディアボロの体を切り刻む。それでも、ディアボロはあきらめない。痛みに、怒りに、憎しみに顔をゆがめながらも魔法の発動体勢に入る。

 強く、強く、魔力を圧縮する。一撃で確実に屠る。そんな意気込みが聞こえてきそうな攻撃を前に、イレイナはますます苛烈に攻撃をする。ディアボロの片目がえぐられる。足が切り飛ばされる。おびただしい血を流しながら、ディアボロは狂気に満ちた赤い瞳をゆがめ、唇を吊り上がらせる。

 瞬間、ディアボロの姿が掻き消える。

 現れたのはイレイナの側面、その手に握りこんだ圧縮魔力を開放する。

 世界が、割れる音が響いた。

 比喩でもなんでもなく、文字通り、その攻撃によって世界の一部が崩壊した。

 空間が砕け、世界という概念が揺らぐ。そんな攻撃が、一直線にイレイナへ、そしてその背後にいるキルハへと迫る。

 それを前に、イレイナは腰を落とし、ナイフを構える。

 壁となって迫る世界を崩壊させる攻撃。それを相手にするには、イレイナのナイフはちっぽけだった。

 ――何しろ、イレイナにはその攻撃にあらがう必要がなかったから。

「ったく、ずいぶん化けたな」

 そんな軽口ともに、イレイナの前に一歩足を進める。

 胸部をべったりと血で濡らした先代勇者キグナスは、ありったけの治療によって回復し、今、イレイナの前で背中を見せる。

 着流しの裾がはためく。草履が地面を踏みしめ、わずかに砂音を響かせる。

「さあ、勇者としての底時からを見せてやるよ――」

 深く腰を落としたキグナスが、その刀の柄に、鞘に手をかける。

「――-ブレイブ・ブレイド」

 言霊のように、涼やかなその声が世界にその一撃を刻む。

 チン、と鳴ったのは、抜刀の音か、あるいは納刀の音か。

 キグナスはもう、動かない。その刀は、すでに切るべきものを切っていた。

 迫る破壊の嵐に、縦に亀裂が走る。横に、斜めに、三本線で、十字で。無数の剣線が嵐を切り裂き、切り刻み、そして。

 ディアボロが放った渾身の魔法は、ただのそよ風となって吹き抜けて。

 その風の中を、イレイナは一直線に進む。

 振りぬかれた刀は、瞬間的に長く伸長し、ディアボロの体を、股下から頭頂部まで斬り裂いた。

 ディアボロの体が傾く。それでもまだ、ディアボロはイレイナへと手を伸ばす。切り裂かれた額の眼が怪しく輝く。

『オオオオオオオオオオオオオオ――』

 洞窟に吹き抜ける風のように、空虚に、けれどありったけの力を込めて、ディアボロは手を伸ばす。その手は、けれど振りぬかれたナイフによって切り刻まれてイレイナには届かない。

 ディアボロの体が、溶けていく。まるで、イレイナの料理において、食材がスライムに変化をするときのように。

 料理がしたい――そんなことを思いながら、イレイナは小さく息を吐く。

 誰もが、勝利を確信した。悪魔の死を、滅びを予感した。

 ただ一人、強い無力案に打ちひしがれる者を除いて。

 そして、その、液化した体の中から。

「ク、ははははッ」

 黄金の輝きを握ったディアボロが現れる。その切っ先が、イレイナの胸部に迫る。

 悪魔にとって、肉体の死は滅びに直結しない。体が死んでも、悪魔が死ぬわけではない。

 だからかつて、イレイナたちはサキュバスを殺し損ねた。今、イレイナはディアボロを殺せたと思い込んだ。

 悪魔を殺すためには、魂、あるいは霊体と呼ばれるものを破壊しないといけない。

 悪魔は本来実態を有さず、その肉体はあくまでも人間をはじめとする生物で“遊ぶ”のに適した体を作り出しているに過ぎない。

 だから、より己らしい真の姿を持っているし、さらにはたとえ肉体が破壊されても、瞬時に新たな肉体を生み出すことができる。

 その情報を、これまで悪魔は秘匿し続けた。その情報だけは、悪魔全体で隠し続けてきた。それが、最強の一手になると知っていたから。

 勝利を確信したディアボロが笑う。イレイナは動けない。勝利を予感して体から力を抜いたイレイナは、とっさに動けない。

 キグナスもネストも、ほかのすべての戦士が、イレイナを守れない。ディアボロの攻撃を防げない。

 だから、ディアボロが握るその剣の切っ先はイレイナに届く。

 銀に黄金が混じったような輝き。それは、触れているだけでディアボロの指を焼き、白煙を立ち上らせる神聖の証。

 レオニードが使っていた聖剣の折れた刃。それは、ベルコット謹製のイヴィルドラゴンの防具をたやすく切り裂き、その奥へと刃を進める。イレイナの体を衝撃が襲う。

「イレイナァァァァァァッ」

 ネストが走る。けれど、その手は届かない。間に合わない――

「あああああああああああああああッ」

 それは、この緊迫した場に似つかわしくない、狂ったような声だった。

 蛮勇に体を突き動かし、足を進め、走り、その手に握る瓦礫を振り上げる。

 何に泣いているのか、どうして叫んでいるのか、何もわからないながらに、スラシャはディアボロの頭を殴る。

 勝利を笑うディアボロの体が地面を滑る。その手からオリハルコンの切っ先が抜ける。

「――――あ?」

 倒れたディアボロめがけて、ベルコットが渾身の力でイレイナ手製、魔物殺しのための料理入りの瓶を投げつける。

 ガシャン――割れたそのガラスの中からあふれた、ドラゴンの濃縮スープがディアボロの体を蹂躙する。ビクン、と体が痙攣する。力が、入らない。

「ああああああああッ」

 涙を流しながらネストが竜滅剣を振り下ろす。その刃がディアボロを切り裂く。

 けれど、足りない。ディアボロに死ぬ気配はない。その顔が敗北を予感して曇ることはない。

 それどころか、ネストたちの絶望を、痛みを、苦しみを感じて、愉悦に頬を吊り上げる。

 だが、余裕があったのはそれまでだった。

「――は?」

 地面に倒れるディアボロ。見上げるその視界に、不自然なものが移った。

 まるで痛みなど感じていないように、己の胸に突き刺さった聖剣の切っ先を抜く人物の姿が見える。

 雲の切れ間から顔をのぞかせた太陽で逆光の中、影が聖剣を振り上げる。

 陽光を浴びたオリハルコン合金の聖剣が、強い黄金の輝きを帯びて。

「ふッ」

 鋭く吐かれた息とともに、悪魔の頭蓋に聖剣が突き刺さる。

 そこには、胸元を聖剣に切り裂かれながらも、血の一滴も流していないイレイナの姿があった。

 目を細める悪魔は、イレイナの胸元に生じた穴の先に、聖剣よりも一層強い黄金の輝きを見て――


 なんでそんなところにオリハルコンが――

 そんなことを思いながら、その魂をオリハルコンの力に蹂躙されて消滅した。


「……え?」

 砂と化して体が崩れていく悪魔ディアボロの最期を見届けることもなく、ネストはただイレイナだけを見ていた。

 聖剣の切っ先に貫かれたと、そう思っていた。イレイナの死を予感して絶望していた。

 それなのに当のイレイナ本人はといえば平然とした顔でそこにいた。

 ネストの視線が胸元の傷へと向かう。黒いイヴィルドラゴン製の胸当てにぽっかりとあいた穴の先から血が流れ落ちる様子はない。

 そこには、黄金の輝きがある。ベルコットが作り出したオリハルコンホイル。それはごく微量の厚さながら、オリハルコン合金の聖剣の刃を防いで見せた。それは、高純度のオリハルコンだからこそなしえた強力な魔法的な防御性能によるもの。

 それを懐にしまっていたおかげで、イレイナは致命傷を負うことはなかった。

「……ぁ」

 わななく口から悲鳴になりそこなった声が漏れる。強い感情がこみ上げ、ネストの頬を涙が濡らす。

「イ、レイナ……」

 竜滅剣を支えにして手を伸ばす。震える手が、イレイナの頬に軽く添えられる。

 ぬくもりが、そこにあった。イレイナは生きて、そこにいる。

 支えにしていた竜滅剣がその手から離れる。地面を転がったその剣は甲高い音を響かせ、すぐに虚空へと姿を消す。

「あ、ぁあ……」

 震えながら、ネストはイレイナを抱きしめる。その存在を確かめるように、もう二度と離さないというように。

 少し居心地悪そうに身をよじらせたイレイナがそっとネストの体に両腕を回す。ためらうように背中に触れた手が、くしゃりと服をつかむ。

 いまさらになって襲ってきた恐怖に、イレイナは小さく体を震わせていた。

 強敵だった。これまで戦ったどの魔物との戦いよりも死を感じた。目の前で多くの人間が傷つき、倒れ、それでも必死に武器をふるうしかなかった。

 戦いは終わった。けれど完勝とは言い難い。こみ上げる苦悩に、無力感に、イレイナは強く目を閉じてネストの胸元に額をこすりつける。

 あるいは、それはイレイナ謹製、奥の手である丸薬の副作用であるかもしれなかった。

 どれくらいそうしていたか。一度は雲の切れ間に顔を隠した太陽が再び顔をのぞかせたタイミングでイレイナはそっとネストから体を離す。

「イレイナ、大丈夫?」

「……もう大丈夫」

 大丈夫と告げるその声はいつになく弱弱しく、顔色もあまりいいものではない。けれどそれでも、しなければならないことがあるから。

 決意を瞳に宿すイレイナをもう一度軽く抱きしめてから体を離す。

「……行こうか」

 うなずきあった二人は、血と死と煙の漂う街の復興のために、今なお苦しむ人の救出のために行動を開始した。


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