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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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88/127

81奇襲

 疲労困憊。けれど勝利の波に突き動かされるように戦い続けていたネストは、精根尽き果てた様子で竜滅剣を杖にして荒い呼吸を繰り返していた。それでも地面に座り込もうとしなかったのは戦士としての維持、あるいは守り抜いた住民たちに少しでも安心してもらおうという配慮だった。

 もう朝も近いせいか、少しずつ空が白み始めていた。厚い雲に覆われていても、太陽の光は世界に届く。

 すっかり熱を持った体からは汗が吹き出し、ネストは額を袖でぬぐおうとして動きを止める。魔族の返り血や煙、砂で衣服はすっかり汚れていた。

 そんなネストのところに、悠然とした足取りでキグナスが歩み寄る。先ほどまで魔族たち相手に鎧袖一触の強さを見せていたキグナスは体からわずかに熱を立ち上らせながらも息が切れている様子はなく、せいぜい額がうっすら汗ばんでいる程度だった。

「よう、ネスト。無事か?」

「……師匠!?」

 戦いの途中で増援には気づいていたが、具体的に誰がやってきたのかを確認している余裕もなかったネストは、今更ながらにキグナスの存在を見とめて素っ頓狂な声を上げた。

「え、ええ?どうして師匠がここに?」

「……まあ話せば長くなるが、孫娘のためだ。復讐一筋ってわけじゃないが、そろそろ魔族の奴らに目に物見せておかないといけないだろ?」

 話せば長くなるといいながらも端的にまとめたキグナスは、鋭く細めた目で北の地をにらむ。

 ネストも彼と同じく、煙る空気の先にそびえる雪に覆われた霊峰を見つめる。

「……ん?孫娘のために、復讐?」

「ああ。うちの可愛いアレインに手を出しやがったんだろ?」

 数度瞬きを繰り返すネストは、視線で「どうして知っているのか」と尋ねる。アレインが悪魔サキュバスによって命を吸われた情報をキグナスが手に入れるには少々早すぎる。仮に知ることができたにしても、これだけの大人数をそろえてこの地に向かうなんてことは不可能だ。

 けれどその不可能をキグナスはこなして見せた。そこには確実に、ネストが知らない裏技が、あるいは無茶ぶりがある。

 今度は誰に無理をさせたのか――キグナスが過去に語った話を思い出しながら、ネストは師匠にジト目を向ける。

「今回はそうおかしな方法は使ってないぞ?」

「ジョゼフィーヌさんが見えませんけれど、無理して空間魔法を使わせたとか?」

「まさか。どれだけ魔法の才能に満ち溢れていてもこれだけの数を遠く離れた土地に移動させるなんてことは人の身には不可能だろうさ」

 人の身には不可能――その言葉にネストは頬を引きつらせる。脳裏をよぎるのはグリフォンを駆使するイレイナの姿。同じように人ではない何かに協力させた――平然とそう告げるキグナスを前に、ネストは自分の中の常識が揺らぐのを感じていた。

 師匠であるキグナスたちを、特にキグナスを前にすると、いつだってネストは自分という存在がひどく小さな枠組みの中に閉じこもっているように感じられる。

 井の中の蛙であることを突き付けられるというか、己のちっぽさにやるせなるというか、そんな気落ちする感覚が襲ってくる。

 あるいは現実を見失って遠い目をすることになる――今回は、この類だった。

「で、ドラゴンの奴に手伝わせたわけだ」

「……ドラゴン?」

「そうだ。次元竜ディルグレオスってやつだ。名前くらいは聞いたことあるだろ?」

 呆然としながらうなずく。次元竜ディルグレオス、それはこの世界を外敵から守護していると言い伝えられている最強格のドラゴンだ。悠久の時を空間の狭間に生き、世界にちょっかいをかけてくる邪神や悪魔といった神に等しい力を有する存在から世界を守っている聖なる存在。

 ちっぽけな人間一人がどうやったってお願いを聞いてもらうことなどできない相手に「ここまで運んでもらったが空間を渡るってのは気持ち悪いな」などと不平を漏らすキグナス。ネストは無意識のうちに乾いた笑い声をあげていた。

 ふと、気づく。イレイナの奇天烈あるいは奇想天外さは、このキグナスから受け継がれたものではないかと。つまりイレイナは成長を続けるほどにキグナスに近づいていく――その怖い妄想を振り払うべく、ネストはめまいがするほど強く首を横に振った。

「次元竜はともかく、どうやってアレインのことを知ったんですか?」

「そりゃあ精霊経由だろ。勇者ともなれば精霊の一体や二体とは仲良くなれるものだぞ。エルフィードからサラマンドラ経由で耳に入ったってところだ。……で、アレインは無事なのか?」

「……彼女ならそこにいますよ」

 「無事」か――その問いにネストは答えられず、ただ視線をアレインのほうへと向ける。そこには肩で息をしながらも警戒を解かないアレインの姿があった。

 満身創痍。ベルコット謹製の

 孫娘の姿を前にして、キグナスの思考のすべてが吹き飛ぶ。施術をした精霊エルフィード曰く「ギリギリだった」と称したアレインの無事な姿を目にして、感極まったキグナスが走り出す。

「アレイン!」

 名前を呼ばれ、アレインは一瞬柄に触れる手に力を込めて。

 涙を流しながら近づいてくるキグナスの姿をとらえて、あらゆる思考を止める。

 なつかしさが全身を走り抜けて。その次に虚無がアレインの心に満ちる。

 アレインは、キグナスを覚えていなかった。目標と定め、模倣した刀の使い手の記憶は、表情は、声は、アレインの中から抜け落ちていた。なのに、涙が流れる。再会を喜ぶように心臓が強く鼓動を刻む。

 その強い感情に、アレインは吐き気を覚えた。

 自分という存在の狂った状態に、あるいは今のふがいない自分を祖父(キグナス)に見せたくないという思考が働いたのかアレインは無意識のうちに一歩後退りする。

 一歩、二歩。キグナスの歩みが遅くなる。歓喜一色だった顔に懸念が、動揺が広がる。

 やがて足は止まる。二人の距離の差は、わずか二メートル。あと一歩、大きく踏み込めばその手が届く。けれど、それ以上どうやっても足が踏み出せなかった。

 キグナスも、アレインも。

 ピリピリと緊迫した空気を肌に感じ、ネストはつばをのむ。もしかつて殺せていれば――口の中に広がる苦みに顔をゆがめる。

 果たして、アレインは唇を戦慄かせて告げる。

「――誰?」

 知っていなければならないのに、覚えているはずなのに。体がそう叫んでも、アレインの中にはだからこそ困惑が広がっている。知っているのに知らない――その差が、アレインの心をぐちゃぐちゃにする。それほどにアレインにとってキグナスという存在は大きくて、その再会はすぐに受け止められるようなものではなかった。

「……ぁ」

 そしてキグナスもまた、娘の状態を知ってその顔を絶望に染める。たった、一歩、それを踏み出せない。

 こんなことではだめだ――言い聞かせ、覚悟を決めるように強く唇を噛む。割れた唇から血がにじむ。口の中に鉄さびの味が広がる。

「アレイン、無事でよかった」

 心からの言葉とともに、キグナスはそっと両手を広げてアレインを優しく抱きしめて――

「爺馬鹿ここに極まれり、ですね」

 トス――キグナスの胸に衝撃が走る。

 一陣の風が吹く。胸にある違和感が、次第に強まる。

 コホ――アレインの口から血が漏れる。

 キグナスはゆっくりと視線を下に向ける。自分からまっすぐ伸びる血濡れた剣が、アレインの胸に突き刺さっていた。銀の刃を、真っ赤な血が伝う。

 その剣をたどる。刃は、キグナスの胸部から生えていた。

 その刃を握るは、灰色の肌に捻じれた角が特徴的な男の悪魔。キグナスに奇襲を成功させた彼は、その唇をこれでもかと吊り上げていた。

「あ――」

 剣が引き抜かれる。倒れるアレインへと手を伸ばす。背後、自分を嘲笑う声が聞こえた。

 これまでなら、キグナスは優先順位を間違えることはなかった。まずは敵への対処。けれど、再会した孫娘が倒れるその姿に、キグナスの戦士としての意識はすっかり飲み込まれた。

 キグナスの経験からなる感覚が、首に迫る刃の存在を感じていた。振るわれるそれは、あと一秒もしないうちに自分の首をはねる。そこで、終わり。

 それでも、キグナスは手を伸ばす。アレインへと手を伸ばす。

 そうして、その皮膚に刃が触れて。

 ギィン――刃がこすれ、火花が散る。

 倒れこむようにしてアレインを抱きしめたキグナスが、ゆっくりと背後を振り向く。

 いや、振り向く必要はなかった。その気配を、キグナスは知っていた。

「……おや?」

「……悪魔」

 一切の表情を消したイレイナが、悪魔の剣を防いでいた。

 肩や、どこまでも冷徹な血濡れた銀の刃。かたやあらゆる光を吸い込むような闇をはらんだ刃。ぶつかり合う刃はぎちぎちとせめぎあう。

「イレイナ!」

 ディアボロの背後からネストが竜滅剣を振りぬく。その刃は、確かに悪魔を捉えた、はずだった。

 瞬間、ディアボロの姿は掻き消え、イレイナはわずかにバランスを崩す。状況の把握は一瞬、カァン、と金属が鳴る音にイレイナは背後へと駆け出す。

 キグナスを仕留めようと振るわれた悪魔の剣を、遠くから飛来した矢が阻んでいた。

 ハシュラが放った矢が、一直線に、あるいは山なりに、無数の軌道を描いて同時に悪魔へと迫る。

 その攻撃を無傷で掻い潜るのは困難――普通なら。

 悪魔はまたしてもその場から瞬時に消え去る。

 そうして、近くの家屋の上に現れ、そこにいたハシュラへと剣を振り下ろす。

 転がるように回避したハシュラが地上、山となっていた瓦礫に落下してわずかな破壊音とともに砂埃をまきあげる。

「……ふむ、さすがは元勇者パーティの面々。そうたやすくは終わってくれませんか」

 血濡れた剣をじっと見つめていた悪魔がその剣を放り捨てる。虚空を舞う剣が石畳の上を転がって甲高い音を響かせる。


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