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8ぶつ切り大根サラダ~火竜の籠手風味~

 ネストが倒れた。

 それは最近ではもはやお決まりの光景で。

 けれどさすがのイレイナも、その原因が自分の料理にあることを察し始めていた。

 イレイナは味覚が狂っている。料理に関するあらゆるセンスが欠けているイレイナには、味見をする能力すら備わっていない。加えて、自分が作った料理によるダメージも受けてはいなかった。――料理を食べるだけでダメージを負うという異常に関する是非はさておき。

 ネストが倒れる理由が自分にあると察したイレイナだが、けれど料理をやめるという選択肢は持ち合わせてはいなかった。

 勇者パーティから追放されたこと自体は、すでにイレイナの中で決着がついていた。けれど料理の一つもできないという罵倒だけが、イレイナの中でぐるぐると回っていた。

 イレイナは別に、料理をできない奴は女じゃない、などという古臭い価値観を有しているわけではない。

 けれどそこで言い返すことができなかったという事実が、イレイナの心の中でしこりのように残り続けていた。

 まっとうな料理を作ることができていないということは、ネストを見ていればわかることで。

 ではどのようにまっとうな料理を作るか――イレイナはかつてなく脳を働かせた。

 そうして、イレイナはある結論を出した。

 すなわち、料理をするから料理ができないのではないか、ということだ。

 何を言っているのだと思うかもしれない。あるいはとうとう狂ったかと、イレイナの話を聞いたネストは遠い目をするかもしれない。

 けれどイレイナは大真面目だった。

 自分ができないのは料理のみなのだから。

 事実、イレイナは斥候に関しては天性のセンスと培った技量によって、勇者パーティに所属するに足る力を有していた。そこには当然、ドジっ子とも呼べないような壊滅的なセンスは介在しない。そう、料理とは違って斥候や戦闘においてはイレイナの不器用は発揮されないのだ。

 であれば、料理をしなければ料理が作れるのではないか――そうイレイナは考えた。

 考えて、イレイナは手洗いに籠るネストに一声かけて、さっそく街の外、魔物はびこるフィールドへと向かった。


 陽光降り注ぐ中、革鎧の中は熱で蒸れていた。金属鎧ではないため幾分かましではあったが、額を伝う汗はひどく戦闘の邪魔だった。

 飛び交う羽虫を手で振り払いながら、イレイナは森の中を突き進む。

 坂を駆け上がるイレイナだが、肩で息をすることはない。魔物を倒し続けて獲得した経験値は、イレイナの攻撃力や防御力だけではなく、持久力なども大幅に向上させていた。

 道なき道を疾走するイレイナは、もはや人外のレベルに足を踏み入れていたのだが、彼女にその自覚はなかった。

「……もう少し奥?」

 素早く周囲を見回すイレイナの目には、何人たりとも足を踏み入れた様子のない、静寂に満ちた森が広がっていた。空気は不思議と澄んでいて、楽しげな鳥の鳴き声が響く。獣はもちろん、魔物さえなりを潜めているような不思議な、どこか神聖さすら感じられる空間。

 その場所を、イレイナはためらうことなく歩いていく。

 そして、イレイナは目的のそれにたどり着いた。

 イレイナの目に映ったのは、鮮やかな緑の大きな双葉。大地から雄々しく伸びるそれを見て、イレイナは小さく舌なめずりをする。

 取り出したナイフを強く握り、振りぬく。

 ドッゴォォォォ――

 目にもとまらぬ速さで振りぬかれた腕が風をおこし、ナイフは大地を穿つ。土くれをまき散らしながら地中からはじき出されたのは、でっぷりとした白い巨体。

 その外見を端的に表現するならば、巨大な大根であった。

 マンドラゴラ。森の奥、魔物さえも入らない聖域にのみ生えるといわれるそれは、蘇生薬のような霊薬の材料の一つとして名高い。

 だが、そんな貴重な素材が貴重であるゆえんは、生えている場所が恐るべき魔物たちの住処の最奥であるということが一つ。

 そして何より、マンドラゴラの能力にあった。

 白い巨体。その表面にはゆがんだ顔があった。その眦が吊り上がり、口から大きく大気を吸い込み、

「ギィィィィィェェェェエエエエエエエエッ」

 絶叫が放たれた。

 それは耳にした者すべてを殺すという、天災の叫び。地面から引っこ抜かれたマンドラゴラが響かせる叫びから逃れるべく動物も魔物も、マンドラゴラには近づかない。万が一戦いの際にマンドラゴラを引っこ抜こうものなら、死は免れないのだから。

 そう、マンドラゴラの叫びによる死を避けることはできない――はずだった。

「うるさい!」

 天高く舞い上がったマンドラゴラをにらむイレイナは、表情をゆがめてはいたものの、絶叫を聞いて白目をむいて落ちていく野鳥とは違い、死の叫びに侵されることはなかった。

 それもそのはず、狂ったように経験値を積んだ今のイレイナにとって、のんきに眠るばかりであるマンドラゴラの攻撃などもはやそよ風に等しいのだから。

 耳に響く悲鳴への不快感に眉をひそめたイレイナは、体を低くして、ナイフを腰だめに構える。

 次の瞬間。空へと飛びあがったイレイナが目にもとまらぬ早業でナイフをふるうと、摩擦によって高熱を帯びたナイフが巨躯の大根をぶつ切りにした。

 続けざまに振るわれたナイフがマンドラゴラを一口サイズに切りそろえていき、降り注ぐそれを器用に皮袋にしまっていく。

 袋の中身を確認したイレイナは、にっこりと笑みを浮かべて森の奥、マンドラゴラを避けて生まれた聖域を後にするのだった。


「……ええと、もう一度聞いてもいいかな?これ、なんだって?」

「マンドラゴラよ。マンドラゴラ」

「……秘薬霊薬の素材の、あの?」

「そう。叫びを聞くと死ぬといわれるマンドラゴラ。うるさいだけだったけれどね」

 災厄と名高いマンドラゴラを採取に行ってきたとこともなげに宣言するイレイナに頭を抱え、さらにはそれが調理された様子で目の前の皿に盛られていることに、ネストはもういっぱいいっぱいだった。

「……まだ食べないの?」

 いつまでたっても食べる気配のないネストを見ながら、少しずつイレイナの顔が険をおびる。放たれる殺意は窓を揺らし、宿の屋根の上で歌っていた鳥たちが発狂して落ちていく。

「……食べる。食べるからその殺気やめて、ね?」

 スッ、と一瞬にして収まった殺気に冷や汗を流しつつ、ネストは改めて目の前の皿に盛られたマンドラゴラを見る。

 わずかに火を入れてあるからか、マンドラゴラはそのみずみずしさを失うことなく、さらにはまるで流水のごとき透明感を備えていた。

 その色はやや赤みを帯びた白。相変わらず切る際に血が付いたのかと、ネストはイレイナの手へと視線を向ける。今日は籠手を身に着けていないらしく、そこには傷一つないきれいな手があるばかりだった。

 手で仰いでにおいをかぐ。異臭はなし。外見も、異様な煙に包まれていたり、なぜかぼこぼこと気泡が生まれていたりすることもない。

「これは……いけるかな?」

「まだ?」

 再び鋭い気配を帯び始めたイレイナのにらみを受けて、ネストは覚悟と諦めを胸に、握るフォークを山に突き刺す。シャク、と軽い音とともにスライスされたマンドラゴラが刺さる。その感触にも異常はなかった。

 異常がないことが異常――そんなことを思いながら、ネストは顔の目の前に迫った料理をにらむ。

 走馬灯のように、ネストの脳裏を無数の料理の記憶がよぎる。絶望と狂気の記憶に体を震わせながら、ええいままよ、とネストはマンドラゴラを口の中に突っ込んで。

「…………………大根だ」

 しゃくり、しゃくりとかみしめながら、呆然と目を見開きつつつぶやいた。

 みずみずしい大根。少々土臭い気がするのは、たぶん赤色――血のせいだと思いながら、ネストは感動に体を震わせていた。

「マンドラゴラなんて大きな大根でしょ?ただちょっとうるさいだけの」

 そんなことを言いながら、イレイナは何でもないことのようにマンドラゴラのサラダに手を伸ばし、手づかみでそれを食べる。内心、満足のいく出来だったことを押し殺しながら。

 一つ、また一つと、ネストはマンドラゴラに手を伸ばす。霊薬のごとき力の奔流がネストの体に流れ込み、全身に凝っていた呪いのような気を――イレイナの料理による汚染を――洗い流していく。

 ほろりと、目を涙が伝った。それを乱雑な動きでぬぐい、ネストはイレイナの両手をとって、万感の思いで告げる。

「……卒業、卒業だよ。もう教えることは何もないよ。僕の料理指導はもう必要ないね」

 過去最大の解放感を胸に、すがすがしく告げる。もう死んでもかまわないと、そう言いたげなネストだったが、一方イレイナは少々不満げに唇を尖らせる。

「駄目よ。これは料理じゃないもの」

 その言葉に、ネストの思考が停止した。凍り付いたように表情筋が動きを止め、やがてギギギ、とさび付いた扉のような動きでその目がマンドラゴラを追う。

「……料理、だよね?」

 血の味もなく、炭になることもなく、ましてや未知の物体へと変化することもなかったマンドラゴラのサラダ。これを成功と呼ばずして何が料理だと、祈るような思いでネストはイレイナに尋ねる。

 だが、イレイナは静かに首を横に振る。

 ネストの顔が引きつる。その顔が、少しずつ青ざめていく。

「これは戦闘であって料理じゃないもの」

「ええと……どうやってこれを作った……倒したのか、聞いてもいいかな?」

「ナイフで地面から掘り出して、叫んだマンドラゴラを切り刻んだの。摩擦で熱を帯びたナイフで切ることで軽く火を入れることもできたの。それを袋に回収して終わり……料理じゃないでしょ?」

 その言葉に、ネストは肯定も否定もできなかった。開いた口がふさがらず、ただぽかんとイレイナを見つめていた。

 返事がないことに顔をゆがませたイレイナが苛立たしげにネストをにらむ。

「何?これは料理ではないでしょ?ただ戦いの戦利品ってだけで、要はその辺の木になっている果実をもいでそのまま出したようなものじゃない?」

「……す、すごい方法で倒したんだね?」

「すごくなんてない。ただ、そうすれば食べられると思ったから」

 少しだけ頬を赤く染めたイレイナが、恥ずかしそうに視線を逸らす。すごい、というただそれだけの言葉が照れ臭かったらしい。

 だがそんなイレイナのかわいらしさを堪能しているような余裕は、ネストにはなかった。

 腹を抱え、青ざめた顔に脂汗を浮かべるネストは、ところで、と話を変える。

「さっきからすごくお腹が痛いんだけどさ……」

 ネストの言葉を聞きながら、イレイナは不思議そうに首をかしげる。心当たりはまるでなかった。

「……そう。ところでマンドラゴラってうっすら赤いの?僕の知る個体は真っ白だったんだけど」

 そういわれて、イレイナははたと動きを止めてマンドラゴラを見る。スライスされ、軽く火を入れられたマンドラゴラの短冊は半透明の淡い赤。その赤に、イレイナは何かを思い出し、その場を立って、部屋に入るなり放り出した荷物のほうへと歩み寄る。

「その、ね。壊れちゃって」

 言いながらネストの前に差し出されたのは、どこか溶けたようになっている赤い籠手。それは二人がダンジョンで手に入れた、火竜の革が使われた「手加減の籠手」だった。

 ネストの視線が、溶けた籠手とマンドラゴラの間で行ったり来たりする。脂汗だか冷や汗だかわからないものはもはや滝のようにネストの頬を伝う。

 竜は、皮のみになろうとも気高い存在である。それは例えば、装備者を選び、不適合の烙印を押した相手が装備しようものなら呪いを持って対抗するほどに。

 そんな竜の革は、マンドラゴラによる生物を殺す呪いの叫びの影響を受け、溶け、マンドラゴラに付着した。

 そんな火竜の籠手風味のマンドラゴラを、ネストは食べた。体内に、取り込んだ。

 すなわち、装備した。

 さて、せいぜい超人止まりのネストを、火竜が所有者に認めるかどうか――それは、次第に強くなっていく腹痛が示していた。

「~~~~~~~~~ッ!?」

 声にならない悲鳴を上げたネストが厠に飛び込む。

 その後ろ姿を目で追って、イレイナは自分の失敗を悟って肩を落としたのだった。


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