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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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72ドラゴン肉

 また何もできなかった――そんな苦しみを抱えながら、スラシャは料理を作っていた。といっても、生まれも育ちも貴族、蝶よ花よと育てられたスラシャの料理の腕前など推して知るべしといったところだ。

 ベルコットに求められるままに、危なっかしい手つきで具材を切り、火の番をするくらいしかできない。

 煮える鍋の中ではぐつぐつとお湯が沸いている。湯気に乗って立ち上る香りは香辛料のもの。水で戻した干し肉の不味さをごまかすためのそれは、けれどひどく食欲を誘う。たくさんの根菜が入ってゴロゴロとしたスープの底のほうからかき混ぜで焦げ付かないようにする。

 スラシャの横ではベルコットが巧みな包丁さばきを披露している。イレイナがまな板代わりに用意した木の板の上にのっているのは大きな塊肉。イヴィルドラゴンの腿肉は、当然まな板の上に乗りきるような大きさではない。そのごく一部であってもまな板を埋め尽くしているそれから、ベルコットは素早く薄切り肉を量産していく。

 一部は角切りにして串にさしてアレインとネストに任せる。ちなみにイレイナは料理に触れることを禁止されていた。さすがにこうも連戦が続いてはこれ以上イレイナの料理にツッコミを入れる気力はなかった。ネストとベルコットに頼み込まれて、イレイナはしぶしぶ料理をあきらめた。

 代わりに、先ほどから薪の回収を続けている。料理にかかわれないストレスを発散するように乾いた枝を全力で拾い集めてくるせいで、すでにかまどの横にはスラシャの背丈ほどもある薪の山が出来上がっていた。

 崩れてこないか不安になりつつも、スラシャは現れたり消えたりするイレイナにちらちらと視線を送る。驚くべきことに、高速で移動するイレイナは少しの土煙も上げていない。行ったり来たりを繰り返す彼女は、静かに、チリ一つ舞い上がらせることなく動く。

 土が混じるまだら模様の雪原の端、地肌が露出したそこで料理を続けるスラシャは、ふと自分を呼ぶ声が聞こえた気がして顔を上げる。

「スラシャお嬢様~!」

 大きく手を振りながら、騎士服姿の青年が走り寄ってくる。新雪の中をずんずんと進む彼は、真っ白な息を吐きながらスラシャの前にたどりつき、く瑠璃と背後を振り向く。

「お嬢様がご帰還なさったぞー!!」

 鼓膜が破れそうな大声に、スラシャは慌てて耳を抑える。こだまする声はそのうちに新雪に飲まれて途絶える。けれど、その声は確かに遠く、彼の仲間に届いた。

 ここはライオネス領都の前。魔物の襲撃によって半壊してもなお、そこはライオネス領の中で一番の町である。領主であるライオネス侯爵はもちろん、スラシャもこの町に住んでいた。――魔物に追われて気づけば大陸中東部にいたあの日までは。

「……」

 呆然と顔なじみの騎士を見ていたスラシャに、複数の声が届く。ドドドド、と大地が震動するような音とともに、町のほうから複数の人影が近づいてくる。それは、もはや人の津波のようだった。

 軽く三桁に届きそうな老若男女が、目に歓喜を宿してスラシャに走り寄る。

 その先頭を走っていた男――スラシャの父であるライオネス侯爵は、煮炊きの真っ最中であるスラシャの目の前で急ブレーキをかけて、勢いよく彼女に抱き着いた。

「無事で……よかったッ」

 万感の思いのこもった声とともに、もう離さないとばかりに抱きしめられる。お玉代わりの木片を握ったまま、スラシャは呆然と抱きしめられていた。その鼻に香る父が好んでいた香水の匂いに、スラシャはゆるゆると胸元から顔を上げ、のぞき込むように父の顔を見る。

「……お父様?」

「ああ、私だ。スラシャよ、わが娘よ。よくぞ無事でいてくれた……っ」

 男泣きしながら、彼はただただ娘の帰還を喜んだ。あきらめていたはずのスラシャの生還を分かち合い、騎士たちも、文官も、町の市民も、この場にたどり着いた皆が皆、心から祝福の言葉を送った。

「……人気者ね」

「そうだね。これほどに平民の間で慕われている貴族は見たことないなぁ」

 スラシャたちを取り囲んで涙ぐむ町の人々を見ながら、イレイナとネストはしみじみとつぶやいた。


 住民たちはひとしきスラシャの無事を祝い、それからすぐそばで倒れているドラゴンに驚き、ドラゴンが倒されたという事実に驚愕し、グリフォンの存在に動揺し、ドラゴン肉をふるまうというイレイナの宣言に沸き立った。

 気力が充溢した叫び声に反応した町の住民が、次から次へと町から出てきてイレイナたちのほうへと近づいてくる。

 魔族による強襲と町の半壊、勇者の愚行、ドラゴンの襲来。絶望の中で家の中に閉じこもっていた人たちの間に希望が伝播していく。笑みの輪が広がっていく。

 ベルコットに並んで、町の女性たちがドラゴン肉の調理を始める。

 男たちはかまどを追加でいくつも用意し、イレイナが山ほど集めてきた薪を使って肉を焼いていく。

 肉の量に対して香草も塩も全く足りていなくて、さらには町の常備も底をつきかけていた。それでも、火であぶられるドラゴン肉からは言葉も失うほどの豊潤な香りが立ち上がる。甘い油が焼ける匂いに、誰かのおなかが鳴る。

「焼けましたよ!」

 目じりににじむ涙をぬぐって、スラシャが器に山のようによそった串肉を近くにいた騎士に手渡す。そうして、ドラゴン肉食い倒れパーティーが始まった。

 早々に住民に料理を任せることになり、最初から戦力外だったイレイナはもちろん、ネストたちも運ばれてくる料理に舌鼓を打つ。グリフォンもまた、イレイナのそばでかつがつとドラゴン肉をむさぼっていた。

 ドラゴン肉はまるで雪の下で完璧に熟成でもされていたように強いうまみを持っていた。かみしめれば甘い肉汁があふれる。近く、ドラゴンのブレスによって吹き飛ばされていた香りづけに使われる樹木の生木を使うことで、ドラゴン肉の串焼きはさらに一段おいしさが跳ね上がった。

 冷たい岩の上に腰を下ろしてむさぼるように食べていたイレイナは指について肉の油を舐めとり、ほう、と熱い息を吐いた。

「すごく体に力が満ちてない?」

「……本当だ。もう一歩も動きたくないと思ってたのに、体はすごく軽いね」

 イレイナの言葉に改めて自分の体を確認したネストは、疲労がすっかり消えた状況に目を見張る。それは明らかにドラゴン肉の効果だった。

「そういえば竜神の肉を食べた時もすごく体に力が満ちていたわ」

「僕はそうでもなかったかな……多分イレイナが料理をしたからだね」

 竜神を踊り食いしたことを思い出して語るイレイナにネストはひきつった笑みを返す。竜神の戦いの顛末に驚愕したことがひどく懐かしかった。

 強い風が吹いて、イレイナがコートの前を掻き抱く。冬用の外套も用意してあったが、連戦に次ぐ連戦で荷物のほとんどを失ってしまったため、今イレイナが来ているものは住民から譲り受けたものだった。高級な冬狐(ホワイトフォックス)という魔物の真っ白な毛皮を使った高価な代物。当然、値段相応に暖かい。

 それでも、ドラゴン肉の譲渡を思えば安いものだった。

「ドラゴンの素材を使えば……」

 ぶつぶつと何かをつぶやき始めたイレイナが、岩から腰を上げて解体中のドラゴンのほうへと歩き出す。

 多分料理をするつもりだ――そう思いながらも、ネストは何も言わずにイレイナを見送った。

 確かに体は回復していて、疲労はすっかり吹き飛んでいた。けれど、だからといって精神的な疲れがなくなったわけではない。動く気力がなくて、ネストはその場に座ったまま舞い落ちる雪をぼんやりと眺めた。

「……止めなくてよかったんですか?」

「いいよ。ほかの人に迷惑が掛からない範囲だったら構わないよ」

「迷惑にならないと思います?」

 ベルコットに言われて、ネストはひどく遠い目をする。何しろ、その言葉と同時にドラゴンの死体のほうから悲鳴が聞こえてきたから。

 見たくない、見たくないと思っているのに、ネストの視界に極彩色の煙が飛び込んでくる。雪の後ろ、空へと立ち上る色鮮やかな煙の先には、当然のことながら料理をしようとして解体されたドラゴンの骨に触れるイレイナの姿があった。

 ドラゴンの巨体を支える頑丈な骨は、けれどなぜか液状化してゲルのようになって雪の上をうごめいていた。その表面に泡が浮かび、そこからカラフルな煙が噴き出していた。

 何も言わずに眺めているネストの視界が、茜色に染まる。雲の切れ間から顔をのぞかせた夕日を反射する雪がひどく幻想的だった。

「……長い一日だってね。アダマンゴーレムと戦って、カースゴーレムを倒して、そのあとにドラゴンとも戦って……もう一生分戦った気がするよ」

「私もですよ。本当に、疲れました」

 言いながら、けれどベルコットは気力を振り絞って立ち上がってネストの隣に座って、その体にもたれかかる。細いけれどがっしりとしたネストの体は、軽く体重を預けられてもびくともしない。

 コートのフードをかぶり、うつむいて顔を隠したベルコットはそっとネストの袖をつまむ。ネストは何も言わず、きらめく茜の大地に目を細める。

 太陽が雲の向こうに消え、世界は瞬く間に薄暗く染まる。ひらひらと舞い落ちる雪を眺めながら、ネストもベルコットも、何も言わずに互いの体温を感じていた。


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