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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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70ドラゴン

 はらりと、視界の端を白いものがちらつく。

 見上げる空は分厚い雲に覆われており、舞い落ちる白は風に揺られて花弁のように運ばれている。

「……雪」

 鞍の上、グリフォンの毛をつかんでいた片手を離して、イレイナは手を伸ばす。騎乗者を守るグリフォンの風の魔法の範囲外に伸びた手に強風が吹き付け、冷たい雪が手のひらに触れる。

 見下ろせば、下の森はすっかり雪化粧をしていた。

 魔王は大陸の北部一帯を支配しているが、一概に北といってもその気候には差が大きい。イレイナたちが堕ちた精霊やカースゴーレムと戦っていたのは大陸北西部。乾いた荒野が広がるばかりのその土地はやせていて、それ故にもとより国らしい国の存在しない土地だった。

 荒野に生えるわずかな牧草地帯を頼りに移動して暮らす遊牧民族が生活をしていたその土地は、北にしては気温が高く、年中乾燥しているために雪が降ることはほとんどない。

 一方、大陸北東部は東から吹く湿った海風が東西を隔てるように立ちはだかる霊峰にぶつかり、雲となり、一年を通して比較的降水量・降雪量が多くなっている。

 大陸中央にそびえる霊峰は、霊峰といっても今ではただの山脈になっている。かつては神聖な土地とされてきた霊峰は、ドラゴン同士の戦いによって砕け、今では雲に頭頂部を飲まれる霊峰の姿はない。

 息吹(ブレス)や魔法によって破壊された霊峰山脈はなだらかな山に変わり、再び生えそろった木々は雪を降り積もらせて不香の花を咲かせていた。

 大気を踏みしめるように走るグリフォンが小さく嘶く。その先、はるか遠くの空に豆粒ほどの影が見えた。目を細めてその姿を眺めたイレイナの耳に、悲鳴のようなグリフォンの声が届く。

「……ああ、ごめんなさい」

 気づけばグリフォンの毛を引きちぎるほどの力で握っていた。そのことを認識したイレイナは慌てて手の力を弱め、詫びるようにグリフォンの毛皮をそっと撫でた。しっとりとしたその毛は、顔をうずめれば太陽のにおいがする。体を覆う純白の毛は、雪が舞い散る世界にあっても温かい。

 そのぬくもりを感じながら、イレイナは近づいてくるそれの姿に警戒心を強める。

 大きな翼をはためかせるそれは、ドラゴン。最強の幻獣として知られるドラゴンは、グリフォンでは到底手の届かないような高みに存在する。

 優れた個体は人語を解し、魔法によって空気を震わせることで会話も可能である。また、一部のドラゴンは人間に化けて人類社会に紛れ込んでいることもあるという。中でも酒造で知られる町などでは、時々異様な気配を放っている怪しい人の存在が目撃されることがあり、それが魔法で姿を変えたドラゴンではないかとささやかれている。

 ドラゴンによっては人に化けることが可能であるというのは、よく知られた話だった。実際、過去に竜神を信奉していた竜人は、人の姿になったドラゴンと人の間に生まれた種族であったという。種族を超えて子どもを作ることができるくらいには、ドラゴンは通常の生物の枠組みを突き抜けた存在であるということだ。

 そんなドラゴンの接近に、イレイナは腰に差したナイフの柄に手を添える。グリフォンは進路を変えない。何しろ、もう目的地が見えていた。

 近づいてくるほどに、ドラゴンの大きさがあらわになる。以前戦った竜神ほどではないが、その体は、両翼の先から先までで軽く五十メートルに届きそうだった。蛇のような姿をしていた竜神とは違い、そのドラゴンは世間一般に語られるドラゴンらしいドラゴンの姿をしていた。

 黒いうろこに覆われた、ややずんぐりとした体。太い脚と長い尻尾、小さめの腕。手足には鋭いかぎ爪が伸び、口には鋭利な牙が生えそろっている。頭部にはやや捻じ曲がった二本の白い角。血を凝縮したように赤い目に、真っ黒な翼。ドラゴンの色は魔法の適性を表している。ドラゴンは魔法の化身とも呼ばれ、基本的に個体によってただ一つの属性の魔法を使うが、その魔法の威力は計り知れない。

 黒いドラゴン――ブラックドラゴンが使う魔法は、闇。それは、攻防一体の最高の魔法と呼ばれるもの。

 力強く羽ばたくドラゴンを前に、イレイナたちは町へと下降を始める。

 黒いドラゴンが近づいてくる。その目が、イレイナたちを捉える。赤い目。それに、イレイナは心臓をわしづかみにされたような感覚を覚えた。

 竜神との戦いが脳裏をよぎる。

 瞬間、イレイナは全力でナイフを投げていた。

 黒いドラゴンが大きく息を吸い込む。攻撃――放たれるそれは、ドラゴンの最高の一撃。

 すべてを燃やし尽くすブレスが、イレイナたちへと放たれようとして。

 その時、風を切り裂いて飛ぶナイフがドラゴンの固めに吸い込まれるように突き刺さった。

 絶叫を上げるドラゴンが空中で激しく身をよじる。開かれた口からあふれる漆黒のブレスが空を焼き裂く。ブレスによって貫かれた雲の切れ間、一筋の線の先に灰色の空が見える。

「……滅茶苦茶ね」

 わずかな冷や汗をにじませながら、イレイナはグリフォンに町からやや外れた草原へと着陸させる。籠の中から飛び出したネストは新雪を踏みしめ、険しい顔で上空にて暴れるドラゴンをにらむ。

「……明らかに突然攻撃してきたよね?」

「敵意を持っているみたい。……多分だけれど、あれも魔王の支配下にあるんじゃない?」

 魔王の支配下にある――なんてことないように告げられた言葉に、スラシャたちが背筋を伸ばし、恐々とした顔で上空のドラゴンへと視線を送る。

 最強の生物。最高の幻獣。そんなものが魔王に操られようものなら人類に勝利はない。

 その可能性は、実のところ精霊エルフィードによって既にもたらされていた。

 世界特攻とでも呼ぶべき魔王の力。それは世界の化身である精霊や、世界と深いかかわりを持つドラゴンたちにとって天敵に等しいものだった。

 そして、精霊の一体は魔王に操られていた。誇り高い幻獣が、世界を魔王に支配されている状況に甘んじるはずがない。特に北の大地に巣を持っていたドラゴンは魔王に牙をむいただろう。

 けれど、ドラゴンは魔王に勝てなかった。だから、今も人類は魔王という危機に直面している。

 では、北の大地にいた、魔王に勝負を挑んだであろうドラゴンはどうなったのか?ただ魔王に殺されたのか――精霊が支配されていた時点で、答えはわかっていた。

 魔王は、ドラゴンをも配下に加えている。これまでは目撃情報のなかった、魔王軍のドラゴン。それが、このタイミングでイレイナたちの前に立ちはだかる。

 このタイミングに何かの意味があるのか――そんなことを考えている余裕はなかった。瞳に怒りの炎を燃やすドラゴンが口の端から漆黒の炎をちらつかせる。二度目の攻撃のために、胸いっぱいに空気を吸い込む。そのブレスが直撃すれば終わり。だが、ドラゴンとの間には距離がありすぎる。

 イレイナが全力で投擲したナイフは、軽く回避される。最初ころ油断していて傷を負ったが、これだけの距離があいていればドラゴンがイレイナの遠距離攻撃を食らうことはなかった。

「ネストたちは避難して!」

 言いながら、イレイナはグリフォンと籠をつなぐロープを切り落とし、すぐさま空へと飛びあがる。グリフォンの首元を軽くなでながら告げる。

「お願い」

『グルァッ』

 任せろと、そんな力強い言葉を聞いて、イレイナは少しだけ方の力を抜く。

「……それじゃあ、行こう」

 空をつかんで疾走するグリフォンの背に乗って、イレイナは一直線にドラゴンへと進んだ。


 小さくなっていくイレイナの背中を、ネストは強く奥歯をかみしめながら見つめていた。

 籠から出るころには、すでにイレイナはグリフォンに騎乗して空を駆けていた。ネストたちは、置いて行かれた。

 足手まといだと、そう言われたわけではない。今のネストは、イレイナが立つ頂に半歩は足をかけているつもりだった。

 自分も役に立てる――そう言いたくて、けれどグリフォンに乗せてもらえない状況ではどうしようもない。

 また、イレイナは一人で戦っている――守られるばかりの自分が情けなくて、悔しくて、ネストは己への怒りに肩を震わせる。

「ネストさん、早く移動しますよ!」

 焦燥をにじませるベルコットの声に我に返る。

 ネストはここにいる。そして、ベルコットたちもここにいる。

 空中戦を始めたイレイナはグリフォンの巧みな移動によってドラゴンのブレスを回避し続けている。けれどその余波がいつ地上に向くかもわからない。

 自分がすべきことは何か――ベルコットたちを、守ることだ。

 自問自答を終え、ネストは気持ちを切り替えるように強く頬を叩く。バシンという強い音とともに、ひりひりとした痛みが襲う。

「……何やってるんですか」

 両頬に紅葉を作りやや涙目になっているネストを、ベルコットは呆れた目で見つめる。百年の恋も冷めるというほどではないが、その様子はあまりにも間抜けだった。

「ちょっと気合を入れていただけだよ。……行こう。イレイナの足を引っ張るのだけは御免だからね」

 その言葉に強く同意を示すベルコットたちとともに、ネストは町のほうへと移動を開始した。もし町に向かってドラゴンの攻撃が放たれるとしたら、その時はこの身を挺して守って見せると、そんな覚悟を胸に宿して。


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