56勇者と追放者
ザワークラウトに飲まれて戦意を失ったレオニードたちは身を清め、改めてイレイナたちと拠点で向かい合っていた。一触即発の空気をまき散らす両者の交渉は全く進まない。それも当然のことだった。
レオニードは「自分が勇者だから」という理由で無償で聖剣を求めた。
ネストはそれをただ拒否する。さすがのネストも、落ちぶれたレオニードに「聖剣はイレイナの料理のために失われた」と告げるのは良心がとがめた。
レオニードからしてみれば、ネストは勇者である自分に聖剣をささげようとしない屑であり、さらには見目のいい女性を仲間にそろえた気に食わない相手だった。
特に、イレイナとスラシャがネスト側にいるという事実がレオニードの神経を逆なでする。
ダン、とローテーブルを蹴り上げる。一直線に飛んだテーブルが天井にたたきつけられ、砕けた破片が舞い落ちる。
「ふざけてんじゃねぇぞ。俺は勇者だ。勇者に聖剣をささげるなんてのは当たり前だろ。盗人のお前らが所有してんじゃねぇぞ」
「盗人?対価もなしに奪おうとするレオニードが僕たちにそんなことを言うなんて、盗人猛々しいね」
「俺をお前みたいなゴミと一緒にするな」
「僕のほうも、今のレオニードと一緒にはされたくないね」
にらみ合う二人は平行線を行く。やがて、あきらめたようにため息を漏らしたネストはどっかりとソファに体重を預ける。
レオニードを気遣う思いはもうすっかり消えていた。
「まあいいや……レオニードだってわかってるんでしょ?現実から目をそらすのはやめたら?」
「さっさと聖剣をよこせ」
「聖剣ならそこにあるでしょ。正確には、聖剣だったオリハルコン、だけれど」
自分の隣に座るイレイナの膝の上にザワークラウトの瓶へと視線を向ける。瓶を覆う緊迫がオリハルコンだと、レオニードは認めない。認められない。それほど純度が高いオリハルコンがそう転がっているはずがなく、状況から言ってもそのホイルが聖剣の成れの果てであることは確実で。
けれど認めてしまえば、レオニードが望んだ「最強の勇者の相棒」である聖剣はもうこの世になくて、手に入ることはないのだと突きつけられることになる。
聖剣を手に入れられない――そんなことはあってはならないと、レオニードは心を燃やす。
勇者には聖剣が必要だ。聖剣を失った自分に、聖剣がささげられなければならない。きっとネストたちは聖剣を隠している。このオリハルコンは聖剣とは別の何かを鋳溶かしたものだ――。
「いいでしょ、聖剣を鋳溶かして作ったオリハルコンホイル。すごく優秀なの」
レオニードの自己暗示を叩き壊すように、イレイナがどこか誇らしげに告げる。
ネストは額に手を当てて天井を仰ぎ、レオニードは顔を憤怒に染める。
「……嘘だ」
「こんなところで嘘をついてどうするの?」
「聖剣だぞ?しかも、ゴールディーの、オリハルコン含有率が非常に高い奴だろ。そんな聖剣をつぶすなんて、ありえない」
「現にこうしてホイルになってる」
「そんなもん、ありえねぇんだよ!そんなことはありえないッ」
爪を噛み、ありえないと連呼するレオニードは視線を虚空にさまよわせ、それから勢いよく立ち上がる。
「そうか、俺に聖剣を渡したくないから嘘をついているんだな?この部屋以外に入らせようとしなかったのも、聖剣を見つけられたくないからだな?……そんなの、許されるはずがないだろうがッ」
支離滅裂な思考の果てに、レオニードはおもむろに剣を抜き放った。とっさにネストが止めに入ろうとするも、それよりもレオニードが全力で剣をふるう方が早かった。
斬撃が飛び、家屋が斜めに両断される。崩落を始めた二階部分に、ベルコットやスラシャが慌てて非難を始める。
イレイナはただじっと、無機質な瞳でレオニードを見つめていた。それが余裕の表れであるように感じ、一層レオニードはいら立つ。
「イレイナごときが俺にそんな目を向けてんじゃねぇ。俺は勇者だぞ、俺こそが最強だッ」
癇癪のように剣が振りぬかれ、剣圧が家屋に悲鳴をあげさせ、崩壊が早まる。
頭上から降ってきた木片をはじきながら、ネストは拠点を破壊された憤怒をレオニードにたたきつける。
アーリシアとヒストリカもまた、ネストとイレイナに殺気を叩きつける。
「……そっか」
虚空を見上げながら、イレイナがポツリと告げる。まるで誰かを会話をしているようなその反応に、「やっぱり狂っていたか」とレオニードは考えて。
「エルフィード。レオニードはもう、本当に敵でいいんだね?」
『ああ、それは敵だ。心に悪魔を宿した勇者が世界を救えるはずがない』
樹木を経由してイレイナと精神的なパスをつないでいた精霊エルフィードが、レオニードにそう判決を下す。
レオニードは、最初はただ認められたいだけだった。偉大な先代と比較されるのが嫌で、苦しい訓練を乗り越えて強くなった自分自身を見てほしいと、ただそれだけを望んでいた。
それでも、人々はレオニードをただ、先代に劣る勇者としか見なかった。勇者様と呼んで頼りながら、その裏で先代であればもっと、と不平を漏らしていた。
そんな日々が、救われる側の心無い言葉が、少しずつレオニードを壊していった。
もし、レオニードがネストとイレイナと行動を共にしていたら違ったかもしれなかった。幼馴染という対等な関係の二人だけが、レオニードをレオニードとして見ていた。そんなストッパーを、けれどレオニードはいつからか鬱陶しく思うようになっていた。イエスマンである少女ばかりとパーティに集めようとした。
ネストが離脱し、イレイナを追放し、とうとう自分に忠実な者しかいない自分の王国で、レオニードはその心の悪性を増幅させていった。
決定的だったのは、悪魔のささやきだった。悪魔の力によって心を歪められたレオニードは、もう改心することはない。膨れ上がった商人欲求はおぞましい怪物となりはて、勇者である自分の考え意外と理解できなくなった。
そんなレオニードは、もう人類を救う英雄である勇者などではなかった。
引導を渡せと、そうエルフィードは告げる。世界を救うために、早く勇者の職業を次の者に移すべきだと、そう叫ぶ。
その声を聴きながら、少しだけ目を閉じてイレイナは過去を懐かしむ。
かつて、小さな辺境の村で過ごした日々のこと。レオニードがいて、ネストがいて、イレイナがいて、他にも少し年の離れた子どもたちがいて、両親や祖父母がいて、気の置けない村人たちがいた。
温かな日常がそこにあった。比較的魔物が少ない地域で、魔王軍の侵攻の中でも牧歌的な平和な日常を送ることができていた。
輝いていた日々、その日々はもう戻らない。守りたいと思った日常を抜け出したその旅の果てに、レオニードは元に戻るための道を失った。
それでも、もしレオニードのこれまでの努力が認められるなら――
「敵なら、仕方がない」
小さくつぶやいたイレイナの姿が、ソファの上から消える。
次の瞬間、レオニードの目にもとまらぬ速さで懐にもぐりこんだイレイナが、その拳をレオニードのみぞおちに叩き込んだ。
激しい衝撃に内臓が悲鳴を上げ、吐しゃ物がのどからこみ上げる。視界がちかちかと摩耗し、一瞬体の感覚が飛ぶ。
空中を舞い、背後の壁を突き破ったレオニードは、そのまま十メートルほど地面を転がって静止した。
(何が起きたッ!?)
混乱の境地にあるレオニードだったが、勇者としての戦いの日々がレオニードを立ち上がらせる。
あふれた血が混じった吐しゃ物を吐き捨て、ふらつきながら剣を探す。けれど、先ほどの一撃の時に剣を手放してしまっていて、今のレオニードは得物を持っていなかった。
クソが、と心の中で己を叱咤して、レオニードは穴の先をにらみ。
その視界、目の前に、まるで瞬間移動でもしたようにイレイナの姿が見えた。
握りこまれた拳が、顔に迫る。とっさに反応しようとするが、先ほどの一撃のダメージが体に残っていて、震える足では素早い動きはできなかった。
間に合わない――焦るレオニードの視界に、真横から剣が割り込む。
イレイナの拳が大剣に叩き込まれ、そして、これまでヒストリカの相棒として戦線を支えてきたその剣は、たった一撃で砕け散った。
飛び散る金属片に頬を切り裂かれながら、レオニードは目を離すこともできずにイレイナを見続ける。
一瞬の攻防。互いに振るわれた拳は五発、蹴りが二発、肘撃ちが三発。その果てに、アーリシアは顎に強烈な一撃をもらい、天高くへと打ち上げられた。
「――パーフェクトヒール」
アーリシアの回復魔法がレオニードを癒す。急速に体に活量が戻り、レオニードは怒りのままに強く握りしめた拳でイレイナへと襲い掛かって。
足が払われ、視界が百八十度反転する。逆さになった世界、スローモーションになったそこで、イレイナの拳が迫るさまを見た。
「な、めるなぁぁぁぁぁッ」
とっさにイレイナの拳を手ではじき、軌道をそらして。
イレイナのつま先がレオニードのこめかみに突き刺さり、回転しながら空中を舞う。
そこへ、無数の連撃が叩き込まれる。それでも、レオニードはまだ生きていた。それはひとえに、イレイナがレオニードの無力化を主軸に攻撃をしていたから。
手加減されていると、そうわかるほどに二人の間には技量の差があった。防御することもままならない。
「悪いんだけど、これ以上手を出さないで」
「くッ」
レオニードの回復魔法を続けていたアーリシアへとネストが襲い掛かる。イレイナのように徒手空拳というわけではなく、竜滅剣を出しての本気の攻撃。鈍器のように振るわれた竜滅剣の腹がアーリシアの胴体を叩き、くの時に折れ曲がったその体が吹き飛ぶ。
バキバキと、骨がいくつも折れる音がして。その痛みにアーリシアは意識を失った。
そのままネストが立ち上がろうともがくヒストリカを無力化したころには、レオニードは完全に地面に沈んでいた。
「……幼馴染として、私が引導を渡してあげる」
「っざけるな!何が、引導だ!俺は勇者だ。俺が勇者だ。ひざまずけよ、わびろよ。俺は、勇者なんだ、俺は最強なんだ、俺が、俺がこんな――」
視界に影が落ちる。振り上げられたイレイナの足が、レオニードの頭を踏みつぶして。
そうして、レオニードは意識を失った。
ぼろ雑巾になって大地を転がるレオニードを、イレイナはどこか冷めた、けれど悲しそうな目でじっと見つめていた。




