6手加減のスマッシュポテト
アンジェラは元シーフ。斥候として勇者パーティで活躍していた彼女は、その天性のセンスを持って勇者たちを阻む罠や奇襲を看破してみせた。
アンジェラの仕事は罠や敵の発見、罠解除、避けタンクとしての立ち回りがほとんど。それゆえに、アンジェラは自らの手で魔物を斃すということがほとんどなかった。
この世界では、魔物を斃した者が、魔物の体に宿っていた命を吸収して強くなることができる。具体的には肉体に大きな変化はないのに筋力が異様に増したり、魔力量が増えたり、痴情のもつれによりナイフで襲われても刃物が素肌を傷つけない防御力を手に入れることができたりする。ゆえにきちんとした冒険者パーティでは治癒師などにも積極的に魔物を討伐させ、回復魔法などに必要な魔力量の上昇を図る。
だが、天然を地で行くイレイナは勇者の露骨な誘いをのらりくらりと躱しており、そのことに八つ当たりした勇者は、特にネストがパーティを出て行ってからイレイナに魔物を斃させなかった。そのため、斥候としての技量や身のこなしこそ成長したが、イレイナは未だに超人レベルの身体技能や魔力を持つには至っていなかった。
最も、その天然さのお陰でイレイナが「勇者の女」にならなかった点は、ネストにとってこの上ない喜びだった。――天然イレイナを心配しなかったために、ネストは気兼ねなく勇者パーティを離れることができたともいう。何しろ、傲慢を地で行く勇者であれば、きっと思うようにならないイレイナを追放するとネストは予想していたから。
それはともかく、魔物を斃して経験値を得ることがほとんどなかったため、イレイナの肉体性能は低い。だからスマッシャーで叩けば手に傷ができて血が飛び散ることになる。
ここで天然イレイナが考えたのは単純明快。すなわち「スマッシャーで手を叩いても血が出ないほど強くなれれば料理が上達する」と。
「……ええ?」
呆然とつぶやくネストの視界では、魔物たちの集団相手に無双するイレイナの姿があった。
薄暗い洞窟のように見えるここはダンジョンと呼ばれる不思議な空間である。大地にぽっかりと開いた穴の先は、歪んだ空間が広がる魔物の巣窟。そこに足を踏み入れてから早一週間。イレイナは破竹の勢いで魔物の討伐を進めていた。
料理人に転職したとはいえ、イレイナの斥候技能が失われた訳ではない。長年の経験をもとに魔物に奇襲を仕掛けて一撃必殺で敵を葬るイレイナの姿は、さながら仕事人。複数体が押し寄せれば避けタンクとして培った視線誘導などを駆使して確実に隙を作って敵の数を減らしていた――が、そんな技巧溢れる戦いは三日ほどで終わった。
無数の魔物を斃し続けたイレイナは、そのうちに奇襲をすることなく真正面から魔物たちの集団に突っ込むようになった。喧嘩殺法のごとく四肢とナイフを使って身体能力が急上昇した肉体を駆使して魔物を駆逐する姿を見せる。
血を浴びて凶悪な笑みを浮かべるイレイナの方がネストよりもよほど狂戦士じみていた。
そうしてイレイナも満足できるほどに身体能力が上昇したのは、ダンジョンに入って一週間ほどした頃のことだった。
「そろそろいいかな」
「……もう気は済んだの?」
ようやく止まったかと、ネストは頬についた血を拭うイレイナを見ながら安堵の息をもらした。経験値が獲得できないから下がっていてと言われ、魔物に突っ込んでいくイレイナをはらはらと見守るしかなかったネストの精神的疲労は著しかった。
「これで手を怪我することなく料理ができるんじゃない?」
嬉しそうに告げるイレイナを見て、ネストはのどまでこみ上げた言葉をぐっと飲み込んだ。
入り組んだ迷宮のような洞窟の一角。突き当りの袋小路に腰を下ろしたイレイナは、さっそくとばかりにネストに料理の補助を提案する。
ため息のあと、ネストは無心で料理を始める。
食材は道中でイレイナが斃した魔物の肉。それから、ダンジョンに生えている食用の苔やキノコ。それらを魔法によって生み出した水で洗い、イレイナに手渡す。
イレイナはまな板代わりの石、ナイフを受け取っていそいそと食材を切り始め――スパン、とナイフが皮膚を切り裂き、一瞬にして食材が血でぬれる。
「……え?」
おかしいと、と視線で問うイレイナに、ネストは暗い顔で頭を振る。
「経験値を稼いだら、防御力はもちろん、攻撃力だって上がるんだよ」
見落としを告げられ、イレイナは零れ落ちんばかりに目を見開いた。
確かに魔物を斃して経験値を稼いで身体能力を上昇させれば防御力は増す。けれど同時に、攻撃力だって上昇するのだ。行きずりの一般市民の包丁が皮膚を切り裂くことがなくとも、魔物を討伐して攻撃力が増した者の攻撃は肌を切り裂きうる。
攻撃力の増したイレイナの攻撃は、上昇したイレイナの防御力を貫通した。
「それじゃあ、全部無駄だった?」
「まあ強くなれたこと自体に意味は――」
――あったんじゃない、とそう言おうとしたネストの視界の中、イレイナの手に握られていたキノコが一瞬にして握りつぶされた。めりょ、とおかしな音を響かせたそれは、イレイナがゆっくりと手を開けば、まるで木片のような固い音を響かせてまな板代わりの石の上を転がった。
突然急上昇した攻撃力――あるいは筋力――は明らかに制御できていなかった。
これでさらに料理スキルアップは遠のいたかもしれない――そうネストが思った、その時。
息を吐いたイレイナが袋小路の壁に背を凭れれば、壁からカチリという硬質な音が響いた。
「ッ!」
瞬時に立ち上がって戦闘態勢を整えたイレイナたちの視界の先。ただの壁だったはずの石が動き、その先に薄暗い小部屋が現れた。
「こんなところに秘密通路があるなんて……気づかなかった」
斥候としての技量不足を痛感して唇を噛みしめたイレイナは、自分の技量を上回る隠蔽度合いの罠がある可能性も考慮し、慎重に部屋へと踏み入った。
長年誰も入っていなかっただろうに埃一つないその部屋は、ほとんど何もなかった。
唯一、一辺三メートルほどの小部屋の中央には、ただ一つ宝箱が置かれていた。
顔を見合わせたイレイナたちは、罠があるか確認し、さっそく宝箱を開く。
「……籠手?」
中から出てきたのはイレイナのつぶやきの通り、燃えるように赤い色をした皮製の籠手だった。
帰還した二人は冒険者組合に鑑定を依頼し、その結果、籠手は正式には「手加減の籠手」というものであることが判明した。
籠手を装備した者の攻撃力を下げることで相手を生きたまま捕獲することを目的としているというそれは、けれどゴミに等しいものだった。何しろ、こんなものを身に着けずとも、戦い方を工夫すれば敵の生け捕りなど容易い。火竜の皮などという貴重な素材がしょうもない機能を発揮させるために使われているという事実に、鑑定結果を告げる組合職員は苦笑するばかりだった。
何より竜種は、たとえ素材になっても扱い辛いものであった。自分を装備するに足るもの以外が装備しようとした場合、その者を呪うのだという。
けれどその一方、イレイナはこれでもと目を輝かせ、嬉しそうに手加減の籠手を受け取った。装備したイレイナに、当然火竜の呪いが降り注ぐことはなかった。
何しろ今のイレイナは呪いなんてへでもない耐久性を有しており、さらには竜が認める能力の持ち主であるから。
「さて、やるわよ!」
腕まくりして意気込み十分に告げるイレイナ。その手には、肘近くまである長い籠手の存在があった。
相変わらずネストが茹でた芋を、イレイナはスマッシャーを手に潰し始める。
ドン、ドン、ガス、ドン、ガス、ガス。半分以上がボウルを押さえる手を直撃するものの、籠手に覆われた手はびくともしない。今のイレイナの技量であれば火竜の籠手など容易く引きちぎれただろうが、その特異な機能がイレイナの手を攻撃から守ることで、マッシュポテトは血に濡れることを避けられていた。
手加減の籠手は、装備者の攻撃力を下げるもの。そうして低下したイレイナの攻撃力は、イレイナの高い防御力を下回り、それによってイレイナが自身の攻撃によってダメージを負わなくなったのだ。
ガス、ガス、ドン、ガス、ドン――楽しくなってきたのだろうイレイナが、一層苛烈にスマッシャーを振るい、芋は潰れ、潰されすぎて水分が滲み、さらには何らかの化学反応でも起こしているのか、あるいは圧縮によって熱が生じたのか、芋から白煙が立ち上り始めた。
そうして創り上げられたのは、一見平凡なマッシュポテト――あるいは、スマッシュポテト。
淡い黄色のそれをじっと見ながら、ネストは覚悟と共にスプーンを口に運んで。
「うぐぁ!?」
想像を絶するにがみとえぐみ、それからでろりとしたおかしな舌触りが口内を蹂躙する。続いて全身がしびれ、ネストは机に突っ伏した。
「……気絶するほど美味しかったの?」
見当違いなイレイナの言葉に、「違うそうじゃない」と心の中でツッコミを入れるネストは、スプーンがテーブルに落ちた澄んだ音を聞いたのを最後に意識を失った。
こうして、イレイナは確実に料理ができない特性を持った魔力を有していると判明した。
血が混じるかどうかにかかわらず、イレイナが作った料理は劇物と化す。味や触感が悪魔的になるのはもちろん、食事を摂った者にバッドステータスをつけるオプション付き。
麻痺と眠りの状態異常に蹂躙されたネストの苦難の道のりは始まったばかりだった。