52エルフの国の朝
鈍く痛む頭を押さえながらネストはぼんやりとしたまま天井を見上げる。
「……エルフってもっと俗世から離れているイメージだったよ」
許せんと勝手に憤り、けれどわずかばかりの感謝をささげつつネストは隣で眠るイレイナへと視線を向ける。
浴びるように酒を飲ませ、無理やりネストとイレイナに一線を越えさせたエルフたちは間違いなく俗物たちだった。
酒に飲まれていたとはいえやってしまったと後悔し、けれど罪悪感に苛まれるよりも早く、ネストはぱちりと目を開いたイレイナを視線が合う。
小さく瞳が揺れる。気のせいでなければ、少しだけ頬が赤い。
「……ええと、おはよう?」
「…………はよう」
蚊の鳴くような声で告げたイレイナが布団の中に顔を隠す。その姿に嗜虐心を覚えたネストが手を伸ばし。
けれどイレイナは即座にいつもの自分を取り戻して布団から立ち上がり、素早く服を着始める。
伸ばした手を空中にとどめたまま動きを止めていたネストを一瞥したイリエナは、黙って扉のほうへと目を向ける。
「……?」
「出歯亀がいるわ」
息をのんだネストは羞恥に顔を赤くし、いそいそと服を整える。
大きく窓を開け放てば、もう昼近いのか陽光に暖められた風が部屋に流れ込んできた。森のさわやかな空気を肺いっぱいに吸い込んで気持ちを切り替えたネストは、扉のほうへと振り返って。
イレイナが開くのと同時に扉の内側へと倒れこんできた四人を見て思わず目が細くなる。
「早くどかぬか!」
「わ、わぁ……」
「悪いが動けん」
「ふ、不純なのよ……ッ」
一番下でもがくエルフィードが手のひらでバンバンと床を叩く。その上に乗っているスラシャは顔を真っ赤にして両手で目を隠しつつも、指の隙間からイレイナとネストを見る。
スラシャともつれながらエルフィードの上に乗っているアレインは視線を巡らせて自分の上に伸し掛かる相手にどくように求める。
バシバシとアレインの背中をたたきながら、真っ赤な顔で叫ぶのはフィリアーラ。長寿でありその手の欲求が弱いエルフでありながら、旅をして人間になじんだせいかエルフの中で人一倍世俗に染まっている女王様は鋭い目でネストを睨む。
ぽん、とイレイナが手を打つ。
「……ハーレム?」
「違うから……」
盛大な吐息とともに告げたネストは、現実逃避をするべく窓の外へと目を向けた。
背後で姦しくわめく四人の声から逃げるように目を閉じて。
瞼の裏、あでやかな姿をさらすイレイナの姿が鮮明に思い浮かんで。
「……エッチ」
耳元でささやかれた声にネストは膝から床に崩れ落ちた。
「コホン……それで、魔王を討伐するのはいいけれど、一度街に帰らない?いろいろと準備が必要でしょ」
女性陣からのジト目を感じつつ、ネストは話を進めるべく口を開く。
女王のための巨木、その一室である会議室に集まったイレイナたちは魔王討伐のための今後の方針を考えていた。
「まずは食料ね」
「あとは小物もいるよね。エルフの街で集められるならいいけれど」
「……その、薬草の類もあまり手持ちがありません」
「予備の武器が欲しいところだ。グリフォンという移動手段があれば多少荷物が多くても何とかなるだろう?」
額を突きつけた話し合いの結論は、一度拠点の街に帰るというもの。
何より、このまま連絡もせずに魔王討伐に向かうのは街の知人に、特にベルコットに不義理だとイリエナとネストは考えていた。
厩舎でエルフに果実や熟成肉をたくさんもらって甘やかされていたグリフォンを回収し、四人は拠点へと舞い戻る。
地上で手を振るエルフィードやフィリアーラの姿はあっという間に小さくなる。
グリフォンの上、悠々と景色を眺めるイレイナと吐き気を必死にこらえる三人という対照的な空の旅を送りつつ、四人はわずか半日ほどで拠点の街へと舞い戻った。
「……ただいま」
「おかえりなさい。ネストさん、イレイナ……ん?」
見覚えのない女性の存在に困惑するベルコットは、けれどそれ以上に引っかかるものを感じて動きを止める。
顎に手を当てながらじろじろとイレイナの周囲を見て回ったベルコットは、小首をかしげつつ彼女に問う。
「イレイナ、きれいになってません?」
「そう?」
「間違いないですよ!」
後ろで縛って肩から前に垂らす赤髪を両手でもてあそぶイレイナを見て、ベルコットはようやくイレイナの変化を理解した。
色気が出ていた。これまでさばさばとした、あるいはどこか飄々として女性らしさがあまり感じられなかったイレイナが艶やかさを帯びていた。
それが意味するところは――
ベルコットはイレイナとネストの間で視線を行き来させる。イレイナは平時とあまり変化はない。けれどネストは、いつも以上にイレイナを意識しており、ちらちらと視線がイレイナに向いてはよそを向く。
「……はぁ」
失恋か、と肩を落とすベルコットにアレインがポンと手を置く。
「初めまして。もしかすると君がベルコット殿だろうか。私を助けてくれたと聞いた。大変感謝している」
「え?えぇ?……そう、なんですか?」
「ああ、記憶を失いこそしたが、おかげで寿命が二十年ほど伸びた。それだけあれば十分だろう」
「……記憶を、失った?」
どこかぼんやりした頭に内容が入ってこず、ベルコットは気になった部分を口の中で繰り返す。咀嚼し、その言葉をようやく脳が処理して。
「はぁ!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げた。驚いて目を見張るアレインをよそに、ベルコットはイレイナとスラシャ、そしてアレインの間で視線をさまよわせる。
「ど、どういうこと?何があったら記憶を失うの?いや、二十年記憶が伸びるってあたりもよくわからないのだけれど……ちょ、ちょっと待って。私、この人のことを覚えていないっていうか、助けた記憶がない……私も、忘れてる?」
「いろいろあったわ」
「いろいろで片づけないで下さいよ!?」
キャパシティーを超えたベルコットによる悲鳴が響き渡る。
巨大な炉に目が向いていたスラシャもまた困惑しながらベルコットへと視線を向ける。
皆の視線が集まったことを感じつつ、ベルコットはガシガシと髪を掻いて、それから天を仰いだ。
わかったのは、自分にはわからないということ。ベルコットにはアレインを助けたという記憶はなく、そして記憶喪失という自覚もなかった。何より、アレインを助けたというその事実に、ベルコットは激しい違和感を覚えていた。
「……精霊が過去を改変したの。そのせいでスラシャと一緒にアレインを掬ったという情報が書き換えられているはず」
「え、ああ、確かにスラシャさんを助けた記憶はありますね。なるほど、スラシャさんと同時にアレインさんを助けたと……精霊?」
「そう、精霊」
「え、あの、精霊って、物語に出てくるような、あの?」
「非常に残念なことに、その精霊だよ。自然の化身とかいう」
ヒュ、とのどを鳴らしたベルコットが顔を青ざめさせる。精霊は自然の化身であり、その力は人類に計れるようなものではない。ひとたび精霊の怒りを買えば、大国だって一瞬で滅びる。逆に精霊に愛されることで超常的な力を得るという話もあるが、魔女の孫娘であるベルコットは、祖母の蔵書の影響で前者の物語ばかりを知っていた。
残念なことに――その表現がわずかに引っかかりつつも、ベルコットはイレイナの顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「その、精霊って大丈夫なんですか?こう、森を開く人間は許さない、みたいな……」
「たぶん大丈夫よ。精霊って言っても残念な精霊だったし」
「残念って……イレイナさんみたいな?」
思わず口に出た言葉に気づいてはっと口を押える。もっとも、イレイナは気にしていないようで、小さく首を横に振るだけにとどめる。
「こう、俗物的というか、神聖さとはかけ離れた存在だよ。一応、アレインさんに魔法?を使うときは神々しかったんだけどね」
「ネストさんから見てもそんな評価なんですね。……精霊、ですか。会いたいような会いたくないような……」
「ん?ベルコットももう会ってるでしょ?」
「……え?いつ?」
「不死鳥って精霊だけど?」
「…………マジですか」
「マジよ」
ハァ、と天を仰ぐベルコット。いまさらながらに不死鳥に祝福された自分が平凡な人間から外れかかっていることを実感して泣きたい気持ちだった。




