49原始魔法
魔法の発動のため、精霊エルフィードは少しの間目を閉じ、それからイレイナの方へと向き直る。
背負われたアレインへと手を伸ばす。
風が吹く。黄金の御髪がなびき、アレインに向かって伸びる。
手に絡みついた髪は急速に伸び始め、アレインの体にまとわりつく。
空中に浮かび上がったアレインを、黄金の髪が包み込む。その球体は、まるで繭のようであった。あるいは、本当に繭だった。半死半生の状態から変態する(生まれ変わる)のだから、アレインを包みこむそれを繭と呼ぶのはむしろ的を射ていた。
黄金の髪が輝きを帯びる。星屑のような光が散り、地下の空間、巨木の幹にある巨大な穴の壁を照らし出す。
ふわりと、精霊エルフィードもまた浮かび上がる。その背中には、トンボのそれによく似た一対の透明な羽があった。
薄い金の翼を背負い、黄金の光に包まれた精霊エルフィードは、まさに神のように見えた。
祈りをささげるエルフたちと、じっと見守るイレイナたちの視線の先、エルフィードは手を組んで世界に祈りを捧げ、唄を紡ぐ。
遥か昔、まだ言語が生まれていなかった世界で意思を伝えるために誕生した音の羅列。朗々と響くそれは空気を伝い、大樹を震わせ、アレインへとしみこんでいく。
原始魔法――フィリアーラが小さくつぶやく。
それは、すでに世界から消え去ったといわれている、精霊と、精霊に愛された太古の人間が使うことができたという、あらゆることを可能とする魔法。
願いを形にする魔法が、エルフィードの祈りを構築する。
エルフィードから分かたれた黄金の髪が液体へと変わっていく。それは、エルフたちが作る神薬――その原液とでもいえるもの。
精霊石の何倍も効能のある精霊の力が宿った肉体の一部が、アレインの体へとしみこんでいく。
太陽のごときあたたかな黄金の光の中から、ゆっくりとアレインが姿を現す。
美しい青髪をたなびかせる彼女は、けれど先ほどまでとは違い、その耳が横に長く伸びていた。
それはまさしく、エルフの証だった。
「……そう、か」
かつてのエルフの誕生を思って、ネストはぽつりとつぶやく。フィリアーラからエルフィードの話を聞きながら、ネストは一つの疑問を抱いていた。それは「精霊が人と交わって子どもを産むことができるのか」というもの。
明らかに、精霊は人とはかけ離れた存在だ。高位の存在だから人と子どもをもうけることができると言われればそれまでだが、精霊と交わるには人という存在は小さすぎる。
だからネストは、エルフィードがエルフを生んだ母であるというのは何かの隠語、あるいは神話のような空想の話だと思っていた。
だが、確かにエルフィードはエルフの母であり始祖であったと、今のネストは理解していた。
おそらくは遥か昔にも、エルフィードはこうして最初のエルフを作り出したのだと。
神話の再現を前に、エルフたちは茫然と涙を流していた。神を拝めるように、魂から祈りをささげる。
その思いを受けてくすぐったそうに笑いながら、エルフィードはアレインの体を髪で支え、そっと地面に立たせる。
ゆっくりと、アレインが目を開く。水面のような涼しげな双眸が、まっすぐエルフィードをとらえる。
地面に片膝をつき、腰から刀をとる。
静かに、騎士としてアレインはエルフィードに刃をささげる。自分を救った精霊へと、必ずこの恩を返すと誓いを立てる。
原始魔法によってエルフィードとつながりを得たアレインは自分の現状を正確に把握していた。死を免れるために生まれ変わってエルフになったこと、目の前の精霊が自分を救ったこと。
「カカ、何、それほど気負う必要はない。ぬしの代わりにそこの娘が辣腕を振るうことになっておる故な」
「……ふむ、ご迷惑をおかけした。ありがとう。貴女にも返しきれない恩ができたようだ」
「構わない。私としても精霊とつながりができるというのはうれしいから。この魔力を克服できる可能性があるなら動かない理由がないもの」
「……?なるほど、貴女にも意義があったということか」
それでも助かったと頭を下げるアレインは、とてもではないが記憶を失っているようには見えなかった。
アレインの周囲をくるりと回ってその状態を確認したエルフィードは、それからややジト目でイレイナを見る。
「うむ、それにしても面妖な人間であるのじゃ。これほど世界の影響を受けぬ人というのも珍しい」
エルフィードの言葉を聞きながら、ふとイレイナは、あれほどアレインを助けるために腐心していたスラシャがなんの反応を示さないことをいぶかしんだ。
視線を向けた先。そこには、顔に疑問符を浮かべるスラシャの姿があった。
「……あれ、私、こんなところで何をしているのでしょう?」
頬に手を当てながらつぶやくスラシャは、冗談を言っているようには見えなかった。眉間にしわを寄せて思い出そうとするも、本当にどうして自分がここにいるのか、理由がわからないらしい。とはいえ翼を背負うエルフィードに驚くことはないから、完全に記憶を忘れたということでもない。
ちらと見れば、ネストの方も険しい顔で何かを考えていた。
――この娘が生きた過去を支払うことで未来を抽出する。
エルフィードの言葉が脳裏をよぎる。驚愕をにじませながら、確信を胸にイレイナは問う。
「アレインが生きた軌跡を消し去ったの?」
「いいや、さすがにすべては消えておらん。例えばこの娘が誰から生まれたか、といったあたりまで消えると存在を確立することが困難になる故な。だが、問題がない範囲でこの娘の足跡は世界からなかったことになった」
それはつまり、過去を改変したということ。わずか数分の魔法によって歴史をゆがめて見せた精霊に、イレイナは開いた口がふさがらなかった。
とはいえ驚いているのはエルフィードも同じだった。魔法によってエルフィードは過去を書き換えた。自分の庇護下にあるエルフ以外のおそよすべての人間からアレインという女性が積み上げた時間が、記憶が消え去った。消え去る、はずだった。
けれどエルフでも何でもないイレイナは、エルフィードの魔法の影響を受けずにここにいた。
「ぬしは精霊に匹敵する格を得ているというのか?」
「はい?……ああ、私がアレインのことを忘れていない話ね。……この魔力のせいではなく?」
「それは生産を、料理をゆがめる力であって、我の力の影響を防ぐようなものではないわ。……そう、か。我の魔法が、人間に防がれる時代がやってきたというのか」
イレイナが特殊だから、というわけではない。今の世には、エルフィードの影響を受けない人間が少なからず存在する。
人は、魔物を倒すことで強くなる。それは言い換えれば、存在の格が上がるといえる。
積みあげられた格は、時に精霊に比肩するものになる。それほどに人類が力を手にしているのは、ひとえに魔王の侵攻によって魔物の活動が活発化しているから。凶悪な魔物を倒す機会が増え、必然的に存在の格が上昇しやすくなったためである。
魔王と魔物の話をされたエルフィードは、自分が寝すぎていたことを悟った。エルフの危機に気づけなかったことを恥じたエルフィードは、魔王が倒されるまでは眠りにつくことなく、エルフを守護することに決めた。




