48精霊と神薬
目覚めたエルフの始祖にして母である精霊エルフィード。厳かな佇まいをしていた彼女は、けれど体に残る眠気にくあとあくびをして、目じりににじむ涙を指でぬぐう。
んん、と声を上げて体を伸ばす。指を絡めた両腕を頭上へと伸ばすどこか間抜けた姿をエルフィードは、そこでようやく周囲に何人もの人影があるのに気づいて目を瞠る。
ごほん、と咳払いして空気を引き締めにかかる。だが、厳かな空気に戻ることはなかった。エルフはさておき、イレイナは白けた顔でエルフィードを見つめていた。
「……本当にこれが精霊?」
「初対面でいきなり此れ呼ばわりとは不敬な奴だな。呪ってやろうか?」
「…………相談相手を間違えたわ」
「ちょっと待つのじゃ。何を落胆したような顔をしておる。我は精霊であるぞ?恵みの化身であるぞ?少しは敬わんか」
「何もしていないのに尊大な相手をどう敬えと?」
一触即発。視線をぶつけてバチバチと火花を散らすイレイナとエルフィード。女王フィリアーラはもう気絶してしまいたかった。
精霊としての気配を全開にしたエルフィードによって大樹がきしむ。空気がびりびりと震え、莫大な威圧感が場を飲み込む。一斉に膝をつくエルフたちやスラシャをよそに、イレイナはひょうひょうとした様子でエルフィードを見つめていた。それで、額を一筋の冷や汗が伝う。
「……む。我の偉大さを理解できんものが二人もおるのか」
言われて背後を振り向けば、青い顔をしながらも立っているネストの姿がそこにあった。膝が笑っていながらも、それでも気力を振り絞って立ち続けるネストの思いはただ一つ。せめてイレイナと同じ立場にあろうという意地だけが彼を突き動かす。
「初めまして。僕はネストです。ここへは彼女の治療ができないかと思い足を運ばせていただきました。まさかエルフの始祖である偉大な精霊エルフィード様と会いすることができるとは思わず、感動に打ちひしがれております」
「ふん。であればひざまずいて見せればよいものを。……まて、治療といったな?」
イレイナが背負っているアレインへと視線を向けたエルフィードは、その金の瞳を大きく見開く。
「……これは、どういうことじゃ?」
「魔族に寿命を奪われて――」
「そうではない」
イレイナの言葉を止めたエルフィードは、二人の周りをぐるぐると回りながらあらゆる角度からアレインの状態を確認する。それから呆れをにじませた息を吐く。
「この娘、本来はすでに死んでいるところを無理に命をつないでおるのだな」
「どういうこと?すでに死んでいるはずだった?」
「うむ、このようなおかしな呪いは初めて見るが……なるほど、これだけの代償があれば寿命が尽きてなお命をとどめておくのも不可能ではないか」
エルフィードは告げる。現在のアレインは半死半生の状態であると。
眠っているのはひとえに意識をなくすことで生死の輪郭をあいまいにすることで死に染まらないようにするため。本来は死ぬはずのアレインは、けれど恐るべき呪いによってかろうじてその命をつないでいるという。
代償は眠りと記憶の凍結。つまり、現在イレイナが背負っている女性は、アレインだった「何か」であり「アレイン」ではない。それゆえに彼女の肉体はかろうじて生存を続けていた。
そして、そのような呪いがどうしてアレインに施されているのか、エルフィードはすぐに感づいた。
イレイナの衣服をつかみ、軽くにおいをかぐ。正確には、イレイナの魔力を読み取って告げる。
「……随分とおかしな魔力をしておるな?」
「わかるものなの?」
「これだけいびつで特化した魔力などまず見られんからな。……なるほど。接触対象、非生物の性質変化か。とりわけ『加工』によって予想もつかない効果を生み出すと」
「…………加工?」
何度も目をしばたたかせるネストが、イレイナのことを知っていれば当然の疑問を投げかけた。その質問の意図がよくわからなかったエルフィードは首をかしげながらも頷く。
「私のこれは、料理を壊滅的にするものではないの?」
「料理?……ふむ、確かに料理でも発現するだろうな。だがおそらくはおよそあらゆる加工生産において効果を発揮するぞ。といっても、何かを『作る』と明確に意識していなければ発動しないようじゃぞ」
それが事実であれば、イレイナは料理以外でも究極の不器用を発揮するということになる。精霊の眼を信用していなわけではないが、料理以外で不器用なところを見せたことのないイレイナが他でも同レベルの不器用を発揮しかねないという事実にネストは口の端を引きつらせる。
ただ、イレイナはあくまでも首を傾げ、精霊の言葉を否定する。
「……ほかのものを作るときには何ともなかったわ。動物を狩るための罠づくりとか、木を彫って装身具を作ることとか、問題なくできたもの」
「ではそのあたりは作るという認識ではなかったのではないか?例えば『生きるために戦う』だとか『身なりを整える』とだけ考えていて、物を作っているという認識がなかったのかもしれぬ」
物を作っているのに物を作っていないとは如何に。
目を回すイレイナをよそに、ネストはイイ笑顔で精霊にニッコリと笑いかけ、おもむろにその肩を抱いて額を突き付ける。
「な、なんじゃ童。我の体に気やすく触れるでない」
「じゃあエルフィード様もイレイナの力に関して気安く口にしないでくださいね?これ以上イレイナの不器用はいらないんですよ」
今上手くいっているのであればそれでよかった。イレイナが料理だけに不器用さを発揮するのであればそれでいい。魔力による暴威が広がらないためにも、イレイナには今のままでいてもらわなければならないと、ネストは必死にエルフィードを止める。
これ以上のイレイナの不器用はネストの胃に穴が開きかねなかった。
その気迫を感じて、エルフォードは戸惑いながらも頷いてみせる。
「ほら、イレイナ。今はアレインさんの治療を考えるべきでしょ?それでエルフィード様。呪いという話でしたけれど、アレインさんはどのような状態なのですか?」
「む?ああ、呪いによって仮死状態になっている、というのが一番近いかの。記憶を凍結し、眠りによって生死の境界を曖昧にする。……本来は生物には作用しないはずのぬしの魔力がこの娘にしみついておるわ」
「……ちょっと待って。イレイナ、アレインさんに何をしたの?」
「何って、燻製?」
頭痛をこらえるように額に手を当てる。聞きたくないと、そう思いながらもネストは聞かねばならなかった。
そして、彼の嫌な予感は当たっている。
「ええと、燻製を食べさせたんだよね?」
「燻製をしたというか……燻したのよ」
「アレインさんを?」
「そう」
「………………なるほど?」
「あ、はい。その、私が目を覚ました時には、アレイン様はロープで木の枝に縛り付けられていました。ベルコット様の話によると、アレイン様が厄払いでもできないかとアレイン様を燻していた、と。それはもう毒々しい煙が漂っておりました」
ぐるりと振り向いたネストはスラシャへと詳細を問う。精霊の存在にすくみ上っていたスラシャは、わずかに声が裏返りながらも当時の衝撃を思い出す。
「まあイレイナが火を熾すとそうなるよね。……イレイナ、ちなみにどうして燻すなんていう発想になったの?」
「ええと、毒キノコを料理していたから?」
毒キノコを料理――その言葉の響きにネストは顔を引きつらせる。
ネストが引いていることに気づいたイレイナは、少し悩んでから言いつくろう。
昔倒したはずのサキュバスがアレインに取り付いており、今度こそ倒せたはずだが確証が持てず、アレインの中にまだ潜んでいる可能性を考えて燻してみることにしたのだと。
ネストはかつて遭遇したサキュバスを殺せていなかったことに驚き、今度こそ消滅させられただろうということに歓喜をあらわにした。
感極まってイレイナを抱きしめたネストは、何度もありがとうと繰り返す。
「……私にとっても、忘れられない戦いだったもの」
「そうだね。あれは僕たち三人にとって決して忘れられないものだった」
「…………乳繰り合うのは構わんが、その女のことはいいのか?」
「そんなことしていないわ」
「童の方はそうは思っていないようだぞ?」
からかわれて顔を赤くするネストを見て、エルフィードはおかしそうに笑う。歳不相応な純情さを見せるネストをからかいたい思いもあったが、今はアレインへの関心の方が強かった。
「それで、その娘の治療じゃったか……不可能ではないぞ」
「本当ですか!?」
「うむ、愛らしい女子よ、確かに我が本気を出せばこの娘を生かすことができる。だが、手放しに喜べるわけでもない」
一体何を要求されるのかと身構えたスラシャだったが、エルフィードが告げる内容は希望に満ち溢れた彼女の瞳をかげらせるものだった。
「……すでに寿命が底をついておるこの娘を生かすためには、相応の代償が必要じゃ。そしてそれは、彼女が手にする寿命と等価なものでなければならぬ」
他者を犠牲にするというわけではない。そのようなことを精霊は口にしない。では、寿命と等価な代償とは何か。
目を細めたイレイナは、確信を込めて答えを告げる。
すなわち。
「記憶ね?」
「その通りじゃ。つまり、この娘が生きた過去を支払うことで未来を抽出する。それ以外にこの娘が生きる方法はない。そして、引き延ばせる時間は最長でも22年……このものの年齢分だけじゃ。ああ、この娘を救う我への貢ぎ物はぬしの料理でよい。せいぜい変わったものを作るがよい」
一切の記憶を失い、それでいて倍の年齢まで生きることしかかなわない。戦闘に従事する者が四十歳まで行けば十分だとネストとイレイナは考える。その一方で、スラシャにしてみればその時間は短すぎて、また代償が重すぎた。
けれど、ほかに方法がないというのもわかる。精霊でなければ対処できないような状況、そもそも本来は寿命が尽きているというのだから、ほかに方法はない。このままいけば眠るように衰弱死するか、目を覚まして死ぬかの二択。
たとえすべての記憶を失おうと、アレインが助かる道をスラシャは臨んだ。
――ちなみに、ネストはイレイナの料理を求める精霊に絶句していた。あまりの間抜けな顔に、女王フィリアーラは精霊の御前であるということも忘れて呆れをにじませた。
このポンコツが、と。
深く、スラシャはエルフィードに頭を下げる。自分にできることなら何でもしようと、ひとまずはイレイナの料理を手伝うことに決めて。
「……よろしくお願いします」
「本当にいいのじゃな?」
険しい顔で告げる精霊の意図を、スラシャは正しく理解することはできなかった。




