47精霊
エアリアル国王女・フィリアーラがイレイナたちを連れて行ったのは、彼女が居を構える巨木の根本、そのさらに下だった。どこまで伸びているのか、長く続くらせん階段を下った先、ぽっかりと開けた空間に出る。
また、周囲は木をくりぬいたように継ぎ目のない木に覆われていた。照らし出される壁面はつるりとした木目であり、イレイナたちはエルフの女王が住まう樹木が、地上に出ていたごく一部でしかないことを理解した。あるいは、エアリアル国のエルフたちが住まう木もまた、一本の巨木の枝先に過ぎないのではないかと考える。
事実、エアリアル国というのは一本の巨木によって支えられて成り立っている。あるいは、一本の巨木によってエアリアル国は生まれた。何しろ、エアリアル国を支えるその巨木は、エルフの祖と呼んでも差し支えないのだから。
「こちらです」
魔法具の明かりが煌めく。フィリアーラがに握る魔法具の淡い橙の光に照らし出されて、琥珀色の結晶がイレイナたちの前に現れる。
とろみのあるはちみつを思わせる光を帯びた透明な水晶。そして、その中では一人の少女らしき人物が膝を抱えて眠っていた。その耳は、エルフの特徴である長さをしており、黄金を溶かしたような髪がふわりと水晶の中で広がっていた。
身にまとうは金箔のような煌めく金の衣。それは、己の髪で編んだ服。
生きているわけがない。結晶の中に閉じ込められてなお、けれどそれが生きているとイレイナは直感する。
呼吸をしていない。食事だってとれない。心臓が動いているのか、そもそも心臓があるのかもわからない。
ただ、わかることが一つ。目の前の存在は、その気になればたやすくイレイナを殺しうる強者であるということ。
恐怖に顔を引きつらせながらネストはその少女の詳細を問う。
フィリアーラは、厳かにその正体を口にする。
「彼女はエルフィード。エルフの始祖である精霊よ」
精霊――その言葉にスラシャとネストが息をのむ。イレイナは圧迫感の正体に納得してうなずいた。
精霊とは、自然そのものの力を宿した存在。例えば、不死鳥は地殻が生み出す熱を宿した獣であり炎の精霊。死を超越しているのは不死鳥だけの特異性であるが、すべての精霊は不死鳥に負けず劣らず、人類にとっては理不尽と言わざるを得ない能力を有している。
大地の化身、海の王、天を旅する獣。様々に存在する精霊を人類が目にすることはほとんどない。
自然の化身であるところの精霊は、基本的に己が宿す力が最も大きな場所を好む。熱を宿しているなら火山を、風という流転の力を宿しているなら霊峰の山頂に、海洋という生命の根源を宿しているなら海底に。
そして、エルフを生み出した精霊は、エルフが住まう大樹の中に。
精霊が眠っている、あるいは宿っているというのならこの木がこれだけ巨大であるのにもうなずける。
精霊がエルフの始まりだというのは、驚愕の事実であり、これもやはり納得できる話でもあった。何しろ、人間の目から見てエルフは非常に美しい。ともすれば神聖さを感じる整った容姿は、精霊由来の者であるならば何ら不思議ではない。
「エルフィード様はかつて人と交わることでエルフを生み出したのだ。だが人間の生は短い。喪失にむせび泣いた彼女は眠りにつき、今もこうして自身の血族を見守っているのだ」
「それで、ここへは神薬のために来たのよね?精霊に作ってもらうということ?」
「いや、それは畏れがなさすぎる。私たちはただ、エルフィード様が身にまとうこの結晶――精霊石をわずかにもらっているだけだ」
そう告げながら指さされた先、琥珀のような結晶は、けれどその一部が解け、雫ができていた。
「エルフィード様を守るこの石は今も少しずつ溶けている。それを授かり、同胞を救うために作った薬こそ、他種族の間で神薬と呼ばれるものであるな」
「精霊が関わる薬、か」
「エルフィード様の存在ゆえに、この薬に関するあらゆる情報が秘匿されなければならないのだ」
どこか悲痛な覚悟を見せながら、フィリアーラは凛とした声で告げる。
精霊エルフィードはエルフを生んだとされる始祖であり、エルフ全員の母であり、エルフという種族そのものでもある。
ゆえに、その精霊の不興を買えば、エルフはたやすく滅びうる。
もしエルフィードが怒りに目覚めることがあるならば、彼女が戦いを望むならば、エルフは種族を上げて敵を撃たねばならない。それが、エルフとエルフィードの間に刻まれたつながり。
その在り方はともすれば竜神と竜人の関係よりも重いものだった。
だが、エルフはエルフィードの力によって今も存在を続けている。このエアリアル国というエルフたちの村が今も存続するのは、眠りながらもエルフィードがエルフを守るために力を貸しているからだった。
よこしまな考えを持つ者を惑わせ、天災を阻止し、エルフを守ってきた。
だから、エルフもまたエルフィードを守らなければならない。種族の安息の地を守るために、万策を尽くさないといけない。
もしこの情報を漏らすようなことがあれば地の果てまで追って殺す――その決意を受けて、イレイナは覚悟を胸にうなずいた。
「決して口外しないわ。ただ、神薬をもらえるか次第だけれど」
「……私たちを脅すと?」
「精霊様が不義理を許すかどうかという話よ。まあ、精霊は人類とはかけ離れた存在だから人類の価値観を気にすることはないのかもしれないけれど」
精霊がエルフに牙を向ける可能性もあると告げるイレイナにエルフの騎士たちが色めき立つ。得物を持つ手に力がこもる。
「ちょっとイレイナ。どうしてそんな喧嘩腰なの!?」
「ネストは黙っていて。アレインのためにも神薬がいるのよ。効果があるなら脅迫だって私はためらわないわ」
「私からもお願いします。どうかアレイン様をお助け下さい」
「……私どもとしても剣聖どのに恩を返す絶好の機会だ。当然全力を尽くすとも。ただ――」
――神薬に効果があるとは限らないが。
そう告げようとしたフィリアーラの言葉を遮るように、パキリと硬質なものに亀裂が走る音が響いた。
皆の視線が、琥珀色の結晶へと集まる。精霊エルフィードが眠る精霊石、その中央にひびが入っていた。
パキリ、再び音がする。亀裂が増える。
内側から広がる亀裂はクモの巣を作るように無数に内部を走り、透明だった石は光を反射して白っぽくなる。
そしてとうとう精霊石が割れ、まばゆい閃光がほとばしった。
ビュオオ、と。
地下、くりぬかれた巨木の幹の内側で風が吹き荒れる。
どこからともなく森のにおいを運んできたその風は、割れた精霊石の先から吹いていた。森に流れるような薫風が引き抜けた後、精霊石を転がしながら精霊が世界に帰還を果たす。
黄金を溶かしたような髪を揺らし、精霊が大地を踏みしめる。
ゆっくりと開かれた双眸は髪よりもいっそう神々しい金の輝きを宿していた。




