46エアリアル国
グリフォンにつけた鞍に乗り、イレイナは空を駆る。その体にぶら下がる籠の中では、ネストとスラシャが真っ青な顔で吐き気をこらえていた。いまだに目を覚まさないアレインが苦悶の声を上げる。
大地を踏みしめるように飛ぶグリフォンは幻獣としての気高きあり方を遺憾なく発揮してはいるものの、残念なことにそんなグリフォンを客観視するものの姿はない。ただ、グリフォンの風の防壁によって守られているイレイナだけが空の旅を楽しんでいた。
「うぅぅぅぅぅ……」
強烈な風圧と冷気、低い気圧にさらされるうちにスラシャは気絶し、ネストだけが必死に耐えていた。さっさと気絶してしまえばましだったのだが、好いた女性によく見てほしいというネストの意地が邪魔をした。
そしてイレイナの忠実な配下の立場に収まりつつあるグリフォンは意地を張るネストを鼻で笑い、さらにその飛翔速度を増していく。
わずかにはためく赤髪を抑えるイレイナの視線の先、開けた雲の切れ間に広大な森が姿を現す。濃密な緑。それはエルフたちが守り続ける大森林。
その中心部にエルフの秘境にして唯一の国、エアリアル国は存在する。
突然上空から飛び込んでエルフを驚かせることを避けたイレイナたちは森の外延部で降りて地上を歩く――などという配慮をすることなく、エアリアル国へと直行した。
理由は二つ。
一つは、アレインの状況は緊急を要するものだったから。
もう一つは、グリフォンで王国に直接乗り付けるという行為がそれほど大きな問題にはならないから。
幻獣であるグリフォンに騎乗を許されたというだけで、エルフたちはイレイナを評価する。気難しくそして気高き幻獣が心を許している相手ということはすなわち、エルフ相手に差別をしないことと同義だから。
グリフォンに乗って乗り込むことでエルフたちに認められて話をスムーズに進めるというイレイナの計画は完ぺきだった。そして、イレイナの騎獣としての誇らしさを感じ始めていたグリフォンが悪乗りした。
『グルァァァァァァァッ』
我を見よ。我が主人を知れ。
グリフォンの咆哮はエアリアル国全域に響き渡った。
たびたび繰り返すが、グリフォンは幻獣だ。誇り高い幻獣は、人類を無意味に襲ったりしない。だが、ひとたび幻獣を怒らせればその牙から逃れることは避けられない。
――グリフォンの逆鱗に触れたと思い込んだエアリアル国のエルフたちは、瞬時にパニックに陥った。
緊急事態を知らせる鐘が連打される。悲鳴が響き、木々の幹をくりぬいて作られた家から飛び出したエルフたちが空中回廊を走って国の外へと退避を始める。
「逃げろ!今すぐ逃げるんだ!」
「どうしてグリフォンが!?どうなってるんだ!」
「嫌ぁぁぁ!」
ぐったりと籠の壁にもたれかかりながら、ネストはジト目でグリフォンの背中に乗るイレイナを見つめる。
「……何か言うことは?」
「思ったよりもエルフが臆病だったのが悪い」
わずかに申し訳なさをにじませつつ、それでもはっきりと言い切る。深い、深いため息を漏らしたネストは逃げ惑うエルフたちに憐憫の視線を送った。
グリフォン襲来から二時間後。ようやく訪れたグリフォン一行がただの来客であったことを知ったエルフたちは強い警戒を抱きながらもイレイナたちを王のもとへと案内した。
エルフが居住を構える木々の中でも有数の老齢の巨木。その幹の内側に作られた謁見の間にいたのは、いくつもの布を重ねた黄金の髪と深い緑の目が美しいエルフの女王。
纏う雰囲気は王としても戦士としても一角の実力者であることをうかがわせる。飲み込まれるような威圧感にスラシャが顔を青くする。
神々しい深い知性をうかがわせる視線がイレイナたちを順に見やる。
エアリアル国を治める年齢不詳の妙齢の女性の姿をした女王は、呆れと疲れを隠しもせずに額を抑えながらネストをにらんで告げた。
「どうしてこうなったのだ?」
「僕にイレイナは止められないよ」
気安く言葉を交わすネストにぎょっと目をむいたスラシャはあたふたと取り乱し、迷った末にとりあえずネストの陰に隠れるような位置に移動した。
ネストがエアリアル国に訪れたのは、ひとえに昔の知り合いに会うため。勇者パーティを離脱してから一人各地を渡り歩いている際に知り合ったエルフの女性。次期国王としての修行の旅に出ていた一時の戦友との再会は互いにとって苦いものとなった。
「まあ何はともあれ、無事に女王に慣れたようで何よりだよ、フィリアーラ」
「お主も無事でいて何よりだ。……それで、彼女が噂のイレイナか?」
わー!と突如大声を出してネストがフィリアーラの言葉を遮る。昔、酒の場で惚れている女性がいると話したことを蒸し返されたのだと勘違いして。
顔を真っ赤にして女王の言葉を遮る不敬に、謁見に立ち会っていたエルフの戦士たちがネストをにらむ。
「……安心せい。昔の酒の肴の話を持ち出そうというのではない。……彼女が竜神殺しなのだろう?」
ぴたりと動きを止めたネストは、自分の勘違いを恥じて一層顔を赤くする。
スラシャとエルフたちの視線が、一斉にイレイナへと集まる。竜神殺し――それは、かつて最強の勇者が己の命を引き換えに試みた奇跡。だが、勇者ゴールディーでさえ竜神を完全に殺すことができなかったのはその復活が示している。
その、完全な殺害。
竜神が死んだという事実は、幻獣や精霊によって世界各地へと広まった。その奇跡をなした英雄の名前とともに。
「ネストとの共闘よ。私だけであれは倒せなかったわ」
「それでも、戦いにおいて勝利を手繰り寄せたのはそなたなのだろう?エルフの女王として、礼を言わねばならん。――心よりお礼申し上げる」
かつて、竜神は大陸中央にいたエルフたちを皆殺しにした。血肉を食らい、己の糧とし、あるいはうっとうしい羽虫程度に考えて殺戮した。
その憤怒は、まだエルフたちの記憶に新しい。人間とは比較にならない時を生きるエルフにとって、竜神とは今の世代の者が経験した悪夢なのだから。
「……感謝をしているというのなら、私のお願いを聞いてもらえる?神薬、あるいは霊薬が必要なの。サキュバスに寿命を食われた彼女を救うために」
背負っていた女性へと視線を向ける。青髪のした、浅い呼吸を繰り返すアレインの顔からは血の気が引いており、その鼓動は弱弱しい。今にも眠るように息を引き取ってしまいかねないような存在の希薄さがあった。
沈痛なまなざしを向けるフィリアーラだが、たとえ竜神殺しの英雄であっても気安く譲り渡せるほど神薬は安くない。
断られる気配を感じたイレイナはさらにエルフたちが断りづらい言葉を畳みかける。
「……ちなみにこの子、キグナス・リシェントの孫娘よ」
「なんと!かの剣聖の孫娘とな!?」
謁見の間にざわめきが広がる。先ほどイレイナに向けられたものより何倍も畏敬の念が宿った視線がアレインに集まる。その視線の圧を感じたのか、アレインがわずかにうめく。
天井を仰いだ女王が深い吐息を漏らす。
エルフ一族としての仇を討った竜神殺しに、エルフを救った英雄・剣聖の孫娘の治療を依頼される。それは、エルフにとって断ることのできない要求だった。
もしここで拒絶すれば、エルフは不義理な一族という烙印を押される。それは種族的に出生率が低く一族間での義理や人情を大切にするエルフの名をこれ以上なく貶めるもの。
「………仕方あるまい」
フィリアーラに反論する声は上がらなかった。申し訳ないと思いながら、ネストはじっと状況の推移をうかがう。
「それではついてまいれ。これらからおぬしらが見るのはエルフが秘匿する最重要機密事項ゆえ、他言は許さん。たとえエルフを救った英雄であろうと、情報が洩れるようなことがあればその時は種族が滅びるのもいとわずに戦うことを宣言しよう」
種族の滅びを天秤にかけるほどの機密事項。その言葉にゴクリと唾をのむ音が響く。
ゆらりと立ち上がったフィリアーラが先導して歩き出す。
戦士たちに囲まれたイレイナは、いくつもの思いを胸に秘めながら彼女の後に続いた。




