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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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43その手に掴んだもの

 イレイナは話し始める。かつての旅の記憶を。紡いだ物語を。

 後悔を。


 今はもう遥か遠く。それは、イレイナたちが初めて魔王軍に所属する「魔族」に対峙した時のこと。

 魔物の中でも頭一つとびぬけた知性を有する魔族は、人々の夢の中に入り込み、人を堕落させ、その命を吸い取っていた。

 悪魔「サキュバス」。

 男性を魅了し、自分の(エサ)を奪っていく人間の女性を激しく嫌う。

 そんなサキュバスが狙った村には、一人の美しい少女が住んでいた。金髪碧眼、絵にかいたお嬢様のような彼女は村の皆に愛されて育った。

 多くのものが、一度は彼女の容姿に魅了された。告白して玉砕した者も多い。

 それなりに大きな、けれど大きな街や主要な街道からは少しだけ距離がある、どこか牧歌的な空気のある村。

 国の中枢や冒険者組合との情報のやり取りが希薄なその村に目を付けたサキュバスは夢を通じて村の男たちの命を吸い取っていき、けれど男たちは完全にはサキュバスに心を許すことはなかった。

 彼らの意識の中にあった金髪少女の存在に、サキュバスは怒り狂った。彼女を汚すべく、魅了の力を使って男たちを動かした。

 村の男性陣の変化におびえた少女は、助けを求めて村を飛び出し、当時近くを通りがかったイレイナたちに救いを求めた。

 レオニードの勇者としての「魔物感知センサー」に反応したことから、異変が魔物によって引き起こされていることを知ったイレイナたちは慌てて村に向かって、そこに地獄を見た。

 サキュバスを神のように信仰する村の男たちは、自らの妻や娘、母を殺し、サキュバス以外の異性を排除した。

 そして、村に帰還した少女に向かって男たちが襲い掛かった。

 彼らは、まだ人間だった。サキュバスに魅了されていようと、人間であることに変わりはなかった。

 だから、まだ酸いも甘いも嚙み分ける前だったイレイナたちはとっさに動けなくて。

 少女は、三人の目の前で男たちにつかまれ、殺された。

 泣き叫ぶ少女が恐怖にひきつった顔で必死に手を伸ばす姿を、覚えている。少女に向かって駆け出したネストの絶叫は今でも耳の奥に残っている。

 そうしてその日、ネストは戦士から「狂戦士」へ転職した。教会で神像に祈るのとは違う、「覚醒」という方法での上位職への転職。

 ネストは怒りによって我を忘れ、男たちを殺した。

 彼らはもう、長くはなかった。サキュバスたちに命を吸い取られていた彼らの命は外見に反して風前の灯で。

 それでも、ネストはその短くも長い人生を摘み取った。怒りのままに、狂ったままに、自らの体を血に染めて男たちを殺した。

 その記憶は、今もネストを苛んでいる。それ以来、ネストは狂戦士の奥の手、思考力を放棄することでリミッターを解除して一時的に自身を強化する「狂化」の力を使ったことはない。

 代わりに、竜殺しによって手にした剣を使うようになった。

「……その記憶は、今もネストの中では風化していないの。毎日この時期になると眠れない。村人を殺した記憶を、救いを求める少女を救えなかった絶望を思い出してしまうから」

「どうにか、することはできないんですか?」

 縋るような問いかけに、イレイナは小さく首を横に振る。

「ネストの抱えるものは、ネストによってしか変えられない。後悔を、あの日の苦みを抱えているのはネストが決めたこと。ネストが自分を許せないと一歩も前には進めない。私が何かを言ったとこで変わらないわ」

 どこか淡々と告げるイレイナの言葉を聞いて、ベルコットは激しい怒りを覚えた。

 幼馴染であり戦友であり親友。そんな相手に対して薄情すぎないかと。

 けれど、口に出かかった言葉は音になることはなかった。

 視界に映ったイレイナの横顔を見れば、そんな言葉は、憤怒は吹き飛んだ。

 寂しげで、そして悔いるように唇をかみしめたイレイナは、ただただ空の一点、どこか遠くを見つめていた。

 思い出した。あるいは気づいた。

 イレイナもまた、過去を忘れていない。救えなかった少女のことを飲み込めたように話してはいるが、話しているということは忘れたということではない。イレイナの心の中にも、確かにあの日の悔いがあった。そして、その後悔と向き合ってきたからこそ、ほかの誰でもない己によってのみ、過去を乗り越えることができるのだと知っている。

 雷に打たれたように、ベルコットは激しい衝撃を覚えていた。

 目の前にいるイレイナという人間は、かつて勇者パーティで斥候として活躍していた人物なのだと、そう知識としては持っていた。けれどそれは、どこか物語の向こうの世界のことのように思えていた。はっきり言えば現実感がなかった。

 けれど、否応なしに理解した。

 イレイナが、イレイナたちが歩いてきた道が、人生が、苦難の連続であったことを知った。

 そんな相手に物申せるような経験など、言葉など、ベルコットの中にはなかった。

 苦い顔をしてベルコットがうつむく。

「そんな顔しなくていいわよ。私の人生は私のもの。ネストの人生もネストのもの。寄り添い、支えあうことはできても、必ず自分の足で立って歩いて行かないといけないの。だから、ベルコットが抱え込むものじゃないし、何もしてあげられないと後悔する必要はないの。それに、ただそこにいるだけで、意外と救われるものよ」

 ――日常に生きる者の存在がどれだけありがたいか。

 小さくつぶやかれた言葉を、かみしめるように咀嚼する。

 イレイナたちは、ベルコットのような人のために戦ってきた。見ず知らず、戦いに出ることもなく平穏に過ごしていた人々の、その尊い日常を守るために戦っていた。

 だからイレイナは、ベルコットにそんな顔をしてほしくはなかった。そんな顔をさせるために戦っていたわけでも、話をしたわけでもなかった。

 ただ、もし本気で私たちとずっと関わっていこうとするならば、在るべき在り方があるのだと、そういいたかっただけだった。

 覚悟を、問うているのだ。ベルコットはそう思った。

 自分とはまるで異なる人生を生きてきて、無数の傷を、苦悩を、後悔を背負った者に寄り添って歩いて行けることができるのかと。自分は何もできないのだという無力感をかみしめながらも倒れることなく、戦う者たちが望んだ平穏に生きる者の笑みを浮かべていられるのかと。

「幸福に生きていてくれるだけで、私たちは自分の人生に少しの価値を見出せるの。祟ってきてよかったって、確かに守れたものがあったんだって、そう思えるの」

 少し泣きそうな声でイレイナがつぶやく。

 目を開く。顔を上げる。まっすぐにイレイナを見つめるベルコットの顔には、覚悟があった。

 小さく、唇をわななかせる。

「……ねぇ、イレイナ。私、ネストが好きなんです」

「知ってたわ……いえ、なんとなくわかっていたわ」

 ですよね、と少しだけ恥ずかしそうに告げる。

 自分でもバレているだろうとわかっていた。そういう反応をしてきた。冒険者組合の受付嬢という定職を失いたくないなどと言いながら、本気で嫌がることはなかった。だって、ネストの近くにいられるのだから。

「イレイナがネストさんに告白されたっていうのはわかってます。イレイナなら、ネストさんの同じ痛みを知っていて、同じように歩いて行けるとは思っているの。お似合いだって……でも」

 涙がにじむ。けれどぬぐわない。頬を伝う一筋の涙がキラキラと輝く。

「私は、諦めたくない。諦められない。だから……そう、宣戦布告しますよ。私は、必ずネストさんに惚れられてみせます」

「……頑張って」

「ッ、なんでそんなことを言うんですか!?イレイナ、あなた、本当は気づいていますよね。理解していますよね。まだその感情が好きだとか愛だとか恋だとかはっきり形を持っているかはわかりませんけれど、イレイナがどれだけネストさんに心を開いているか、万斛の信頼を向けているか、傍で見ていればいやというほどわかるんですよ」

 イレイナにとって、ネストは少しだけ寄りかかりながら歩いて行ける相手だ。経験を、記憶を共にし、痛みを分かち合い、歩いて行ける相手だ。すべてを打ち明けられる相手だ。大切な人だ。

 イレイナがネストに対して抱いている感情は親愛かもしれない。けれど、イレイナはネストを求めている。

 今こうして生きているベルコットを、その日々を、イレイナは「幸福」と評した。それは、ベルコットと一緒に生活しているイレイナにとっても、この日々が幸福であると感じているということではないか。

 その幸福な日々は平穏な空気があって、ネストがいて、ベルコットがいて、熱中できる趣味(料理)があって、わずかなスパイス(戦闘)がある、そんな日々。

 そこには、欠けがあってはいけないのだ。かつての歩みに価値を感じられる戦いも、困難だからこそ目指さずにはいられない料理も、不思議な関係を構築している友人も、これまで多くの人生を一緒に歩いてきたネストも、いなければならないのだ。

 イレイナの「幸福(日常)」にはネストが必要なのだ。もしここでネストがベルコットに惚れてイレイナから距離をとれば、イレイナの幸福は途切れる。

 それを許すようなイレイナが、ベルコットには許せなかった。

 ずかずかと大股で歩み寄り、イレイナの襟ぐりをつかむ。激しい怒りが、新たな涙を瞳に湛えさせる。

「いいですか、イレイナ!私は宣戦布告と言いましたけど、本当はわかっているんです!宣言して退路を塞いでなお、私はネストさんの“二番”になって見せると、そう思っているんです。彼の一番にはなれないと、そう確信しているんです。だってもう、彼の中にはイレイナさんがしっかり根を張っているんですから」

 頭上で、何かを言おうとする気配を感じた。イレイナの胸に顔を押し当てるようにして涙を流していたネストは、背中を包む腕にぴくりと肩を震わせた。

 子どもをあやすようなその手つきが気に食わなかった。暖簾に腕押ししているようだった。飄々としたイレイナは、ベルコットの言葉という燃料を投下されても心を燃やすことはない。けれど、少しでも言葉が届いていればそれでいいと、そう思って。

「……ん?」

 イレイナが不思議そうな声を上げる。その気配が変わる。

「どうしたんですか?」

「……敵ね」

 そう告げた次の瞬間、ベルコットの目の前からイレイナが消え去った。

 煙を突き破って、イレイナは森へと走る。その目には、激しい怒りがにじんでいた。


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