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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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幕間7勇者の失墜

 レオニードは闇の中にいた。一寸の光もない、真っ暗闇。

 己の手のひらを見ることもできない状況で、レオニードは虚空に向かって罵声をまき散らす――こともなく、床にへたり込んでいた。

 折れた聖剣が手から離れて転がる。キィン、と響く澄んだ音に、ようやくレオニードは自分が置かれた状況を認識するために思考を働かせ始めた。

「あの悪魔、俺をどこに送りやがった?」

 闇の中で目を凝らす。勇者の超感覚を持ってしても、レオニードの目は何もとらえることができなかった。何もない、けれど床だけは確かに存在する異界にて、レオニードは小さく息を吐く。

 座り込み、目を閉じる。

 こみ上げる焦りを、気力を押し込む。一度、思考と行動の全てを放棄する。

 小さく呼吸を繰り返す。心を静め、目を開く。

 職業「勇者」。それはレオニードにいくつもの才能を与えている。剣術や体術の成長補正に始まる職業の恩恵は精神面にも及ぶ。

 激情と冷血。内包される二面性は、勇者として必要な才能だ。

 他者を、仲間を連れて人類の英雄として最前線で戦うためには、人々の心を動かす力が必要だった。感情のない空虚な言葉は人の心に響かない。だから勇者は激情家であることを求められる。

 そして同時に、人類を救うために救えぬ命を切り捨てる選択ができる冷酷さをも有している。

 後者の力が、レオニードの怒りと焦りをすっかり消し去った。

 目を開く。何も見えない。そのことに恐怖するも、レオニードは狂うことなくそこにいた。

「……どうすれば帰れる?」

 つぶやきながら考える。

 ここは、悪魔の術によって連れてこられた空間だ。入った際の状況からして、転移とは少し違うように思われた。少なくとも、精神だけがとらわれているといったような話ではなさそうだった。

 手を握る。その感覚はある。足も動く。闇の中、取り落とした聖剣を探す。

「……チッ」

 折れた刃が手にあたり、舌打ちを漏らす。

 勇者である己の誇りの象徴であった聖剣が壊れたという事態を痛感し、レオニードは強く奥歯をかみしめる。

 絶対に許さないと、怒りをもって柄を握る。

 ここがどこだかはわからない。少なくとも音が反響を繰り返すようなことはないから、場合によってはひどく広い場所である可能があった。時間の流れがまっとうかどうかも、世界法則がどうなっているかもわからない。

 けれど、この手には聖剣があって、悪魔に放り込まれたその場所からは一歩も動いていない。であれば、こちら側から出口をこじ開ければいい――そう判断する。

 立ち上がり、握った聖剣を天へと伸ばす。

 目を閉じ、祈る。願う。

 敵を滅ぼすための力を。人類を救うための勇者としての力を、魔力を、己に宿るすべてをひねり出す。

 淡い金の輝きが聖剣にともる。銀の剣に宿るその光は、内包されたオリハルコンによるもの。

 魔法との親和性が非常に高いオリハルコンは、勇者の純粋かつ膨大な魔力に反応してその輝きを増していく。

 けれど足りない。これだけではこの空間からは出られない。

 根拠のない確信を胸に、レオニードはさらに魔力を聖剣に込める。

 黄金の光が糸となり、折れた刃の先へと延びる。

 輝く光剣が形作られる。

 金の光は、もはやまばゆいほどに闇の世界を照らしている。黒々とした足場がレオニードの目に映る。何もない、のっぺりとした平らな床。

 それを強く両手で踏みしめる。

「おおおおおおおおおおッ」

 全身全霊。すべての力を込めて、レオニードは帰還のための一撃を振り下ろす。

 それは勇者の奥義。勇者としての力によって聖剣の全力を引き出すことによって繰り出される一撃は、世界を隔てる壁も砕く。

「ブレイブ・ブレイドッ」

 黄金の剣が虚空にぶつかる。ガァァァン、と重い金属音が響き渡る。波紋を広げるように黄金の光が闇の世界を染め上げる。

 何もない異界。その空間に亀裂が走る。聖剣の先、伸びる光が空間にしみこむように、光の亀裂を広げていく。

 ピシ、と空の破片が落ちる。崩落を始めた穴の先から光が漏れる。

 振り下ろされた聖剣は虚空を切り裂き、勢い余って床にその切っ先を埋めた。

 びっしりと汗を流すレオニードは、ふらつきながら光の先へと一歩を踏み出す。

 手に握る聖剣の先、光の刃が溶けるように虚空に消える。

 まばゆい世界へと、帰還する――

「…………あ?」

 視界がもとに戻り、周囲を見回してようやく、レオニードはここがライオネス領の街、悪魔と戦った戦場であることに気づいた。

 元の場所に戻ってきた。ただ、強い違和感があった。

 悪魔との戦いで大破していたはずの街には復興の兆しが見えた。何より、レオニードの視界に刺さる朝日が、その違和感を強くする。

 目の前、強大な息吹に吹き飛ばされたように潰れる家屋を見て、それから近づいてくるいくつもの気配に視線を向ける。

「……よう、お前ら」

 そこには、亡霊でも見るように驚きをあらわにした仲間たちの姿があった。

 ニヤリと笑ったヒストリカがレオニードの肩を抱く。

「やっぱり生きていたのね。全く、突然いなくなったから驚いたわ。足手纏いだからって置いて行かれたのかと思ったわ」

「俺がお前たちを置いていくわけないだろう?」

「ええ、そうでしょうとも。わたくしたちには使命がありますもの。魔物を殺しつくすその時まで、立ち止まることは許されないのです」

 自分はレオニードの無事を信じていたと、アーリシアがふわりと笑う。

 レオニードは三人目の仲間へと視線を向けて。いつになく浮かない顔をしているティルメニアを見て眉を顰める。

「どうした、せっかくの美人な顔が台無しだぞ?」

「いえ、その……そこの建物は、どうして壊れているの?」

「あぁ?魔物のせいで壊れたんだろ?あれだけの魔物が大量に襲ってきたんだからこれくらい普通だろ……そういやぁ、思ったより壊れてないな?」

 周囲を見回すレオニードの目には、吹けば飛ぶような陋屋がひしめく街並みが映る。魔物の腕が振れるだけでも倒壊しかねないような建物がよくこれだけ無事だったものだと、少し不思議に思って。

 レオニードの勘違いに気づいたティルメニアは、恐る恐る周囲へと視線を向けて。

「ヒッ」

「……何だお前ら」

 四人を取り囲むように、無数の人々が憎しみを瞳に燃やして立っていた。

「勇者様は、もう二か月も戻らなかったの。その間に、この街はだいぶ復興していて……」

 最悪の予感は強くなるばかりだった。

 この街は、かろうじて魔王軍の侵攻を乗り切った。転移によって降り注ぐ凶悪な魔物たちに逃げまどい、家屋を壊され、半壊した。それでも人間は強いもので、明日のために必死に復興を続けてきた。

 壊れた家屋の代わりに、仮の陋屋を無数に打ち立ってひとまず雨風をしのげるまでになった。そうして人心地ついたところで、黄金の光が街の一角で立ち上った。

 ティルメニアたち三人には、その光に含まれる魔力が誰のものであるか一目で分かった。レオニードが、勇者が返ってきたと喜び勇んで訪れた先、乱立していた仮小屋数十棟が吹き飛んでいた。まるで、強大な力に押しつぶされるようにして。

 冷たい汗がティルメニアの頬を流れ落ちる。ティルメニアは、アーリシアほど振り切れていない。ヒストリカほど勇者にのめりこんでいない。自分を下に見た者たちを見返したい、見下ろしたい、それだけだった。

 だから、復興に泥を塗り、数十名を家屋とともに吹き飛ばした勇者(敵)に向けられる殺意に、耐えられそうになかった。

「俺を誰だと思ってる!?さっさと散りやがれこのごみどもッ」

 レオニードの罵声がやけに遠くで聞こえていた。倒れそうになる体を杖で必死に支えるも、飛んできたものにティルメニアはバランスを崩す。

 とろりと、何かが頬を伝う。痛む額へと手を伸ばして。

 濡れた手は、真っ赤に染まっていた。

「出てけよ!」

「何が勇者だッ」

「お前らが、お前らがいるからこんなことになったんだッ」

 憎悪と憤怒に駆られた住民は止まらない。投げられた石が、今度はティルメニアの腕に当たる。手から杖が離れ、体を支えるものを失ったティルメニアは地面に倒れこむ。

 背後に、瀑布のような怒りの噴出を感じた。凍えるほどの殺意の嵐。一歩、地面を踏みしめる音が響く。

「……この俺に、石を投げたのか?勇者であるこの俺にッ」

 怒りのままに、レオニードが一歩を踏み出す。襲い掛かるプレッシャーに、群集心理によって優位に立っているつもりになっていた烏合の衆が瓦解する。恐怖に腰を抜かす者、意識を失う者、脱兎のごとく逃げ出す者。

 そんな間抜けな姿を見てなお、レオニードの怒りは収まらない。

 悪魔にいいようにやられて、何とか帰って来られたと思ったら、助けたはずの人間に()()()()()()()()()

 こんなことがあっていいのか――いいわけがない。

 憤怒に髪は天を衝き、眦は大きく吊り上がる。

 殺してやる――怒りのままに踏み込んだレオニードの足に、ティルメニアがしがみつく。

「ダメ、駄目よ……っ」

「離せ、ティルメニア」

「嫌!絶対に離さないっ」

 離せるわけがなかった。もしもここで暴れたら、もうどれだけ否定しようとレオニードは、レオニードを含めた自分たち勇者パーティは殺戮集団になってしまう。救うべき人類に牙をむいた最悪の存在と呼ばれてしまう。

 それだけは避けないといけなかった。それだけは御免だった。

 体が恐怖で震える。レオニードの殺意が、ティルメニアの体にしみ込んでいく。

 レオニードに本気で攻撃されたら、ティルメニアにはどうすることもできない。レオニードの選択次第で死ぬかもしれない。けれど、死後に蔑まれ続けるよりはよほどましに思えた。

 決死のティルメニアの行動によって、レオニードは止まった。

 冷酷な顔を覗かせたレオニードは、ぞっとするような無機質な瞳でティルメニアを見下ろす。

 互いに、何も言わない。何も言えない。ただじっと向き合う中、ティルメニアは今にも気を失ってしまいそうだった。

「……チッ」

 舌打ちをしたレオニードが、いつもの顔に戻って歩き出す。そのあとに続くアーリシアとヒストリカは、互いに地面に座り込むティルメニアに一瞥をくれて笑う。

 お前はそこで黙って見ていろ、お前にはもう勇者様の寵愛は与えられない――

 それでいいと、ティルメニアは思った。だって、もうこれ以上怖い思いをしたくない。もとよりただの妾腹の貴族の子。レオニードの名声と栄光の道に乗りたいだけの旅に、彼女はもうこれ以上同行する意味を見出せなかった。何より、今の彼女は、レオニードを仲間だとは思えなかった。レオニードのそばにいて安心感を覚えることはなかった。

『俺がお前を守ってやる。だからはお前は黙って俺についてこい』

 かつてレオニードが告げた言葉を思い出す。卑屈になっていたティルメニアにとって、その言葉は福音のように聞こえた。

 けれどレオニードは変わってしまった。仲間(ティルメニア)が傷つくことをいとわず、悪魔を倒すことを優先した。落下の恐怖と、レオニードに風によって吹き飛ばされた際の絶望と痛みが体を震わせる。

 杖を支えに立ち上がる。石に打たれて切れた額の傷からは、まだ血が流れていた。

 目に入った血で片方の視界が赤く染まる。痛くて、苦しくて、涙が出た。

 けれどそれでも、ティルメニアは安堵の息を漏らす。そうして気づく。自分がどれだけ、勇者パーティの一員として過ごすのに心労を積み重ねていたのかを。

 そうして、ティルメニアは逃げるように勇者パーティから、勇者への怒りが渦巻く街を飛び出した。




「……勇者様はどこに行かれるのかしら?街の中央に向かっても魔物はいませんわよ?」

「聖剣を取り戻しに行くんだよ?」

「ん?聖剣はそこにあるでしょ?」

 不思議そうに腰を見てくるヒストリカの視線に気づき、レオニードは苦い顔をして鞘に収まっている聖剣を引き抜く。

 あらわになった刃を見て、二人が息をのむ。真っ二つに断たれた剣はもうどうやっても治りそうにない。

「どうするのかしら?代わりの剣なんてそう見つからないでしょう?」

「勇者様なら聖剣がなくても魔王に勝てるわよ」

「……いや、聖剣は必要だ。聖剣のない勇者なんて勇者じゃねぇ」

 じゃあどうするのか――困惑を表情に出す二人に、レオニードはニィと笑う。

 今まで使っていた聖剣は折れて使い物にならない。だが、聖剣は何もこの世に一本しかないわけではない。多くはどこかの国がこっそりと宝物庫にでも隠しているのだろう。さすがのレオニードも、折れたから新しい聖剣を求めてもどの国も聖剣を所有していることを明かすこともしないだろうとわかっていた。

 宝物庫の聖剣は手に入らない。けれどレオニードは聖剣を取り戻せる可能性を知っていた。随分と昔に手に入れた情報があった。

 あれは確か、まだイレイナを含めた五人パーティで魔物を倒しながら各地を旅していた時のこと。

「……勇者ゴールディーの遺産が眠っているって話があっただろ。あれ、聖剣のことじゃないか?」

 ああ、とどこか淡白な返事が返ってくる。共にダンジョンで情報を見つけたにも関わらず覚えていなかった二人に怒りを覚えるも、つい先ほどまで自分も忘れていたのだからと、レオニードは心を静める。

「……場所は大陸中央部、竜神の戦場『ドラゴニス』だ」

 言いながら、レオニードは半壊した領主の館に近づく。砦のように重厚なその建物は、けれど二月前の戦いによってその堅牢さを失っていた。

「何者だ、止まれ!」

「……勇者か!」

 無遠慮に近づいてきたレオニードに、門を守る二人の衛兵が槍の矛先を突き付けて叫ぶ。

「どけ、お前らに用はねぇよ」

 一瞬、踏み込んだレオニードは衛兵の片方を蹴り飛ばし、もう一人の顎を掌底でたたいた。

 一瞬にして無力化された衛兵を尻目にレオニードは勝手知ったる風に領主の屋敷の中へと踏み込む。

 本邸宅ではなく、その横に用意されている専用の建物。そこへ向かう背中を見て、アーリシアたちはようやくレオニードの「用事」を理解した。

 本邸に戦いの爪痕が残るにも関わらず真っ先に修復されているそれは、全面ガラス張りの温室。

 扉を開けばわずかに蒸し暑い風が吹く。

 熱帯の森のように整えられた緑の奥、寝そべっていたそれを見つけてレオニードは舌なめずりをする。

「……よう、俺たちを運んでもらうぜ、リトルワイバーン」

 リトルワイバーン。それは魔物のワイバーンとは似て異なる存在――幻獣である。

 つややかな黒色の皮を陽光で温めながらまどろみの中にいたリトルワイバーンが薄目を開く。

 リトルワイバーンは、ライオネス領主と契約を交わしてこの温室に住んでいる。契約の内容は、故郷に似た状態の住処と食事を対価に、癒しの力を使うというもの。彼の固有の能力である癒しは欠損部位の回復すらも可能とする至高の力。それを求めた者たちから身を守ることも、契約者であるライオネス一族との約束だった。

 最近、街が騒がしいことは知っていた。魔王軍とやらの使役する魔物が街を襲い、さらには住処を壊された。怒りのままに住処を壊した魔物たちは消し飛ばした。

 最速で修復が行われ、植物たちも枯れることなく済んで安堵の中で眠ろうとすればこれだ。

 怒りに瞳を縦に細くするリトルワイバーンは、不届き者を滅ぼすべく、体を起こして。

 そうして、戦禍の傷跡残る街で、幻獣と勇者パーティが激しい戦いを繰り広げることとなった。


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