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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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幕間4剣聖の孫娘

勇者サイドのお話が数話続きます。

 足はすでに鉛のように重い。全身が倦怠感に包まれていて、一度倒れてしまえばそのまま意識を失ってしまいそうだった。

 むせかえるような血の臭いと、それを上回る死の気配。飛び散った血しぶきが染みついた服から香る臭いに吐いてしまいそうで。けれどそんなことが許されるわけがなかった。


 魔物によって街に危機が訪れる中、お父様は勇者様に救援を求めた。

 当代の勇者様は女性にだらしがないと有名だった。そして、彼は領地を救う対価に私を求めた。私は、覚悟を胸に受け入れるつもりがあった。領民を守るためならばこの身を犠牲にすることを厭わないと、そう誓ったはずだった。

 けれど、心のどこかで叫ぶ自分がいるのもまた事実だった。こんなところで純潔を散らしたくないと、無意味に散りたくないと、そう思っていた。

 ああ、私にとって勇者様に抱かれることは無意味でしかなかった。

 私、スラシャ・ライオネスには覚悟が足りなかった。

 そしておそらくは父や家臣の騎士たちは、そんな私の内心を見透かしていた。私に足りない覚悟を見抜いて、私を逃がす決断をした。

 私は、勇者様から逃がされた。父と騎士たちの手によって、私はひそかに街から脱出した。

 それは、少なくとも当時においては最良の選択肢だった――はずだった。

 旅の途中、街に迫っていた魔物――その中でも高い知能を有する「魔族」を倒したという伝令を小耳にはさんだ。これで少なくとも街は救われる――そう、気を抜いてしまったのだ。

 騎士の一人が叫んだのは、その直後のことだった。

 魔物の襲撃。

 ライオネス領に向かっていたはずだった魔族が率いる魔物の軍勢の末端に遭遇した。

 一瞬だった。私を守って叔父のところまで護衛をしていた騎士の数名が物言わぬ骸となった。唯一ついてきてくれた使用人の女性が、目の前で起きた殺戮に悲鳴を上げた。

 その時にはもう、私たち一団は瓦解に、ただ恐怖のままに、散り散りに逃げ出した。

 運が良かったのか、私は魔物の攻撃を受けることなく走り続けることができた。慣れない山道を歩く足はとっくに限界が訪れていた。私を勇者様から守るために、騎士たちは無意味に命を散らした。

 私に覚悟があれば、彼らは死ななかったはずだ。私が、彼らを殺したようなものだった。

 だからこそ、私は生きないといけなかった。私まで命を散らしたら、何のために街まで出てきたかわからない。

 遠くで聞こえる魔物の軍勢の雄たけびに恐怖しながら、私はただ深い森の中を逃げ続けた。

 けれどただの貴族令嬢に魔物から逃げるような力はなかった。四肢で大地を踏みしめる獣の足音が聞こえた。やけにはっきりと魔物の息遣いが聞こえた。

 魔物が、近づいてくる。巨大なオオカミが、私へと牙をむく。

 私の体は吹き飛ばされた。激しく視界が回り、衝撃が全身を走り抜ける。

 地面に伏した私は、もう起き上がることもできなかった。

 激しい痛みに視界が明滅していた。ゆっくりと白んでいく視界の先、近づいてくる灰色のオオカミの姿が見えた。むき出しにされた牙の白さと、真っ赤な口内がやけにはっきりと見えた。

 生温かい息遣いが聞こえた。私を恐怖させるようにゆっくりと口が開かれ、白い牙が私の肌に刺さる。

 動くこともできず、私はそれを呆然と見ていた。

 オオカミの顔の向こうに、人影を見た。まだ、生き残っている者がいる――そのことが、少しだけ救いになった。ここで私がオオカミをひきつければ、その者は逃げることができるだろう。けれどその人影は、ゆっくりと私のほうへと近づいてきていた。

 どうして来てしまうのか。逃げて――声は出ない。けれど、そんなことを告げる必要もなかった。

 肌を、牙がゆっくりと貫く感覚があった。

 カチリと、小さな音が聞こえた。

 食われると思った次の瞬間、オオカミの頭が傾き、そのまま首が地面を転がった。

 わけがわからなかった。オオカミのぬるい血しぶきを浴びながら、私は呆然と地面に倒れたまま、視界に映る人物の姿を見つめていた。

 見覚えのない人だった。刀を持った女性。長い青髪をたなびかせる彼女は、私なんかとは比較にもならない美しい身なりをしていた。

 女性が刀から手を放す。そこでようやく先ほど聞こえた音が鯉口を切る音であったことを理解した。おそらくは目にもとまらぬ抜刀術によってオオカミを切り裂いた。その技量に感嘆しながら、私は伸ばされた手を取った。鍛錬の証が刻まれた、分厚い手だった。私とは違う、苦労の証がある手。

 その手を、すごく美しいと思った。

「大丈夫かい?」

「はい。助けてくださり、ありがとうございます」

「偶然通りがかれてよかった。あなたのような美しい方の体にぬぐえない傷がついてしまうところだった」

「いえ、貴女に比べれば私など到底美しいと形容できる容姿をしているとは思えません」

「そうか?こんな身では女に見えるかどうかも怪しいだろう?」

 そういいながら肩をすくめて見せる彼女は何も理解していない。その体からにじみ出る包容力を、気品ある立ち居振る舞いを。

 互いに譲らず、無言の時間が満ちた。吸気に混じる血臭に我に返って、私は気持ちを切り替える。

「あの、私以外の者を見かけませんでしたか?散り散りになって逃げていたのですが」

「む、他の者か。見かけなかったが……さて、少し待っていてくれ」

 女性が目を閉じる。耳を澄ませ、あるいは自身の感覚を周囲に溶かすように広げる。

 女性にならうように、私もまた耳を澄ます。聞こえてくるのは葉擦れの音ばかり。もう、無数の魔物が織りなす死の足音は聞こえなかった。どうやら襲われた場所から相当遠くまで来てしまっているようだった。

 目を開く女性の顔に苦渋がにじむ。皆は死んでしまっているのだろうか。

「……すまない。近くには人はいないようだ」

「いえ、まだ再会できないと決まったわけではありませんから。……それで、重ね重ね厚かましいとは思いますが、どうか私をジルコニス王国のアーウェイン男爵領まで連れて行ってくださいませんか?」

「む?ジルコニス王国、だと?かなり遠いな」

「……ここは、どのあたりなのでしょうか?」

「この辺りはレイア王国の領地になるのか?大陸中東部だな」

「……は?北部ではなく?」

 おかしい。私たちが祖国の街を出発してからまだ二週間も経っていない。大陸北部にある王国から大陸東部にあるレイア王国まで徒歩で移動しようものならざっと半年はかかる。

 ずい、と女性が私に顔を近づけ、臭いをかぐように鼻を鳴らす。逃げる最中に身を清めることなんてできていなかったから正直すごく臭いだろう。思わず赤面して女性から離れるも、彼女は眉間に深くしわを刻んで深刻そうに何かを考えていた。

「……膨大な魔力の残滓を感じるな。おそらくは何らかの魔法を浴びたはずだ」

「……魔法、ですか?」

 記憶を探るも、覚えはない。ひょっとしたら無心で逃げている間だろうか。

 こうして体に残っているような量の魔力を浴びたというのであれば相当な規模の術だったのだろう。直接術を掛けられたのならさすがに私でも気づけただろうから、何かに巻き込まれた可能性がある。

 大陸北部から東部へわずか二週間で移動していたという異常性を考えると、ひょっとしたら空間魔法に巻き込まれたのかもしれない。

 私の仮説を聞いた彼女は、一層渋そうな顔をした。それはそうだ。そんな魔法が発動されたとしたら、そこには魔族の存在を疑わずにはいられない。つまり、この近辺にも危険があるということだ。

「……空間魔法、か。厄介だな」

「そう、ですね。ですがまだ魔族だと決まったわけではないですよね」

「いや、魔族だろうな。あなたの体に残る魔力は人のものではない」

「そう、ですか」

 本当に、最悪だった。いつ魔法に巻き込まれたかはわからないが、その魔法が放たれた先はきっと我が領地だろう。

 父は、家臣は、民は無事だろうか。ライオネス領は無事だろうか。

 これだけ離れていては、万が一危機にあるとしても駆けつけることもままならない。

 途方に暮れていた私の頭の上に女性の手が乗る。そのまま、髪をかき混ぜるようにわしわしとなでられた。

「さて、と。おそらくは行くところがないのだろう?これも何かの縁だ。私の旅に同行しないか?」

「それは願ってもないことですが、どちらへ向かわれるのですか?」

「うむ、妹弟子のところへ行こうと思っている。何、最近スケコマシに追放されたというので、今どうしているのか気になってな」

「スケコマシ……」

「ああ、あの男はひどい好色だからな。祖父の顔に泥を塗るようで許しがたいが、さすがに会ったこともない相手をこれ以上ひどくいうつもりはない。正直なところ、伝え聞く言動から率直にアレを評価するのであれば『女の敵』だろうな」

 なぜだろう。目の前の女性が憎しみを込めて話す男の内容から、思わず勇者様のことを思い浮かべてしまった。

 勇者様も、まさにスケコマシだった。ああ、いや、彼の場合は勇者という力がなければ女性を口説き落とすこともできないから、ただ女の敵というのが正しいだろう。

 まあ、私に選択肢はない。次に魔物に襲われたら命がない以上、私は彼女についていくしかない。せっかくの厚意に甘えよう。

「では、ご一緒させてもらえますか?」

「ああ、旅の道連れが増えてうれしいことだな。私はアレイン・リシェントだ」

「アレイン・リシェント様ですね……リシェント?」

 リシェントといえば、先代の勇者様の家名だ。今なお英雄と名高い彼の関係者だろうか。ひょっとして、娘……いや、孫だろうか。

「む?もしかして知っているか?ああ、自分で言うのもなかなか恥ずかしいところだが、私は先代勇者キグナス・リシェントの孫にあたる」

「やはりそうですか。お会いしたことはありませんが、先代勇者様のご高名は耳にしています。私はスラシャ・ライオネスです」

「ライオネス……もしかして、魔王軍との戦いの最前線の?」

「はい。そのライオネスであっています。やはり、空間魔法による転移か何かに巻き込まれたのでしょうね……」

「何、ひとまず妹弟子のところへ急ぐが、ひょっとしたら早く帰るための方法が見つかるかもしれん。最近伝え聞くアレの話はなかなかに突拍子もないものだからな」

 早く帰るための方法が見つかる?その表現だと、妹弟子という方がその方法を持っている可能性があるように聞こえる。おそらくは先代勇者様のお弟子様なのでしょうし、可能性はゼロではないかもしれない。

「というと、妹弟子という方は著名な魔法使いなのでしょうか?」

「いいや、あれは斥候だ。勇者に使いつぶされるかと危惧していたが意外としぶとく生きているようだ。しかも追放を機に吹っ切れたようでな」

「追放……勇者?あの、その妹弟子という方は、勇者様のお知り合いというか、パーティメンバーということでしょうか」

「ああ、元、な。イレイナというのだが、知っているか?ああ、それとたぶん、向かう先にはネストのやつもいるだろうな」

 イレイナに、ネスト。その名前を私が知らないわけがない。何しろ、その二人は以前ライネウス領を救ってくださった英雄様方なのだから。その時は勇者様に会わないようにと別の街に避難していたから、お二人にお会いすることはできなかったけれど。

 あれ、ということは先ほどの「女の敵」というのはもしかしなくても当代の勇者様のことだろうか。

 そのことを確認する中で私がどうしてこのようなところになるか、そのことを話すことになった。私が語るほどに、アレイン様はまるで抜身の刃のようにその気配を鋭くしていった。

「……ほう、あの男が、な」

 ひしひしと感じる敵意に鳥肌が立つ。驚いたように樹上から飛び立った鳥がガサガサと枝葉を鳴らす。

 何やら運命めいたものを感じながら、私たちはアレイン様と共に勇者様の元仲間がいらっしゃるという街へ向かった。


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