37ギョブリン
魔物の中で最も不味い肉は何か――その議論で真っ先に上がるのがゴブリンというマモンである。緑色の肌をした矮躯の鬼。不衛生な腰蓑を身に着け、その辺の木の枝をへし折ったような棍棒を持つゴブリンは、子どもでも倒すことのできる魔物の一種だ。
スライムと同程度に語られる最弱の魔物であり、繁殖能力ではホーンラビットという角持ちのウサギの魔物に劣るという何とも微妙な存在であるゴブリンだが、少なくとも二足歩行する魔物の最弱である。
そして肉が不味い魔物ランキングをするのであればおそらくは堂々の一位だろう。その不味さは、飢えて死にそうな獣すら行き倒れのゴブリンの肉を食べないことからも明らかだろう。腐肉を食らうハイエナだって決して手をつけない、生き延びるための最後の手段。それがゴブリンという魔物であり、その肉である。
ただ、それはゴブリン種全体での話ではない。
ゴブリンはスライムと同じくらいの高い環境適応性を持つ魔物としても知られており、各地の厳しい環境に適応して生き延びる。それはひとえにゴブリンの弱さからくる生き延びるための力だともいわれているがそれはともかく。
環境に適応したゴブリンは、その生命の在り方を大きく変える。例えば砂漠に生きるゴブリン――通称スナリンは肌が砂と同化する薄茶色であり、強靭な飢餓耐性を持っており、なおかつ砂嵐の中で獲物を手に入れられるようにと目が悪くなった代わりに聴覚が異常に発展している。地底で生きるゴブリンはヤミリンと言われ、暗闇をも見通す巨大な出目をしている。わずかな光を帯びているその眼は一切の光のない闇の中でも自らが放つ光によって確実に糧を見出す。さらには土を掘ることに特化したいびつな手の形をしている。
そして環境適応による変化の激しいゴブリンの中でもひときわ特異な存在とされるのが、水中生活に適応したギョブリンと呼ばれる個体である。
頭部は魚、肺呼吸と鰓呼吸の両方を行うことができ、指の間には水かきをもち、体の色は水色。水中と水辺での活動に特化したギョブリンだが、彼らがゴブリン種の中でも特異と言われる竜はそれらの肉体にあるのではない。
何を隠そう――ギョブリンの肉は食べられるのである。それもかなりの美味だ。
淡白な白身魚のような肉をしており、しかもその肉はわずかに香草のような香りをしているという。普通に焼くだけでも十分においしく、血抜きをせずともその体にあるほのかな塩味だけでおいしく頂けるギョブリンは不味い代名詞のゴブリンの中でも特異的な存在であった。
そんなギョブリンの目撃情報を見つけたイリエナはわき目も降らずにその以来に飛びついた。
鼠算式に増える農家の天敵のホーンラビットほどではないが、ゴブリン種もまた多産で知られる。ゆえに目撃されたら迅速な駆除が求められる。
依頼の緊急性を鑑みても、ネストとベルコットはその提案に否を唱えることなく、ただ苦笑を浮かべながら意気揚々と冒険者組合の受付に進むイレイナを生暖かい目で見つめていた。
早速依頼を受けて街を出た三人は、一路街道をひた走り、途中でそれて森の中へと足を踏み入れた。
生い茂る木の枝を切り払いながら戦闘を行くイレイナだが、立てる音はひどく小さい。枝を切り払うナイフの一閃は吹き抜ける風に合わせられ、地面に落ちる枝は葉擦れの音にかき消される。
自然の一部となって進むイレイナの後を追うベルコットは、もう何度目かもわからない感嘆に心を震わせていた。こうしていると、前後を行くイレイナとネストがひどく遠い存在のように思われた。何を隠そうイレイナたちは元勇者パーティのメンバーである。勇者が幼馴染であったという縁もあるのだろうが、少なくともしばらくの間は勇者と肩を並べて旅をしていたのだ。その実力は確かなものだった。
パキリ、と踏んだ木の枝が小さく音を立てる。自分がひどく場違いな存在に思われて、ベルコットは肩を縮こませた。
動きを止めてイレイナが片手をあげる。腰をかがめたイレイナが、回り込むように茂みに紛れて姿を消す。
音を響かせることなく戻ってきたイレイナが指で軽く情報を伝達する。数は十三。目的の魔物――すなわちギョブリン。ほかの敵はなし。
逃がさぬように散会する。ベルコットはイレイナとネストの姿が見えなくなったことに内心強く心細さを感じながら、それを振り払うようにメイスを握る手に力を籠める。
もともとベルコットは剣で魔物と戦っていたが、それはネストとイレイナが始動できてなおかつ魔物との戦闘において初心者でも扱いやすい武器が剣だけだったからだ。基本的に初心者に最も勧められるのが魔物との距離をとれる槍であり、次いで剣、あるいはメイスとなる。
このタイミングでベルコットが武器をメイスに変えたのは、ひとえに鍛冶能力の成長の鈍化にあった。戦闘で打撃武器を使うことで少しでも鎚を振るう能力を向上させることができたならという、そんな涙ぐましい計画だった。
メイスに慣れてないベルコットにできることは少ない。ただその質量をもって敵を殴り倒す。しばらくはそれだけ考えていればいいだろうとイレイナとネストは判断した。
意識を研ぎ澄ませ、茂みの先で動く影をにらむ。水色の少し皮っぽい体をした二足歩行の魔物――ギョブリン。水気によって艶のある肌を惜しげもなくさらすギョブリンたちは平和を謳歌していた。そんな集団の中、こちらに背を向けている個体にベルコットは標的を定める。
息を整え、走り出す。
茂みが揺れ、ギョブリンの一体が顔を上げてベルコットを見る。
『ギョ!?』
その鳴き声でいいのかと突っ込みを入れたいような声で叫ぶギョブリンに集中力が切れそうになりながらも、ベルコットは狙いを定めたギョブリンの頭部めがけてメイスを振りぬく。鋭いスパイクのついた鉄の球体がギョブリンの頭部に襲い掛かる。
ただ思いっきり殴る――それは単純明快で、余計な思考を必要としないからこそ効果的だった。
降りぬかれた一撃が、ギョブリンの体を五メートルほど吹き飛ばす。致命傷。
倒れたギョブリンは起き上がらず、仲間がやられたことに動揺するギョブリンたちの動きは遅い。
さらに踏み込み、メイスを振るう。ギョブリンの腹部に叩き込まれたメイスが、その体を大きく後方に吹きとばす。筋力が上昇した今のベルコットであれば、ギョブリンを吹きとばす程度なんてことはなかった。
『ギョギョッ』
動揺から立ち直ったギョブリンが警戒を叫び、一斉に戦闘態勢に入る。だが、少し遅い。
側面から郷愁したネストがギョブリンの首を切り飛ばす。少量の血を飛ばしながらギョブリンが地面に倒れ、混乱が拡大していく。
背後、陽光を乱反射する水面が美しい泉に逃れようと動き出したギョブリンたちの足に、どこからともなく飛んできたナイフが突き刺さる。地面に倒れたギョブリンは、そのままベルコットとネストの得物の錆となった。
「……敵影なし」
ぬるりと木の幹の上から現れたイレイナが音もなく着地し、周囲を見回しながら言葉少なに告げた。
途端に押し寄せる生き物を殺したという感覚に少しだけ気分が悪くなりながら、ベルコットは体の中に広がる熱をまとめて吐き出した。
すでに何体も魔物を倒してはいるけれど、いまだに命を奪うその瞬間の感触には慣れなかった。それでもメイスで殴るほうが剣で肉を切り裂くよりは幾分かましだったが。
広がる血臭に魔物が寄ってくる可能性もあるため、早急な解体が求められる。だが、さすがにベルコットの能力では素早い解体などできない。そして料理の素材としてギョブリンを見てしまっているイレイナも、ギョブリンの解体においては究極な不器用を発揮する。
ゆえにこの場でまともな解体ができるのはネスト一人でイレイナは周囲の警戒に、ベルコットは泉の岸辺に作られていたギョブリンの巣の解体に臨んだ。
最も美味な足の肉を集め、討伐の照明ともなるわずかにとがった右耳を集め、心臓にある魔物の魔力貯蔵器官である魔石を取り出す。
「接敵、数4……ベルコット」
気づけばネストのそばに立っていたイレイナが、泉の周囲に広がる森から視線を外すことなく告げる。慌てて巣の解体から戻ったベルコットがメイスを握って森をにらむ。
果たして、その先から現れたのは先導するギョブリン一体と緑色の肌が特徴的なゴブリンが三体だった。
新たな同胞を連れてきたらしいギョブリンは、けれどそこに自らの同胞がいないことに藍色の瞳をくわと見開いて立ち尽くす。たらこ唇から「ギョギョ」という驚愕に満ちただみ声が響く。
「やぁッ!」
踏み込み、一閃。メイスは動きを止めたギョブリンの顔面を陥没させ、背後に続くゴブリンたちを巻き込んで吹き飛んでいった。




