4血みどろのマッシュポテト
「いい?職業は僕たちの成長を手助けしてくれるけれど、不思議現象を引き起こしてくれるものではないんだよ。だから例えば、食べ物ではないはずの岩を食べられるようにすることはできないんだよ」
「でもロックゴーレムだったでしょ。ただの岩じゃないんだから、可能性があってもおかしくないでしょ?」
「岩は岩、食べられないの。分かる!?」
ずい、とテーブルに乗り出して告げるネストの必死さに気圧されたからか、流石のイレイナもそれ以上ロックゴーレムについて何かを言うことはなかった。
「そもそも、何事にも順序があるんだよ。まずは食材の調達を自力でやろうってあたりがおかしいんだよ」
「……料理の基礎って何?」
そこからか、とネストは机に突っ伏して唸る。
「うーん、切る……は危ないよね。火を使うのも怖い。……潰す?」
「なるほど、岩を潰すのね。確かにあれだけ大きくて硬いと食べられたものじゃないものね」
「だからロックゴーレムは食べものじゃないからね!?」
悲痛な叫び声を上げるネストが、顔を上げる。わかってるって、とイレイナは顔を歪めながら頷いた。
「あら、ロックゴーレムもきちんと調理をすれば食べられるぞ?」
しわがれた声で告げられた言葉に、ネストは息を飲んだ。
恐る恐る振り返った先には、真っ黒なフード付きローブに身を包んだ、魔女と思しき老齢の女性がいた。気配無く背後を取られたことも、薬や錬金術に造詣が深い、関われば魂を抜かれると恐れられる魔女に声を掛けられたことも、ネストにとってはどうでもよかった。それよりもネストを驚愕させたのは「ロックゴーレムが食べられる」という内容だった。
「……やっぱり食べられるのね?」
「もちろんさ。ロックゴーレムは古の魔女が造りし人工生命。生命である以上は世界の理によってロックゴーレムは生命となり、食用可能な存在となるのさ」
ヒヒ、と怪しげな笑い声をあげた魔女をイレイナは尊敬のまなざしで見つめる。ネストはひどい頭痛を感じて頭を押さえた。
「ふむ、信じていない顔だね?」
「ええ、まあ。現につい先日口に入れた際に、ロックゴーレムの体は確かに岩だと強く感じましたから」
それは楽しいことをしたねぇ、とおかしそうに告げる魔女に、ネストは腹の底からふつふつと怒りが沸き起こるのを感じていた。冗談でも笑いごとでもなかったし、イレイナにおかしなことを吹き込むのをやめて欲しかった。
せっかくイレイナが勇者パーティから解放されて、あまつさえどういう風の吹きまわしか、幸運にもネストはイレイナと一緒に暮らすことになった。このチャンスを逃してしまっては、今度こそネストからイレイナは離れて行ってしまう。
だから早くイレイナに真っ当な道――食べ物でもないものを調理しようと努力しない道――を歩かせようとしているのに余計なことを吹き込まれてはたまらなかった。
だが、嫌われ者の魔女にとって、ネスト程度の視線などどこ吹く風だった。
「ヒヒ。いいかい、お嬢ちゃん。ロックゴーレムの調理には薬学と錬金術の知識が必要なんだよ。その気になったらいつでもあたしのところをたずねて来るといいさ」
「間に合ってます!」
そうネストが叫んだ次の瞬間、老婆は不吉な笑い声だけを残して霞のように姿を消した。
「薬学に錬金術……」
「まずは基礎からだよ!料理の腕なしに高度な食材は扱えないんだからね!?」
ロックゴーレムが食材であるか否かは、後回しにして。
ネストはこれ以上イレイナが迷走しないようにと、彼女の成長をサポートすることにした。
場所を食堂から宿に変えた二人は、エプロンを身に着けて万全の態勢を整えていた。イレイナの赤いエプロンについた絵の具のようなおかしな色合いの汚れが気になりつつも、ネストは頬を張って気合を入れる。
「いい?絶対に他に手を出さないでね?危ないし、部屋は借りているだけなんだから」
強く念を押すネストを見ながら、イレイナは「そこまで念を押すことはないだろうに」と心の中でぼやいた。それを見透かしたのか、ネストは再び言われたこと以外の一切の行為を禁止した。
「……呼吸もだめ?」
「それはいいよ」
「拍動は?」
「もちろん……ってああもう。常識の範囲、というか生存の上で必要なことはしてもいいよ!っていうかイレイナってこんな面倒臭かったっけ?」
「面倒くさいはひどいでしょ。大体、ネストの言い方が悪いんだよ」
「……はいはい。まあ僕が悪かったってことでいいよ。でも、絶対に言われたこと以外、料理に手を出さないでよ?」
「…………わかった」
しぶしぶと言った様子で返事をしたのを見届けてから、ネストは用意した食材を前に調理を開始した。
芋の皮をむき、水にさらして灰汁とりをしてから茹でる。串を差して中まで火が通っていることを確認したら、ボウルに入れてイレイナの前に置く。
湯気を立ち昇らせる芋を見ながら首をひねるイレイナに、ネストは子どもにやるように手のひらにスマッシャーを握らせる。
「いい?これを潰すだけでいいから。まずは子どもがお手伝いをする程度のものから始めればいいんだよ」
不安はなかった。この程度であればイレイナでも問題なくできると、そうネストは思っていた。――それをするのが、絶望的な料理音痴であるイレイナでなければ、たやすく達成できる任務だっただろう。
味付けのために塩やミルクを取ろうと、背後を剥いたその時。
ドゴ、とまるで料理の効果音とは思えない重い音がして、ネストは慌てて背後を振り返った。
連続で響くその音と共に、芋の破片がはねてあちこちへと跳んでいく――がそのこと自体は良かった。そんなに振りかぶるなとか、力を籠めすぎだとか、言いたいことはあった。
けれどそれよりも、とんでいく飛散物の中に、赤色が混じっていたように見えたのがネストの心を揺さぶった。
ドシャ、グチャ、バキ――響く音と共に、連続で振り下ろされるスマッシャーが三回に一回ほど、ボウルを押さえるイレイナの手を襲う。冒険者として鍛えられたステータスがもたらす攻撃力は、スマッシャーを手にしても発揮された。
一振りするたびに、スマッシャーに攻撃されたイレイナの手は傷つき、血が飛び、流れる血液が芋を赤く染める。
「ちょ、ストップ!」
そうネストが止める時には、マッシュポテトは血に濡れて真っ赤になっていた。
「……いや、不器用過ぎない?」
「おかしいのよ。確かにできていたはずなのに」
痛みを感じていないわけでもないだろうに、イレイナはとにかく不思議で仕方がないといった面持ちで、血みどろのマッシュポテトを睨んでいた。
「もはや呪いだね。料理音痴の」
「まだよ。まだできる。しっかりポテトを潰すから……!」
再び振り上げられたスマッシャーを、ネストは慌てて止める。それからイレイナの治療に奔走する。
血で染まった芋を食べるのはためらわれ、ネストは冷え切ったそれを、射殺すような視線を感じながら処分した。
イレイナの料理指導の先行きは真っ暗だった。