33狂薬の魔女
薬草の匂いが染みついた店の奥、老婆の歓喜極まった悲鳴のような声が響いた。
その目の前にずどんと置かれた巨大な白色の物体に、いとおしそうに頬を摺り寄せる。優し気になでる手つきは、妊婦のお腹に触れているかのよう。
そんな祖母を、ベルコットは引きつった顔で見つめていた。もとより祖母が狂人の類であることなど知っている。何しろ彼女は魔女なのだから。己がこれと定めた学問に立ちはだかる未知を解き明かすことに命さえかける狂気を秘めた一人である狂薬の魔女は、けれどいつになく狂っていた。
彼女が慈しんでいるのは、でっぷりとした蕪のようなマンドラゴラである。もともとマンドラゴラはその外見だけはただの大根によく似ている。サイズも、大きさも。せいぜい色つやが普通の大根とは比較にならないほどきれいで、透き通った白色をしていること、それから葉っぱが大根とは違うくらいだ。けれどそれらも、保存のために乾燥させてしまえばぱっと見はしなびた大根でしかない。
そんなマンドラゴラは、霊薬や秘薬の素材として重宝される高価かつ希少な薬草だった。
採取相手に死の悲鳴を浴びせるマンドラゴラは、見つけることの困難さはもちろん、採取自体も基本的に不可能である。ゆえに市場に流れることはまずない。
そんなマンドラゴラの、しかも異常個体。でっぷりと太った、あるいは魔女以上の体積をしたマンドラゴラの存在など、魔女は考えたこともなかった。
散歩に行くように姿を消したイレイナが帰還したのはわずか三十分後のこと。野山をいくつも踏破してかつてマンドラゴラを手に入れた聖域に足を運んでいたイレイナはそこで新たなマンドラゴラを見つけて流れるように討伐して帰還を果たした。
その脅威の行動力と成果を前に、ベルコットは顎が外れる思いだった。そして祖母である魔女の醜態を見て愕然とし、ふらふらと椅子に座り込んだ。
それから実に十分、魔女はマンドラゴラに頬ずりを続けた。
「おばあちゃん!」
「む?……おお、お嬢ちゃん。いいや、イレイナよ。実に素晴らしい。これはわしの手持ちの金では足りん。必ず支払うゆえ分割払いでも構わんかの?」
「別にそこまでのお金はいらないわ。ただ、私は料理ができるようになればいいもの」
「そうだったな。では期待に応えんといかんか。名残惜しいがひとまずマンドラゴラはこのまま置いておくとしようか……いや、せっかくだから一石二鳥といくかの。確か、マンドラゴラの調理はできたのだったな?」
「そうね。これだけはまっとうな料理だとネストに言われたわ」
「ふむ……では早速作ってみてはくれんか?別にそこまで量を作る必要もない、ひとかけ程度なら料理として腹に収めても構わんだろう」
「無理よ?」
「……む?」
見つめあう二人。耳が遠くなったかと己の聞き間違いを疑った魔女は咳ばらいをして改めてイレイナを見つめる。
「出来ぬといったかの?」
「ええ、できないわ。私は料理ができないの」
「それは聞いておる。だがマンドラゴラは料理できたのだろう?」
少しだけ悩むそぶりを見せてから、イレイナは苦渋に満ちた顔で首を横に振る。一体どういうことかと、やや厳しい視線で魔女は矛盾を問う。
「あれは料理ではないわ」
「では何を作ったというのだ?」
「マンドラゴラのサラダね。でもあれは、あえて表現をするなら解体よ」
「それはそうかもしれんな。ただマンドラゴラを切り刻んだということだな。加熱もなしかの?それでは確かに料理とは言えぬか」
「そうよ。ただ切り刻んだの。戦闘としてね」
その言葉を聞いて、魔女はうつむいてその冴えわたった思考を加速させる。マンドラゴラにまつわる詳細を聞いていなかったベルコットもまた、イレイナの言葉の意味を咀嚼するように、険しい顔でうなる。果たして、何かに気づいたように顔を上げた魔女は、その目に確信を宿して言う。
「つまり、イレイナは料理ではなく戦闘としてマンドラゴラのサラダを用意したというわけか。料理でも、解体でもなく」
そう、イレイナにとってあれは料理ではなかった。ネストの胃痛を治すためだとはいえ、必死にこれは料理ではないと己に言い聞かせながらマンドラゴラを切り刻んだのだから。
あれは料理ではなかった。それが、イレイナの結論だった。
「では、仮に今ここでマンドラゴラを切ったとしてどうなる?」
「……多分さっきみたいに不思議な料理になる……いえ、普通にサラダになるかもしれないわ」
「どうしてそう思う?」
「一応仮説を考えていたのよ。当時、私はまだ料理の腕が一向に成長しないことが呪いに等しいと思っていたの。そして、マンドラゴラの絶叫によって死ななかったことで確信したの。私は自分の体に宿った呪いによって、マンドラゴラの呪い(悲鳴)を無効化したんだって」
「イレイナのそれは呪いではないな」
「ええ。あなたが言うのならそうなのかもしれないわ。だとすると考えるべきは、どうしてマンドラゴラの場合だけは例外的にネストがおいしく食べることができるものになったのか。後で検証してみたのだけれど、戦闘だと意識するだけではだめだったわ。生きたままオークを焼き殺しても、ネストはその肉でお腹を壊してしまったもの。だから、マンドラゴラそのものが特殊だったと考えたの」
「……その薬効、あるいは神聖かの?」
「そうね。呪いのような私の魔力を、マンドラゴラははじき返した。だからネストが泣きながら食べることができた……そういうことじゃないかしら」
マンドラゴラは蘇生薬の主となる材料である。それほどに高い、ともすれば神性といえる薬効がイレイナの魔力による料理音痴を妨害したのではないか。それが、イレイナの最終的な仮説だった。
「……では確かめてみるかの」
早速とばかりにマンドラゴラの一部をナイフで切り取った魔女は、それをナイフとともにイレイナに手渡す。ほとんど皮だけだったのは、万が一イレイナの手でせっかくのマンドラゴラが劇物になっても惜しまずにいられるようにということだろう。多少は減っても構わないといいながら魔女は正直だった。
早速とばかりにイレイナはできるだけ「これは料理ではない」と言い聞かせながらマンドラゴラの皮を手の中で切り裂く。だが、心のどこかでこれは料理であるという意識が残っていたからか、イレイナは致命的な不器用さを発揮して、マンドラゴラの皮ごと己の手を切りつけた。
血とともに、一瞬で黒ずんだマンドラゴラの皮が床に落ちる。
「……ええ?」
さすがの異常事態に、ベルコットは目を疑わずにはいられなかった。もとよりイレイナの料理はおかしいが、ただナイフで切っただけでここまでの変化が起こることはなかったはずだった。最近ではイレイナの料理場面を監修していたことはなかったから、久々に見た異常な現象に驚いたということもあった。
はらりと床に舞い降りたマンドラゴラの皮を残念そうに見つめていた魔女は、強酸用の手袋をはめて床に落ちた皮を拾い上げる。
「……これはまたおかしな変化をしたものだね。マンドラゴラの力によるものではなかったということだろうかね。他に何か、そういった特殊なものを料理してみたことはないのかい?」
止血をしていたイレイナは記憶を探り、はっと目を見開いた。
「そういえば竜神の肉を料理したわ」
「…………リュウジン?それは人の名前かい?」
「竜神は竜神ね。竜の神と書いて竜神。ドラゴニスで暴威をふるった怪物のことよ」
くらりとめまいがして、ベルコットは額に手を当てる。それから精神的な健康を保つために、ベルコットは両耳をふさいで話から逃げる。
孫のとっさの機転に気づかぬまま、魔女は自分の中にある竜神とイレイナの話に出てきた情報を一致させようと頭をひねる。だが、点と点は線でつながらない。何しろ竜神はもうかなり前に勇者によってたおされているのだ。その竜神がまだ存在していて、しかもその肉を調理したなど、魔女でなければ、イレイナの異常性を知っているものでなければ何を戯言を言っているのだと笑い飛ばしていただろう。
失笑者の大ぼら吹き――そう結論を出すことはできなかった。何しろ魔女はつい先ほど、イレイナの異常性をまざまざと見せつけられたのだから。亜種といえる巨大なマンドラゴラを一刻とかけずに採取してきたのだ。これがマンドラゴラの実物を見る前であったらな、イレイナを笑い飛ばしていただろう。
そうできればどんなに良かっただろうかと、魔女は冷や汗を流しながら唇をわななかせる。
「……ひょっとして、竜神はまだ生きているのかい?それとも蘇った?」
「蘇った……その表現で間違っていないと思うわ」
だが、それにしては竜神が暴れまわったという情報はない。いくら魔女がこの街から遠く離れた場所に出向くことがないとはいえ、そのレベルの情報が出回っていないはずがない。つまり、基本的に誰も竜神の復活を知らないということ。それは、災厄を前にして準備をすることもできないうちに襲撃されるという最悪の状況を意味しているように思えて。
震える手で、イレイナの肩をつかむ。恐怖にその目を揺らしながら、魔女は最悪を予感してイレイナに問う。
魔女は竜神を知っている。その惨劇を知っている。齢九十を超えた魔女の脳裏には、竜神による惨劇の記憶が鮮明に刻まれていた。その記憶が色あせることはない。人類には決してあらがうことができないと、そう思った怪物の戦禍を思い出した体の震えが止まらない。
「……竜神は、生きているんだね?」
「生きていないわ」
は、と目を見開いた魔女が動きを止める。驚きと困惑のあまり体の震えが止まる。
目を瞬かせ、眉間をもみほぐして。それから、恐る恐る、ばかげていると笑い飛ばしたい確信をもって魔女はイレイナを見る。
「竜神を、殺したのかい?」
「水から肉体を作り出したあれが本当に竜神だったなら倒したわ。まあ空を覆うほどの巨大な蛇のような怪物で、膨大な水や氷を手足のように使って見せるあれは竜神ではないのかしら?体を小さくして逃げようとしていたけれど、最後は食べてしまったわ」
ひょっとして自分は竜神の眷属か何かと勘違いしているのではないか――そう考えるイレイナだが、魔女は今の言葉をもってイレイナが竜神を見たこと、そして蘇った竜神を本当に倒してしまったことを理解した。何しろ、現在語られている竜神の姿は、一般的なドラゴン、すなわち西洋竜を巨大化したものであるから。
もっとも、当時のことを見聞きした知恵者に聞いた可能性が否定されるわけではない。ただ魔女は、イレイナがそんな仕方のない嘘をつく人物ではないと、先ほどからの交流で理解していた。
しわだらけの頬を一筋の涙が伝う。
「そう、か。そうだったか。竜神は、本当に死んだのか。……本当に、ありがとう」
くしゃりと顔にしわを寄せ、晴れやかな顔で告げる。それは、竜神による災禍に巻き込まれた者の一人として、あるいはその代表としての心からの言葉だった。故郷を飲み込み、友人を、家族をすべて滅ぼした竜神が死んだと聞いて、魔女は胸がすく思いだった。
目じりにたまる涙を指で掬い取り、魔女は吹っ切れたように歯を見せて笑う。竜神の被害者の代表として、イレイナには全力で恩返しをしなければならないと決意をして。
「さて、それじゃあ早速いろいろと試していこうかね」
その言葉に期待を込めて、イレイナは強く、強く頷いた。




