32絶叫の紫スープ
イレイナとベルコットが足を運んだのは、街の奥まったところ、入り組んだ小道をぐるぐるとした先にあった。
ベルコット曰く、正しいルートを進まないと店にたどり着くことはできないのだという。ロマンあふれる不思議な術に目を輝かせるイレイナを見て、ベルコットはやっぱり祖母とイレイナを引き合わせたくないとその足取りを重くした。
どこか不気味さを感じる一軒家。レンガ調の建物の煙突からはうっすらと紫がかった煙が立ち上っていた。庭を覆う鉄柵には蔓薔薇が絡まり、血を吸ったような毒々しい赤色の小さな花が咲いていた。
何度足を運んでも、祖母の薬屋を前にすると少しだけ呼吸が苦しくなる。どこかひりつくような空気を感じ、ベルコットはちらとイレイナの方を見る。
「……どうかしましたか?」
「?……高ぶっているの」
にやりと笑ったイレイナが颯爽と歩きだす。置いて行かれないように小走りでイレイナの横に並んだベルコットは、行く手を阻む鉄柵を開き、敷地へと足を踏み出す。
蔓の絡まる柵の向こうには、美しい花畑が広がっていた。赤、紫、白、黄色。その存在を主張する花々は、けれどきれいな外見を持っているだけではない。魔女が育てている花が、ただの花であるはずがないのだ。
生温かい風が吹き抜けていく。揺れる花々は、そのどれもが強い薬効、あるいは毒性を持つ。中には花弁の一枚を口に含むだけで人が死に至るような猛毒を持ったものもある。
花の秘めた恐ろしさを知ってから知らずか、イレイナは花に触れることなく、ただ玄関へと続く石畳の上から花壇を眺めて進んだ。
ノッカーを打ち鳴らしてから、返事を聞かずに店の奥に入る。もとより一見さんは来ることもできない薬屋なのだ。顔なじみばかりが足を運ぶことになるこの店は、いつも来る者を拒むことなく鍵が開いたままになっている。
わずかにきしむ音を立てて扉が開く。むせかえるような濃密な薬草のにおいが鼻腔をくすぐる。草木の香りに混じるのは、わずかな血の匂い。頬をひきつらせたベルコットは、顔を土気色に変えた。
「……っ、もしかして、バレてる!?」
その言葉の意味を問うように、イレイナはベルコットへといぶかしむような視線を送る。
ベルコットはイレイナに反応することなく、激しい焦りで大股になって店の奥へと進んでいく。
店内は、濃密な薬草の匂いとは相反して、それらしい物の存在はなかった。なぜか飾られている鹿や熊の剥製や古風な青銅剣が目に付く。狭い通路を奥に進むほどに香りは濃密になる。
「おばあちゃん!もうやめてよ!」
イヒヒヒヒ、と陰湿な笑い声を漏らすのは、巨大な釜に入った薬液をかき回す魔女の姿だった。魔法具によって加熱される釜の中では、怪しい紫の液体がポコポコと気泡を生み出していた。
長い木の棒で液体を攪拌する魔女は、真っ黒なローブを頭まですっぽりとかぶっていた。フードの先からこぼれる人房の白髪が、釜を混ぜるごとに小さく揺れる。攪拌用の棒をつかむ魔女の腕は枯れ木のように細い。青白い腕の先、薬草の色に染まった爪は濃い緑色をしていた。
その姿は、まさに大衆が想像する魔女そのものの姿だった。大釜で何かを煮詰めるフード姿の怪しい女性。そう、それはあまりにも、狙いすましたように魔女という存在を端的に表すような姿だった。
そんな様子を見せる魔女に、ベルコットは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「おばあちゃん、やめてってば!」
「ヒヒ、今日はずいぶんと吠えるじゃないか。最近風のうわさで聞いているけれど、ずいぶん図太くなったようだね。今なら魔女としての鍛錬にもついていけるんじゃないかい?」
「私に才能がないって言ったのはおばあちゃんでしょ!じゃなくて、そのあからさまな魔女のふりをやめてって言ってるの!本当に恥ずかしいんだから!」
「魔女の、ふり?」
祖母は魔女ではなかったのかと、イレイナが不思議そうに二人の間で視線を行き来させる。ひとしきり二人をからかって気が済んだのか、魔女はおかしそうに笑いながら魔法具の稼働を停止して煮炊きをやめる。
「悪かったね。孫には不評だったようだ。だが別にわしは間違ったことをしたとは思っておらんよ。わしとて商売なのだからな。客が望む魔女を演じて見せようというものさ」
そういいながら堅苦しかったとばかりに勢いよくローブを脱ぎ捨て、魔女は近くの机にかけてあった白衣を身にまとった。その姿は先ほどとは一転して物語に登場する悪い魔女ではなく、どこか狂気を感じさせる研究者へと変わった。少しも、異様さは隠せていなかった。何しろ、その白衣には怪しげな飛沫や血痕が付いていたから。
魔女は、新しい客が訪れると決まって先ほどのようにいかにも魔女らしい行為をして客を迎える。それは彼女にとってのお茶目であり、同時に客への遊びであり、自分が魔女であることを証明するための手段でもあった。何しろ、彼女はいつも通りの姿を見せると、新しい客は自分を魔女とは見てくれないのだから。
もっとも、魔女ではなく人体実験をしていそうな研究者にみられるあたり、魔女の外見からは相応の怪しさがにおい立っているのだが。
「……なるほど、確かにわかりやすいわ。実際、物語の魔女が目の前に出現したようで心躍ったのは事実だもの」
「イレイナまで!?なんでおばあちゃんを助長させるようなことを言うんですか!」
「……突っ込みを入れようか悩んだのだけど、おばあちゃんって呼んでいるのね?」
痛いところを突かれたと、ベルコットは顔を引きつらせる。思わず飛び出した素に、いまさらながら気恥ずかしさがこみあげてきた。
頬を赤く染めるベルコットを見て、魔女は「まだまださね」と首を振って見せる。魔女の審査は厳しかった。
「そ、それよりイレイナ。朗報ですよ。今日の祖母は暇らしいです」
「祖母?」
「はい、祖母ですよ。何か?」
「……いいえ、けれどそうね。とりあえずは自己紹介からかしら。初めまして魔女殿。私は冒険者のイレイナよ」
「ヒヒ、久しぶりだの。わしは魔女。魔女は師匠より一人前であると認めてもらった暁にその名を捨てて魔女として『号』を授かるのだ。わしのことは魔女か、あるいは『狂薬』と呼ぶといい」
「では、狂薬と呼ばせてもらうわね。それで早速だけれど、これを調理したいの」
ずいと身を乗り出したイレイナが、カバンに入れてあった「食材」を取り出す。布に包まれたそれは真っ黒な岩石。
「ほう、ラーヴァゴーレムとは、また珍しいものを持ってきたね。それで、調理といったかい?」
「ええ、以前ゴーレムは食べられると話していたでしょう?ただ加熱するだけでは食べられそうになかったの。調理法を教えてもらってもいいかしら?」
「ふむ、わしの弟子になるつもりはないのだろう?」
「いいえ、これできちんと料理できるのであれば弟子になってもいいわ」
「ちょ、ちょっとイレイナ!?」
突然弟子入りしてもいいとのたまうイレイナに、ベルコットは発狂ぎみに声を上げた。それもそのはず、魔女は基本的に忌み嫌われる存在なのだ。怪しげな研究をしている魔女は、たとえ悪事に身を染めていないとしても、できるだけ関わり合いになりたくない存在である。街に魔女が済んでいるのが耐えられないと感じる市民は多い。
狂薬の魔女がこの街に店を構えることができているのは、ひとえにその功績が理由だ。以前流行り病からこの街の領主の子どもを救い、彼女は報酬として店を構えることを許されている。だが、それでも街に魔女がいることを嫌悪し、それを許した領主に怒りを覚える市民はいる。だから、魔女は決まった道順をたどらないと店にたどり着くことができないようにしている。
つまり、魔女の弟子になろうものなら魔女予備軍、あるいは魔女そのものとみなされてこの街から追放されかねないということだ。そんな決断を平然と宣言したのだからベルコットが慌てるのも当然だった。その声にわずかな喜色がにじんでいたのは、きっとベルコットが追放されることでネストと自分がゴールインする可能性を一瞬の間で見たからだろう。
どこか頭に花が咲いた様子の孫娘をいぶかしげに見つめていた魔女は、けれどすぐにベルコットから興味を失い、イレイナのことを面白そうに眺める。
「ふむ……覚悟、というよりはできるものならしてみろと、そんなどこか投げやりな気配を感じるの?」
「あ!そうか!イレイナは一方的に自分が有利になる交渉をしているのね」
「有利?……確か、『きちんと料理できるのであれば』と言ったな?つまり、できるとは思っていないということだ。これはわしへの挑戦状と受け取ってよいかの?」
ベルコットが連れてきた以上、イレイナは魔女が本当にゴーレムを料理できることを知っている。そのうえでただのゴーレムよりも圧倒的に格の高いラーヴァゴーレムも料理できるのかと挑戦状を叩きつけられたのだと考えた。
だが、違う。きちんと――そこに付与された理由をイレイナは語る。
「私は、料理ができないのよ。……いえ、料理という行為自体はできるから、表現が難しいところね」
「素直に劇物を作ってしまうといえばいいと思いますよ?」
「……変わった物ができるのよ」
「勝手に動く料理や死後の世界が見えるような料理は『変わった物』という言葉には当てはまりませんよ」
魔女はくわと目を見開いてイレイナの周囲をぐるぐると回り、それからガッと彼女の肩をつかむ。
「いいサンプルになりそうだの。そうか、魔力に特殊性を帯びているというのか!」
「……少し見るだけでわかるものなの?」
「いいや、ただの直感さね。ただ、お嬢ちゃんには一見して以上はない。呪いに侵されているということもない以上、料理をできない状態が正常ということさ。だとすれば、わしの中に当てはまる答えは一つしかない。……そうさね、ひとまずこれを持ちな」
魔女は布で拭いて机に放りだしていた木の棒をイレイナに手渡す。それは先ほどまで釜の中の薬液をかき混ぜるのに使っていた棒だ。魔女に背中を押されて、イレイナはそのまま大釜の前へと移動する。
「さぁ、料理をする気でかき混ぜてごらん。イメージすんだよ。お嬢ちゃんは今、スープを作っているのさ」
いわれるままイレイナは木の棒を釜の薬液へと突き刺す。それからゆっくりと、料理を作っているのだと念を込めながら液体をかき混ぜる。
一回しかき混ぜたところでその異常は発生した。毒々しい紫色をしていた熱い薬液が、追加で加熱されているわけでもないのに気泡を発生させ始める。噴き出した気体は常人が吸えば発狂しかねない凶悪な刺激をしており、すぐに気持ちが悪くなったベルコットはよろめきながら部屋の端へと逃げる。
気泡に続いて、溶液の色にも変化が生じた。紫色の中に緑が混ざり、赤が加わり、青が生じる。それらの色はまじりあうことなく、けれどかき混ぜられるのに合わせて釜の中で渦模様を作り出す。時間を経るほどに溶液はその粘土を増し、かき混ぜる速度以上に液面が揺れる。意思を持ったように揺れる水面に口と目のような三つのへこみが生まれ、『ボオオオオオ』などという異様な音を響かせた。
「ああ、もういいよ。……さて、ベルコットや。緊急用の回復薬の隠し場所は覚えているね?もしわしが倒れたらそれを使いな」
頼んだよ、と邪悪に笑いながら告げる魔女は、ベルコットが制止するよりも早く匙で救った釜の中の液体を口に入れる。
手を伸ばしたまま動きを止めたベルコットの前で、魔女が硬直する。その顔は口の端に笑みを浮かべたまま匙をくわえた状態で止まっている。まるで全身に走り抜ける衝撃に脳がキャパオーバーをして機能を落としたように動きを止めていた魔女は、少しして苦々しい顔で匙から口を話した。
「これは実に難題だね。さすがのわしとてこれに対抗してラーヴァゴーレムを料理させるのは厳しそうだよ」
「……無理なの?本当に?」
「それは情報によるね。お嬢ちゃんはこれまで一度でも料理に成功したことはないかね?」
「成功……ああ、マンドラゴラの――」
――サラダ、とそう続くはずだった言葉は、倒れるようにつかみかかってきた魔女によって阻まれた。
イレイナの料理によって神経伝達に支障をきたしていた魔女は、震える足の代わりに、イレイナの服をつかんで体を支えながらギラギラと瞳を輝かせる。
「マンドラゴラ!今マンドラゴラといったね!?どこだ、どこにあるのだい!?もう冒険者組合に売ってしまったということはないだろう!?少し、そう、耳たぶくらいの大きさでもいいんだ。残っていないかい!?あれば今すぐ持ってきな!」
「……食べたわ」
「食べた?何を?マンドラゴラをかい?全部?」
「ええ、全部食べたわ。唯一成功した料理だったもの。ネストがむせび泣きながら食べつくしてくれたわ」
「くっ、おのれネストとやら!それは依然お嬢ちゃんと一緒にいたあの青年のことだろう!?万病に効く万能薬の素材にもなるマンドラゴラをむさぼるなど狂っておる。だが……いや、ひょっとしたらその血肉にマンドラゴラの成分が宿ってはおらぬか?お嬢ちゃん、狂った友人などいらんだろう?このわしに青年を貸し与える気はないかい?何、ちょっと血や肉……いや、爪や髪でももらうだけさ。その代わりにわしが持つあらゆる知識を無償で授けようではないか!」
「…………駄目よ。ネストと相談して」
あらゆる知識――ゴーレム料理に始まる変わった食材の加工方法を知ることができるということにわずかな逡巡を見せたイレイナだったが、その魂を――ネストを悪魔に売ることはなかった。もしここでイレイナが快諾していれば、きっとネストは凄惨な目にあっただろう。
彼女はこの街に居を構えることを許された魔女ではあるが、求道にひたむきなあまり狂気をその身に宿した魔女であることに変わりはないのだ。
「む、それはそうさね。では早速青年を交渉を……いや、そもそもどうやってマンドラゴラを手に入れたというのだ?しかも生と言って居ったな?もしや、新鮮なマンドラゴラを手に入れていたというのか?乾物ではなく?そんなもの、どれほどの値段が――まさか」
「その辺で採ってきましたよ?」
「よし、最高だ孫娘よ!よくぞこのお嬢ちゃんをここへ連れてきてくれたッ!早速行くぞ、どこだ。どこに行けばマンドラゴラを手に入れられる。いや、別にわしがいかぬともよい。手に入るのであればぜひとも手に入れてきてくれ。わしが持つものであればあらゆるものを対価としてささげよう。禁忌の術の情報も、各地にいる同胞たる魔女の居場所も、孫娘の身柄であってもいいぞ」
「ちょっとおばあちゃん!?」
「やかましい。マンドラゴラが手に入るかどうかの瀬戸際であるのだぞ!?ここで対価を惜しんで交渉に失敗したらどうしてくれる!?」
「イレイナはすでに望みを言っているでしょ?料理ができるまで指導してあげればいいのよ」
できるまで、一生ね――どこか暗い目で告げるベルコットの裏の意味など知らぬまま、魔女はグリンと首をねじって再びイレイナを見つめる。くわと見開かれた眼窩からは眼球が零れ落ちそうだった。
「それだけで、料理の指導をするだけで、マンドラゴラを採取してきてくれるというのか?いや、きちんと報酬は払うが。幸い腐っている大金がある」
「……では第二師匠ということで。今すぐ行ってこようか?」
「うむ。よろしく頼むぞ」
一度イレイナから離れた魔女は、軽く白衣をはたいてしわを伸ばして最低限の身だしなみを整え、それから心からの笑みを浮かべてイレイナへと手を伸ばす。
固く握手を交わす二人は、ともに希望にその目を輝かせていた。
「狂人が二人……」
ベルコットのつぶやきは、二人の耳に届くことはなかった。




