30神の炎
不死鳥がいるのは大陸最高峰の火山の火口。ただ「霊峰」とだけ呼ばれるその山は、はるか昔から雄々しく偉大な神の住まうところであるとされ、信仰の対象となっていた。
その信仰が結ぶように、火山活動を再開させた霊峰に気づけば一羽の神獣が生まれていた。神の炎をその身に宿す鳥、不死鳥。
炎に愛され、炎と共にある不死鳥は真っ赤な炎が鳥の形をしたような外見をしていた。羽を休めている岩場は融解し、真っ赤な光を放っていた。そんな灼熱を吹き抜けるそよ風のように受け止めながら、不死鳥は静かにまどろみの中にいた。
周囲でぐつぐつと沸くマグマの音が心地よい。だが、そんな不死鳥の心地よい時間を吹き飛ばすように、大きな嘶きが風を切り裂いてほとばしった。
現れたのは年老いたグリフォン。衰え知らずな彼は、グリフォンの中でもとりわけ強い力を有しており、このまま後百年も研鑽を連ねれば神の名を冠する頂に足をかけるかもしれないと思われていた個体だった。
だが、そんなグリフォンも今はもう馬車馬でしかない。孤高の存在であったはずのグリフォンは、空席だったその背中に一人の人間の女性を乗せていた。その存在が放つ重厚なプレッシャーに、けれど不死鳥はなびかない。自らの地位の高さを疑わない。
霊峰へと足を踏み入れて、あろうことか火口までその足を延ばした不届き者。目障りな存在を焼却しようと牙をむいた不死鳥だったが、人外の領域に足を踏み入れて久しいイレイナには勝てなかった。何しろイレイナはすでに、「神」の名を冠する怪物を戦い、ギリギリながらも勝利を収めていたから。これが竜神との戦い前だったら結果も違ったかもしれないが、竜神に勝ち、その戦いでさらに能力を増したイレイナはわずか数手で不死鳥を倒して見せた。
イレイナとの戦いに敗れたとはいえ不死鳥が消滅したわけではない。不死鳥は、文字通り不死なのだ。人間の間で語られる不死性以上に、不死鳥の不死の性質は高い。不死鳥の復活には、その身を溶岩の炎で焼く必要はない。
不死鳥は炎の精を宿した獣。言い換えれば精霊である。もとより肉体など重要ではなく、炎そのものが不死鳥という存在の根源である。ゆえに不死鳥は、この世界に炎がともっている限り、たとえ極寒の冷気の中で死に絶えようとも遥かな世界の果てにあるその熱の中から生れ落ちる。
文字通りの不死を体現した不死鳥は、数度イレイナに殺され、そしてイレイナを自らの同じ頂――神の領域に足を踏み入れた怪物であると認めた。
グリフォンが火口に降りてくる。灼熱に燃える岩石に悠然と降り立ったグリフォンの風の守りが熱を吹き飛ばし、一帯の温度を下げる。自らの領域を改変されたことに内心で憤る不死鳥は、その鋭い瞳でイレイナと、そして新しく表れたちっぽけな羽虫を見つめる。
「久しぶり、不死鳥。今日は約束通り貴方の炎を扱う存在を連れて来たわよ」
ひらりとグリフォンの背から降りたイレイナが、目を回しているベルコットの頬を叩きながら告げる。ぱしん、ぱしんと小気味よい音が数度響いてから、ベルコットはゆっくりと目を開いた。
「ここ、は……ひょえ」
視線をさまよわせ、炎の化身と呼ぶべき強大な力を有した存在を目にしてベルコットは間抜けな声を上げた。イレイナは感じていないが、不死鳥が無意識のうちに周囲にばらまいている威圧は、並みの人間であればそれだけで死にかねないほどの重圧だった。それを目の前で浴びてわずかに目を回すだけで済んでいる弱者を見ながら、不死鳥は少しだけ不思議そうに首をひねる。なぜこれは自らを畏怖していないのか、と。
「……ベルコットが気を失わないのが不思議?むしろ気を失うほうがおかしいでしょ」
『……』
『グルゥゥ』
「え、あなたも苦しいの?本当に?……ねぇ、ベルコット。不死鳥の威圧って感じる?普通の人なら心臓が止まるくらいのプレッシャーを感じているはずだって言っているんだけど」
そんなところに連れてくるなという嫌味をぐっと飲みこむ。
「……訓練の際の鬼のイレイナさんが放つプレッシャーよりましですよ」
小声で告げられたその声に、不死鳥とグリフォンがどこか責めるような視線をイレイナに送る。
「……なるほど。つまり鍛錬によって心身共に鍛えられている、と。こうして成長を感じられるというのはいいですね。次に弟子を取ったら不死鳥に謁見させるべきかな」
「絶対にやめてあげてください」
未来の妹弟弟子を思って、ベルコットは心から告げた。
そう?と不思議そうに首をひねるイレイナは、まあいいかと思い直して不死鳥に向き直る。
「ベルコットに炎を授けてくれる?」
揺れる炎で鳥の姿を成した不死鳥がその両翼を広げる。火の粉が飛び散り、星屑のように散る。一層激しく燃え上がる炎が壁となってベルコットに迫る。それを前に、イレイナは止めるそぶりを見せない。
このままだと燃やされる――そう、思って。けれど腰を抜かしているベルコットは立ち上がることもままならない。だからせめて最後まで目をそらすものかと、不死鳥の炎をじっと睨む。不撓不屈の意思をもって。
近づくほどに炎の色が変わる。赤から黄色へ、そこから白色に代わり、最後には青色になってベルコットの視界を埋め尽くす。それは大地にわずかに残った水気を蒸発させ、膨大な熱をはらんだ空気と共にベルコットへと襲い掛かる。炎に触れるまでもなく焼け死ぬ。
そんな状況にあって、けれどベルコットは炎を、その先にいる不死鳥をにらみ続けた。
視界が青に染まる。炎が体を包み込む。
一秒、二秒。自らの消滅の時まで目を閉じるものかと体に力を入れていたベルコットの視界から、炎が消える。あれほど感じていた熱がどこかへと消える。
足元の大地は熱され、まだ真っ赤に燃えている。だが、ベルコットの体は、衣服は燃えていない。衣服も、すべてが元のままだった。
「……え?」
視線をさまよわせる。先ほどまで感じていた不死鳥が放つ重圧も、マグマが放つ高温も、今のベルコットにはそよ風程度にしか感じられなかった。
「なるほど、これが『神』を冠する存在による祝福……外見には変化がないのね」
『…………』
「ああ、あくまでもその在り方に手を貸すだけで存在をゆがめるものではない、と。不死鳥の祝福を受けたから炎と熱への完全耐性を得たわけね」
イレイナと不死鳥の間で進む会話は、ベルコットの右耳から入って左耳へと吹き抜けていく。
祝福。それは神の名を冠するものが有する力。他者に己が司る力の一端を貸し与えるもの。あるいは、他者を祝福できるから神の名で崇められるといえるかもしれない。
神獣・不死鳥。それが司る炎と熱との親和性を手に入れたベルコットは、その体はもちろん、身に着けている衣服だって、望まない限り炎に焼かれることはない。
何とはなしに、ベルコットは足元の溶解した岩石へと手を伸ばして触れる。わずかな粘性を帯びた岩石は、意識すれば確かに熱を感じられるけれど、熱くはない。
「別に炎をもらうだけでも良かったのに。祝福がなくても炎は扱えるでしょ?……ああ、そっか。ここから貴方の炎を運ぶのに必要な道具を作らないといけないのね」
それは、けれど明らかに言い訳じみていた。炎を前にひるまなかったベルコットの気概を買って大盤振る舞いをしたことに気づかれた不死鳥は、どこか気恥ずかしそうに首をひねってイレイナから目をそらす。
くるりと振り向いたイレイナがいまだに混乱の中にいるベルコットに歩み寄り、視線の高さを合わせる。しゃがんでベルコットの手を両手で包み込み、そこでようやくベルコットはイレイナに気づいて顔を上げる。
「というわけで、とりあえず不死鳥の炎を持ち帰るための入れ物を作ってくれる?」
「何が『というわけで』なのかはわかりませんけれど、とりあえずやってみます」
マグマ煮えたぎる火口に向かってベルコットが歩く。不死鳥に見守られながら、ベルコットは煮えたぎる灼熱の海へと手を伸ばす。
道具も何もありはしない。けれどベルコットが意識すれば、莫大な熱量を秘めたマグマが、まるで手足のように動き出す。重力を無視して持ち上がったマグマの中から、必要な金属だけを抽出する。
成形。グニャグニャと動くそれは瞬く間に大きな蕾となり、花開く。絡まるつる草が持ち手となる。
蓮の花のようなその器へと、不死鳥が両翼の先端を伸ばす。軽く触れた翼の先から、炎が花の中央へと移る。
ゆっくりと花弁が閉じ、不死鳥の炎がその中に納まる。
「……魔法具?普通に魔法?」
「多分、魔法だと思います」
やっておいて自分でもどうしてできたのかわからないと、ベルコットは首をひねる。
先ほどベルコットが行ったのは、炎の操作。莫大な熱を有している溶岩だからこそ、その熱によって間接的に溶岩を動かし、不死鳥の炎を収める器を作ることができた。それは何よりすぐそばにいる不死鳥から力が流れ込むことによって成された神為であるのだが、ベルコットもイレイナもその事実には気づかなかった。
「さて、用事も済んだし帰りましょう」
んん、と伸びをしたイレイナの言葉にベルコットは頬を引きつらせる。帰りもまたあの地獄が待っている――けれど、そんな恐怖を飲み込んで、ベルコットは不死鳥と向き合う。
一歩、近づく。不死鳥は逃げることもベルコットを燃やそうとすることもなく、ただじっとそこにいた。
「祝福?を授けてくださってありがとうございます」
ふんと鼻を鳴らすようなそぶりをして見せた不死鳥が、勢いよく飛び上がり、溶岩の中へとその身を躍らせる。イレイナが訪れた前のように、不死鳥は溶岩の中で眠りに入る。
「なんだか人間味がありますね。可愛い」
「不死鳥を捕まえて可愛いって……大丈夫?」
「イレイナよりはよっぽど大丈夫ですよ!?」
心外な、と叫ぶベルコットを真ん丸な瞳で観察していたグリフォンが、彼女を応援するように一鳴きする。
「え?ここは私に同意するところじゃないの?」
「ほら、グリフォンさんだってイレイナの方がおかしいって言っていますよ」
『グルァァ』
「え、どうしてここにきて同調するの?」
まるで分らないと頭を悩ませるイレイナをよそに、顔を見合わせたベルコットとグリフォンは互いに肩をすくめた。
不死鳥の祝福を授かったからか、ベルコットもまた帰路ではグリフォンの背中に乗った。その両腕で不死鳥から預かった炎の入った器を抱きながら、ベルコットはようやく夢のような時間から我に返り、今になって自分が怪物じみた存在になってしまったのではないかと冷や汗を流していた。




