25ワイバーン肉の串焼き
すっかり暗くなった庭で、イレイナが髪を振り乱しながら叫ぶ。
「もう少し、もう少しで……っ」
震えながら一歩を踏み出し、かたくなに己を拒む聖剣を握りしめる。その顔には隠し切れない疲労がにじみ、額を汗が伝う。よく見れば足はがくがくと震えていて、目の焦点もあまりあっていない。
「これで、どう!?」
ガシ、と聖剣の柄を握りしめたイレイナが万感をもって聖剣を抜きにかかる。オリハルコンホイルになれと、心の中で叫びながら。
対する聖剣は、抜かれてたまるかと根を生やしたように大地に突き刺さっている。不可視の圧をばらまく一人と一個の攻防は、当事者たちの主観では無限に等しい時間に渡った。
ずるりと、聖剣が抜かれ始める。驚愕の声が聞こえた気がした。
歯を食いしばるイレイナは全身を使って聖剣を大地から抜こうともがく。早くこの剣を金属ホイルにして料理を試したい――そう告げた瞬間からまるで意思を持ったようにひとりでに大地に突き刺さって抜かれまいとあがいていた聖剣とイレイナの戦いは、とうとう決着がつこうとしていた。
汗でべったりと肌に髪を張り付け、顔を真っ赤にしたイレイナが、とうとう聖剣を地面より引き抜く。
「やった!やったああああああああ!」
「お疲れ様。でも近所迷惑だから静かにね」
そんなイレイナを観察し続けていたネストは、串肉片手に苦笑する。その手に握ってる料理は、ベルコットが用意した壺漬け肉であった。ハーブを含めた調味料でしっかりと味付けされた肉は玉ねぎをはじめとする野菜と一緒にしっかりと焼かれており、一口かじれば芳醇な味が口の中に広がる。
「おいしいね。それに、甘い?」
「あ、はい。タレに果実を入れているんです。旬の時期が短いうえに腐りやすくて、この時期にしか取れないんですけど、これを入れるとすごくおいしくなるんです」
「本当においしいね、特に少し焦がすと抜群に香り高くなるね。それに野菜のうまみも合わさって止まらないよ」
「ネストさんの目利きのおかげですよ」
焚火の光に照らされながら満面の笑みでほおばるネストは、甘いルックスも相まって実に絵になった。ネストと二人、夜の庭で料理に舌鼓を打っていたベルコットは幸せだった時間にトクンと胸を鳴らす――ことはなかった。
何しろBGMが問題だった。暗くなっても聖剣と格闘するイレイナのアレな声があっては、甘い雰囲気になんてなりようがなかった。会話をしながらもネストの意識は常にイレイナへと向いていたのだ。空回りするベルコットは途中からネスト支払いの高級肉を心行くまでむさぼりつくしてやる、と方針転換していた。
「そう言ってくれると嬉しいよ。でもこれは偶然手に入れただけの肉だからね」
「偶然手に入れたって、まさか自分で狩ったということですか?」
「そうだよ。帰り道に遭遇したからね」
なんてことないように告げるネストに苦笑を返したベルコットは、再び手に握る串焼きにかぶりつこうとして。
ふとよぎった疑問を確認すべく、再びネストへと視線を向ける。
「それで、なんの動物……いえ、このおいしさだと魔物ですかね。なんの魔物の肉ですか?」
「ワイバーンだよ」
カヒュ、と異様な音を響かせながらベルコットは動きを止める。
ワイバーン。亜竜の一種であり、ドラゴンほどの能力はないとはいえ一匹いれば街の一つが壊滅してもおかしくないような危険な魔物である。それを討伐したと平然と告げるネストに驚き、さらに自分がワイバーンを食べていたことに二度驚いた。
ワイバーンの肉を好んで食べる者は少ない。何しろ、ワイバーンは極度のマンイーターとして知られる災厄の魔物なのだ。人間を見つければ狂ったように襲い掛かって食らうワイバーン。人間の血肉を糧にして育っている可能性が高い魔物を食らうなど、たいていの者が拒絶する。たとえおいしくても倫理的な問題も含め、食べるには抵抗のある魔物だった。
「……え、ワイバーンって、あのワイバーンですよね?」
「ワイバーンってそんなにたくさん種類があるの?僕は一つしか……人間を見るとそれまでの戦いを放り出してまで襲い掛かってくる、あの陰険なドラゴンもどきしか知らないんだけど」
「ア、ハイ。そのドラゴンもどきですか……」
遠い目をしたベルコットの異常な様子に、どうしたのかとネストは目を瞬かせる。
「ネストはもう少し常識を身に着けるべきじゃない?普通の人にとってワイバーンは憎き敵であって食料じゃないのよ」
「そう、だっけ?」
ネストから投げて渡されたタオルで顔を拭くイレイナを見ながら、はて、とネストは首をかしげる。
焚火の明かりに照らされていたネストの様子には、わざとらしいところはなかった。
「……えっと、ネストさんは少しイレイナに毒されすぎですよ?食べられるなら食べ物、というわけではないんですよ?」
「それはそうだよ。食べられるものでも、イレイナの手にかかれば食べられないものになるからね」
「そうですよ。イレイナが作ったものは食べ物ではないんですよ。毒物か劇物なんです。でもネストさん、また食べたでしょう?」
ネストの異常はイレイナの料理にあり――そう断言して見せるベルコットに、ネストはあいまいな笑みを返す。隣から不機嫌な気配がまき散らされていたから。
「……私は料理を作っているのだけれど?」
「わかってるよ。イレイナが料理を作ろうとしていることくらいは」
「イレイナはまだ料理を作れていませんからね」
「…………エナジードリンクはちゃんと作れた、はず」
その言葉をトリガーに、ネストの口の中にえぐみと酸味と苦みがよみがえる。粘ついた舌ざわり、鼻につく悪臭、嘔吐感を催す味の暴威――はいつものこと。
あれを「作れた」と宣言するイレイナの正気を、ネストは疑っていた。胡乱な目を向ける先、イレイナが不思議そうに首をかしげる。
「……可愛い」
「えぇ?ちょっと、何ごまかされているんですか。っていうかネストさんってそんな風にはっきり口に出すような遊び人でしたっけ?もっと奥手なタイプだったと思うんですけど」
まさか関係が進んだのか――そう危惧するベルコットが二人の間で視線を行き来させる。
確かにネストとイレイナの関係には進展があった。ネストが思いを告白し、イレイナが保留とはいえその思いを受け取った。確かな進展とはいいがたいが、迷走を極めていた二人の関係が半歩進んでいた。
照れを見せるネストを見て、ベルコットは後悔と絶望に目頭を熱くする。
「あ、うん。実は告白してね……返事は保留だけど」
「それはアレですか己の恥ずかしい過去を深夜テンションか酒に飲まれた勢いでぶちまけてしまう黒歴史量産なアレですよね」
「違うよ。その……好きだって言ったんだよ」
ポ、と頬を赤くして告げる様子に、内心で「乙女か」と突っ込みを入れて。ベルコットは「保留」などというふざけた回答をしたイレイナをにらむ。
「どうしてイレイナは保留なんて真綿で首を絞めるようなことをするんですか!」
「え?……好きかどうかもわからないのに告白を受け入れるほうが不誠実じゃない?」
「保留するほうが不誠実ですよ。それってつまり、考えたけどやっぱりほかの人が好き、っていうのが通用しちゃうじゃないですか。つまりネストさんを弄んだうえで放逐するんですよね」
「ちょ、僕が捨てられる前提で言わないでくれるかな!?別にそんな風にはならないよね?」
「ぬるい、ぬるすぎますよネストさん。いいですか、恋愛は戦争なんです。特に仲間うちでの恋だの愛だのは危険なんです。告白の失敗あるいは失恋イコール仲間関係の崩壊!それまで阿吽の呼吸で戦っていたパーティにいたたまれない空気が蔓延して、連携を失敗、パーティは空中分解。それでなくても別の男性と一緒にいるイレイナを見ながら、ネストさんは一緒の家で暮らせるんですか、それってどんなプレイですかドMですか!?」
「え、いや……うぅ」
イレイナに自分ではない恋人がいる――その想像に打ちのめされたネストはがっくりと肩を落とし、両手で顔を覆う。どうかそんな未来が来ませんように――祈りながらちらりと視線を向けた先では、何後もなかったかのように串肉に口をつけるイレイナの姿があって。
男女関係とか恋とか結婚とか、そういったことを全く意識していなさそうなイレイナには少しも自分以外の男の影はなくて、ネストはほっと安堵の息を漏らした。
「っていうか、今日のベルコットさんはずいぶん言動が激しいね」
「そんなことないですよ。もしかしたらお二人が無事に帰ってきてくださった安堵からの解放感でちょっと気分が高揚しているのかもしれないですね」
「そっか、そんなに僕たちのことを心配してくれていたんだ」
「そうですよ!すごく心配してあげていたんですよ。いつ帰ってくるか、怪我はないのか、心配で心配で寝不足だったんですからね!」
うがぁ、と叫ぶベルコットはどこか座った目でネストを見て、おぼつかない足取りでその隣へと移動する。動揺するネストをよそに、密着するくらいの距離感で座ったベルコットは下からのぞき込むように上目遣いでネストを見て熱い吐息を漏らす。
「心配、したんですからね?」
「う、うん。ありがとう、ベルコットさん」
「……本当に、本当に心配したんですよ……わかってますか?」
「わかってるよ。心配で夜も眠れないほどだったんだよね?」
「はい、そうなんですよ。こんなに心配させたんですから、ネストさんはもっと感謝すべきなんです。恩に報いるべきなんです……」
「え、ええ?そこまでかな?……ベルコットさん?」
しなだれかかったまま動きを止めたベルコットを前に視線をさまよわせ、倒れそうになる体を慌てて支える。女性の柔らかさを手の中に感じてどぎまぎしていたネストは、そらす視線の先にイレイナの姿を見て動きを止める。
「あ、イレイナ、これは……」
改めて自分を客観視すると、いたいけな女性の肩を抱いたプレイボーイのようで。告白した女性を前にした言動とは思えない自分に気づいて頭が真っ白になったネストをよそに、すくと立ち上がったイレイナはしゃがんでベルコットの顔をのぞき込む。
「……寝てるわ」
「寝てる?ああ、そういえば寝不足だったって話だね」
「それもあるだろうけれど、多分お酒のせいね」
「酒……?」
「この肉、多分タレに酒が入ってる。生焼け肉に残っていた酒精にやられたんじゃない?」
「え、そう?本当に入ってる?」
手に持っていた肉の残りのにおいをかぐが、アルコールの匂いはしない。そんなネストをイレイナは胡乱な目で見ていた。
「それは火が通っているんでしょ。ほら、これが生焼け」
突き出された食べかけの串を前に、「何も考えずに勝手に串をとるから」とか「生焼けならもう一度炎の前に戻せばいいのに」とかいろいろと思うところはあったが、ネストは何も言わずに鼻を近づける。
だが、酒の匂いなど感じられない。代わりに、香草とソースの匂いにまじってわずかにイレイナの匂いがした気がして、ネストはわずかに顔を赤くする。いまさらになって、これがイレイナの食べかけであることに気づいた。「あーん」されているようにも思える構図を前に、ネストはイレイナと串肉の間で視線を行き来させる。
「……本当にアルコール入ってる?」
「わからないの?」
「うん。まったく感じないよ」
半信半疑――というわけではない。優秀な斥候であるイレイナは、罠などにも多用される毒物については詳しい。その鼻はほんの少しの異臭をかぎ分ける猟犬のごとき嗅覚を備えており、そのことをよく知っているネストはイレイナの言葉を疑ってはいなかった。
半目をしたイレイナが串をかじる。本当に生焼けなのか、いやな顔をすることもなく飲み込んだイレイナは、ふと思いついたように口を開く。
「ひょっとして、ネストの舌って馬鹿?」
「……多分旅の疲れが出ているんだよ」
イレイナの料理とも呼べない謎物質のせいだ――のどまで出かかった言葉を飲み込み、ネストはため息交じりに告げた。




