21煌めきと、竜を切り裂く刃
『グルゥゥゥァァァァァ』
小さな星のごとく肥大化を続ける氷の檻は内部から割れる様子はない。浮遊するその塊の中、イレイナの動きが止まったことを竜神は認識していた。
勇者と思しき人類の中の怪物。そのあっという間の死を前に、竜神は安堵の吐息を漏らして。
ふと、竜神は自らが生み出した氷の牢獄が、極彩色の輝きを帯びていることに気づいた。美しい水晶のような氷の奥、それは肥大化を続けていた。
極彩色の渦は冷水を、氷を、竜神の支配下から奪っていく。
そのことに竜神が怒りと焦りを覚えた次の瞬間、ピキリと、氷の檻に亀裂が走る。
でろりとした粘性のある極彩色の液体が竜神の氷の檻からあふれ、大地へと滴る。それは氷を溶かし、飲み込み、さらに落下先の大地をも溶かして飲み込んだ。
そんな極彩色の液体の中、満身創痍のイレイナが落下していく。その体には無数の傷があれど、けれどどういうわけか致命傷だけはなかった。
意識がなさそうなイレイナめがけて、竜神が氷の槍を放つ。空を切り裂いて飛ぶ氷の槍は、そのままイレイナを貫く――ことはなく。
『ガァ!?』
イレイナを包む極彩色の液体が、まるで竜神が操作する流水のごとくうごめき、氷の槍を弾き飛ばして見せた。
自らの力を模倣されたような技を前に、竜神は怒りのままに氷の槍を放ち、水の弾丸を飛ばす。だが、それらはすべて極彩色の液体にはじかれ、あるいは飲み込まれてその一部と化し、竜神の支配から切り離された。
「あれ、は……」
大地を這うネストには、針のようにまっすぐ大地へと降るマーブル模様の液体に見覚えがあった。
竜神は知らない。ネストは知っている。その液体が、イレイナ手製の料理とは名ばかりの劇物であることを。それは、ネストが少し前に飲まされたエナジードリンク、その失敗作だった。
作られたそれは意思をもってうごめき、容器すら飲み込む劇物だった。そのためイレイナとてそれをネストに飲ませることはためらい、けれど後でネストに評価してもらうと、溶かされることのなかった金属製の密閉容器の中に封じ込めてカバンにしまっていた。
それが、竜神の攻撃によって容器から解放されて暴威をふるっていた。
それは、水を飲み込むほどに肥大化する正体不明の物体だった。匂いのない、ねばついた異様な物質。極彩色の液体は竜神の支配する水を飲み込んで瞬く間に自らの体を巨大化していく。
これを前に、竜神はイレイナや勇者へ向けるものとは別種の感情を見せる。それは、竜神が生まれて初めて抱いた、根源的な恐怖。未知を恐れる竜神は、けれどその恐怖を必死に飲み込み、気圧されたことへの怒りに変えて咆哮する。
体内にある膨大な魔力、あるいは穢れである瘴気を液体に流し込み、極彩色の液体に自らの手足でもある流水の支配権を奪われまいと抵抗する。繰り広げられる不可視の綱引きは異様な圧となって周囲を包む。
膨大な力の衝突に世界が軋む。
瘴気入りの黒い液体は極彩色の液体に支配される速度が弱まる。それを理解した瞬間、竜神は瘴気入りの液体で、あるいは瘴気入りの氷で極彩色の液体に攻撃を浴びせる。
効果のほどは不明で、けれどそれ以外に対処方法が浮かぶはずもなかった。
癇癪を起こしたように放たれる無数の攻撃が極彩色の液体を飲み込み、大地を激しく揺らす。
その攻撃の中、イレイナは極彩色の液体のさらに下、アンデッドナイトが待機していた地下の空間にいた。
うすらと目を覚ましたイレイナは、その並外れた聴覚や直感から竜神と正体不明の何か(失敗作の液体)が戦っていることを理解、竜神の撃破方法を考えながら視線を巡らせて。
まるで先ほどと変わらないように、地下空間の中央、地面に一本の剣が突き刺さっていた。
てらりとした不思議な黄金の輝きを帯びたオリハルコンの剣。歴代最高の勇者の相棒である聖剣。アンデッドナイトが長く守り続けていた剣は、自らを手に取るものをじっと待つようにそこに存在していた。
ふらりと、導かれるようにイレイナが歩き出す。
地上の戦いあるいは竜神の無茶苦茶な攻撃はますます勢いを増し、地下空間に轟音が響く。激しい振動に、わずかながら残っていた天井が崩落し、その先に存在する直視しがたい謎物質の存在をあらわにする。
岩石とねばつく鈍色の液体が落下する中、イレイナはまっすぐ黄金の剣へと進み、その柄を握る。
ドクン――剣が鼓動を刻んだように熱を帯びた。それは、聖剣の目覚め。イレイナという新たな所有者を獲得した聖剣はその輝きを取り戻す。
あたたかな金の光が、聖剣の刃を包み込む。破魔、邪悪なるものを切り裂き滅ぼす聖なる光。
その光に導きを与えるように、天井から光が差す。
極彩色の液体を竜神の氷の槍が貫き、光の柱が降り注ぐ。
崩落を続ける地下空間にて、竜神に特攻効果を持つ聖剣を手にイレイナは立ち上がる。
極彩色の液体が崩落を続ける空間に雨のように降り始める。陽光を浴びて煌めくそれは、まるでその場が万華鏡の中であるかのように美しい空間を作り出していた。
まるで新たな戦いへの門出を祝うようなその祝福の光の中、イレイナは全力で大地を踏みしめる。
「はあああああああッ」
頭上に開いた穴めがけて飛び上がったイレイナは、体に残る力を振り絞って、目の前にある竜神の体へと聖剣を振りぬいた。
放っておかずにはいられない根源的な恐怖を呼び起こす液体は、竜神の無数の攻撃を浴びることで少しずつその勢いを失っていた。原因は不明。けれど数千数万に及ぶ攻撃を受けた極彩色の液体はとうとう竜神が支配する水の制御権に干渉することもかなわなくなっていた。それとともに、極彩色の液体は粘性を失っていった。
大地に空いた穴へと、極彩色の液体が沈んでいく。クレーター上空、竜神は恐怖を吹き飛ばして咆哮し、最後まで全力をもってスライムもどきを消し飛ばすべく氷の槍を生みだして。
そんな竜神の視界の先、まばゆい輝きが地下から飛び出してきた。
その光の正体を考えるよりも早く、竜神は激しい恐怖を覚えていた。逃げなければいけないと体が叫び、その一方で肉体は金縛りにあったようにその場に固定された。
風を切り裂いて迫るその光は、女性の握る剣が発生源だった。とろりとした粘性のある黄金の輝き。空気へと溶けるように広がっていくその光が触れた瞬間、氷の槍は竜神の制御下から解放され、その形を失った。
『ッ!?』
竜神は理解した。その剣が、自らを殺し、かつその復活を妨げていた勇者の剣であると。怒りと焦燥のまま、竜神は腕を振るう。鋭いかぎ爪の先、イレイナもまた聖剣を振りかぶって。
スルリ、と。まるで抵抗なく、聖剣は最強の矛とうたわれた竜神の爪を切り裂いた。
爪も、うろこも、肉も、骨も。すべてがバターを切り裂かれるように両断される。それこそが聖剣、だからこその聖剣。
神から与えられたとうたわれる最強の聖剣を前に、竜神は現在出しうる全力の攻撃を放った。
支配権が消失するならば、消失してなお効果がある攻撃を放てばいい。
射出された水球は、竜神の支配を離れてなおその大質量をもってイレイナの体の軌道を変えようとする。
だが、黄金の剣の一振りによって、水球は真っ二つに切り裂かれ、イレイナの体の横を通り過ぎていく。減速こそしたものの止まらないイレイナは、竜神の体を足場に駆け上がり、その頭部へと走り寄る。
全身をよじらせ、大地を砕くように体を地面にこすりつけ、竜神はイレイナを振り落としにかかる。だが、斥候を極めた身軽なイレイナは、激しい揺さぶりの中竜神の体の上を、あるいは砕けた大地の破片を足場に疾走を続け、その切っ先を竜神の頭へと届かせる。
「はぁッ」
降りぬかれた聖剣は、竜神の頭部、右半分を切り飛ばした。かろうじて頭部を両断されることを免れた竜神は、その聖剣の一撃がかつて己が受けた攻撃の何倍も強力なものであることを理解し、消滅の危機を悟って心を震わせた。
強大なる己が、またしても人間に滅ぼされることになるなどあってはならない――怒りに震える竜神は、魔法によって構築していた己の体に回していた力を回収し、ありったけの力をもってイレイナを殺しにかかる。
肉体が崩壊し、肉塊へと、そして流水へと戻っていく。骨のみとなりながら、竜神はすべての力を口内へと集める。収束する力の奔流は、竜神の口の周りの空間をゆがめ、異様な音を響かせる。
それは、大陸中央に無数のクレーターを作り出した原因となった攻撃。当時放たれたそれの何倍も強力な一撃を、竜神は再びの眠りに恐れることなくなりふり構わず放った。
黒と青の破壊の奔流。竜神のブレスは強烈なエネルギーの奔流。射線上のすべてを消滅させて迫る一撃を前に、イレイナはどっしりと腰を構えて迎撃の準備をする。
口の端にわずかに浮かぶ苦笑は、敗北を予感してのもの。迫る攻撃は周囲の空間すべてを消し飛ばして有り余るもので。そして聖剣の力をもってしても、迫る攻撃はイレイナには防ぎきれるものではなかった。
だが、諦めをにじませるイレイナをよそに、ここにきてまだ諦めていない者が一人。
「――竜滅剣ッ」
イレイナの視界の先に、人影が割り込む。血のように赤い剣を握るのは、戦いの余波だけで満身創痍になっていたネスト。
だが、イレイナの横に並ぶことを望むネストは、最後の最後まで戦いを見守り、自分が役に立てる瞬間を待ち続けた。
そして今、ネストはここぞという瞬間を前に、イレイナの前に立ちはだかった。
竜神のブレスは、すべてを滅ぼすエネルギーの奔流。だが、その攻撃は「竜」神のもの。竜を殺したとされるネストの剣は、竜神はもちろん、その最大の攻撃であるブレスにさえも特攻の効果を持つ。
竜を滅ぼす剣が、ブレスに向かって振り下ろされる。
紅蓮の剣は、ブレスを飲み込みながら脈動するように赤黒い光を放っていた。
ブレスの余波がネストの腕を、足を、腹の肉を削る。だがネストは止まらない。止まれるはずがない。
自分が倒れれば、後ろにはイレイナがいるのだから。
竜神はブレスの衝撃で吹き飛ばされないように大気を足でつかみながら、ありったけの力を吐き出し続ける。ただひたすら、聖剣ともどもイレイナを消し飛ばすべく。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ」
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ』
竜滅剣を、降りぬく。極滅の光が、両断される。
死の奔流が途絶えたことを理解するやいなや、ネストはそのまま後ろへと倒れこんで。
その視界を、イレイナが通り抜ける。
黄金の光を片手に、一直線に空を跳ぶ。イレイナとて満身創痍。体のあちこちに傷を負い、あちこちの骨が折れ、内臓にも傷を負い、けれどそれでもイレイナは進む。
その背に、ネストの視線を感じながら。
「いっけえええええええええ!」
「はあああああああああああッ」
ブレスにすべての力を注ぎこんでいた竜神は、その一撃を前に避けることすらかなわなかった。
全身全霊で跳んだイレイナの斬撃が、竜神の頭部を縦に切り裂く。
止まることを知らないイレイナは、そのまま聖剣を振り続け、竜神の頭蓋を、背骨を、ろっ骨を、無数の骨片へと変えていく。
黄金の竜巻が吹き抜けた後には、ばらばらになった竜神の残骸だけがあった。
無数の骨が雨となって降る様を見ながら、ネストは勝利を確信してゆっくりと目を閉じた。




