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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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19天元突破のエナジードリンク

 漆黒の骸骨。わずかに頭頂部に残る金髪が揺れる。身にまとう白銀の鎧は長く風雨にさらされたにしては錆びがなく、かなりの業物と思われた。何より、その手に握られた巨大な漆黒の大剣は、ネストが使う竜滅剣にも似た異様な空気を放っていた。

 眼窩に揺れる紫の炎、それが自分たちを捉えた瞬間、ネストは心臓をつかまれるような強烈な圧を感じた。

 一歩、足を開いたアンデッドナイトが大地に突き刺していた大剣を抜き取り、構える。

『オオオオオオオオオオオ』

 大気を揺さぶる咆哮は、狂気と怒気と憎悪とわずかばかりの哀愁を含んでいて。

 その叫びと同時に、アンデッドナイトの体を黒紫の霧が包み込む。

「……あの歌に出てきた女性騎士かな?」

 強烈な気配を前に、けれどイレイナはどこまでも平常運転だった。そんな気の抜ける言葉を聞いたからか、ネストは体の硬直が解け、そこで思い出したように息を吸った。

「どう、だろうね。もしあの黄金の剣が勇者様の剣だとするのなら、本当に彼女は、恋人を探しあてた騎士様なのかもしれないね」

 竜神と相討ちになって戻らなかった大切な人。その無事を確かめるために旅に出た女性騎士が、たとえアンデッドになろうとも勇者にたどり着けて良かったとネストは思った。

 それは決して、美しく、幸福に満ちた物語ではなかった。ジャンルとしては悲哀、あるいは悲劇。それでも、そこには少しばかりの救いがあったのではないかと、ネストは不思議な運命の祝福を感じていた。

「……あるいは、か細い運命の糸すら手繰り寄せるような強い思いが……執念のようなものがあったのかな」

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」

 イレイナに生返事を返しつつ、ネストはじっとアンデッドナイトを見つめる。イレイナという強敵を図りかねているのか、自己強化を施したらしいアンデッドナイトは動くことなくじっとその場に立っていた。ひょっとしたら、動けないのかもしれない。そのアンデッドナイトにとって重要なのは背後の剣を守ることだけで、イレイナとネストをわざわざ殺すために襲い掛かる理由はないのかもしれなかった。

 紫の炎が揺れる。カタカタと、小さく顎が揺れる。その口が何かを語っているように感じて、ネストはじっとその歯を見つめていた。

「……ねぇ、イレイナ。ここは僕に任せてくれないかな?」

「いいけど……勝てるの?」

 目の前のアンデッドナイトは、ネストにとっては強敵だった。その戦力差を的確に判断してのセリフに、けれどネストはどこまでも力強くうなずいて見せた。

 イレイナに並びたいと、そう願うから。そうありたいと、もがくから。そのためならば、せっかく目の前に現れた強敵を逃すなんてありえなかった。

「……せっかくだから騎士風に名乗りでも上げようか。僕はネスト。元勇者パーティ所属、狂竜戦士のネストだよ」

『オオオォォォ……』

 吹き抜ける隙間風のような、どこか不吉さを感じる声が響く。それは名乗りか、あるいはただの呼吸もどきか。

 それ以上、互いに言葉はいらなかった。じりじりと二人は距離を測る。

 先に動いたのはネストだった。

「顕現せよ、竜滅剣!」

 走り出したネストの手の中に、血のように赤い剣が出現する。狂竜戦士の象徴、ドラゴンスレイヤーが使ったという召喚剣。

 虚空より現れたそれを固く握って、ネストはアンデッドナイトめがけて一直線に疾走する。狂気に唇を吊り上げ、目を血走らせて。

 対して、アンデッドナイトはその場にどっしりと構えたままネストを迎え撃った。

 激しい金属音が鳴り響く。

 ネストの全力の振り下ろし。それはアンデッドナイトに受け止められる。

『オオオオオオオオッ』

 勢いよく振りぬかれたアンデッドナイトの剣がネストを吹き飛ばす。

 空中でバランスを整えたネストは、着地と同時に再びアンデッドナイトめがけて走り出す。

「――ビーストソウル」

 心臓が強く鼓動を刻む。全身へと勢いよく血が流れる。

 肉体の強化。狂竜戦士としての全力を発揮したネストが、再びアンデッドナイトへと竜滅剣を振りぬく。

 けれどやはり、アンデッドナイトの体勢が崩れることはない。

 怒涛の連撃を繰り広げるネストだが、死してなお巧みな剣捌きを見せるアンデッドナイトは疲れ知らず。疲労がたまっていくネストとは違って、アンデッドナイトはネストの剣の癖を見抜き、その剣を最適化させていく。

 軽く振るわれた大剣がネストの頬を薙ぐ。血の飛沫が飛ぶ。

 続けて、わきが、腕が、太ももが、軽く切り裂かれる。

 何とか大剣の軌道をそらすも、ネストの傷は増える一方だった。

 強烈な薙ぎ払いを受け、竜滅剣がはじかれる。そこへ、アンデッドナイトの一撃が迫る。

 視界に影が落ちる。気づけば二人は降り注ぐ陽光の下に出ていた。

『オオオオオオッ』

「はあああああッ」

 はじかれた竜滅剣を引き戻す余裕はなかった。大剣はもうすぐそこ。

 咆哮を上げるネストは、竜滅剣を放り捨て、迫る大剣を両手で挟み込んだ。

 ぎちぎちと筋肉がきしむ。全力を超えた力をもって、ネストはアンデッドナイトの大剣を止めにかかる。

 果たして、大剣は少しずつ押し込まれて、とうとうネストの肩にあたる。

「はああああッ」

 裂帛の声とともにアンデッドナイトの胸部をけりぬく。軽く衝撃を受けたアンデッドナイトの体が浮き、体勢が崩れる。

「竜滅剣!」

 大剣の刃から逃れたネストの咆哮とともに、手放したはずの竜滅剣がその手の中に納まる。

「おおおおおおおおッ」

 裂帛の気合とともに竜滅剣を振り下ろす。その軌道に、漆黒の大剣が差し込まれる。

 火花が散る。

 ぐるりと、らせんを描くような振る舞いを見せた大剣がネストの剣をはじく。大剣の腹が陽光を反射、ネストの視界を妨害する。

「ああああああッ」

 大剣が迫る。死の気配を感じて。

 全力で回避したネストが、竜滅剣をアンデッドナイトにたたきつける。

 白銀の鎧に傷がつく。アンデッドナイトが驚愕の気配をにじませる。

『――喰ラエ』

 とっさに距離を取り、ネストは様子をうかがう。

 アンデッドナイトの漆黒の剣が、全身にまとわりついていた黒紫の霧を吸い込み、毒々しく脈動する。紫の筋が浮かんだ漆黒の大剣は、まるで生きているように見えた。

 呪いのような恐るべき気配をばらまく大剣を前にして、ネストは逃げ出しそうになる己を叱咤する。この程度で引くものかと、イレイナが見ている前で無様はさらすまいと。

「行くよ!」

 前へ。鳥肌も、体の震えも、恐怖もすべてを飲み込んで。ネストは走る。

『餓鬼喰』

 黒紫の奔流がネストに迫る。回避――

「ッ!?」

 わずかに触れた肌が、焼けただれた。激痛が襲い、足がもつれる。

『終ワリダ』

「ま、だだッ」

 薙ぎ払われた大剣を、みっともなく地面を転がってかわす。続く連撃は、竜滅剣を投げつけることによって体勢を崩させて回避する。

 痛みが強くなる。距離をとったネストは、脂汗を額ににじませながら黒紫の濁流がかすめた左ひじを見て息をのむ。そこには毒々しい紫に染まった肌があった。

 もれそうになる悲鳴や弱音を飲み込み、ネストはただ前を見る。

 大丈夫?――そんなイレイナの視線を無視して、ネストは駆ける。だが、精彩を欠いた動きではアンデッドナイトの攻撃をかわせない。

 黒紫の息吹が体のあちこちを襲い、ネストの心を摩耗させる。

 膝をついた。全身から汗が吹き出し、体はひどく熱く、手足は痙攣したように動かなかった。

 じっと、アンデッドナイトがネストを見ていた。この程度かと、落胆したような視線を感じた。背中に冷たい視線を浴びているような気がした。

 それはたぶん、ネストの勘違い。けれど、イレイナが見ているということを思い出したネストは、竜滅剣を杖代わりにして立ち上がる。

 膝は震えていて、お世辞にも立つことがやっとな有様で。それでもネストはアンデッドナイトをにらむ。

「交代ね」

 その横を、イレイナがゆらりとした不思議な歩法で通り過ぎようとして。その肩を、ネストがつかむ。

「まだだ」

 本気?と正気を疑うような視線を浴びながらも、ネストは強くうなずいた。引けない戦いがそこにあった。アンデッドナイトは黄金の剣から離れるつもりはないのか、あるいはネストが立ち向かってくるのを待っているのか、正眼に構えたまま動かない。

「……これは僕の戦いだから」

 まっすぐ、イレイナがネストを見ていた。吸い込まれそうな、どこかほの暗い瞳。

「……はぁ。じゃあせめてこれ飲んで」

 溜息交じりに差し出されたのは、水筒の中身。そのこと自体は問題はなかった。ただ、カップに注がれた液体が問題だった。

 ぼこぼこと沸騰するように泡が浮かび上がる、蛍光イエローと蛍光オレンジのマーブル模様の液体。粘ついていて、刺激臭も香ってくる。

 突然差し出された劇物を前に、ネストは今が戦闘中であることも忘れてイレイナを呆然と見つめた。心なしか、アンデッドナイトもイレイナたちから――そのカップの中身から距離を置いているように見えた。

「……これは?」

「私特製のエナジードリンクよ。野営の時に暇だったから作っておいたの。滋養強壮に良いわ」

「…………そうか」

 いまだに全身が激しく痛む状況で、目の前に示された劇物。飲むか、飲まないか。

 躊躇するネストを見るイレイナの瞳が潤んだ――気がした。それは間違いなくネストの勘違い。

 だが、男にはやらねばならぬときがあると、ネストは己を発破してカップの中身に口をつけた。

「ええいままよ!」

 瞬間、視界に星が散った。強烈な香草の類がネストの口内を蹂躙する。でろりとしたとろみのせいで、いくら唾液が分泌されてもなかなか風味が消えてくれない。

 だが、それは確かにエナジードリンクだった。何しろ、これまでネストを包んでいた疲労感も痛みも完全に消え去っていたから。

 それはある意味、これまでイレイナが作ってきた料理の中で、最も完成に近いものだったかもしれなかった。

 天元突破のエナジードリンクを飲んだネストは、狂ったように笑みを浮かべ、アンデッドナイトを見据える。動揺したそぶりを見せていたアンデッドナイトだったが、その姿勢にぶれはない。

「行くよ、アンデッドナイト!」

『……来イ』

 限界を超えたネストが走り出す。アンデッドナイトもまた、己の最大の力を発動すべく集中する。

『餓鬼喰』

 脈打つ大剣から黒紫の濁流が押し寄せる。それは触れるだけで皮膚がただれ、激痛をもたらす攻撃。だが、それにひるめば勝機は見えない。

 狂え――ネストは己に言い聞かせる。

 狂戦士はくるってなんぼだ、正気なんて狂気で塗りつぶして、ただ勝利のために走れ――

「――ビーストソウルッ」

 強化を重ねる。心臓が激しく鼓動を刻む。恐るべき高揚感の中、ネストは狂気に飲まれて前へと走る。迫る奔流を避けることもなく、まっすぐ。

「おおおおおおおおおおおおおおッ」

 全身が激しく痛んだ。脳が警鐘を鳴らしていた。けれどそれを狂気によってねじ伏せてネストは前へと踏み出す。

 黒紫の霧が晴れる。呪いの濁流を超えた先、茫然と立ち尽くすアンデッドナイトが視界に入って。

 振り下ろされた竜滅剣が、アンデッドナイトを鎧ごと両断した。

『……見事』

 ガシャンと、音を立ててアンデッドナイトが倒れる。ネストもまた、力を使い果たして顔面から地面に倒れこんだ。そのネストを、颯爽と走るイレイナが支える。

「ははっ……しまらないね」

「お疲れ様。格好良かったよ」

 ささやくようなその言葉を聞いただけで、ネストは救われた気がした。別に、何か重い宿命(もの)を背負っていたわけでもないのだけれど。むしろそれはアンデッドナイトの方だった。

「ねぇ、どうして剣を守っていたの?」

 その質問に、アンデッドナイトは答えない。ゆっくりと消えつつある眼窩の炎は、ただじっと黄金の剣を見ていた。地面に突き立てられた、神聖なる剣を。

『……今そこへ行く。ゴールディー』

 ふっと、アンデッドナイトの体から何かが抜けた。それはたぶん、魂と呼べるもの。美しい金髪碧眼の女性の霊が、黄金の剣の柄の上あたりに手を伸ばし、ふっと姿を消す。

 最後の一瞬、彼女が浮かべた満面の笑みが、ネストの瞼に焼き付いて消えそうになかった。

「報われたのかな」

「さぁ?」

 興味なさそうなイレイナの声に、ネストは微苦笑を浮かべるばかりだった。


 イレイナに肩を借りながら、ネストは開けた空間の中央へと歩み寄る。大地に突き立てられた、黄金の輝きを持つ長剣のもとへと。

「これはネストが抜いて」

「いいのか?」

「別に。どうせ加工するけど、なんとなくそうするべきかと思っただけ」

 ふん、とそっぽを向くイレイナの新鮮な姿に頬を緩ませたネストは、にやけ面のまま聖剣へと手を伸ばし、つかむ。

 その剣は、ひどくあっけなく大地から抜けて。

「……ん?」

 何かを察知したイレイナが顔を上げて左右を見回す。カラン、と小石が小さな山を転がって落ちていく。

 そこでようやく、ネストもまたそれに気づいた。

 大地が揺れていた。振動は時を経るごとに激しくなり、ついには立っていることが困難になるほどだった。

「……なんだ?」

 顔を上げて視線を巡らせる。何が起こっているのか、どうすべきなのか――そんな思考は、けれど少しばかり危機感が足りていなかった。

 イレイナとネストがいる巨大な地下空間。その壁の一か所をぶち破って、大量の水が流れ込んできた。

「ッ!?」

 その濁流はドームの中で渦を巻き、イレイナとネストを押し流す。

「しっかり捕まってて!」

「あ、ああ!」

 アンデッドナイトとの戦闘で疲弊したネストを守りながら、イレイナは溺れないように踏ん張る。濁流に押し流されて襲い掛かる岩をかわし、どこかから流れてきた流木をかわして。

「ッ!?」

 急激に高まる気配に、イレイナが声にならない悲鳴を上げる。

 それは、二人の足元から這い上がるように出現していた。何か、圧のようなものが周囲に広がっていた。アンデッドナイトなど比にならない、格の違いをうかがわせる気配だった。

 渦巻く水の底、聖剣が刺さっていた竜神の遺体が、まるで泳ぐように動いていた。巨大な骨は、けれど流される中で集まり、元の形へと戻っていく。

 それは、蛇のような巨大な竜。神と呼ばれるほどの力を得るに至った竜神は、聖剣という最強の武器でさえ殺しきることができなかった。

 ゆえに勇者ゴールディーは、聖剣の力で竜神を縛り、蘇生を妨害した。いつか誰かが殺せる日を待って。あるいは、いつか風化して竜神が力尽きることを願って。

 けれど今ここに封印は破られた。竜神の魔力の流れを縛っていた忌まわしき聖剣(くさび)はもう存在しない。

 水が骨にまとわりつく。圧縮を続ける水は陽炎のように揺らめき、透明度を失い、やがて肉と化す。

 膨大な魔力によって水の在り方を書き換えて、竜神は己の肉体を取り戻す。その肉体を、青いうろこが包み込む。

 曰く、水の神。渦の神。水呑の神。

 その神は水を操り、濁流によってすべてを飲み込み薙ぎ払う、災厄の存在。

 巨大な蛇が鎌首をもたげる。空よりも青い瞳は、ただじっと太陽を見ていた。

『ガアアアアアアアアアアアッ』

 竜神――信仰を失い、もはや名も失った怪物が、天に向かって己の誕生を告げた。


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