18洞窟ダンジョン
太陽の下から逃れれば、一気に気温が低くなった。洞窟に入ってしまえば、花畑を揺らしていた風も遠くなる。
吹き抜ける風の抜け道がない可能性があって。空気の有無を確認するという意味でも、たいまつの存在は必須だった。
揺れる炎に照らされるのは、わずかにでこぼこした石畳の道。周囲の壁や天井は掘り固められたようにのっぺりとした赤茶の肌をしていた。今のところ魔物の気配もなく、ダンジョンであるかの判断もできてはいなかった。
「……ダンジョン、だよね?」
「たぶん?」
とはいえ、長年にわたる冒険者としての経験は、ここがダンジョンであると告げていた。魔王討伐を使命とする勇者パーティとて、ダンジョンという不思議な空間に入らないわけではない。魔王軍がダンジョンを拠点にしている場合や、守るべき街の近くにダンジョンがある場合などは、ダンジョンに入って中の魔物を討伐することも勇者パーティの任務の一つだった。
ダンジョンという不思議な空間がどうやってできるのか、どういう仕組みで成立しているのかは、実はまだよくわかっていない。
神様が人類に課した試練だとか、古の魔王が作り出した魔物の巣だなどといったたくさんの意見がある。だがわかっているのは、ダンジョンを放置すれば必ず人類にとって不利益になるということだった。
ダンジョンには魔物が存在する。たとえ一度内部の魔物を全滅させ、入り口を封鎖していたとしても気づけばダンジョンの中には魔物が現れる。まるで、霞から魔物が生まれるようにして気づけばダンジョンには魔物が住み着くのである。
そうしてダンジョンに生じた魔物は次第にその数を増やしていくが、何事も限界が存在する。魔物たちの密度が増えすぎると、魔物はダンジョンの外に新天地を求めて抜け出てくるようになる。ひどいときには大量の魔物の群れがダンジョンの外にあふれることがあり、特にそのような場合をダンジョンブレイクと呼んだりする。
ダンジョンブレイク前はダンジョン内に異様な数の魔物が存在する。それこそ、入って数歩も歩けば魔物と遭遇する始末だ。
それを思えば、現時点においてはこのダンジョンの危険度は低かった。
ふと、足を止めたイレイナが聴覚に集中する。暗闇の先、何かが近づいてきていた。
「四足、小、五体……多分ジャイアントラット」
斥候として培った鋭敏な五感が、迫りくる魔物を分析する。
ジャイアントラット。通常の動物より何倍も大きなネズミの魔物である。灰色の毛皮に身を包んだどこか汚らしいジャイアントラットは、小さい個体でも二十センチを超え、大きな個体だと全長一メートル近くなったりもする。
そんなジャイアントラットだが、さほど強い魔物というわけではない。
暗闇の中、炎の光めがけてキィキィと泣きながらジャイアントラットが迫る。どれも五十センチは超えた個体。揺らめく炎の光に真っ赤な瞳をきらめかせるジャイアントラットたちは、獲物たるイレイナたちへととびかかって。
一閃。振りぬかれたナイフは血が付くこともなく。けれどイレイナたちを通り過ぎたジャイアントラットたちは、数歩歩いたところでその体を縦に両断され、物言わぬ骸となり果てた。
「……僕はいらないかんじかな」
「……、そうかも?」
少しは慰めの、あるいは否定の言葉が返ってくるのではないかと期待していたものの、イレイナがその手のことに気を配るわけがなかった。告げられた言葉はネストの心に突き刺さり、血を吐くようなふりをする。
(もっと……イレイナほどとは言わないけれど、やっぱり肩を並べて戦えるくらいにはなりたいよね)
斥候としての索敵能力も、純粋な戦闘技能も、ネストはイレイナに及ばない。足手まといでしかない現状を打破すべく、ネストは決意を胸に頬を軽く張った。
奥へと行くほどに、空気がじめじめとしてくる。地下水がにじみ出ているのか、どこかでぽちゃん、ぽちゃんと小さな水音が響いていた。
次第にダンジョン内に立ち込める空気は重く、そこに含まれた魔力によどみが感じられるようになってきた。それが意味するところは――出現する魔物の変化。
「?……来るよ」
次第に分岐を続け、枝分かれが増えた中、イレイナは通路の石畳の削れ具合などから正しいルートを予想、行き止まりに突き当たることなく順調に道を進んでいた。
暗闇の先目を細めたイレイナが告げるのとほぼ同時に、ネストの耳にもその異様な音が聞こえてきた。
前方からは、ガシャン、ガシャンと、金属がこすれるような音。後方からは、硬質なものが石を打ち鳴らす軽い音。
挟み撃ちにされた――そう理解するや否や、イレイナとネストは互いに背中合わせになり、戦闘モードへと意識を入れ替えた。
「敵は?」
「二足歩行。前方はリビングアーマー、後方はスケルトン二体」
スケルトンにリビングアーマー。それらはアンデッドに分類される魔物たち。炎の光に照らされて暗闇の中に姿が浮かび上がったリビングアーマーは、ぼろぼろの錆びた鎧に身を包んだ全身鎧。けれどその中身はない。鎧そのものに残留思念のようなものが宿って動く無機物と化した魔物、それがリビングアーマーである。
一方、ネストの目に映るのは真っ白な骨ばかりになった動く死体であった。スケルトン。筋肉や臓器が風化などによって失われた、ゾンビの成れの果て。個体によっては風化具合が著しく、子どもでさえも簡単に骨を折って倒すことができる個体もいるような、アンデッドの中の最下級レベルの個体であった。
それゆえ、イレイナもネストも特に気負いはなく、鎧袖一触で魔物を撃破した。
そうして魔物の討伐とダンジョンの捜索を続けること約二時間。
ふと動きを止めたイレイナに、ネストは不思議そうな視線を向けた。
「何か見つかった?」
「たぶんね」
どこか確信をもって告げたイレイナが歩き出す。気づけば足元は石畳からごつごつとしたただの岩場に変化していた。それと同時に、わずかではあるが吹き抜ける風が感じられ、たいまつの炎が軽く揺れた。
「空気穴があるわ」
「出口……ではないのかな」
「さあ、それも行ってみればわかるでしょ」
マッピングした地図を確認すれば、もうかなり長いこと歩いていることが分かった。ダンジョンに存在するボスのようなものが待っているのか、あるいは何か別の――例えば探し求めているオリハルコンへの手がかりがあるのか。
わずかな好奇心を胸にイレイナの背中を追ったネストは、向かう先にわずかな光を見た。
そこには、ぽっかりと開いた巨大な空間が存在していた。そしてその中央あたり、天井部分が崩壊して、光が差し込んでいた。
天井にあいた穴の先に見えるのは、わずかな曲線を描いた大地。古の戦いで生じたクレーターの中央部分において天井が薄くなって崩落したようだった。
穴から降り注ぐ陽光のおかげか、地中にあってその部分だけに緑が生い茂っていて。こんもりと盛り上がったその中央に、まばゆい黄金の光が存在した。
「……おお」
金銀財宝とは比較にならない、魂を引き付けるような美しい黄金色。どこかねっとりとした、蜂蜜のような不思議な照りを持つそれは、一本の剣だった。
「……オリハルコン?」
かつて、歴代最高と謳われた勇者が使っていた聖剣。純オリハルコンからなるそれは、大地に刃が半ばほど突き刺さった状態で、雨風にさらされながらも力強くそびえたっていた。
「……ん?」
ふと、丘のように盛り上がったそこに違和感を覚えて、ネストはその正体を看破するべく目を皿にして観察をしてはたと気づく。
丘のようになったそこに、砕けた頭蓋骨のような骨があった。とはいえそれは人間の者ではなく、大きな爬虫類のような口のとがった形をしていた。
「……竜神の遺体?」
「かな?……墓場荒らしは趣味じゃないけれど、こんなところで雨風にさらしておくくらいなら有効活用してもいいよね」
そんな誰に言い訳しているのかわからないようなことを言いながら、イレイナがオリハルコンに引き寄せられるように一歩前に踏み出して。
突如、イレイナが纏う空気が変わった。
全力で後方へと飛びのくのとほぼ同時、降り注ぐ陽光を切り裂くようにして、頭上から一つの影が落ちた。
先ほどまでイレイナが立っていた場所に降り立ったそれは、大地に罅を入れ、降り積もっていた塵や砂埃を舞い上がらせる。
宙を舞う砂が光を乱反射し、どこか幻想的にきらめく。その星屑を振り払うように、砂煙を吹き飛ばし、その先に一体のアンデッドが姿を現した。
「……アンデッドナイト」
鎧に身を包んだ、騎士風のスケルトン。けれどその個体は、ただのスケルトンというには異様な気配を持っていた。何より、通常のスケルトンとは違って、その骨は闇を塗りたくったような黒色をしていた。
暗い眼窩に炎がともる。燃え盛る紫の炎を双眸としたアンデッドの騎士が、イレイナとネストの前に立ちはだかった。




