16英雄譚
昨日更新できなかったので、今日は二話目を投稿します。
すでに埋まってしまった宿を練り歩き、空室を探して歩いた。
精神的な疲労が著しく、ようやく宿の一室をおさえたイレイナとネストは、倒れるようにベッドに身を投げた。
ぼふ、と柔らかなベッドが沈む。これまでにない天上の心地に、ネストの意識はすとんと闇に落ちていこうとして。
きゅるる、と音が鳴る。
そのかわいらしい音にネストはカッと目を開き、勢いよくイレイナの方を見た。頬を赤らめ、瞳を潤ませたイレイナは寝そべりながらおなかに手を当ててネストをにらんだ。
「……なに?」
「ううん、なんでもない」
「なんでもないわけないでしょ。言いなさいよ。怒らないから」
「絶対に嘘だ。女性の『怒らないから』は信用できないよ」
「……どこで培った経験則なの?」
どこか険しい様子で、眉をひそめたイレイナが尋ねる。その表情の理由がわからなくて、ネストは呆けたように口を開いたままイレイナを見つめ続けた。
やがてある仮説に至り、ネストは鼓動をはねさせる。
女性経験を問うイレイナの機嫌が悪い――そこから導き出されるのは、
「嫉妬?」
「……え、黙れ(シット)って?」
「あ、いや……うん、何でもない」
「気持ち悪いわね」
途端ににやにやとだらしない笑みを浮かべ始めたネストが、ごろごろとベッドの上を転がる。そんなネストに対するイレイナの言葉は辛辣だった。
それを照れ隠しだと受け取ったネストはますます増長し、時を追うごとにイレイナの眉間のしわが深くなっていく。
「ねぇ、ネスト」
「何かなぁ~?」
「今のあなた、本当に気持ち悪いわ。昔依頼で遭遇した豚貴族のようね」
豚貴族――そういわれて思い浮かんだ脂ぎった体つきの下種を思い出し、ネストは冷や水を浴びせられた思いだった。
ぴたりと動きを止める。暴れていたために移動を続けていたシーツが、はらりと床に舞い落ちた。
「……とりあえず晩御飯にしましょう?」
気分は一気に乱高下し、ネストは重い足取りでイレイナについて宿一階の食堂へと足を運んだ。
がやがやと喧騒に満ちた食堂。宿の客以外も料理を頼むことができるそこでは、すでに出来上がった赤い顔の男たちの大声に交じって、心地よい竪琴の音が響いていた。
ぽろん、ぽろんと響く弦の音は、水面に広がる波紋のよう。音自体はさほど大きくはないのに、その音は喧騒にかき消されることなく人々の心に届いていた。
「……珍しいね、吟遊詩人だよ」
目をキラキラさせてイレイナに告げるネストには、先ほどの落ち込みのあとはなかった。子どもっぽいネストに苦笑を返し、イレイナは足早にあとを追う。
宿の中央。一席を独り占めして竪琴を鳴らし詩を歌っているのは、美しいエルフの男性だった。
人類の一種族。森を愛し、森を守護して生きる亜人のエルフはその美貌と魔法技能の高さから人間に狙われ、奴隷狩りの被害に遭ってきた歴史があった。人間に奴隷として狙われたのはドワーフや獣人などの亜人たちも同じだった。
数で劣る亜人たちは、ゲリラ的に人間を襲い、奴隷とされた仲間を救い、あるいは復讐として人類を虐殺した。
人間と亜人。両者の溝は深まるばかりで、関係の改善の兆しは見られなかった。
けれど時代は変わった。一人の英雄の出現によって。
それが、剣聖と名高いレオニードの先代の勇者である。
いくら剣聖と呼ばれるほどの剣の達人であった先代勇者も、凶悪な魔王軍を前に攻略を足踏みしていた。魔物たちは多く、さらに人類とは比べ物にならないほど力も強い。さらに魔族は知能が高く、人類の長所である思考力さえ有する。
魔王軍に押される中、先代勇者は人類は団結すべきであるという結論を出した。魔王軍に襲われていた亜人――エルフを始めとする者たちの村や街を救い、レオニードは彼らとの共同戦線を求めた。
最初は人類など信用できないと考えていた亜人たちだったが、次々と亜人を救っていくレオニードの活躍を知り、対応を変えた。
決定的だったのは魔王軍最高幹部、四天王の一人を先代勇者が撃破したこと。その功績をもとに先代勇者は亜人奴隷の解放と奴隷禁止条約を世界で結ばせ、亜人たちは人間とともに人類として魔王軍にあらがうに至った。
そんな先代勇者も老い、引退してから早十年。獣人やドワーフを始め、少しずつ人間の街でも亜人が普通に暮らすようになった。
とはいえ亜人たちの心にある積年の思いが消えたわけではない。さらにいえば辺境などではいまだに亜人差別がまかり通るような空気もある。
とりわけ人間への恨みが強かったエルフが辺境と呼んで差し支えない要塞都市ドラゴニアにいるというのは、そんな現状を知るイレイナたちにとって驚きのことだった。
弦を鳴らすたびに、さらりとした金糸のようなつややかな髪が揺れる。女性のように細いエルフの男の喉からは、時に低い男の声が、時に流水のような落ち着きのある女性の声が響く。
まるで子守歌のように、あるいは鎮魂歌のように、優しくしっとりと歌われるのは、英雄の恋人の詩。
昔、竜神と戦った歴代最高と名高かった勇者ゴールディーには故郷に恋人がいた。騎士として生まれ育った女性は、姫の護衛として故郷に残ることを決め、ゴールディーの旅に同行することはなかった。
各地で凶悪な魔物が暴れ、さらにはそれに触発されるように強大な存在が目を覚ました。
竜神もその一柱で、ドラゴンの中のドラゴンとも呼ばれていたその個体は、魔王などという矮小な存在ではなく己が大陸を手にするべきだとして、自らを信奉する竜人たちとともに戦いに乗り出した。
多くの命が失われる竜神との戦端に飛び込んだゴールディーの帰還を、女性騎士は待ち続けた。
最強の勇者は、神とさえ呼ばれた竜神と互角の戦いをした。
長い戦いが繰り広げられ、果たしてゴールディーと竜神は相討ちに終わった。
勇者は、約束を守れなかった。
それは、イレイナやネストもよく知る、最強の勇者ゴールディーの戦いの物語。けれどそこで歌は終わらない。むしろここからだとばかりに、エルフの吟遊詩人は朗々と女性騎士の心中を語る。
滂沱の涙を流す女性騎士は、失意のまま床に臥せた。どうして死んでしまったのか、どうして死んでしまうような無茶をしてしまったのか、どうして彼が死ななければならなかったのか、どうして彼は勇者なんかになってしまったのか――
彼女は神を呪った。竜神を呪った。無力な己を呪った。
そんな彼女を、護衛対象であった姫が叱咤した。
『あのお方は、貴女が悲しみに暮れるのを望みません。貴女の涙を望みません。だから顔を上げなさい。前を向きなさい』
何度も部屋に訪れて、姫は絶望の中にある女性騎士を支えた。その甲斐あってベッドから立ち上がった女性騎士は、覚悟を胸に告げる。
『彼のもとへ、行かせてください』
まだ、彼女の中でゴールディーは死んでいなかった。思い出は胸にあり、死んだというのは噂のみ。その目で死を確認するまでは、決して認めない。
それは狂気だったかもしれない。ただの現実逃避だったかもしれない。けれど彼女は、ゴールディーのもとへと旅に出た。
最強の勇者の足跡をたどり、ゴールディーの活躍を聞き、時にゴールディーが討ち漏らした魔物を倒し、女性騎士は長い旅の果てにとうとうドラゴニスへとたどり着く。
戦いの終わりから十年。ゴールディーの名声によって魔王が危険視したからか、数名の勇者が討たれたという話を耳にしながら、女性騎士は激しい戦いの跡の残る荒れた大地へと踏み出した。
彼女は、ゴールディーを探し続けた。ドラゴニスから一歩も出ることなく、そこに跋扈する竜人の生き残りを倒し、憎き竜神の因子を取り込んだ魔物を殺して食らうことで。
その果てに、彼女は呪いに侵された。竜人の力の残滓によって精神が歪み、肉体も変わった。
その変化を、竜神の呪いを、憤怒と憎悪で押しとどめて、女性騎士は歩き続けた。最愛の人を求めて。
けれど、神と呼ばれる存在の力を、たとえ残滓であってもたかが一人間が意思で抑え込み続けられるはずがない。
とうとう竜神の力に飲まれようとした女性騎士は、最後の力を振り絞ってその胸に剣を突き立てた。
倒れた女性騎士を、風雨が撫でていった。
月日がたち、ある日、風化した女性騎士はアンデッドとなって立ち上がった。
誰を求めているのか、何を探しているのか、それすらも忘れて。
彼女は今も、何かを求めて荒野をさまよっている――
気づけば、酒盛りをしていた男たちは滂沱の涙を流し、ぐずぐずと鼻を鳴らしていた。
ネストもまた、彼らとともにエルフの男へと惜しみない拍手を送った。
その物語が実話か否かは、どうでもいいことだった。そもそも、当時も人間との関係が悪かったエルフに、誰かが面白おかしく空想を吹き込んだ可能性の方が高いことなど、この場の誰もが理解していた。
どうか、女性騎士の魂に幸いあれ――そんな思いとともに、ネストは素晴らしい話を語って聞かせてくれたエルフの男に料理をおごった。
エルフの男を中心に盛り上がりを見せる中、ただイレイナだけが、真剣な顔でじっと料理を見つめていた。




