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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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13ドラゴニスに向かって

今回の話に壊滅料理(?)は登場しません。

大陸中央への道中と、女々しいネストの内心。

 イレイナの記憶を頼りに、二人はオリハルコンを求めて街を、国を飛び出すことになった。向かうのは大陸中央部。

 そこはかつて歴代最高の勇者と呼ばれた男と、大陸全土を侵略しようとした竜人たちの王、竜神が戦った場所。

 一か月に渡る死闘の果てに大小多数のクレーターが大地をえぐり、放たれた魔法や強大な竜神の爪はそこにあった竜人の文明を滅ぼした。

 山は割れ、平原も割れ、出現した谷に水が流れ込むことで川は形を変えた。

 環境を変えた激闘の果てに勇者と竜神は相討ちとなり、世界には平和が訪れたとされる。

 そんな大陸中央だが、イレイナとネストがいた街から直線で進んでも一か月はかかる。魔物蔓延る森や山を避ければさらに旅路は長引く。そんな長期にわたってわざわざ旅をするつもりは、イレイナにはなかった。

 長くて半年に渡るだろう二人旅。イレイナとの日々に内心ドキドキしていたネストは、旅の足を含めた準備は全て任せてもらうというイレイナの言葉に従って、自分の準備だけ終えて、イレイナと門に向かって歩いていた。

 今日も二人が拠点を構える街は魔王と勇者の戦火からは程遠く、いつも通りの平和な日常がそこにあった。行きかう住民たちの顔には活力が満ち、市場からは無数の呼び込みがうねりとなって響いていた。馬車を引く馬たちは雄々しい足で石畳を踏みしめ、跳ねる車輪が大きな音を立てる。

「……イレイナ?こっちじゃないの?」

 乗合馬車の待合の前を通過していこうとするイレイナを見て、ひょっとして緊張で見落としてしまったのだろうかとネストは首をひねる。

 果たして、イレイナから帰って来たのはどこか呆れをにじませる視線だった。

「え、今何かおかしなことを言ったかな?」

「すごくおかしい。乗合馬車に乗って旅をするなんて、ドラゴニスに向かうまでどれだけかけるつもり?」

 今も竜神の力の残滓が残っているということから名づけられた大陸中央の戦場跡、ドラゴニス。そこへの旅にどれだけの時間を費やすつもりかと、イレイナは呆れを隠すことなく告げる。

 その言葉に、ネストは目が点になるばかりだった。確かに、この世界において馬車というのはさほど高速で移動可能なものではない。狼などの獣を使役すれば山道だって疾走できるし、ドラゴンやグリフォンなど、幻獣と呼ばれる一部の種族と友誼を結ぶことができれば空を飛んで、地形を無視して一直線に旅をすることだってできる。

 とはいえ気難しい幻獣と友誼を結ぶというのは容易なことではない。自らの爪や翼に誇りを抱く幻獣種は人類を下等に見ており、もし彼らと友好関係に至ろうと思うのであれば、幻獣たちを上回る武力を見せるか、あるいは幻獣が課す過酷な試練を乗り越える必要がある。そうして生まれた幻獣に乗って空を駆る者たちはドラゴンライダーやグリフォンライダーとして栄光の道を歩むことになる。

 それはともかく、イレイナの異常な戦闘能力があれば、ドラゴンに勝利することだって不可能ではないかもしれないとネストは考えた。とはいえ、幻獣は存在自体が希少であり、遭遇できるだけで幸運である。この街周辺では幻獣の目撃情報などなく、ゆえにネストはイレイナが幻獣を下した可能性は低いと見積もっていた。

 果たして、馬を借りることなく街の外に出た二人を待つ幻獣はいなかった。そのことにどこか安堵の息を漏らすネストだが、おもむろに屈伸など準備運動を始めたイレイナを見て、だんだん顔が引きつっていく。

「……どうしたの?早く準備したら?」

「いや、その前に何をしようとしているのか聞きたいんだけど」

 頬をヒクつかせながら告げるネストの声は一部裏返っていた。嫌な予感のせいで額に汗がにじみ、絶望が体を包み込もうとしていた。

 きょとんと眼を開いて動きを止めたイレイナだったが、未だに旅程をネストに話していなかったことを思い出し、ぽんと手を打って見せる。

「何って、これから走る準備をしているのよ」

「走る……ドラゴニスまで?」

「そう。走って、一週間くらいかな?」

 馬車で進んでも二か月近くかかるだろう旅程、それをわずか一週間に縮めるという驚異の宣言は、馬鹿げていた。けれど、それを笑い飛ばすこともできなかった。疾風のように走る今のイレイナであればそれくらいできるかもしれないとネストは思った。ただし、イレイナは、だ。超人に半歩足を踏み込んだ程度のネストでは、風のように走るイレイナについていくことは叶わないだろう。

 今すぐ旅程を組みなおして馬車で行こう――そう告げようとしたネストだが、準備体操を終えたイレイナは大きなリュックを担ぎなおして満面の笑みを浮かべた。それはまるで、お菓子を前に待てをされている少女のようで。

 惚れた弱み――ネストに拒絶をすることはできなかった。

「……頑張るけど、足を引っ張ったらごめんね」

 がっくりと肩を落としたネストは、軽く足の筋肉をほぐしてイレイナに視線を送った。

「それじゃあ行こうか。いざドラゴニスへ!」

 そう告げたイレイナが疾風と消える。後にはわずかな砂塵が残され、まるで瞬間移動のように姿を消したイレイナに、門から出たばかりの御者がぽかんと口を開いて思考停止に陥った。

 走り出したイレイナを追うために、ネストは全力を出す。

「――ビーストソウル」

 ドクン、と心臓が強く脈を打ち、血が沸騰したように体が熱くなる。狂戦士としての力で自らの肉体能力を引き上げたネストもまた、大地を力強く踏みしめてその場に一センチほどの深さの足跡を残し、イレイナを追って走り出した。

「……どうなってんだ?」

 目をこする御者の男は、ただ茫然と、小さくなっていくネストの背中を見送った。


 イレイナとネストは、大陸中央、ドラゴニスまで直進ルートをひた走った。

 立ちはだかる魔物は戦闘でイレイナが露払いし、ネストはイレイナにおいていかれないよう、回避や防御に留めて魔物を置き去りにすべく走り続けた。

 半日、休憩もなしに全力疾走し続けるイレイナは、けれど呼吸を乱すこともなく魔物を切り刻む。それを追うネストは、もう無心で走るしかなかった。

 とっくの昔に息はきれ、身体能力を引き上げる「ビーストソウル」は何度もかけなおし、肉体的にも精神的にも完全に限界を超えていた。

 イレイナは森であろうが山であろうが大河であろうが構わずに直進し、森は木々を避けて疾走し、山もまたスピードを遅くすることなく走り抜け、川に至ってはひとっ跳びで跳びこえた。ネストは勢いのままに川に飛び込み、必死に泳いでイレイナの後を追った。その度に距離を離され、絶望が心に広がっていた。

 一般的に、体のつくりから男性のほうが筋力的に女性より優位とされている。だからこそ一部の地域では男性が女性を守るべし、といった風潮もある。戦いにおいてその優劣は顕著となり、男性は前衛、女性は後衛を務めることが多い。ネストはそれほど男女の差を気にしない方だが、それでも惚れた相手の足を引っ張るという状況は苦痛だった。

 イレイナに勝てないまでも、せめてその隣に並びたい。気がつけば遠い存在になってしまっていたイレイナの背中を追いながら、ネストは決意を新たにしていた。


 干し肉やドライフルーツ、日持ちする黒パンなどで腹を満たし、疲労の溜まった脚の筋肉をほぐしながらネストは横目でイレイナを見る。

 のんびりとナイフについた脂を拭きとっているイレイナには疲労のひの字も見えない。魔物蔓延る森の中にいるにも関わらずまるで家にいるような平常心を見せるイレイナだが、すぐにでも戦いに動けるように警戒を続けているのはネストにもわかった。

「それじゃあ先に休ませてもらうわね」

 気が付けば装備品の手入れを終えていたイレイナは、それだけ告げて外套に身を包んで目を閉じる。十秒もしないうちに寝息が聞こえて来て、ネストは腰の剣の柄を抜きやすいように体へとひきつけてから、焚火へと薪を放り込んだ。

 バチ、と火の粉が爆ぜる音とともに、小さな火花が空へと飛び出す。ゆらゆらと風に吹かれて上へ飛んでいく火花は、やがてその熱を失って光が消える。小さな煤となったそれは、枝葉の隙間から見える星の明かりに届くことはない。

 わずかな星明りを見つめながら、ネストはそれに向かって手を伸ばす。その心の中では、遥か遠くに至ってしまったイレイナに置いていかれるまいと必死だった。

 火の粉が爆ぜる。すぅ、すぅと落ち着いた寝息が聞こえる。遠くから響くのは、狼らしき獣の鳴き声。イレイナという強者の存在を感じてか、近づいて来る魔物はいなかった。

 くるりと寝返りを打ったイレイナを見ながら、ネストはじっと時間が過ぎるのを待つ。わずかに赤みがかった血色のいい頬に焚火の光が揺れる。淡い色の唇はみずみずしく、触れば吸い付くような気がした。

 むくむくと心の中で大きくなる思いを必死に抑えながら、ネストは再び空を見上げて息を吐いた。

(生殺しだね……)

 色恋に疎いイレイナに遠回しな誘いは意味がない。それは勇者レオニードの誘いを巧みにかわしていたことからも明らかだった。

 関係を前に進めるためには思いの丈を述べなければならない。けれどもし断られて今の心地よい在り方が変わってしまったら――そう思えばネストは一歩を踏み出すことができなかった。

 勇者の仲間として故郷を旅立ってからもう十年近く。一度は離れてしまったイレイナと再び行動を共にできるのは万斛の喜びだったが、けれど距離が近すぎるというのも問題だった。

 新たに放り込んだ薪の水分が多かったのか、パチパチと音が響く。上昇気流に乗って舞い上がる火の粉に、なぜだかネストは自分を重ねていた。

 届かぬ天に向かって必死に飛んでいこうとする。自分はイレイナと対等に並べる日が来るのだろうか――戦闘能力で遠く離されてしまっているネストの悩みは尽きない。

 夜は更け、いつしか草木も眠っていく。時折漏れるイレイナの水気を帯びた吐息に悶々としながら、ネストは夜番を交代してからも眠れない時間を過ごした。


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