10料理師匠
冒険者組合受付嬢ベルコットの朝は早い。
身支度を整えた彼女が冒険者組合の社宅を出るのは、まだ日が昇っていない時間。
人は弱い。それはもはや誰もが知っていること。魔物と戦う冒険者たちも、自分が弱い人類であることを理解しているため、いかに自分たちに有利な状況を作り出すかに焦点を置く――一部の超人を除いて。自分たちが不利な状況を徹底的に避け、勝てる戦場で勝てる戦いをする。それこそが冒険者である。
だからこそ、勤勉な冒険者はまだ夜が明ける前から冒険者組合を訪ね、新しい依頼を受けて街を出ていく。
なぜなら、夜は魔物の世界だから。魔物よりも夜目が利かない人類にとって、闇は敵だ。炎や光によって視界を確保するという手段もあるが、それこそ魔物をおびき寄せることになるため、あまり冒険者は好まない。一部の狼などはなまじ賢いがゆえに人に手を出したときの被害を理解して遠ざかるが、大抵の魔物は火や明かりを見ようものなら一目散に近寄って人に襲い掛かる。
その習性を利用して狩りをすることはあるが、さらに嗅覚や聴覚などに優れた個体がいる以上、闇という視界不良な状況を人間が避けるべきであるという前提は覆らない。
そのため、まだ日が昇る前に街を出て、日が昇ったあたりから魔物の散策をして、日が沈む前に依頼を達成して帰路を急ぐというのが、日帰りの依頼で好まれる方法だった。
そんなわけで、まだ日が上がっていないうちから冒険者組合は盛況であった。
張り出された依頼が次々とはがされて受注され、冒険者のくせに勤勉な者たちは我先にと街を出ていく。ちなみに朝早くに街を出て夜遅くに街に帰ってくることになるため、必然的に冒険者たちは毎日依頼を受けることをしない。そのために朝一にやってくる冒険者たちの数にも波があるのだが、今日は比較的多い日だった。
朝日が昇るころにはすでに一部の受付嬢はくたびれきっており、朝日を見ながら目をこする様子が見られたりする。
とはいえ冒険者にいいところを見られるように常に気を張っているベルコットはそのようなふるまいを見せたりはしない。
パリッとしたシャツにはしわ一つなく、笑顔には曇りもない。もっともどれだけ化粧で顔色の悪さを隠しているか、そしてその内心でどれだけの罵詈雑言が荒れ狂っているかを、同僚の組合職員は何となく知っている。それゆえに一部のきつい受付嬢を除いて、ベルコットに積極的に関わろうとするものはいない。
そんなわけで冒険者組合の爪弾き者、遠巻きにされているベルコットは今日もやってくる冒険者たちを吟味し、獲物を探していた。
その獲物とは未来の旦那候補であり、あるいは金銭的に依頼効率のいい冒険者である。依頼を受注した冒険者の成果の一パーセントが給料に加算される受付嬢にとって、より良い冒険者の見極めとその専属になることは重要な要素であった。
凄腕の冒険者の専属受付嬢になって、関わる機会を増やすことで恋仲になって寿退社――というのが受付嬢のサクセスストーリーの一つだった。ほかには依頼関係でやってくる騎士と恋仲になったり、同僚同士で結婚して冒険者組合の上を目指したりといった形になる。
それはともかく、ベルコットは自分のスーパー冒険者センサーが反応したことで、これまで張り付けていた上っ面の笑顔をさらに矯正し、満面の笑みを作って入ってくる冒険者を待ち構えた。
その姿はさながら花に擬態したハナカマキリ。美しい容姿に、テーブルにたむろしていた冒険者たちから歓声が上がるが、ベルコットは心の中で激しい舌打ちを飛ばすにとどめた。
果たして、扉の向こうから姿を現したのは、ネストとイレイナの二人組で、ベルコットは心の中で再び舌打ちを飛ばした。
未来の旦那様候補の一人に定めていたネストだが、ベルコットの目から見て彼は明らかにイレイナに気があった。つまり、ネストの恋人に収まるのは不可能。
一方、イレイナの方はよくわからないというのがベルコットの評価だった。
冒険者組合に所属し、多くの受付嬢を見ていたベルコットの観察眼によると、少し前までイレイナという女性冒険者は、そこそこどまりの強さしか有していなかった――はずだった。それにも関わらず、ここ数週間の間に、イレイナはすっかり化け物連中に片足どころか両足を突っ込んでいた。
もはや人間かどうかも疑わしい超人たち。一部の冒険者や国に仕える上位騎士なんかに存在する怪物の一人に見えるイレイナは、今日も気配なくネストの隣を歩いていた。その存在感のなさに、冒険者の中にはネストが虚空に会話しているように見えてぎょっと目を見開くものがいたりする。
恋愛的にも、ベルコットにはイレイナという人物がよくわからなかった。どこか上からな口調はあまり男に好かれるタイプではない。その口調が素ではない作ったものであるとすれば、男を避けるタイプ。素ではないとしたら、ただの天然の変人。ちなみにベルコットは後者だと感じていた。
恋愛のれの字も知らないお子様、あるいは生粋の乙女。清廉潔白な少女。
そう考えれば、どこか浮世離れしたイレイナの雰囲気も納得できるというものだった。
「おはようございます。昨日は新居に移られたということですが……お疲れですね?」
「まぁ、ね」
昨日も冒険者組合にやってきて、二人そろって元勇者パーティ所属、さらには即金即決で街に家を購入するという始末。そんな爆弾発言やらなにやらをいくつもやって見せた二人に、ベルコットは内心で舌なめずりをして。けれどネストがやけに疲れた様子なのをみて、急に白けた。
昨日はお楽しみでしたね――そんな下世話な言葉を何とか飲み込むも、代わりにイレイナをにらむことは止められなかった。イレイナはといえばベルコットのにらみに対して不思議そうに首をかしげて返した。事実、イレイナには彼女ににらまれる心当たりが全くないのだから。
「せっかく新居を手に入れたのですし、少しは休暇を取ってもいいと思いますよ?」
頬をひくつかせながら告げるベルコットを見て、やばい爆発寸前だ、と同僚たちが戦々恐々とする。一方、ネストはその言葉を聞いてひどく遠い目をした。
「新居で心機一転、落ち着いた夜を過ごせる……と思ったんだけどね」
あはは、と乾いた笑い声をあげるネストだが、その目は完全に死んでいた。
「大丈夫。お金は私が払うから」
「ええと……今日は依頼、ではないのですか?あ、ひょっとして購入した家に何か不備があったのでしょうか?」
「不備……はなかったんじゃないかな?仮にあったとしてももうわからないけれど」
「えーっと?」
「その……ね、実は家が焼失して、新築を建てようと思って相談に来たんだ」
「………………焼失!?」
夜に一瞬だけ炎を上げて瞬時に焼け落ち、さらには延焼もなかったため、イレイナたちの家が燃え尽きた話はまだ街の住民には広まっていなかった。せいぜい、朝燃え尽きた家をみた近隣住民がまだ夢を見ているのかもしれないと目をこすり、それから現実逃避気味に家に帰ったくらいだった。
ベルコットの悲鳴のような声を聴いて、にわかに冒険者組合内が騒がしくなった。
ベルコットが動揺したのは一瞬だった。彼女はすぐに落ち着いて、ひとまずは状況を聞こうと考えた。これが優秀な冒険者に対する嫌がらせや、魔王の幹部による奇襲であったとしたら初動が肝心だからだ。
果たして、ベルコットの懸念は完全な杞憂に終わるのだが。
「……その、料理をしていたら燃え尽きたのよ」
は、とベルコットは空いた口がふさがらない思いで、イレイナとネストの間を行き来させた。
リョウリ――少し聞き間違えただろうかとベルコットは頭をひねる。リョウイ?リュウリ?リョウイ?リョーリ?あるいは、と現実逃避気味に考えるも、天然イレイナは待ってはくれない。
「料理よ。料理に使った火が燃え広がった、わずか十秒未満で家が燃え尽きたのよ。ひょっとしたら手抜き建築だったんじゃないかしら?」
「いくら手抜きだったとしても十秒で家は燃え落ちませんよ!?というか手抜きなわけないじゃないですか!冒険者組合の信用が吹き飛びますよ!」
「けれど燃え尽きたわ」
「それは絶対にイレイナさんがおかしいんですよ!?」
うがぁ、と悲鳴を上げるベルコットがイレイナをにらむ。そして確信した。イレイナは天然だと。かつ極度の料理音痴だと。
よくこれに恋をしたな、とベルコットはネストを化け物を見るような視線で見つめた。その視線にさらされ、ネストはイレイナ同様不思議そうに小首をかしげる。
こいつらそっくりか――ベルコットの心の中にそんな突っ込みが響いた。
「ま、まあいいです。建築希望というのでしたら冒険者組合経由で商業組合に連絡しましょう。まずは支部長に伝えますね」
言いながら、ベルコットの頭の中では、十秒で家を燃やしつくすイレイナの料理がぐるぐると回っていた。
さすがに十秒は冗談としても、火事騒ぎにならない程度にはあっけなく家が燃えたのだろうとベルコットは恐ろしい怪物を見るような目でイレイナをちらりと見て、それから逃げるように支部長室へと走り出した。
「……というわけで、支部長はぶっ倒れたので私が代わりに商業組合との連絡を取りつけました」
「本当に助かったよ。まさか初日に家がなくなるとは思っていなかったよ……」
やさぐれた様子のベルコットに、ネストが深々と頭を下げる。ネストのウィークポイントを見出した気がした、ベルコットは内心で歓声を上げる。謝罪によって下手に出たネストをガンガン押していけば攻略も可能かもしれないと。
ちらりと牽制の視線を向けても、イレイナはどこ吹く風であった。その余裕は今だけだ、などとどこか負け犬めいたセリフを心の中でまき散らしながら、ベルコットはずっと気になっていた疑問をイレイナに投げつけることにした。
「それで、料理をしていたら燃え尽きたということでしたが、一体何を作ろうとしていたのでしょうか?」
「ん?大根おろしステーキだけど」
「ふむ……?ステーキでフランベでもしましたか?」
「フラン……?」
「あ、いいです何でもないです。ええと、つまりステーキを焼いていたらその炎が油かなんかに延焼してしまったと。キッチンの配置に気を付けないとだめですよ」
「油を使っていなくても三メートルほどの火柱が出現したのよ。それに、大根をおろす際にその破片が高速で飛び散って家に穴をあけたの。たぶん摩擦で焼き切れるほどの速度でとんだ大根のせいよ。つまり大根が悪いの」
「……意味が分かりませんよ。第一、そんなイカれた速度でぶっ飛ぶような大根があってたまりますか」
「……え?」
「……はい?あ、ちょっと嫌な予感がしてきました。言わなくていいです絶対に言わなくていいですなんか聞いた自分の中の価値観が崩壊しそうな気がするっていうかぁ!?」
そんなベルコットの懇願をすっぱり無視して、イレイナは不思議そうに答えを口にした。
「マンドラゴラよ」
「……はぁ。マンドラゴラですか。あの、顔面がある根菜の?」
「そう。巨大な大根みたいな見た目で、引っこ抜くとうるさいものね」
「死の叫びですね。それに、霊薬なんかに利用される?」
「ええ。おかげで食べたら体が活力に満ちているわよ」
「……それをどうして大根おろしにしようとしたのか聞きたいところですね。あ、言葉の綾ですよ。全く、それはもう全く聞きたくなんてありませんから。振りじゃないですよ?マジですから!」
「格の高い生きた生物なら戦闘扱いされて料理になるかもしれないってネストが言ったもの」
ギギギ、と首をひねったベルコットがネストを見る。
見つめられたネストはといえば、恥ずかしそうに頬を掻きながらうなずいた。
「いい案だと思ったんだけどね。以前は成功したし、二度目もうまくいけばマンドラゴラについてはイレイナが調理できるってことになるから」
「今すぐそこに座ってくださいお二人とも!」
冒険者組合にベルコットの絶叫がとどろいた。
「いいですか。マンドラゴラは素材です。冒険者組合に売るべし!はい復唱!」
「いいですかマンドラゴラは――」
「いいですかはいりません!」
「いいですかはいり――」
「ああもう!?もう復唱しなくてもいいですよ!……はぁ。ネストさん、あなた、まるで指導がなっていませんね」
ぎろりとにらむベルコットはすっかり猫を脱ぎ捨てていた。おかげでベルコットの容姿をはやし立てていた一部の冒険者たちはすっかり黙り、今では軽く女性不信の気さえある。それほどベルコットの豹変具合が彼らの度肝を抜いたのだが、ベルコットに言わせれば本気で対応しないと駄目なイレイナとネストが悪い。
にらまれたネストはといえば、なぜか歓喜を顔に宿して、あまつさえがっちりベルコットの肩をつかんだ。嫌な予感がした。そうと気づかずに魔物の巣の最奥に足を踏み入れてしまったような、そんな恐怖があった。
「そう、僕では指導がなっていないんだよ。これもすべて、幼馴染で強く出ることができないからなんだ!……そこでベルコットさん、あなた、イレイナに料理指導をしませんか?」
「……は?嫌ですよ。こんな火災兵器に料理を教え込むなんて不可能ですよ。よそをあたってください」
「これだけ出しますよ?……倍でどうですか?」
「乗った!……はっ!?」
提示された金額がおいしすぎて思わず快諾してしまってからベルコットは我に返った。だが吐いた唾は飲み込めない。ネストは嬉々として契約書を作成し始める。
遠くから、戦々恐々とした冒険者たちのうわさがベルコットの耳に飛び込んでくる。曰く、最近ネストが毎日死にそうな顔をしていたのは、イレイナの料理の味のせい。イレイナの料理のせいで、彼は住み慣れた宿を追われて家を購入しないといけなくなった。その料理の不味さから、冒険者引退組の三流料理人の料理を涙を流しながら貪り食っていた、など。
ベルコットの額に冷や汗がにじむ。
やっぱりやめます――そう言いたくても、右には神を見るような目を向けてくるネスト、左には目を輝かせるイレイナがいて、二人にはさまれたベルコットは蛇ににらまれたカエル同然だった。
「……料理指導だけで、指導の結果料理がうまくならなくても同額の料金を払ってもらいますよ?」
「成功報酬で十倍出してもいいよ。もっとも、イレイナの料理の腕を上達させることができるなら、だけどね」
そう吹っ切れたように笑うネストを見て、ベルコットももう笑うしかなかった。




