96埋葬
黒狼族。
長らく北の地で人間を支配していた獣人たちは、イレイナたちによって蹴散らされた。
ギルベルギアスをはじめとする精鋭は死に絶え、けれどそれはまだ黒狼族の消滅を意味しない。
この地底には、彼らが長い時間をかけて奴隷である人間に掘り進めさせた強大な黒狼族の帝国が広がっている。人間の飼育場はここだけだが、それ以外の様々な環境が充実している。
魔女から聞き出した魔法具を作製する部屋や、特殊な薬草を育てている地底庭園など、この大陸でも有数の重要施設が存在する。
それらをはじめとする地下の部屋には、その各地に戦闘能力はそれほど高くない、知恵者たる黒狼族の獣人たちがいた。
彼らはまだ、自らに迫る破滅の足音に気づいていなかった。
上の街に侵入者がいることはわかっていた。人間の見張りがもたらした情報により、精鋭たちは奇襲の準備を進めていた。
彼らは、ギルベルギアスが侵入者に勝利することを少しも疑っていなかった。神の血肉を取り込んだ一族最強の男。彼が敗れることを想像できるはずがなかった。
けれど、ギルベルギアスは敗北した。イレイナという普通の枠組みに入ることのない異常な戦士によって倒された。
だからもう、彼らを守る存在はない。そして、彼らを狙う存在がいた。
地下の一室で作業をする黒狼族の女性は気づかない。己の背中を狙う襲撃者を存在に――。
果たして、彼女は口を押えられ、背後から心臓を一突きされて殺された。
腕の中で痙攣する女性の体を床に放ったのはガウェインガウル。
灰狼族の獣人である彼は、人間を支配してきた黒狼族の歴史の闇に葬ることを決断した。
獣人の汚点は獣人が雪ぐ。それが、ガウルが出した結論だった。
イレイナたちがギルベルギアスによって殺された少年少女を地下から移動させて街の墓地で埋葬する中、ガウルは地底を走り回った。
知れば知るほどに、ガウルの中に憤怒が満ちていく。黒狼族による搾取の記録が、狂気の痕跡が、地下のあちこちに存在した。
獣人もまた、人間と変わらずここまで外道に成り下がれる――そのことに強烈な吐き気を覚える。こうして黒狼族を殺して回っている自分も、もはや外道なのではないか。
足を止め、じっと両手を見下ろす。その手は、赤黒い血で染まっていた。
現実から目をそらすようにゆらりと顔を上げる。
通路の先、魔法具の明かりが視界に移る。
――殺さなければならない。獣人のためにも、人間のためにも。
己の行為を正当化して、ガウルは闇の先へと駆ける。
寒空の下、イレイナは外壁付近に存在した墓地にて複数の穴を掘っていた。
現在の主流は土葬。四肢を縛り、花や生前の愛用品とともに棺に納め、体に聖水を一滴垂らして地中に埋める。ただ、それはある程度以上裕福な人に限られる。
貧民の多くは、火葬を選択する。理由は費用対効果のため。
この世界において、死者を弔うということは、故人の死を悼むこと、死者の安眠を祈ること以外の理由がある。
それは、死者がゾンビとして生きる者を襲わないようにすること。遺体の四肢を縛るのも、上部な棺桶に入れて埋めるのも、仮にゾンビになったとしても人を襲わないようにするため。
けれど貧民には土葬ための費用を捻出することができない。だからといって棺もなしにそのまま埋めれば、地中から這い出したゾンビによる襲撃被害が後を絶たない。
だから彼らは、苦肉の策として死者を燃やす。一部の地域では火葬によって魂を肉体から解放して天へと導くという考えもあるが、多くの民にとって火葬は死者に対する侮辱に他ならなかった。
人間として生きることがかなわず、自分たちが人間であったかも理解せずに死んでいった少年少女。
せめてその人生の終わりくらい人間として幕を閉じさせてあげたい――ベルコットの提案を否定するものはいなかった。
イレイナが穴を掘り進める中、ネストは墓石の用意をする。竜滅剣で割った石に切っ先で死者の安息のために眠りの言葉を刻む。
ベルコットは死者が眠るための棺を用意する。幸い、この街にはまだ無事な木材が残っていた。あるいは家に使われる木材を回収して廃材から棺を作っていく。
イレイナたちがその作業にかけたのは実に丸三日。それは同時に、ガウルが黒狼獣人の討滅にかけた時間でもあった。
ガウルは、一人地下を走り回った。蜘蛛の巣上に広がる地下通路は、周辺の廃墟と化した都市国家の地中にも伸びていた。
生き残りはいない――確実にそう判断できるまで、ガウルは黒狼獣人たちを追い続けた。逃げ出した相手を追い詰め、匂いで、音で探し、殺した。
地中で、雪の上で。
戦う力などない女性も、子どもも、等しく殺した。
後悔は、なかった。何しろ、殺した相手はそろいもそろって畜生だったから。
むせび泣いて同情を誘った子どもがいた。彼女は、ガウルが殺意をしまって話を聞こうとすれば、隙をつくようにしてとびかかってきた。手首にかみつかれたガウルは、次の瞬間には少女を殺していた。
ほかの子どもも大差はなかった。だからガウルは、黒狼族はそろいもそろって幼少期から悪質な教育を受けていた、どうしようもない一族であるという烙印を押した。
――そうしなければ、自分が狂ってしまいそうだったというのもある。
「……終わったの?」
土で汚れた手を軽く払いながら問うイレイナに、ガウルは無言でうなずいた。気落ちした様子を見せるガウルに、イレイナが何かを問うことはない。
ガウルの行動は、ガウルが決断して行ったもの。それにイレイナは関与しない。そもそも、ガウル自身が「これは獣人である自分がなすべきことだ」とイレイナたちの関与を拒んだのだから。
だから、ガウルは一人で背負う。その罪を、その殺しを、たった一人で背負っていく。そうして、常に問いかけるのだ。自分は正しい行いをしたのかと。
「手伝ってもらえる?」
イレイナは古びたシャベルをガウルに手渡す。もうほとんど穴は掘り終わっていたが、それでもガウルが手伝うことに意味があると、イレイナはそう判断した。
無言でうなずいたガウルがシャベルを手に取り、イレイナに言われた場所に穴を掘る。
獣人のせいで死んだ人間の少年少女のために、獣人である自分が穴を掘る。
眠りにつく子どもたちは、自分が掘った穴に入ることを許してくれるだろうか――そんな懸念とともにガウルの手が止まる。
思考は一瞬。ガウルは再び作業を始める。一切を考えないように、がむしゃらに。
もうずっと作業を続けているせいで汗ばんでいるイレイナは、額を袖で拭い、最後の仕上げに入る。並ぶ多数の穴は、その数だけ罪なき子どもたちが死んだことを示している。
こんなことが、早く世界から消えればいいのに。
同時に、こうも思う。もし今魔王が倒されたとしたら、再び世界のあちこちでこんな状況が生まれてしまうのではないかと。
現在、キグナスという英雄を旗頭に、亜人と別称されてきた者たちは人間と共同戦線を敷いている。人類が一致団結して戦わなければならないほどに、魔王軍は強力だった。
最前線の森や草原の中で走り回る獣人、遠くから狙撃で援助するエルフ、武器防具の大量生産を行うドワーフ。多くの種族の強力があってこそ、戦線は停滞している。
「……すべての種族が、手を取り合う未来」
ぽつりと漏らしたイレイナの言葉に、ガウルが勢いよく顔を上げる。
「師匠が、キグナスが語った未来よ。魔王という脅威を前に手を取り合った――それだけでは終わらせない。これを機に、人類は一つの集団にならなければならない」
かつて、酒が入ったキグナスが酒場で話していたことを思い出す。
酒の席で語ったそれは、夢物語にもほどがあった。目はすわっていたし、顔は酒精で真っ赤だった。それでも、キグナスの言葉はイレイナの心に強く響いた。
もっとも、そのあとすぐに「つまり魔王の侵攻は人類にとっての福音のようなものだったのかもな」と不謹慎なことを言って、仲間に叩かれることになったのだが。
「人類が一つに、か。……そう、なれたいいよな」
「そうね」
最後の穴を掘り終わる。雪の上に積み上げられた無数の土が、白を汚く汚す。
並ぶ土の山と穴をじっと見ていたイレイナは、自分を呼ぶ声に顔を上げる。
「そっちは?」
「終わりましたよ。あとは埋葬するだけです」
金槌を握るベルコットがイレイナに歩み寄りながら告げる。
「聖水は?」
「簡易のものなら用意できました……ただ、効果はそれほどありませんよ」
「もとより気休めでしょ」
死者の体に数滴ほど垂らす聖水。それは死者のゾンビ化を防ぐ聖なる薬であるとされている――が、その効果は作ったものによってまちまちだ。
一般に知られている聖水のレシピでは、ゾンビ化を防ぐことはできない。教会が販売している聖水は強力だが高価で、そもそもこの場には存在しない。
ベルコットはかつて祖母から聞いたレシピを必死に思い出して、かろうじてゾンビ化を防ぐことができそうな聖水を完成させていた。
「聖水、か」
「……まさか、これも使うななんて言わないでしょうね?」
ベルコットがにらめば、ガウルは乾いた笑みを浮かべながら首を横に振る。その姿は、つい先日までとは打って変わって自身なさげなものだった。
「……ああ、いわねぇよ。そいつらのためにも使ってやれ」
「命令されるいわれはないですよ……まあ許可がなくとも使いますけど」
魔女の孫娘の薬という点に少しばかり嫌悪感をにじませるガウルだが、言葉通り文句を言うことはない。
大きな変化に戸惑いつつも、ベルコットは少年少女の埋葬を始める。
冷たくなった彼らを棺に納め、ネストが端材を材料にして作った木の花飾りをその手に握らせる。それから、額に聖水を一滴垂らす。
真っ白な顔をした少年は、静かに眠っている。その首を覆う布は、体と頭が分かたれていることを悟らせない。
「……おやすみなさい」
どうか、死後の彼らが安息の中にありますように。
祈りをささげ、一人ひとり、穴に棺を納めていく。
半日係で埋葬を終えるころにはすっかり周囲は暗くなっていて、イレイナたちはその日も街に留まることにした。




