表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Valkyrie Panzer‐守りたい笑顔‐  作者: 雪代 真希奈
7/9

第6章『どこまでも共に、君と』

 気がついたとき、俺が見たのは、天井だった。

「ここは------ぐっ…。」

 起き上がろうとした瞬間、ふらっ、と俺の体が揺らぐ。

「あ…こら、まだ動くんじゃないの。」

「…シャーリー…?」

 咄嗟に俺の体を支えてきた手と共に聞こえてきた声に、俺は反応していた。

「おお誠、起きたか。大事ないか?」

「マコト…大丈夫?」

 一緒にいたらしいヴィクトリカと、壁際にいるエレーナの背中に隠れた飛鳥が、俺に声をかけてくる。

「ヴィクトリカ…飛鳥…エレーナも…俺、なんでこんなところに…?」

「…それはこっちの台詞。医療ブロックにあんたを含めて三人も一緒に担ぎ込まれたと思ったら、あんたは気絶してるし、今あんたの隣に寝てるクリスの妹ちゃんとゴルトライヒは、今は意識はあるけど担ぎ込まれたときは半分死にかけで、そうこうしてるうちに社島全域にエマージェンシーが発令されたときた。…一体何があったの?」

 飛鳥を背中に隠したまま、エレーナが俺に聞いてくる。

 ------三人?

「…みんな、クリスは…クリスはどこ?」

 はっとして俺が聞くと。


「それについては、私から説明するわ。」

 

 いつの間にか来ていたらしいフィアナさんが、俺たちに言う。

「…狼が目覚めてしまったのね、クリス。」

 狼…?

「フィアナさん…どういう、ことなんですか?」

 狼、とか言われても、俺には何が何だかわからない。そう思って俺が聞くと。

 

「…化け物さ。」

 

 隣に寝ていたらしいゴルトライヒ先輩が、俺の問いに答えようとするかのように言う。その全身には包帯が巻かれ、あの時本当にアンネを圧倒した彼女なのかというくらいに痛々しい傷として見て取れる。

「ゴルトライヒ先輩…何があったんですか…?」

 俺は震える声で、ゴルトライヒ先輩に聞く。彼女は、いつもの強気な表情を隠し、俯いたまま俺に言う。

「…そうだね、あんたには…いや、あんたたちには伝えなきゃいけないね。あたしのやらかしちまったこと。あんな化け物を目覚めさせちまった、あたしの落ち度をね------」

 そのまま、ゴルトライヒ先輩はぽつぽつと、震える声で話し出した。


※※※


(another view“Vanessa’s recollection”)


「------------!!!!!」

 目の前の女が叫んだ瞬間に膝から崩れ落ちるのを見て、あたしはふん、と鼻を鳴らした。

「…ったく、オーディンが矢面に突っ込むんじゃないよ。」

 目の前の女------ローレライ姉を狙っていただけだったあたしは、あたしが持ち上げていた砲口から砲弾が撃ち出される瞬間、この女の恋人というオーディンが砲口の前に躍り出てきたことに気づき、咄嗟にグングニルの方向を直撃のコースから反らした。至近距離だったことによる衝撃まではさすがにどうしようもなかったが、吹き飛ばされた男には目立った外傷はない。おそらく気絶しているだけだろう。

 ------ローレライ姉は、動かない。

 緊張の糸が切れたのか、それともあたしが引き起こした爆風に旦那が吹き飛ばされたことがそれほどまでにショックなのか。

 いずれにせよ、再び目の前にはローレライ姉が一人。あたしはまた、ローレライ姉に向かってグングニルの砲口を突きつけて言った。

「とんだ邪魔が入ったが…次は外さないよ。そのあとはあんたの妹もあたしのグングニルの錆にしてやるから、ありがたく------」

 ------ここまで来てようやく、あたしは気がついた。

 彼女の口が、小さく動いていたことを。


「------Sieg Hile…Sieg Hile…。」


 勝利万歳、そう口ずさむローレライ姉の全身を、妹とほぼ同じデザインの軍服のような衣装が覆い、右手の装甲に武骨な砲塔が現れる。

 すなわち、おそらくこれはルーン------世界中のヴァルキリーでただ一人、ルーンを唱えずともスヴェルを纏うことができるというローレライ姉のルーンなのだろう。

 だが------彼女の纏うスヴェルは、あたしが見たことのあるものとは、明らかに違うものだった。

 元々の彼女の纏うスヴェルの装甲は、確かサンドブラウンのような色だったはず。だが、目の前のローレライ姉の纏うスヴェルの装甲は、すべてを塗りつぶしたような、黒。

 …それが、あんたの本気の姿ってことかい。

 あたしは、心の中でそう呟く。

 …声が出ない。足が…あたしの足が、震えている。

 …落ち着け。

 これは武者震いだ。強者とようやく戦えること、それに対するものだ。

 あたしが冷静さを装うかのように、再びグングニルを持つ右手を突き出した瞬間。


 「------Panzer vor------」


 そう言って、ローレライ姉の華奢な手が、あたしのグングニルを半ばから掴んだ。その時。 


 みしっ…!


 ------金属が軋む嫌な音と共に、主砲であるグングニル------12.8センチ砲の砲塔が、半ばからあらぬ方向へとひん曲げられた。

 「なっ…!?」

 そのまま、ローレライ姉は掴んだ砲塔を支点にして、一回り以上の体格の差があるはずのあたしを思い切り投げ飛ばすべく力を込めてくる。咄嗟に砲塔を捨てて後ろに飛んだため、砲塔共々投げ飛ばされることは避けられたが------それでも、目の前のローレライ姉…あたしが分離したばかりの砲塔をゴミのように放り捨てたこいつの威圧感は、明らかにあたしの知るこいつではない。

 あたしはもう一度新しい砲塔を呼び出して、少し離れているローレライ姉に向けた。

 …砲塔が、震えている。虚ろな目をしてこちらを見据えるローレライ姉…一見すればただぼぅっとしているようにも見えるこいつが発する圧倒的な威圧感に、あたしは完全に気圧されている。

 …気圧されている…?

 あたしが、こんなやつに…?

 ドジで、弱虫で、甘ったれなこいつに…。

「ふっ…ざけるんじゃないよ!!」

 あたしは不安を掻き消すかのように叫んで、もう一度グングニルに力を込める。轟音を轟かせて、12.8センチ砲が火を噴いた。多少の手元の震えがあるとはいえ、それでも完全な直撃コース。いかに最上位ヴァルキリーであったとしても、至近距離から音速を超えて撃ち出される砲弾の生み出す巨大な衝撃波には成す術がない。あたしの撃った弾が唸りを上げて、ローレライ姉の胸に真正面から直撃した瞬間、さすがのローレライ姉も耐えられずに盛大に吹き飛ばされ、学園の裏庭に隣接する裏山の山裾に叩きつけられた。

 しかし。


「ーーーーーー嘘…だろう?」


 …目の前で起こったことに、あたしは、そんな言葉を発することしかできなかった。

 あたしが撃ったはずの砲弾------本来、格上のヴァルキリーに対してはほぼ無力なはずのグングニル、その実弾での攻撃。しかし、そこから撃ち出された徹甲弾は、あたしの力であるマウスの元々の性能補正によって、格上のスヴェル------それこそ第二位ヴァルキリーであるあたしなら、最上位ヴァルキリーの装甲にも対抗できるような破壊力を秘めたものであるはずだった。そのはずなのに------それが、弾頭が完全にひしゃげた状態で、ゆっくりと立ち上がったローレライ姉の足下に転がる。そして、盛大に山裾に叩きつけられたはずのローレライ姉のスヴェル------その禍々しい黒い服や装甲には、多少の土汚れ以外には傷ひとつない。

 …まさか、こいつのスヴェルは、ビフレストの接続による強化もなしで、ほぼ接射に近い距離から撃ち出されたはずのあたしの攻撃を真正面から防ぎきったというのか。あの最強の二文字を欲しいままにしているアナスタシア・ニコライエヴナ・シャシコワですら、あたしとの実弾を用いた戦いにおいては、あたしの性能補正を警戒してある程度被弾を避け、どうしても防がなければならない場面では被弾経始を考えた立ち回りをするというのに。

「------。」

 ローレライ姉の瞳が、こちらを見据える。その視線はまるで、目の前をうろちょろする羽虫を鬱陶しそうに見るかのようだ。

 彼女の右手が、ゆっくりと上がる。

 アハト・アハトがこちらを------厳密には、あたしの足元に向いてもなお、あたしは動くことができない。


「------Feuer------」

 

 ローレライ姉が呟くと同時に、今度はアハト・アハトの砲口が火を噴いた。耳をつんざくほどの轟音を轟かせて撃ち出された砲弾は、あたしの足元の表土を、先ほどあたしが空けたクレーターの数倍以上に大きく抉り取るだけでなく、それにより起こった衝撃波により…逆に言えばそれだけで、あたしの身を守っていたスヴェルが、文字通り木っ端微塵に吹き飛ばされる。それどころか、スヴェルによって身を守ることのできなくなったあたしに、亜音速の衝撃波が容赦なく襲いかかった。

「----------!!!!!」

 あまりの痛みと息苦しさに声を上げることもできず、吹き飛ばされたあたしはローレライ姉が立っている場所とは真逆----------学園の裏山となっているところにあった太い木の幹に思い切り叩きつけられる。あたしがぶつかった衝撃で、その太い幹がみしみしと音を立てたと思うと、そのまま轟音を轟かせて倒れ伏した。

「--------化け…物が-------」

 所々血の滲む全身を無理矢理に動かし、霞む目を開けてようやく言葉を発することのできたあたしは、いつの間に目の前にいたのだろう、おそらく、あたしが吹き飛ばされた瞬間に地を蹴って肉薄していたのであろうローレライ姉に気づくことができなかった。


「オナカ…スイタノ…。

 食ベナキャ…。食べナキャ…。

 オーディン------食べナクチャ------」


 そう呟いた彼女の華奢な手が、今度こそ抵抗できないあたしの顔面を捉え、そのまま地を蹴って前へと飛び出す。そして、あたしの背中------倒れた木の幹のさらに奥には、大きな岩が迫っていて。

 ------何もできないままに、あたしはローレライ姉に、その岩肌に叩きつけられた------


※※※


「…そこから先…この医療ブロックで目覚めるまでのことは、まったく覚えてないんだ。少なくとも数時間は気を失っていたみたいだからね…。」

 ゴルトライヒ先輩は、そう言ってまた顔を俯かせる。

「…そのあと、偶然そこを通りかかった私が、ボロボロのあなたたちを見つけて、生徒会のメンバーに手伝ってもらって、三人まとめて医療ブロックに担ぎ込んだの。ついでに言えば、その時エマージェンシーを出すよう指示したのも私。みだりにスヴェルを纏うことが許されていない上に、ヴァネッサがここまで手酷くやられてしまった以上、何もわからない状態だったその時点では、外部からのヴァルホルへの侵略行為の可能性もあったから。…まさか、あの惨状を作り出したのが内部の人間…クリスティナだったとは思わなかったけれど。」

 ゴルトライヒ先輩に続いて、今度はフィアナさんが口を開く。

「その…ロンメルさん、その『狼』って何なんですか?クリスは、そのあとどうなったんですか?」

 シャーリーが、俺が聞きたかったことを先んじてフィアナさんに問う。すると、フィアナさんは俺たちから目をそらすように顔を下に向けて、こう言った。

 

「…鶴城さん、パンツァーαのみんな、ごめんなさい…。

 …あの子は------もうじき死ぬことになるわ。…社島もろとも、ね。」


 ------一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 死ぬ。

 クリスが。

 社島もろとも。

 なぜ。

 わからない。

「…どういう、ことなんですか…?」

 俺が呆然とした頭で辛うじてフィアナさんに問うと、フィアナさんは俺に向き直って言った。

「言葉通りの意味よ。あの子はこの社島もろとも消える…消えなくてはならないの。」

 フィアナさんは傍らのコンソールパネルを操作して、本来なら保健の先生方や医療スタッフが使うのであろう、正面にある大きなモニターに、ある映像を映し出す。

「------クリス。」

 俺は、またその名を声に出していた。

 画面中央にいる、一人の金髪の女の子。

 見覚えのある形------しかし色合いだけは見たことのない、黒い装甲を各所に配置したスヴェルに身を包んだその姿は、間違いない。

 ------ふと、画面の中の彼女の右手が振りかぶられ、一思いに振り下ろされたと思うと、クリスの正面の壁が、まるで豆腐が崩れるように一瞬で崩れ落ちた。

「----------なっ…。」

 普段、自分の心情を見せることの方が珍しいエレーナが、信じられないという顔をして画面を見据える。

「フィアお姉ちゃん…クリス、どうしちゃったの…?エレ、もしかしてわたしが悪いの…?わたしが…わたしがずっと悪い子だったから…だからクリス、怒っちゃったの…?」

 飛鳥が、涙をぽろぽろと流しながら、エレーナにしがみつく。エレーナは飛鳥の前に膝をついて、飛鳥をぎゅっと抱きしめて、子供に言い聞かせるように言った。

「…ヒメ、安心しな。きっとそんなんじゃない。クリスはそんなことで怒ったりはしない。だから、安心しなよ。」

「大丈夫よ、飛鳥ちゃん。チャーチナさんの言う通り。飛鳥ちゃんは何も悪くないわ。」

 それを見ていたフィアナさんが、フォローするように飛鳥に言った後、俺たち全員に向き直った。

「今、あの子はとても危険な状態なの。特に、男の子たちにはね。…とりあえず、あの子に何が起こっているのか、私の方から説明するわ。


 …クリスティナは今、オーディンを探しているの。狼のお腹を満足させるための食べ物としてね。」


 ------食べ物。

 そんなことを言われて困惑する俺たちに、フィアナさんは続ける。

「…どういうことなのか、もう少し詳しく説明するわね。ヴァネッサの話を聞くところによれば、アンネマリーが、そして鶴城さんがあの子の目の前で倒れ…その後、ああやって暴れだした、っていうことだったけれど…実は、ヴァルキリーは様々な理由で、自分の意識と、力を与えている兵器の記憶とも言うべきものが混線してしまうことがあるの。普通なら、自分ではなく、ましてや人ですらないものの力をそのまま制御できるはずはない。だから普段は、ニーベルングの環が記憶の混線と力の暴走を防ぐ制御装置の役割を果たしていて、解放のルーンによって、その子の器に合わせた水準までの力を解放させたり、人によっては本来の兵器の性能にはないような水準の力を発揮させたりできるようになるの。それが、九段階のヴァルキリーのランクの正体。だから本来なら、そんなことになることは本当に稀なケース…なのだけれど、様々な理由でその制御が追い付かなくなって、記憶の混線が起こってしまったとき…ヴァルキリーは今のクリスティナのようになってしまう。おそらく、アンネマリーと鶴城さんが倒れたこと、それがきっかけで、制御が追いつかなくなってしまったのでしょうね。…正直、今までどうしてそうならなかったのかが不思議なくらいなのだけど…あの子は本当に今まで苦しんで、悲しんで、気持ちを押し殺してきたわけだから。そんな強すぎるあの子ですら、アンネマリーと鶴城さんが倒れたことは本当にショックだったのね…。

 …とにかく、ヴァルキリーが心の制御を失って、今のクリスティナのように暴走状態に陥ってしまうことを、国連は『狼化現象(ラグナロク)』と呼んでいるわ。こうなったヴァルキリーの意識に残るのは、猛烈な空腹感。そして、さっき、狼化が起こったヴァルキリーにオーディンが近づくのが危険、っていうお話をしたと思うのだけれど…簡単に言えば、狼化ヴァルキリーは、オーディンに触れた時、本来ならオーディン側からしか繋げないはずのビフレストを、自分から繋ぐことができるようになってしまうの。このメカニズムは未だに解明されていないものなのだけれど…そして、狼化ヴァルキリーは触れたオーディンから、ビフレストを通してグレイプニル遺伝子を根こそぎ吸収し出すのよ。文字通り、オーディンが干からびるまで、ね。そこまでしてはじめて、ヴァルキリーは正気に戻ることができる可能性を持つことができるの。つまりね…オーディンの持つグレイプニル遺伝子は、ヴァルキリーに力を与えるものであり、そして…狼のお腹を満たすための餌、ということになるわ。鶴城さん、これは私にもどうしてなのかはわからないけれど、気を失っていたとはいえ、側にいたはずのあなたのグレイプニル遺伝子が吸収されなかったことは、一種の奇跡に近いことなのよ。」


 …オーディンが------厳密にはグレイプニル遺伝子が、ヴァルキリーの暴走を止めるための、餌。

 フィアナさんは、真剣な顔をして続ける。

「…ちなみに、みんなが知らないのは当然。これを知っているのは、ヴァルホルの中でも先生方や生徒会だけ…というより、本来なら国連安保理が秘匿していて、私たちヴァルホルの関係者でそれを知る者にも箝口令が敷かれている情報でもあるの。悪いことを考えるテロリストやPMCのような人たちから、ヴァルキリーを、オーディンを、そして世界を守るために、ね。」

「…じゃあ、クリスが死ななきゃならないっていうのは…?」

 今度はシャーリーがフィアナさんに問うと、フィアナさんは俺たちに背を向けて、震える声で呟いた。


「------狼化(ろうか)ヴァルキリーは平和を乱すものであり、処分対象として扱われる、それが国連の定めたルールだから。」


 ------まさか、こんな言葉が返ってくるなんて思わなかった。

 ヴァルキリーやオーディンの保護施設であるヴァルホル、そしてこの社島を作ったのは、他でもない国連安保理。それが、いざとなればヴァルキリーを処分する側に回るなんて。

 フィアナさんは、俺たちに背を向けたまま続ける。

「…あなたたちは、社島の…というより、ヴァルホルの学舎の造りや、ショッピングモール、各種施設、各所ブロックへの通路…妙に複雑な造りをしていると考えたことはない?あれは、外部からの侵略が起こったとき、島全体を要塞として運用するため、そして、ヴァルキリーの狼化が起こった時の、一種の桝形として使うための作り…特に狼化ヴァルキリーの場合なら、普通は誰かが介錯することになるけれど、もしも既存の戦力では介錯ができない、どうしても太刀打ちできないとわかった時、その複雑さで以て、島の人たちが脱出する時間を少しでも稼ぐための造りなの。…この島を、狼化ヴァルキリーもろとも自沈させることで、ただでさえヴァルキリーと比較しても数の少ないオーディンをできうる限り失わないようにするため、そして、狼化現象と、それを止められるグレイプニル遺伝子の情報を守り続けて、ヴァルキリーやオーディンの人権を守り続けられるようにするために。」

 フィアナさんはこちらを向いて、また涙を湛えた瞳を俺たちに向けてくる。

「…今、島全域では生徒会と先生方、それから今と同じ説明を受けた有志の子達が、この医療ブロックを含めた周囲ブロックへの島の人たちの避難誘導をしているわ。それが完了すれば、すぐにでも周囲ブロックは本島ブロックと切り離される。その後、周囲ブロックが自沈に巻き込まれない位置まで待避できた時点で、海底まで届かせて社島を支えている脚を、遠隔操作で爆破するの。脚を失った社島は、そのままクリスティナを道連れに海溝の底へ沈む…この社島が伊豆・小笠原海溝のほぼ真上に作られたのは、この最悪の事態に備えたもの…島そのものを、狼化ヴァルキリーの棺にすることを想定して作られたからなのよ。…とはいえ、エールやオーシャンの子達でなくてよかった、と言うべきなのでしょうね。パンツァーであるクリスティナなら、力を使って島の外に出ることはない…社島に孤立させてもろともに自沈させるだけ…最低限の犠牲と損害でいいのだから。」

 フィアナさんがそう言ったとき。


「------行かなきゃ。」


 俺は先ほどのフィアナさんの言葉の端を拾って、そう呟いていた。

「オーディンが…というか、俺がクリスにグレイプニル遺伝子を吸収されれば、クリスは正気に戻るんですよね…?こうしちゃいられない…。早く…早く行かなくちゃ…!!」

 俺は、まだ鈍い痛みの残る身体を鞭打つようにベッドから降りようとすると。

「ま、誠…!?どこに行くつもり!?」

「こ、こら、無茶をするでない!」

 シャーリーとヴィクトリカが俺の前に立ちはだかり、力が思うように入らない俺を羽交い締めにしてくる。

「------離せ…離してくれ!…俺を…俺をクリスのところに行かせてくれ!!」

 俺は叫びながら二人に乞うが、二人は力を弛めることはしない。

「クリスのところに、って…何を言ってるのよあんたは!まだまともに歩ける身体でもないでしょうが!!」

「そうだ、それにお前が行って何になる?フィアナの話を聞いたであろう?私たちも信じたくはない…だが、真実は受け入れねばならぬ…私たちにできることは、もう何もないのだ、と------」

「そんなの知らないよ!俺はクリスが死ぬなんて納得いかない…納得なんかしてやるもんか…!クリスを助けるためなら、俺は死んだっていい…だからどけよ…どいてくれよ、早く!」

「鶴城…あんた…。」

「マコト…。」

 シャーリーとヴィクトリカに捕まって暴れ倒す俺を見て、エレーナと飛鳥が俺の名前を呼ぶ。それを見て、フィアナさんが続けた。

「…ごめんなさい、鶴城さん、ごめんなさい…私だって、あの子のことは大切なのよ…でもね…もうこうするしか…島とあの子を犠牲にする他に手はないの…。鶴城さん…どうかわかって…お願い…。」

 フィアナさんの瞳から、もう耐えられないとでも言うかのように、涙が一筋、また一筋と頬を伝っていく。

「…フィアナさん、つまりもう、クリスを助けられない、助けるわけにはいかない、ってことなんですか…?」

 何も考えられず、ぼうっとした頭でようやく絞り出すことのできた俺の問いに、フィアナさんは震える声で、しかしはっきりと告げた。

「…あの子…クリスティナは…あれだけ辛いことをいくつもいくつも心に留めていても、なお正気を保てる子。…あの子は名実ともに、古今東西、そしておそらく未来永劫、最高、最強のヴァルキリー。それが狼化してしまったとすれば、もう手はつけられないわ。今までの常識を遥かに超えるヴァルキリーであるあの子に、今までの常識…すなわち、一人分のグレイプニル遺伝子で事足りるのか…それは否としか言いようがないわ。たとえあなたのグレイプニル遺伝子のすべてを吸収させたとしても、元に戻せる保証はない…一体、あの子を止めるのに何人のオーディンのグレイプニル遺伝子が必要なのかも、まったくわからないの。

 私はヴァルホル高等部の生徒会役員として、その他のたくさんのヴァルキリーやオーディンを可能な限り守るため…最小限の犠牲で済ませるために動かなくてはならない…あの子を死なせる他には、他に方法はないの…!」

 

「------やっぱり、そうなんだ…。」


 ゴルトライヒ先輩を挟んで俺と反対側のベッドから、くぐもっていてもわかる、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「…アンネ…?アンネだよね?」

 そちらに顔を向けると、カーテンがゆっくりと開き、ゴルトライヒ先輩と同様、心電図や点滴、輸血用の血液パックに繋がれた上、全身を包帯で巻かれ、酸素マスクをつけられたアンネの姿が現れる。

「姉さんは…結局助からないんだ。誰も姉さんのことを助けようとしてくれないんだ…。助けようとしても無駄だから…大を生かして小を殺すのが最善だから------

 …あなたも、やっぱり無力だったね。あれだけ大口を叩いておいて、結局は姉さんを一人島に置いて逃げ出す選択をすることを選ばせられることしかできないんだもの。私もそう。私には、姉さんみたいな才能もない。姉さんを助ける力もない…今、こうやって痛いのや苦しいのを我慢するだけで精一杯。

 …私も、姉さんを一人ぼっちにした一人…あの時、あなたはそう言った。…結局、あなたの言う通りだったみたい。」

 今までの話も、アンネはしっかりと聞いていたのだろう。まだ光の定まらない目をしながら、掠れる声で呟く言葉は、淡々としているようで、まるで呪詛のように心に突き刺さってくる。


 …そうだ。俺は、何もできない。

 ただ、周りの人たちに止められて、何もできずに受け入れさせられようとしている。

 ならば、いっそ------


 ふと視線を外すと、傍らの棚に、綺麗に皮を剥かれて六等分された林檎------の隣に、銀色に光るものが見えた。

 …俺の手がそちらへと伸び------その怪しく光るナイフを、しっかりと順手に掴みとる。

「誠…一体何をする気!?」

 

「------近づくなっ!!」

 

 俺を羽交い締めにしていたシャーリーが俺の行動に動揺した隙をついて、俺は彼女の腕を何とか振りほどいて叫んだ。そのまま、俺は自分の首筋にそのナイフの切っ先を突きつける。

「それ以上近づくんじゃない…。そのまま見ていればいいんだ…。クリスが死ぬのを黙って見ているしかないように…俺の死に様だって黙って見ていればいい…!!」

「…誠…やめろ、お前がそのようなことをする必要はない!」

「鶴城…冗談はよしなよ。」

「マコト…嫌だよ…。せっかく仲良くなれたのに…クリスだけじゃなくて、マコトもいなくなっちゃうの…やだ…。」

 ヴィクトリカが、エレーナが、飛鳥が、俺に向かって制止の言葉を投げ掛けてくる。


「…どう、して…どうして、そこまでするの…?」

 

 俺の行動を見たアンネも、虚ろな視線をこちらに向けて、しかし明らかに動揺した声色で俺の方を見る。

 そりゃそうだろう。俺が死んでもどうにもならない。アンネはそう思っているからこそ、俺に問いを投げかけている。

 だが------


「決めたんだ------」


 俺は、これから自分の手によって自分が殺められることになるのであろう恐怖を振り切るように言った。

「…俺は、決めたんだ。絶対、クリスを一人にはしない------笑ってる時も、泣いてる時もずっと側にいて、クリスの力になるんだ、って…!!

 今俺が死ななかったら、クリスは今度こそ、本当に一人になっちゃうんだ…そんなこと、俺は許さない…許せない。それとも、この中の誰かが、クリスを一人にしないっていう役目を受け持つとでも言うつもり…?

 冗談じゃない…クリスの側にいたいのは俺自身なんだ…その役目を誰かに譲るつもりなんてない…譲ってなんかやるもんか…絶対…絶対…クリスを一人になんかするもんか…クリスの側から離れるもんか!!」

 …そう、それを譲るつもりは絶対にない。

 クリスは、俺の大切な恋人。

 俺が一緒にいたいと思えた人。俺に一緒にいたいと言ってくれた人。

 ならば、それに応えなくては。

 彼女が死ぬなら、俺も一緒。

 これが、俺の誓いなのだから------


「…ふん、まったく、まだあんな化け物と付き合って自分を殺す選択をしようなんて思うわけかい。化け物は化け物とすっぱり諦めて、新しい嫁候補でも探せばいいだろうに。なぁ、シャシコワ?」


「…は?」

 ゴルトライヒ先輩の言葉に、俺はそんな間の抜けた言葉を返していた。

「…どうして、そこでアナスタシアの名前が出てくるんです?」

 その言葉の意味がわからず、俺はゴルトライヒ先輩に聞く。彼女が少し拍子抜けした顔を表情をする。すると、ドアが静かに開き、アナスタシアが顔を曇らせてこちらへと近づいてきた。

「アナスタシア…どうしてここに?」

 いつの間に来ていたのだろうと俺が思った時、ゴルトライヒ先輩はアナスタシアの方をちらりと見て言った。

「とぼけるんじゃないよ。それとも本当に知らないのかい?なら教えてやるよ。こいつはあんたのことが好きだったのさ。最初はどういう理由だったのかは知らないけどね、こいつ、日に日にあんたのことを言葉の端々で話すことが増えていったんだよ。それであたしは気づいた。『あぁ、あの氷の王女ですら、惚れた男の話をするんだな』ってね。

 あぁ、勘違いするんじゃないよ。あたしは別に、シャシコワがあんたみたいな男に骨抜きにされたことに対しては別に文句はないのさ。むしろあんたたちが上手くいけばいいとまで思ってたからね。だってそうだろう?最強のヴァルキリーが専属のオーディン、それもあんたみたいな規格外のオーディンを専属として持つってことは、それこそ本物の最強の二文字に相応しい力を手に入れる可能性を秘めるってことだ。あたしはね、あたし自身が強者と認めたシャシコワが、今までとは違う、文字通りの最強の称号を手に入れるところを見たかったのさ。


 …でも、あんたはあの化け物を選んだんだよ。


 シャシコワはあたしたちにはいつも通り振る舞っていたけど、少なくともあたしはなんとなく気づいてた。そして今日、それが確信に変わった。あんたたち二人がイチャイチャしてるっていうことが学園中で大騒ぎになってたからね。あたしはクラスごとの出し物が終わる時間を見計らって、適当に学園を抜け出してシャシコワの部屋に行ってみた。…そうしたらなんだい、こいつ、あたしがドアを開けたことにも気づかずに泣いてるんだよ。それで察した。こいつは敗者になったんだ、ってね。

 あたしは許せなかった。あの氷の王女が、色恋沙汰とはいえ涙を流していることが…あのポンコツと思っていた化け物に、最強のヴァルキリーであるアナスタシア・ニコライエヴナ・シャシコワが負けたんだってことが納得できなかったんだ。

 だからこそ、あたしはあの時あんたたちを探し回っていたんだ…鶴城、あんたを今度こそシャシコワのものにしてやるために…邪魔になるあの女を…弱いくせに、弱虫のくせに、化け物のくせに、最強でなくちゃならないシャシコワからあんたを奪ったあの女を排除するために…あの女に自分の弱さと無力さを思い知らせるためにね…!!」


 …え?

 アナスタシアが…俺のことを?

「ヴァネッサ、あなた…こんなところでなんてことを…!!」

 呆然とする俺を置いてけぼりにして、フィアナさんがいつものんびりにこにこしている彼女とは思えないほどの怒りを込めて、ベッドの上のゴルトライヒ先輩に詰め寄ろうとした時。


「------お黙りなさい、ヴァネッサ。」

 

 いつの間にかゴルトライヒ先輩の目の前に立っていたアナスタシアがそう言ったと思うと、ばしっ、という音を立てて、白く華奢な右手がゴルトライヒ先輩の左の頬を打った。

 アナスタシアはそのまま、呆然とするゴルトライヒ先輩に、まるで子供たちに語りかけるように話し出す。

「------わたくしが鶴城さんを…友としてわたくしを受け入れてくださった彼を愛したことは事実です。…そして、彼を巡るクリスティナとの勝負に敗れ、並んで歩く二人を見ていることすら、辛く苦しいものであったことも。その事実を隠すつもりはありません。

 しかし…だからこそ、わたくしはあなたのしたことを許すつもりもありません。

 クリスティナとわたくしは同じ殿方を愛した者であり、その勝負の行方は、一対一で、殿方に思いを伝え、どちらが選ばれるのかという、ただその一点のみ。そしてその殿方------鶴城さんがクリスティナを選んだことで、クリスティナは勝者となり、わたくしは敗者となった、ただそれだけのこと。そしてあなたのしたことは------わたくしたちの間で一度ついた勝負をただ己の欲のために蒸し返そうとするだけの、本当に愚かな行為。そのような卑怯な真似をして、鶴城さんを傷つけ、アンネマリーを傷つけ、あまつさえ勝者となったクリスティナの心をも傷つけ…そして、黙って聞いていれば、クリスティナを…わたくしの恋敵である前に、何よりわたくしの一人の友であるあの子のことを何度も化け物、化け物と侮辱した。…その恥、しかと知りなさい。」

「………。」

 何も言い返すことのできないゴルトライヒ先輩と、周りで今の光景を見ていた俺たちに語りかけるように、アナスタシアはまた話し出した。

「ヴァネッサ…ひとつ聞きます。…ルイーゼとグラディスがクリスティナを邪険にしていたこと…あれはあなたの指示かしら。」

 ゴルトライヒ先輩は、なんだそれは、と言いたいような驚いた顔をしたが、すぐに頭を垂れて、小さく言った。

「…違う。ルイーゼとグラディスがあいつにちょっかいを出してたなんて、それこそ今あんたから聞くまであたしは知らなかった。ローレライ姉になんぞ、あんたが泣いてるのを見るまで正直興味もなかったからね…。あたしはただ、あいつがあんたを負かしたから…あたしが認めたあんたから最強の名を奪おうとしたから…だから!!」

 ゴルトライヒ先輩の悲痛な叫びが木霊する。

 …察するに、ゴルトライヒ先輩は本当に、自分の尊敬するアナスタシアが涙を流すきっかけになったからこそ、クリスに怒りを覚えた、ということなのだろう。アナスタシアもそれを理解したようで、「ならば、それを信じましょう。」と言って続ける。 

「…わたくしは、本当にあの子に完膚なきまでに敗れたのです。ヴァルキリーとしての才能も、強さも…そして鶴城さんをめぐる恋の勝負も。

 鶴城さん…あなたは最初から、わたくしを特別な存在として扱うことはしませんでしたね。最上位ヴァルキリーとしてでも、シャシコワ家の娘としてでもなく…ただのアナスタシア・ニコライエヴナ・シャシコワという一人の人間として接してくれたあなたに、いつしかわたくしは、あなたにだけはわたくしに特別な思いを抱いてほしい、そう思うようになっていきました。でも…あなたにとって、特別な存在となりうるのは、わたくしではなくクリスティナだったのです。…わたくしでは、鶴城さんの目をこちらに向けることはできなかったのです。当然です。おそらく、わたくしが彼を愛することになった日よりもずっと前から、鶴城さんとクリスティナは、互いのことを強く強く好いていたのでしょうから。

 …鶴城さんとわたくしがフィアナに呼び出されたあの日…鶴城さんが仰ったこと…クリスティナの笑顔を見たい…あの言葉は、そうであるからこそ出た言葉なのでしょう。そして、クリスティナはあの時、鶴城さん、あなたに助けを求めました。…それを見て、わたくしは悟ったのです。ああ、二人の想いは一致している。わたくしの踏み込む余地はない、と。

 そして、クリスティナと鶴城さんがビフレストを繋いだとき…あの時、ただでさえ強大なクリスティナの力は、鶴城さんとビフレストを接続することで何倍にも膨れ上がりました。鶴城さんがオーディンとして類稀な存在であるとはいえ、おそらく、わたくしが鶴城さんとビフレストを接続したところで、その境地に達することはないでしょう。

 あの子の才能、そして内なる強さを認めたのは、確かにわたくしであったのかもしれませんが------その時、わたくしは察してしまった…目の前で起こったことを認めざるを得なかったのです。この子のヴァルキリーとしての才能が、わたくしのさらに遥か上を行き、そして鶴城さんが側にいることによって、その力がさらに強大なものになるということを。

 そして極めつけは…鶴城さんが倒れたと聞いた時…あの子は狼化し、わたくしはそうならなかった…。確かに、目の前で鶴城さんが吹き飛ばされるのを見たらしいあの子と、それを聞いただけのわたくしでは、どちらがショックであったかは火を見るより明らか…しかし、もしもわたくしの鶴城さんへの愛情がクリスティナと同等、あるいはそれ以上のものならば、わたくしも彼女のようになってしまってもおかしくはなかったはず…そこでわたくしは気づいたのです…わたくしは、あの子には決して敵わないのだ、と。

 …ヴァネッサ、わたくしは、あなたに弱さを見せてしまったのですね。…諦めをつけたはずだったというのに。それでも、わたくしは並んで共に歩く鶴城さんとクリスティナを見ることができなかった…。クリスティナではなく、わたくしが彼の隣にいたかもしれないというのに、という気持ちを抑えきれなかった…。ヴァネッサ、わたくしのその弱さが、あなたをその気にさせてしまったのですね…。」

 声を上げたい、泣いてしまいたい、そう思っているのであろう心を押し殺しながら、アナスタシアは言葉を紡ぐ。

 …俺は、黙ってその言葉を聞く以外に、できることはない。

 今聞いた話を総合すれば、俺はアナスタシアに愛されていても、その気持ちを察することなく、自分自身の愛する人を選んだ、ということなのだろうから。

 アナスタシアだって、最上位ヴァルキリーであり、名家シャシコワ家の娘である前に、俺と同い年の、年相応の女の子なんだ。俺がクリスを選んだことで、俺はまた一人、誰かを傷つけたことになるのだろう。

 彼女に恨まれても、仕方ない。

  

「それから、鶴城さん------自分が死ねばいい、なんて、軽々しく言うものではないわ。」

 

 アナスタシアが、今度は俺にその紫色の瞳を向けて、しっかりした声で告げた。

「考えてごらんなさい------あなたは今、あの子を助けるためなら、自分が犠牲になることは致し方ない、という言い方をしたわ。…ならば、もしも奇跡的にあの子を狼化から救うことが出来たとして、正気に戻ったあの子が、あの子のためにあなたが命を捨てたことを知ったらどうなると思って?あなたが倒れたことがショックで、その上自分自身の責任にしやすいあの子なのだから、また同じことにならない保証はないわ。そうなってしまえば、どちらにせよあの子を島ごと海の底に沈めなくてはならなくなる…そうなれば、あなたの死は名誉の死ではない…本当にただの無駄死にに成り下がるのです。それをわかっていて?

 先に申し上げておきます。これは、あなたという一人の殿方に未練を残し、こちらを見ていただきたいと嘆く女の言葉ではありません。改めてあなたの、そしてクリスティナの友として、その一歩を踏み出そうと決めたわたくしの言葉です。それとも…友の心配をすること…それはあなたやクリスティナにとってはおかしなことかしら。」

 …わかってるよ。

 そんなことはわかってる。最善は最善なんだってこと。みんなが心配してくれてるんだってことだって。

 それでも、俺はクリスと一緒にいたい。これまでも、これからも。ずっと、ずっと。

 だけど…俺は自身とクリスなら、クリスに生きてほしい。幸せになってほしい。そのために命を投げ出さなくてはならないなら、俺は------   

 

「あーあーもう、悩んでるねぇマコ。青春してるねぇ。」


 いつの間にかやって来ていた珀亜さんが、俺を見ていつもの口調で言う。

「マコ、あんたの気持ちはよーくわかったよ。あんたのクリスちゃんへの…愛する人と一緒にいたい、って気持ちは本物だ。なら…その首に当ててるものをとりあえず下ろして話を聞きな。クリスちゃんと一緒にいるために命を捨てようとする覚悟を決めたあんたには、これから話すことは絶対に必要になるはずだからね。」

 珀亜さんはそう言って、ドアの方へと声をかけた。

「秀、そろそろ入ってきていいよ。」

「あぁ珀ちゃん、ようやくか…。じゃあ、失礼して。」

 聞き覚えのある声と共にドアを開けて入ってきた男性を見て、俺は驚きを隠せなかった。


「秀真、さん------」


 間違いない。珀亜さんの旦那さんで、俺にとってはお兄さんのような存在。そして、若いながらも自衛隊のヴァルキリー部隊隊長である珀亜さんと肩を並べる階級を持ち、珀亜さんの専属オーディンでありながら、自衛隊ヴァルキリー・オーディン部隊の司令官でもある人------白鷺 秀真一等陸佐。

「久しぶりだね、誠君。最後に会ったのは、君がヴァルホルに編入する少し前だったよね。」

 秀真さんは、俺にいつも向けてくれていた笑顔を見せた後、真剣な顔をして続けた。

「さっきアナスタシアさんは『才能でも負けた』って言ってたよね?その理由をちょっと話しておきたいんだけど…実はね、さっき、僕と珀ちゃんとアナスタシアさんで、ビフレストを繋いだ上でクリスティナさんに超長距離狙撃をしてみたんだ。クリスティナさんは最上位ヴァルキリーってことで、最上位ヴァルキリーを止められる可能性があるのは、理論上は同じ最上位ヴァルキリーだけだからね。…ただ、結果はご覧の通り。」

 秀真さんは手元のリモコンを操作し、画面を切り替える。その画面の先には、何発も何発も直撃弾やそれに近いものをまともに受けて吹き飛ばされながらも、その都度ゆっくりと立ち上がって歩き始める無傷のクリスが映し出されていた。

「これがその結果だよ。いくら砲弾を直撃させても、衝撃で吹き飛ぶ以外には、スヴェルには傷ひとつ与えられなかった。おそらくクリスティナさんは、さっきフィアナさんが言っていた通り、史上最高かつ最強のヴァルキリー…ランク上は珀ちゃんたちと同格扱いで、その力が第二次大戦時代の戦車の力であったとしても、おそらくヴァルキリーとしての才能自体に天井がないといっていいほどなんだろう。それこそ、ビフレストなしでも性能補正なんて簡単に覆せるどころか、真正面から戦えば後発も後発の兵器の力を宿している珀ちゃんですら、いとも簡単に圧倒してしまえるであろうほどに、ね。…となれば、既存のヴァルホルの戦力では…いや、下手をすればその辺の一国の全戦力…例えばヴァルキリー・オーディン部隊を含めた自衛隊の陸、海、空すべての戦力を投入したとしても、彼女を完全に止めることはまず不可能だろう。」

「じゃあ------」

「誠君、話を最後まで聞いて。」

 秀真さんは俺を諭すように前置いてから続ける。


「実はね、誠君------君には、クリスティナさんを救う力がある------いや、違うね、おそらく君にしか、彼女を救うことはできない…僕は、そう言いに来たんだよ。」 


 俺にしか、クリスを救うことはできない…?

「ま、待ってください、それってつまり…誠の…いえ、他のオーディンもろとも、グレイプニル遺伝子をクリスに捧げろ、ってことですか!?」

 シャーリーが秀真さんに食ってかかるが、秀真さんは真剣な顔をして続ける。

「シャーリーさん、みんなも落ち着いて。僕は誠君や他のオーディンの子達に犠牲になれって言ってるんじゃない。そして、クリスティナさんを見捨てるって言ってるわけでもない。


 ------僕は、誠君とクリスティナさんなら、二人とも生きて戻ってこられる可能性がまだ残されている、そう言いたいんだよ。」

 

「ーーーまさか。」

 フィアナさんが、はっとした顔をして秀真さんに向き直る。

「白鷺司令…まさか、鶴城さんに------」

「フィアナさん、その通り。今こそ、彼には伝える必要があると思う。…誠君は知らないことだろうけれど、彼のグレイプニル遺伝子の塩基配列の解析に手間取ったことが、彼が義務教育終了後、すぐに社島に来ることができなかった理由でもあるわけだから。」

 秀真さんは一呼吸置いて、こう告げた。


「誠君。君のグレイプニル遺伝子の塩基配列のあちらこちらに------『ヴィーザル型』の配列が見つかっていたんだ。」


 …『ヴィーザル型』…? 

「ーーー秀真さん、その…『ヴィーザル型』って、何ですか…?聞いたこともないんですけど。」

 俺は疑問に思ったことを、そのまま秀真さんに問うてみる。

「うん、聞いたことがないのも無理はないよね。普段は狼化現象のことと一緒に、国連安保理のトップシークレットになっているから。まあ、簡単に言えば、ヴィーザル型、っていうのは、ただでさえ稀少価値の高いグレイプニル遺伝子のうち、さらに稀少な塩基配列を持ったグレイプニル遺伝子のことなんだ。そして、このヴィーザル型の塩基配列を持つグレイプニル遺伝子を持ったオーディンには、ある特殊な可能性が秘められていると言われているんだよ。

 それはね------通常のオーディンが持っているグレイプニル遺伝子が『ビフレストを繋ぐことによってヴァルキリーの力を増幅させ、有事の際には狼化ヴァルキリーの餌になる』だけなのに対して、ヴィーザル型の塩基配列を持つオーディンは、通常のグレイプニル遺伝子と同じ力以外に、もうひとつ…『餌になる普通のグレイプニル遺伝子とは逆に、狼化ヴァルキリーとビフレストを繋ぐことによって、狼化現象を抑制し、完全に制御することができるようになる可能性』を秘めていると言われているんだ。…まあ、これは僕と珀ちゃんが身を以て経験したことなんだけどね。」

「え…?」

 俺は目を丸くして、秀真さんと珀亜さんを見つめると、珀亜さんが答えた。

「秀の言う通り。…長くなるからちょっと端折って話そうと思うけど、あたしも実は、今回のクリスちゃんみたいに大暴れするまではいかなかったとはいえ、狼化の経験のあるヴァルキリーなんだよね。

 …そのとき、ちょうどあたしと秀はビフレストを繋いでしまっていた時でね…本当なら、そこで秀は死んでしまうはずだった。でもね…あたしたちは生き残ることができたんだよ。二人で、あたしの中で暴れまわるもの…あの時は犬だか狼だかの姿をしていたはずだけど、そいつと戦って、それに打ち勝つことができたことでね------というのも、後で調べてもらったとき、秀のグレイプニル遺伝子が、なぜかそれ以来ずっと繋ぎっぱなしになっているビフレストを通してあたしの記憶に作用して、いわば抗うつ薬のような役割を果たしていたことがわかってね…それで、あたしたちが記憶の中で戦ったものがどでかい狼だったってことで、狼化現象という言葉が生まれ、秀のグレイプニル遺伝子がそれを抑制したってことで、神さえ喰らう狼、フェンリルを狩った者…北欧の最高神オーディンの息子、ヴィーザルの名前が、塩基配列の名前になった、ってことさ。

 ------長々と前置きをしたけど…つまり、秀と同じようにヴィーザル型の配列を持ったマコなら、上手くいけばクリスちゃんを止められる可能性がある、ってこと。」 

「珀亜さん、秀真さん…本当ですか…?それは本当なんですね!?じゃあ------」


「ストップ、誠君。」

 

 逸る俺に、また秀真さんが声を上げて言葉を遮る。

「その前に、もうひとつ話しておかなくちゃならないことがあるんだ。いいかい、よく聞いてね。

 さっき、僕や珀ちゃんはこう言ったよね?『止められる可能性がある』とか、『上手くいけば』って。つまり------止められない可能性も十二分に存在している、っていうことなんだ。そして、力を持つ本人である君にすら、今まで伝えられなかった理由でもある。

 …実はね、君や僕以外に、もう一人いたんだよ…ヴィーザル型の塩基配列を持ったオーディンがね。まあ、その子は僕たちとふたつ違う後輩だったんだけど…僕たちが高等部三年生の時…僕たちが助かってから、ちょうど二年後のこと。今度はその子がいたチームのヴァルキリーの一人が狼化してしまったんだ。その時は僕たちの一件もあって、ヴィーザル型のことは、しっかりと箝口令を敷いた上で、持っている本人にだけは伝える、ということを行っていた。だから、彼はその力でヴァルキリーを助けられると考えて、彼女とビフレストを繋いだんだよ。

 …でもね、結論から言えば助けられなかった。これは後からわかったことだったんだけど、その子の遺伝子情報を確認した結果、その子のヴィーザル型の塩基配列の長さは僕のものと比べてとても短くて、とてもじゃないがヴァルキリーの狼化に耐えうる代物じゃなかったんだ。なおかつ、この一件でわかったこととして、狼化の強さには、ヴァルキリーのランクの他に、ヴァルキリーが宿している兵器の負の記憶とも言うべきものがどれだけ存在しているかということも関係してくることがわかったんだよ。

 珀ちゃんは最上位ヴァルキリーではあっても、珀ちゃんの宿している力の基になっている10式戦車は、今のところまだ実戦経験もないから、負の記憶なんてほとんどない。そしてなおかつ、僕のヴィーザル型の塩基配列、その長さの合計がそれなりに長かったこともあって、辛うじて僕たちは助かることができた。でも、彼がビフレストを繋いだヴァルキリーはイギリスの子だったんだけど、問題は、彼女の力の基になったのは、始まりの戦車…マークⅠ戦車だった、ってことだった。彼女はアンネマリーさんと同じ第五位ヴァルキリーだったんだけど、マークⅠは第一次大戦において、西部戦線に投入されたり、壊れて捨てられ、鹵獲されてしまったこともある戦車だ。それゆえ負の記憶と呼べるものはそれなりにあって、いかにヴィーザル型のグレイプニル遺伝子であったとしても、それに対して釣り合いを取ることのできない長さである以上、狼化を抑え込むことはできなかった。そして最終的に彼は死に、ヴァルキリーの子は僕と珀ちゃんが介錯することになったんだよね。」

 秀真さんはここまで言ってから、俺に真剣な顔で向き直って言った。

「ここで僕が言いたいことは、誠君のヴィーザル型の配列の長さの合計と、クリスティナさんの持つヴァルキリーとしての才能、そして彼女の力の原点であるティーガーⅠの記憶についてだ。

 結論から言うと、ヴァルホルの研究チームの出した数字によれば、誠君のグレイプニル遺伝子の塩基配列のうち、ヴィーザル型の配列の長さの合計は、単純計算で僕の配列の合計、その四倍以上の長さがある。だからこそ、助けられるとしたら君だけになるわけなんだけど…さっきの話を聞いてくれていたらなんとなくわかると思うけど、問題はクリスティナさんが誰にも負けないほど高い才能を持っていて、そして、生産数もそれなりで、数多くの戦場を駆け巡っていた経験があり、なおかつ第二次大戦の敗戦国であるドイツの主力兵器のひとつと言ってもいい、ティーガーⅠの力を宿していることだ。それだけ考えても、記憶の狼はおそらく、僕たちの知っているものと比較にならないほど桁違いの力を持っているはず。そんなものを相手にして、同じく桁違いのヴィーザル型の塩基配列の長さを持っているとはいえ、果たして君たちがそれに打ち勝てるのか…もしも打ち勝ったとして、君たちの身体や精神が無事でいられるのかどうか…僕や珀ちゃんにも、まったく予想がつかない…。」

 秀真さんはそこまで言うと、少し溜め込むようにして俺に問いを投げかけてきた。


「誠君、君は、クリスティナさんが大切かい?

 二人で共に歩んでいきたい…その心に、偽りはないかい?

 二人とも生きる道を見出だせるか、それとも二人とも死ぬことになるか…これは一種の賭けだ。僕は、君の判断を信じて、できることをする。そして、もしもそれでもだめなら、僕は僕の判断で、最善の策を取る。例え、それが僕や珀ちゃんにとって大切な弟分である君を、海の藻屑にしてしまうことになったとしても、だ。」 


 …決まっている。

 俺は秀真さんに、はっきりと告げた。


「俺は、クリスと一緒に生きたい。

 二人で、たくさんの思い出を作っていきたい。

 だから------秀真さん、その可能性に賭けさせてください…お願いします!!」


 俺が頭を下げると、秀真さんは俺の肩に手をおいて顔を上げさせ、俺を見つめて言った。 

「------わかった。君がそう決めたなら、僕は何も言うことはないよ。ただし------タイムリミットは日が変わる時…12月25日、午前0時まで。残りの時間は、約2時間と少しだ。避難誘導が終わるまでまだ少し時間があるから、それまでに君を島に送り込んでクリスティナさんと接触させ、その後、避難が終了した段階で、周囲ブロックを切り離して、本島ブロックを孤立させる。そして…タイムリミットまでにクリスティナさんの狼化が止まっていることが確認できない場合、君はクリスティナさんを助けることができなかったとして、島の自沈シークエンスに入る…。覚悟はいいね。」

「…はい!」

 俺が答えた時。 


『------白鷺司令、珀亜隊長、応答願います!緊急事態発生!目標が大幅に進路を変更…このままでは、周囲ブロックEへと誘導中の集団と、ブロックE隔壁付近にて二十分以内に接触します!』

 

 けたたましいアラートと共に、モニターに一人の女性が映し出される。俺がヴァルホルに来たときから考えてもだいぶ前、珀亜さんと秀真さんに連れられて富士の演習を見に行った時、俺も会って話したことのある二人の後輩の人…詳しくは覚えていないが、確か、エールの学舎で学んだ、と本人が言っていたはずだ。…ここまで来れば、どうして秀真さんが社島に来ているのかということはなんとなく想像がつく。つまり、自衛隊のヴァルキリー・オーディン部隊も出なくてはならないほどの事態だということだ。…秀真さんの言う通り、時間はもうほとんど残されていないのだろう。

「ブロックEだって…!?まずい…あそこには…!!今すぐに周辺映像、出せる!?」

「は、はい、映像、出力します!」

 珀亜さんが焦りの声を上げた瞬間、モニターの映像がぱっと切り替わる。その中心にいたのは------


「------まさか、リゼット…!?」

 

 間違いない、銀色の長い髪を揺らめかせて、避難する人たちを誘導しているオッドアイの少女------リゼット・ポワティエール。

 そういえば…この場にリゼットはいない。どうして、俺は疑問に思わなかったんだろう。

「どうして…どうしてリゼットがあんなところに…!?それに------」

 よく見ると、リゼット以外にも見たことのある顔ばかり。あれは------重樹たちパンツァーβの面々だ。

 俺とパンツァーαの面々が珀亜さんに詰め寄ると、珀亜さんは唇を噛んで、悔しそうに言った。

「…さっき、有志にも避難誘導をお願いしたって言っただろ?その中に、偶然リゼットちゃんやβのみんながいたんだよ。そこであたしはブロックEの避難誘導を彼女たちにお願いした------基本的に、有志の子達にはクリスちゃんと接触する可能性の低いブロックを担当してもらっていたわけだけれど、その中でもブロックEは一番鉢合わせする可能性の低い場所だったし、βの子達と行かせるなら、体の弱いあの子がいてもなんとかなると考えてね。…でも甘かった。その判断で、あの子たちを…教え子を危険な目に遭わせたとしたら…それは誰でもない、あたしの失態だ…!!」

 珀亜さんが医務室の壁を思い切り殴りつけると、秀真さんが珀亜さんの肩に腕を回して語りかける。

「…珀ちゃん、自分を責めちゃだめだ。リゼットさんやβのみんなだって、さっき誠君が言ってくれたみたいに、きっと危険なことを承知で有志の輪に入ってくれたんだろう。その覚悟を無駄にしないために、僕たちはできることをしなくちゃならない。違うかい?」

 …秀真さんの言う通りだ。

 俺は秀真さんと珀亜さんに視線を向けて、強い口調で言った。

「秀真さん、珀亜さん------俺、行きます。リゼットたちを助けて、クリスを助けて…そして、絶対生きて帰ってきます!!」

 

「…まあ、あんたなら言うと思ったわ。そうならそうで、あたしたちもできることをしなくちゃ、ね。」


 俺の声を受けて、シャーリーが声を上げる。

「あたしたちもブロックEに向かうわよ。リゼットたちの救援にね。」

「ああ、私も協力するぞ。避難誘導の殿は私に任せておけ。」

「わ…わたしも、頑張る。後で、みんなに偉いよ、って言ってもらえるように。リゼのこと…絶対、守る。」

「…あたしも、狙撃による援護程度なら手伝うよ。クリスにしちゃあたしの攻撃は豆鉄砲程度でも、陽動くらいにはなるかもしれないからね。」

 シャーリーの言葉に被せるように、ヴィクトリカが、飛鳥が、エレーナが、各々の言葉を以て答えてくれる。

「------ならば、わたくしとΩも出ます。」

「アナスタシア…いいの?」

 俺が聞くと、アナスタシアは俺に、いつもの力強い目を向けて言った。

「これは勝つための戦いではない…わたくしにとってこの戦いは、友を、友の愛する人を、そしてそれらが帰ってくる大切な場所を守るための戦いなのです。かつての世界大戦において、わたくしの祖国であるロシア、その前身であるソビエト連邦に住まう人々が、祖国のため、家族を、友を、愛する人を、そして己が帰る場所を守るために戦ったように…。

 あなたにとって、わたくしの力は必要ないものかもしれません。しかし…もしもわたくしの力が必要ならば、遠慮は必要ありません。いくらでもわたくしをお使いなさい。わたくしも全力を以て、あなたの期待に応えましょう。」

 …無駄なんて、思うわけない。アナスタシアが助けてくれるとなれば、これほど嬉しい援軍はない。

「…アナスタシア…ありがとう。」

 俺がお礼を言うと、アナスタシアは年相応の女の子としての笑顔を向けてくる。

「みんな…ありがとう。私は生徒会役員として、情報の収集、及びあなたたちの待避ルートの確保に尽力するわ。あの子を…お願いね、鶴城さん。」

 フィアナさんが言い終わった時、それに合わせて秀真さんが言った。

「…話はまとまったみたいだね。とにかく時間がない。避難が間に合うか、その保証はないけれど、今はとりあえず、もしも避難が間に合わなかったら、という最悪のパターンを考えておくよ。もしも避難が間に合わずに、クリスティナさんが隔壁に迫ってしまった場合、みんなはリゼットさんたちを連れて、可能な限りクリスティナさんとの戦闘を避けつつ、フィアナさんの誘導に従って避難者の誘導をしてほしい。僕と珀ちゃんも、島の現状がわかり次第合流するから、それまでなんとか持ちこたえて。その後、全島民の避難が完了した段階で、本島ブロックに誠君を残して、周囲ブロックを退避させる。誠君、自分の無線機とイヤホンは持っているよね。クリスティナさんの狼化が解けたらすぐに、この周波数を使って無線で連絡してほしい。そして…日が変わるまでに君から連絡がなかった場合…すなわちクリスティナさんの狼化が止まったと判断できない場合には、さっきも話した通り、君は死んだと判断して、島の自沈措置を取る…いいね。」

 俺が首を縦に振って返事をし、秀真さんから教えてもらった周波数をメモすると、秀真さんは俺を見つめて、こう告げてきた。

「…誠君、君を見殺しにするかもしれない僕がこんなことを言うのもおかしいかもしれないけど…。さっき自分で言ったこと…絶対生きて帰ってくる…絶対、って言ったなら、それを絶対に嘘にしちゃだめだよ。」

 俺は、秀真さんをしっかりと見つめて、強い意志を込めて答えた。


「------はい!!」

 

 この言葉も、また誓い。

 クリスと二人で、一人の犠牲も出さずに、必ずみんなのところへ生きて帰る。

 俺はそれを意識に刻み込み、みんなに支えられながら、医療ブロックを後にした------


※※※


(another view“Risette”)


「ーーーマジか…。みんな、今のフィアナ先輩からの連絡、聞こえたか?…どうやら、クリスがこっちに来てるらしい。急がなきゃヤバそうだぜ…。」

 三都君が私たちを集め、小声でそう口にした。


 ---クリスティナがそちらに向かっているわ。隔壁の近くまで来ていることは幸いだけれど、避難が終わるまで油断しないで。それから、何度も言うけれど、避難が終わったら速やかにあなたたちも隔壁の中に入るようにしてね。間違っても、今のクリスティナと戦おうなんて考えないこと。いいわね---


 イヤホンから聞こえてきたロンメル先輩の声は、私にもしっかりと聞こえていた。

 クリスちゃんは今、近づくのはとても危険な状態であり、島民の安全のため、速やかに島から島民を退避させなくてはならない。

 クリスマスパーティーが終わり、手芸部の部室の前で三都君たちパンツァーβのみなさんとお会いしたとき…元々は、リューシーちゃんとアリーヌちゃんが後夜祭に私を誘おうとしてくれたらしい------その時、社島全域に鳴り響いたアラートと共に、飛んできた白鷺先生からそのことを聞いた私たちは、島民の避難誘導に志願した。そして今は、白鷺先生から指示された場所で、数十人の島民と共にブロックEの隔壁へと向かっている最中。

 そんな中、クリスちゃんが進路を変えてこちらに向かってきているという。

「…おねえちゃんたち、どうしたの?」

 一人の女の子が、私に問うてくる。私は私自身の不安を払拭するように、その子の前にしゃがんで声をかけた。

「…あ、ごめんね、大丈夫ですよ。心配することはないですからね。さあ、早く行きましょう。…久しぶりの島のお外ですね。楽しみですか?」

「うん。…ねぇおねえちゃん、お外でも、おねえちゃんたちに会えるかな?」

「ええ、すぐに会えますよ。お約束です。」

「本当?あ、あのおねえちゃんとも会えるかな?保育園に来てくれた時、絵本を読んでくれたり、一緒に遊んでくれた、金色のふわふわした髪と、緑色の目のおねえちゃん。」

 女の子の言葉に、その隣にいたおばあさんとおじいさんが反応した。

「おやおや、それはクリスティナちゃんというあの子のことかねぇ?私もあの子には、荷物を持ってもらったり、世間話に付き合ってもらったりと、本当に世話になっているからねぇ。」

「まったくじゃ、クリスちゃんは本当に、わしらが困っていればすぐに助けようとしてくれる。…本当にいい子じゃよ。天使とは、ああいう子のことを言うのじゃろうて。」

「まあ、たまに…じゃないか、かなり失敗の多い子ではあるけれど、それでもありがたいものね。ここまでしようとしてくれる子はなかなかいないでしょうから。」

「------。」

 私は一瞬、どう言えばいいのかを考えざるを得なかった。

 これらの言葉に反応して、連鎖するように、子供たちが、お年寄りが------この場にいるみなさんが、口々にクリスちゃんの話をし始めていたのだ。

 …私は知っている。

 クリスちゃんが、ヴァルキリーとしての力だけでなく、誰かのために何かをしたい、助けてあげたい、そういう優しい心を持ち合わせていること。

 今、私たちが連れている島民のみなさん…ブロックEに住んでいるのは、学園やその他の施設で働いている人たちの家族…お年寄りや子供たち。学園にもショッピングモールにも各種遊戯施設にもほど近い場所に住んでいるこれらのお年寄りや子供たちの中には、クリスちゃんの優しさに救われた人が少なくないのだろう。 

 それは、学園の中でしかクリスちゃんを見ていない人たち------それこそ、クリスちゃんをいじめている人たちのような、クリスちゃんの一面しか見ていない人では、到底理解し得ないこと。

 …しかし、彼らの慕うクリスちゃんが、今、この場では彼らが居場所を追われる原因となっているのだ。

 私たちが白鷺先生から指示されたのは、みなさんを不安にさせないため、クリスちゃんがこの騒ぎに関わっていることは伏せること、今回の避難の目的は、島の中で原因不明の爆発が起こったために、原因がきちんとわかるまでの間、日本本土への一時避難となると説明すること、クリスちゃんとの接触を避けるため、生徒会や自衛隊のみなさんの誘導にしっかりと従って行動すること…すなわち、ここにいる人たち…避難誘導をしている私たち以外は、クリスちゃんがこの社島の脅威になっているのだ、ということを知らない。ゆえに、私は何も言うことができなかった。

 …クリスちゃん、どうして。

 私は、心の中でそう呟く。

 そうこうしていると、正面にブロックEの隔壁が見えてくる------と同時に、空気を揺るがす轟音が、私たちの後ろから響き渡った。

「------みなさん、頑張って、もう少しです、早く隔壁へ!三都さん、みんな、子供たちやお年寄りに手を貸してあげて!」

 初瀬さんの声に、私は先ほどの女の子の手をしっかり繋いで、少し早足で歩き出した。

「------っ…。」

 少しずつ息が上がってきているのが、自分でもわかる。部室から出る前に飲んでいたお薬の効果が切れかかっているのだろう。

 一応、いつ喘息の発作が起こっても大丈夫なように、ポーチの中にはお薬を入れておくためのケースとお水の入ったペットボトルがいつも入っている。だが、みなさんに…何より、子供たちやお年寄りに心配をかけるわけにはいかない。少なくとも、避難が終わるまでは、何とか頑張らなくては…。

「…さあ、着きましたよ。急いで中へ入ってね。また後で、です。」

「うん、おねえちゃん、また後でね!」 

 何とか隔壁にたどり着き、女の子を隔壁のところに立っていた職員さんに預けた私は、建物の影に隠れるようにしながら、その壁へともたれかかる。

「------っ、ごほっ、ごほっ…!!」

 …始まってしまった。

 震える手でポーチからお薬とお水を取り出し、一思いにそれを飲み込む。

「…おいリゼット、大丈夫なのか?」

 私が咳き込む音に気がついたのだろう。パンツァーβ所属のわたしの友達の一人、リューシー・ヴィダールちゃんが、アリーヌちゃんと共に私の方にやってきて言う。

「…リューシーちゃん、アリーヌちゃん…大丈夫ですよ。ちょっと疲れただけですから。それより、早くみなさんの避難を…。」

 私はリューシーちゃん達に笑顔を見せて、すぐにまた立ち上がる。

 …そう、ゆっくりなんてしていられない。一刻も早く、避難を完了させなければ。

「安心していいわ、もうすぐ全員の避難が終わって、隔壁を閉じるところよ。重樹さんたちも待っているから、私たちも早く行きましょう。」

 アリーヌちゃんが言うと、リューシーちゃんが、私を安心させるように言って、手を伸ばしてくる。

 私は、その手を取ろうと手を伸ばす。

 その時------


「オーディン…ミツケタ。」


 鈴の鳴るような声が、私たちの耳に届く。

 振り向くと------見覚えのある形、しかし見覚えのない色------黒い服と装甲に身を包み、遠目でもわかるふわふわした金色の髪を揺らめかせて近づいてくる、一人のヴァルキリーの姿が目に映った。

「------ちっ、追いつかれたか!みんな、聞こえるか、来たぞ!!」

 リューシーちゃんが叫んだ時、正面にマズルフラッシュがきらりと瞬いたと思うと、押し潰されそうになる轟音と共に、隔壁の真上に位置する山肌が一思いに吹き飛ばされ、衝撃によってへし折れた木々や、草木の根の支えを失った土砂や岩が、先ほど島民のみなさんが入っていった道を塞ぐように雪崩れ下った。

「…おい、みんな無事か!?」

 三都君の声が聞こえる。

「重樹さん、私やリューシーさん、それにリゼットさんは無事よ。そちらは大丈夫!?」

 アリーヌちゃんが叫ぶ。どうやら、他のみなさんも怪我はないようだ。

 しかし------

「…まずいね、退路を絶たれた…。このままじゃボクたちも危ないよ…。」

 短髪で運動により引き締まった体をしている女の子、ニキータ・プローコフィエフさんが、普段見せることのない苦い顔をして隔壁の入り口があったところを見る。

「ど…ど、どうすればいいのよ!?」

「ルンデカッツさん、落ち着いてください。とにかく、会長に指示を--------」

 慌てるアニヤさんを何とか落ち着かせるべく声をかけながら、ロンメル先輩に指示を乞う初瀬ちゃん。

 …この場にいるのは、いずれも第四位ヴァルキリー(オルトリンデ)以上。そんな私たちなら、土砂や倒木を砲撃で吹き飛ばすのは造作はないだろうが、それではシェルターの天井まで吹き飛ばすことにもなりかねない。そうなれば、私たちの退路はおろか、中にいるかもしれない人たちにも危険が及ぶ。

 

『…ブロックEのみんな、聞こえてる?急いで今から指示するところまで退避して。そこから南に300メートルの所に非常用隔壁があって、そこに入って道なりに行けば、本来の隔壁のある道にたどり着くわ。幸いそこまでは土砂は来ていないわ。急いで!』

 

 ロンメル先輩の声が、イヤホンを通して聞こえてくる。

 しかし------


「…ロンメル先輩、ごめんなさい。それはできません。」


 私はまだお薬が効ききらない中、苦しさを堪えて、口を開いた。


「Dieu, je donne tout」


 私の口が、解放のルーンを紡ぐ。

「リゼット…!?」

 隣のリューシーちゃんが、そしてパンツァーβのみなさんが、スヴェルを纏った私を見て、驚愕の表情を浮かべた。

『ポワティエールさん…!?何をするつもりなの!?』

 同じく驚愕の声を上げるロンメル先輩に、私は言った。

「だって…たった300メートルなんですよね?逃げるとしても…すぐに追いつかれてしまうと思います。そうなれば、避難された方々も危ない…。なら、少しでもクリスちゃんを足止めしなきゃ…。」

『ポワティエールさん…無茶よ、やめなさい!!クリスティナはあなたが…いいえ、ビフレストを繋いだ状態のあなたたちが束でかかっても敵う相手ではないのよ!?』

「わかっています------でも、しなくちゃならないことでしょう?

 クリスちゃんは私のお友達で…お友達が泣いているなら、お友達の私が助けなくちゃいけないんです。危ないことをしていたら、お友達の私がだめって言ってあげないといけないんです。

 だから------クリスちゃんは、私が止めてみせます。たとえ私がどうなったとしても!!」

 そう言って私は、外したイヤホンと無線機を地面へと叩きつける。

 

「------unchain the power」


 ------その時、ふわっ、と私の周りに光が舞ったと思うと、私の胸のつかえが、少しだけ軽くなる。

「…三都君?どうして…。」

 私に向かってビフレスト接続のルーンを唱えた三都君に、私は驚いた目を向ける。

 白鷺先生から聞いている。クリスちゃんはオーディンを狙っている。ならば、三都君は真っ先に逃げなくてはならない人のはずなのに。

 しかし------三都君は顔をいつもの飄々としたものに戻し、自信満々にこう言った。


「決まってんだろ、クリスは俺にとってもクラスメイトだし、それより何よりよ…あいつは俺のダチ…誠の恋人だ。あいつがクリスがこんなことになってて、素直にいつまでもその辺でぼーっとしてると思うか?

 あいつはきっとここに来る。止められるかどうかなんざ関係ない。誰が止めてもあいつは来る。そういうやつだろ?なら、俺たちはここでクリスと一緒に、あいつが来るのを待つだけだ。それが、避難した連中を守ることにも繋がる…だろ?」


 -----------。


 三都君の言う通りだ。

 鶴城君は、きっとここに来る。

 ならば、それまで私たちは、ここで彼が来るのを待とう。クリスちゃんと一緒に。

「…まったく三都さんは…私がいるというのに、他人と先にビフレストを繋ぐというのはどうなんですか?」

 初瀬ちゃんが、三都君の脇腹を人差し指でつんつんしながら、嫉妬心丸出しの顔で言う。

「げ…初瀬、わ、悪ぃ…。」

「…いいですよ。私だって、三都さんやポワティエールさんの気持ちはわかるつもりですから。とにかく、私たちは少しでもローレライさんの進行を遅らせます。」

「初瀬…ありがとな。」

 三都君はそう言って、他のβのメンバーたちを見つめて言う。

「他のみんなはどうだ?言っておくが、これは俺たちの勝手だ。危ないことに付き合ってなんかいられねぇってことなら、避難してくれていい。」

 …しかし、アニヤさん、ニキータさん、アリーヌちゃん、そしてリューシーちゃんも、ここを動こうとはしない。

 私はみなさんに、心からの感謝を込めて言う。


「…みなさん、ありがとう。

 行きましょう------クリスちゃんのところに。」

 

 クリスちゃん。

 きっと、鶴城君も来てくれるから。

 だから------しばらくは私たちと一緒にいましょう。

 クリスちゃんが鶴城君と会うまで、絶対に一人にはさせませんから。

 

 私は心の中で呟いて、目の前へと一歩踏み出した------

※※※ 


『------鶴城さん、聞こえる!?』

 フィアナさんの慌てた声がイヤホンから聞こえてきたのは、俺たちがブロックEへと向かう道半ばのことだった。

「…フィアナさん、どうしたんですか?」

 まだ少し重い体を、右をシャーリー、左をアナスタシアに支えられながら、俺はマイクを通してフィアナさんの声に答える。すると、フィアナさんが震えを抑えられない声で言った。

『--------ポワティエールさんとβのみんなが…クリスティナと交戦を開始したのよ。制止も聞かないまま、三都さんとビフレストを繋いで…。』

 ------何だって!?

「…どうやら、何か動きがあったみたいね。」

 俺が浮かべたのであろう驚愕の表情を見て、シャーリーが何かを察したように声を上げると、今度はアナスタシアが小さくそれに続ける。

「…察するに、彼らがクリスティナと交戦状態に入った、ということなのでしょう。時間がありません、わたくしたちも急がなくては。…パンツァーΩ、聞こえて?総員、至急ブロックEへ向かい、パンツァーβとリゼットの援護を開始しなさい。相手はクリスティナです、単純な力のぶつけ合いになれば、いかにあなた方であっても勝てる相手ではありません。援護の際は常に移動と警戒を怠らぬこと、そして己の力を過信しすぎぬこと。一人でも欠けることは、このわたくしが許しません。よろしい?」

 イヤホンを通して繋がっているのであろうパンツァーΩのメンバーに、的確に指示を出すアナスタシア。

 …さすがはアナスタシアだ。

 そう思ったのも束の間、今度はエレーナが口を開いた。

「…まあ、どちらにせよ急がなきゃならないことに変わりはないだろう?Ωの連中の援護だって、間に合うかどうかはわからないからね。さっさと行くよ。」

 そう言って、エレーナはすたすたと歩き始める。

「…待って、エレ。わたしも一緒に行く。」

「ま、待て二人とも!貴族たる私が先だぞ!」

 そこにぽてぽてと続いていく飛鳥と、ここまで来ても貴族であることを証明したいらしいヴィクトリカ。それを見て、シャーリーが頭を抱えながら言った。

「…普段なら止めるところだけど、今回ばかりはそうも言っていられないわよね…。あたしたちも早く行きましょう。」

「-----------っ!!アリス、それは本当ですか?」

 シャーリーの言葉に何かを返そうとしたアナスタシアが、少し目を見開いてイヤホンに向かう。

「…アナスタシア、どうしたの?」

 俺が聞くと、アナスタシアは俺の方に向き直り、冷静に言葉を紡ぎだした。

「アリス・ランペール…Ωにおける斥候役からの言伝です。…すでにβとリゼットが、クリスティナの放った一射に捉えられ、負傷者が出ていると。そして、援護や救護を行おうにも、彼らとクリスティナとの距離が近すぎて、今の人数では満足な援護も救護もできない--------」 

「なっ…!!」

 何てことだ…俺たちは…間に合わないのか!?

 俺が唇を噛むと、アナスタシアは俺の肩に手を乗せて、しっかりとした口調で続ける。

「落ち着きなさい、鶴城さん。…アリス、もっと詳しい情報を。…ええ、わかりました、わたくしもすぐに向かいます。それまで何とか持ちこたえなさい。ただし、くれぐれも無理はせぬよう。いいですね?そして、パンツァーΩは現時点を以て、鶴城さんの指示に従うこととし、鶴城さんの指示を各員へわたくしから伝えます。総員、その指示に従うように。」

 イヤホンから手を離し、再びこちらに向き直ったアナスタシアは、俺を安心させるように言う。

「今のところ、命に別状はないようです。しかし、油断はできません。…どうやら、リゼットの発作が始まっているようです。応急用の薬は持っているでしょうし、三都さんとビフレストを繋いで、ある程度症状を緩和させている可能性もあるけれど、それも一時凌ぎでしかないはず…せめて薬が効き始めて、医療スタッフに引き渡すまで、何とか持ちこたえなくてはなりません。…ここで嘆いている時間はありません、行きましょう。」

 …アナスタシアの言う通りだ。俺たちは、絶対に生きて帰る、そう誓ったのだから。

 しかし。

「…アナスタシア、いいの?俺が指示を出しちゃって。」

 一抹の不安が、俺の脳内をよぎる。

 正直、俺は戦闘の流れやら何やらは何もわからない。そんなあやふやな人間を司令塔に据えるなんて…。

「何言ってんの誠?」

 前を進んでいたシャーリーが、俺に振り向いて言う。

「これはクリスを救いたいっていう、あんたの戦いなんでしょう?なら、あんたがその司令塔にならなくてどうするのよ?別に作戦とかなんとか言わなくてもいいのよ。クリスを救うために…あんたのしたいようにしなさい。」

 シャーリーの言葉に、ヴィクトリカが、エレーナが、そして飛鳥が続く。

「シャーリーの言う通りだ。お前の戦いの助けとなるべく、私たちはここにいる。…お前は以前、私の家族を良き家族と言ってくれた。兄上や姉上を慕う私を認めてくれた。お前は私の友でもある。ならば遠慮はいらぬ。私の力、存分に振るうがよい。」

「…あたしも賛成だよ。ヒメを初見で手懐けたのも驚いたけど、クリスの特訓に付き合って、恋人にまでなるようなお人好しは、あんたくらいしかいないだろうから。あたし達がここにいるのは…結局、あんたのそのお人好しなところを気に入ったからなんだろうしね。」

「…ん、エレの言う通り。わたしも、マコトとクリスが一緒に笑ってるところ、見たい。マコトとクリスが二人で作ったお菓子、またみんなで食べたい。…わたしのお話、ちゃんと聞いてくれた二人に、ずっと一緒にいてほしいの。だから…わたしもマコトの言うこと、聞く。」

 …みんな。

 アナスタシアの方を見ると、彼女はみんなと同意件だ、と言わんばかりに首を縦に振る。

「というか…エレーナ、クリスが特訓してたこと、知ってたんだ。」

 俺が聞くと、エレーナはふいっ、と顔を背けて言う。

「…あたしだけじゃないよ、みんな知ってるから。」

「え…?」

 俺がぽかんとしてしまう。確か、クリスは以前、自分の弱さをみんなが理解してくれているだけに、特訓をお願いするわけにはいかない、と言っていたはずだ。そんな俺の表情を読み取ったのだろう。シャーリーが言う。

「…あたしたち、クリスから言われてたのよ。自分の特訓、なにも言わずに見守ってほしい、って。そりゃ、聞いたときはあたしたちじゃ不満なのかって思ったこともあったわよ。でもね…あたしたちだって、あの子はそれだけ本気なんだってことはわかったわ。あたしたちが見守ってくれるって信じてくれてたこともね。だからね…あたしたちも信じて見守ることにしたの。あの子があたしたちを信じてくれたように。」

 …そうだったのか。

 俺は、以前クリスやリゼットと一緒に、クリスとアナスタシアの特訓をはじめて見に行くことになった日…みんなにプレゼントするためのお菓子を作ったときのことを思い出す。

 そういえば、リゼットはあの時、俺たちに「頑張って」と言っていた。何気ない挨拶としか捉えていなかったので、それほど考えを巡らせることはなかったが、俺はアナスタシアとの特訓のことをその場にいたリゼットにも話していなかったので、今の話を聞く限り、彼女にもクリスは話していたのだろう。クリスのことをよく知っている上、俺が社島に来たばかりの頃にクリスに対して失言をしてしまったというエレーナや、ヴァルキリーとしての力を怖いと考えるクリスに対して、それは弱さだと断じたアナスタシアに食ってかかったリゼットだ。今シャーリーが言ったことと同じことを考え、葛藤したこともあっただろう。しかし、最終的には親友であるクリスを信じて送り出すことにした…。あの「頑張って」という言葉にはきっと、クリスの覚悟を受け止め、見守る覚悟をしたリゼットの心が現れていたに違いない。

 シャーリーはもう一度、俺に対してしっかりと言う。

「誠、あんたはあの子の恋人…あの子を一番信じてるはずよ。だから…あの子を信じてるあたしたちもお願いするわ。あの子を助けるためなら、あたしたちは何だってする。でもね…どうするかの判断は、あんたしかできないの。あの子と一番一緒にいたいって願うあんたにしか。だからお願い。あたしたちに指示をちょうだい。あんたはあの子の恋人で…そして、あたしたちパンツァーαのオーディンなんだからね。」

 シャーリーの言葉に、みんなが頷いてみせる。

 …ここまで言われたなら、やらないわけにはいかないな。

「…うん------みんな、ありがとう。急ごう。フィアナさん、予備隔壁の入り口まで、医療スタッフの手配をお願いします。」

『わかったわ。…みんな、無理はしないようにね。』

 フィアナさんとの通信を終え、俺は痛む体に鞭打って、少しずつ前へと進んでいく。

(…頼む…間に合ってくれ!!)

 

※※※


(another view“Risette”)

 

「ーーーーーークリス…ちゃん…。」

 刹那、目の前の地面を容赦なく抉り取った爆風。

 それによって、前にいた私とアリーヌちゃん、リューシーちゃん、ニキータさんの四人は、為す術もなく吹き飛ばされていた。

 爆発によって火花が散った名残なのだろう。私たちと一緒に吹き飛ばされた木々の葉がちろちろと燃え始め、そこから枝へ、幹へと移った炎が、少しずつその木の幹たちを黒い炭へと変え、周囲の空気を熱気で溢れさせていく。

「ぐっ…ごほっ、げほっ、げほっ…!!」

 私はまた激しく咳き込む。直撃は避けたとはいえ、先ほどの爆発によって舞い上がったたくさんの粉塵を吸い込んだこと、周囲の熱い空気に肺を焼かれたこと、そしてお薬がまだ効ききらないうちに無理をしていることによって、三都君とのビフレストの接続によって少し落ち着いていた発作が、また始まっている。

 苦しい…息が、できない-------- 

 そして-------陽炎の揺らめきの中に、黒い鎧を身に纏った女の子の姿が見える。


「オーディン…食ベナキャ-------」


 クリスちゃんの虚ろな瞳が、こちらから離れたところに立っている三都君に向き、クリスちゃんがそちらに向かって歩き出す。

「させない…!!重樹、下がって!!」

 山側、三都君の側にいた初瀬ちゃん------普段は三都君のことを「三都さん」と呼ぶ彼女が、三都君を庇うようにクリスちゃんの目の前に立ちはだかった時。


「------邪魔…シナイデ------」 

 

 クリスちゃんの左手が大きく横へと振られたと思うと、その左手に現れたのは、二門の銃身------ティーガーⅠに搭載されたという多用途機関銃、MG34。

「------ちっ…初瀬、伏せろ!」

 三都君が叫ぶ。瞬間、クリスちゃんの左手の装甲に取りつけられた二門の機関銃が同時に火を噴いた。咄嗟に稜線の向こうへと退避したことにより、二人揃って蜂の巣にされることはなんとか避けられたようだが、間隔の短い雷鳴のような立て続けの発砲音と共に撃ち出された弾丸は、その場に誰もいないことなど関係なしに山の斜面を容赦なく抉り、その役目を終えた薬莢が、廃莢される側からクリスちゃんの足元に転がってぶつかり合い、ちりん、ちりん、という軽い金属音を鳴らす。


「どうしてよ…どうしてこんなことにならなきゃならないのよ…!?ねぇクリス、あんた、誰かを傷つけること、あれだけ嫌いだったじゃないのよ…なのに、どうして…!?」


 初瀬ちゃんたちと同じく、クリスちゃんのアハト・アハトの砲撃に巻き込まれなかったらしいアニヤさんが、体を震わせながら、自分のグングニルをクリスちゃんに向ける。

 …アニヤさんだってわかっているはずだ。私たちではクリスちゃんには勝てないこと。ヤークトパンター…クリスちゃんの宿すティーガーⅠと同じ、アハト・アハトを主砲に有する戦車の力を宿した彼女だからこそ、クリスちゃんとの圧倒的な才能の差を理解できる…いや、できてしまうのだろう。

 クリスちゃんの目線が、アニヤさんに向く。

「ひっ…!!」

 アニヤさんは恐怖の声を発するだけで、まったく動けなくなってしまっているようだ------アニヤさんが危ない。

「------っ、あぁぁぁぁっ…!!」

 私は息苦しさを堪えて、クリスちゃんに向かって突貫する。

「------。」

 クリスちゃんがこちらを向くが、私の勢いは止まらない。クリスちゃんの体に、私の渾身の体当たりが突き刺さろうとした時。

 ------クリスちゃんの左手が、突っ込もうとした私の左肩を捉え、そのまま、私の動きがぴたりと制止させられた。

「うぅっ…ぐっ…うぅぅっ…!!」

 そのままクリスちゃんと押し合いになった私の口から、苦しさを堪える呻きがとめどなく溢れ出してくる。私は満身創痍の中であっても、全力でクリスちゃんと押し合っているはず。私の力------ARL-44も重戦車の一角。それに、性能補正の副作用で息は続かなくとも、私が第二位ヴァルキリーであることに変わりはなく、ぶつかった衝撃はかなりのもののはずだ。なのに、クリスちゃんはほとんど腕一本で、なおかつ涼しげな顔で私を受け止めている。

 どれくらいそうしていただろう。クリスちゃんが動いた。彼女の左手が私の肩を捕まえて、そのまま自分の後ろへと思いきり引き倒す。

「……っ!!」

 勢いを受け流され、体勢を崩した私の鳩尾に、そのままバレリーナのようにくるりと一回転したクリスちゃんの踵が勢いよく突き刺さった。

「…が、はっ…!!」

 所々ヒビが入っていた私のスヴェルの装甲が木っ端微塵に吹き飛び、あまりの痛みと苦しさに受け身すらままならない私は、そのまま固い地面へと思いきり叩きつけられる。

 それをちらりと横目で見て、クリスちゃんが歩き出そうとしたとき。


「うぅっ…はぁ…はぁ…。」


 私はその痛みと苦しさの中で、反射的に彼女の華奢な左足を、力もほとんど入らない両腕で、最後の力を振り絞るように抱き抱えていた。

 

「------。」

 

 一瞬、力が入らない私をその虚ろで冷ややかな瞳で見るや、クリスちゃんは私の腕をいとも簡単に振りほどき、そのまま、また三都君と初瀬ちゃんがいるはずの方向へと歩き出す。

 …痛い…苦しい…。

 私にはもう、その二つの感覚しか残されていない。

(クリスちゃん…鶴城君…みんな…ごめんなさい…ここまで…です------) 

 目が霞んでいく中で、私が心の中で呟く------その時。

 

「リゼット、無事?よく頑張ったわね。」

「私たちが来たからにはもう安心だ、任せろ!」

「------わたし、頑張る。リゼのところ、守って見せるから…!」

 

 聞き覚えのある、頼もしい声。

 シャーリーさん、ヴィクトリカさん、飛鳥さん。…先ほどイヤホンを捨ててしまったから声は聞こえてこないけれど、きっとエレーナさんもどこかにいる。

 そして------


「よし…みんな、行くよ------複数接続(マルチコネクト)!!」


 私たちが…何よりもクリスちゃんが待ち望んでいたであろう声が、この戦場に響き渡る。


 「…ったく、待たせやがってよ。

 でもよ…絶対に来るって信じてたぜ…誠!!」


 稜線から姿を現した三都君が、いつもの笑顔でしっかりと呼び掛ける。

 彼の友達の…私たちパンツァーαのオーディンの…そして、クリスちゃんの恋人である、一人の男の子に向かってーーーーーー

 

※※※

 

複数接続、異常なしマルチコネクト・オールグリーン…かな。みんな、大丈夫?」

 俺が周りの様子を確認すると、周りにいるみんな…シャーリー、ヴィクトリカ、飛鳥、アナスタシアの四人が俺の方を向いて、一斉に首を縦に振った。それを確認した後、俺はイヤホンに手を当てて、別動隊として回ってもらったエレーナに声をかける。

「OK…エレーナはどう?遠隔接続(ロングレンジコネクト)、はじめてだけど、上手くいってる?」

『あたしは問題ないよ。で、どうする?見たところ、クリスは大層大暴れしてくれたようだ。下手に手を出せばあんたたちももろともに吹っ飛ばされるんじゃないの?』

 …よし、大丈夫みたいだ。

「…そうだね。とにかく、シャーリーとエレーナと飛鳥は、できる限りクリスの気を引いてくれるだけでいい。エレーナは遠距離からの狙撃で、一発撃ったらすぐにその場から逃げて、別の砲撃ポイントに移動。ただ、どこに移動するかはエレーナに任せるけど、救護が終わった後に戻りにくくなるところにはなるべく行かないようにして。シャーリーと飛鳥は、エレーナの援護を受けつつ、とにかく動き回りながら、俺たちにクリスの射線が向かないようにしてほしいんだ。でも、三人とも無理はしないで。特に飛鳥とシャーリーは、遊撃や撹乱っていう都合上、どうしてもクリスとの距離は近くなるはずだから。」

「わかったわ。」

「…うん、わかった、頑張る。」

『了解。』


 三人の声が重なり、シャーリーと飛鳥が地面を蹴った時。


 遠くから轟音が響き渡ったと思うと、どぉぉんっ!という音と共に、クリスの足元の土壌が盛大に陥没した。エレーナの宿す力、T-34/57の主砲、57㎜Zis砲の定点長距離砲撃。直撃ではないものの、あらぬ方向からの正確無比な狙撃によって発生した衝撃波によって、クリスが大きく体勢を崩す。


「…クリス、こっち向いて。」


 クリスが体制を立て直すのも束の間、今度は背中側に回り込んでいた飛鳥が、右手に呼び出していた九七式車載機関銃を、クリスに向けて雨霰の如く撃ちまくる。クリスのスヴェルはそれを悉く弾き反らすものの、こちらに向かってくる足が止まったところを見ると、やはり多少の鬱陶しさはあるようだ。しかし、動き回る飛鳥に向かおうとすれば、今度はクリスと飛鳥の間に入るようにして、エレーナの正確な偏差射撃が飛んでくる。それに合わせて、飛鳥もクリスから距離を離して砲弾に巻き込まれないようにしながら、エレーナの射線と自分の位置がしっかりL字になるような形をしっかりと保つ。

「…クリス、エレやシャーリーやみんなの方、向いちゃだめなの。わたしの方、見なきゃだめなの。」

 飛鳥はそう言うと、素早くクリスの右側へと回り込む。まるで、あえて自分からクリスの主砲に狙われようとするかのように。

「オーケー飛鳥、ナイスファイトよ!」

 シャーリーがそう言って、クリスの左斜め後ろ、山側にあたる方向に走るようにして距離を離し、左腕に呼び出していた主砲をクリスへと向ける。轟音を轟かせて、シャーリーが宿す力であるシャーマン・イージーエイトの主砲、M1A2砲が火を噴いた。飛鳥とエレーナの攻撃に気を取られていたらしいクリスの左肩、その背中側に砲弾が直撃し、クリスはその衝撃によって吹き飛ばされ、傍らの木に叩きつけられた。クリスが起き上がる瞬間、そのままシャーリーと飛鳥は位置を交換し、今度はシャーリーがクリスの前へと躍り出た時、入れ替わりでクリスの照準から外れた飛鳥の主砲、三式七糎半戦車砲から轟音が轟き、その砲弾が今度はクリスの右肩を捉えた。クリスが再度吹き飛ばされるまでの刹那、それに合わせてシャーリーは横に飛んで一瞬だけ身を隠し、再び飛鳥と位置を交換してクリスの背中へと回り込む。

「…なるほど、一人が主砲の方へと回り込み続け、定点狙撃を要求されるエレーナへの照準を外し、なおかつあえて近い間合いを取って巻き込みと正面からの攻撃のふたつの可能性を与え、クリスティナに主砲の発射を躊躇させた上で、射線から外れた側が本命の攻撃を与え続ける…考えたようね。」

 三人の考えに気がついたアナスタシアが、そう呟く。

 …すごい。

 俺は、心からそう思った。

 αのみんなの戦いは、模擬戦であっても、今まで俺は見たことはなかった。正直、しっかりと戦えるのかもわからなかったくらいだ。

 しかし、一番クリスの近くにいる飛鳥は、シャーリーの前後の動きを阻害せず、なおかつ自分の体によってエレーナの射線を切らないように動いている。そして、エレーナは自分の狙撃で飛鳥とシャーリーの死角を潰すだけでなく、二人が…特に一番クリスに近い飛鳥が噛みつかれない距離を保てるような援護をしている。だからこそシャーリーも、クリスが暴れたおかげで不整地になって足を取られてしまいやすい、しかし逆に不整地ゆえにクリスの死角を取りやすくなっている山側へと飛び込み、そこから攻撃を加え、飛鳥と位置を交互にスイッチするというような、多少リスキーではあるがハイリターンでもある選択肢を取れるようになっているのだろう。

 俺が社島に来る前、みんながどんなことをしていたのか、それは俺にはわからない。

 だが、ひとつわかることがある。

 エレーナは、同じチームであった飛鳥を庇って、自分が誤射(フレンドリーファイア)をしたと告白したことで、飛鳥と共にαに来ることになった。それがあって、飛鳥は自分を庇ってくれたエレーナを慕った。そこに、エレーナと飛鳥の切っても切れない絆が生まれたのだろう。そして、それをおそらくはずっと見てきて、すべてを知っているシャーリーは、二人の絆を信じ、自分のすべきことに集中している。ここにも、二人を信じるという、ひとつの絆があるのだろう。

 だが、俺はそれを知ってもなお、少し震えてしまう。ビフレストを繋いでいなかったにも関わらず、アナスタシアですら警戒するというゴルトライヒ先輩をいとも簡単にねじ伏せたという今のクリスにとって、三人の攻撃は、衝撃で吹き飛んだりはするにせよ、感覚としては多少鬱陶しい豆鉄砲のようなもののはずだ。その考えは間違っていないと言わんばかりに、吹き飛ばされたクリスが空中でくるりと受け身を取って着地する。いくら攻撃を撃ち込んでも怪我をしないのはクリスを助けたい俺としては幸いだが、このままここで戦い続ければジリ貧になることは確定的に明らかだろう。

「…そうだ、アナスタシア、千代先輩たちに伝えて。俺たちが怪我人の救護と待避をする間、シャーリー達の援護をお願いします、って。」

 俺の言葉に頷いたアナスタシアは、そのままイヤホンへと手を伸ばし、おそらくイヤホンを通して繋がっているのであろうΩの面々へと指示を出し始める。

「パンツァーΩ各員に命じます。現在、クリスティナとパンツァーαのメンバー三名が交戦中。現時点より、パンツァーΩは、パンツァーαメンバーの援護を開始。前衛の二名が陽動をしています。彼女たちを何としても守りきるのです。救護はわたくしたちに一任。よろしくて?」

 そう言ってアナスタシアがイヤホンから手を離した時、クリスに向かって、四方八方から唸りを上げて砲弾の雨霰が撃ち込まれ始める。千代先輩たちパンツァーΩのメンバーたちが、シャーリーたちを援護すべく攻撃を開始したのだ。

 …あの援護射撃を行っている中には、かつてクリスをいじめていたルイーゼとグラディスもいるはずだ。彼女たちがどう思ってこの作戦に参加しているのかはわからないけれど…しかし、援護は実際のところとても的確であり、これがアナスタシアが育てた、当代においてヴァルホル最強とまで言われるチーム、パンツァーΩの練度の高さか、と素直に感心してしまう。

 俺は近くに残っているヴィクトリカとアナスタシアへと向き直る。

「…よし、今のうちだ。怪我をしてるのは四人…どうにかして全員を退避させないと…。」

「誠、俺と初瀬、それからアニヤは何とか大丈夫だ、俺たちに何かやれることはあるか?」

 声のした方を見ると、重樹と高鶴さん、それからアニヤがいつの間にか近くまできていたようだった。

「わかった。じゃあ重樹たちは、俺たちと一緒に怪我をしたみんなの救護と退避をお願い。そうだな…重樹と高鶴さんはリューシー、ヴィクトリカとアニヤはアリーヌ、アナスタシアはニキータでいいかな?リゼットには、とりあえず俺がつくよ。」

 俺がそう言うと、それぞれが大きく頷いて答えてくれる。

 …よかった。 

 俺がそう思っていると、重樹が俺に声をかけてくる。

「よし、誠、今から俺はリゼットとのビフレストを切断する。お前はタイミングを合わせて、リゼットとビフレストを接続し直してくれ。今のリゼットは、喘息の発作もそうだが、無茶してクリスと戦ったダメージも相当なもんになってるはずなんだ。少なくとも落ち着くまでは、お前とのビフレストの接続が絶対に必要だ。…できるか?」

「…うん、わかった。やろう!」

 俺は重樹の問いに答えて、地面に倒れて荒い呼吸を繰り返し、時折激しく咳き込んでいるリゼットの傍らに膝をつく。

 …うまくできるかはわからない。だが、俺とのビフレスト接続は、ほぼすべてのヴァルキリーに高い能力を約束するだけでなく、マイナスの性能補正の緩和にも大きく影響するらしい。だが、本当にリゼットが楽になるのか、自信はないが、やるしかない。

「リゼット、遅くなってごめんね、もう少しの辛抱だから。」

 俺がリゼットにそう言ったとき。

「…よし、じゃあいくぞ。三、二、一…。」

 重樹のカウントダウンのタイミングに合わせ、俺は口を開く。


「ーーーdisconnect…!」

「ーーー接続(コネクト)…!」


 重樹の声と俺の声が重なり、俺のビフレストがリゼットへと接続し直される。リゼットの体が光に包まれ、一瞬びくっ、と跳ねるのを見て、俺はリゼットに大きな声で呼び掛けた。

「リゼット…リゼット、大丈夫!?」

「…はぁ、はぁ…あぅ…ぅ…鶴城…君…?」

 うっすらと瞼の間から顔を出したリゼットのオッドアイが、俺の顔を捉える。

「鶴城君、ごめんなさい…何も、できなかったんです…クリスちゃん…私、クリスちゃんと一緒に、鶴城君を待つ、って…決めた…のに…。体…動かなくて…苦しくて…。このままじゃ…鶴城君と、クリスちゃん…離ればなれ…に…。」

 …リゼットは、きっと珀亜さんあたりから聞いているのだろう。狼化ヴァルキリーの成れの果て…共に学び、共に笑ったはずの同胞や、自分を育てたはずの世界から排除されなくてはならない、という運命のこと。その運命通りにいけば、俺とクリスは引き裂かれなければならない、ということ。こんなになってまで、俺とクリスのことを心配してくれているのか。

 …なら、まずはその心配を解かなくては。

「ううん、そんなことないよ。」

 俺はリゼットに、しっかりと自分の言葉で伝えていく。

「…これからどうなるのか、っていうのは、正直、俺にもよくわからないけど…でも、俺とクリスはいつも、どんなときもずっと一緒にいる。秀真さんと珀亜さんが教えてくれたんだ。クリスを助ける方法…俺にしかできないんだ、って。だから…心配しないで。」

 俺がそう言うと、リゼットはいつも見せてくれる笑顔を浮かべて、俺に言った。

「…ふふ…何でしょうね…クリスちゃんのことになると、鶴城君はいつも…そうしたい、って思ったことを実現してしまうんですから。…やっぱり、ちょっと妬けちゃいます…。

 …鶴城君…お願い…クリスちゃん…を…。」

 

 そう言ったリゼットの瞼が静かに閉じていき、不安定だった呼吸が規則的なものになっていく。

 …よかった、どこかのタイミングで飲んだのであろう薬も、どうやら効いてきているみたいだ。

「…誠、他の三人は医療スタッフに引き渡した。向こうにはアニヤがついている。後はリゼットだけだ!」

 俺の近くに来ていたヴィクトリカの声が響き渡る。…よし、とにかく、俺の仕事はここからだ。そう思った時。


「きゃうっ……!!」


 短い叫びと共に、クリスに向かって牽制射撃を繰り返していた飛鳥が宙を舞い、俺たちにほど近い地面へと叩きつけられる。今まで攻撃を受け続けるだけだったクリスが、四方八方からの攻撃を受け続けながらも、自分から一番近いところにいた飛鳥の懐に飛び込み、その勢いのまま、砲と装甲の重さの乗った右腕で飛鳥を力任せに弾き飛ばしたのだ。

「飛鳥!!」

 ヴィクトリカが飛鳥に駆け寄って、飛鳥の体を抱き起こす。

「エレ…痛いよ…痛いよぉ…。」

 ぽろぽろと涙を流しながら、苦しそうな顔で飛鳥が呟く。

 飛鳥の力である三式中戦車、その弱点である装甲強度の弱さは、飛鳥の性能補正にも受け継がれている。飛鳥と同じ第二位ヴァルキリーであるリゼットのARL-44、ゴルトライヒ先輩の力であるマウス、重戦車であるそれらの分厚く強い装甲をも一撃で粉々にしたクリスにとって、飛鳥の才能自体はリゼットやゴルトライヒ先輩と同等とはいえ、装甲は薄紙同然だったのだろう。ただ弾き飛ばされただけで、飛鳥の装甲は痛々しさすら感じるほどに粉々に飛び散ってしまっている。

『ヒメ…ヒメ、しっかりして…!!くそ…あたしがもっとしっかりヒメの援護ができていたら…!!』

 イヤホンからエレーナの声も聞こえてくる。…エレーナがこれほどまでに大きな声を上げることはそうそうない。この叫びは飛鳥に一撃を加えたクリスへの憎悪の気持ちではなく、飛鳥を守りきれなかった自分自身に向けたものなのだということを、俺は何となく察する。

「エレーナ、悔しがってる暇なんてないわ!飛鳥の分まであたしたちが足止めをするのよ!こんどはあたしが前衛、援護お願い!!」

 シャーリーが叫んで、主砲をクリスに向けながら走り出すと、それに気づいたらしいクリスが、シャーリーに左腕の機関銃を向け、今度はこちらの番とばかりに弾丸を雨霰と発射する。

「くっ…!」

 シャーリーは咄嗟に体を捻って進行方向を強引に変え、何とか蜂の巣にされることは免れた。だが、完全には避けきれなかった数発がシャーリーの装甲をかすめたらしく、堅固なはずの装甲には弾痕が残される。以前、クリスがルイーゼとグラディスに対して発砲してしまったときにも見たが、機関銃ですらあの威力。ある程度運もあったのだろうが、もしも被弾経始を期待できる体勢の立て直しができておらず、弾丸の直撃を許してしまっていたとしたら、その弾丸は確実に装甲ごとシャーリーの体を貫いていただろう。

 そのまま、クリスはゆっくりと右腕を持ち上げ、おもむろに呟く。

 

「------邪魔…シナイデ------」


『ちっ…!!』 

 エレーナが舌打ちをした瞬間、轟音を轟かせ、アハト・アハトが火を噴いた。

 クリスの狙った場所、それは、今までエレーナの主砲のマズルフラッシュが見えていた場所のひとつ。砲弾はそこを過たず捉え、巨大な土煙を上げて山肌が爆発する。

「エレーナ…!!」

 シャーリーが叫んだとき、イヤホンからくぐもった音と共に、エレーナの声が聞こえてくる。

「…問題ないよ、クリスがこっちを向いた時、咄嗟に逃げた方向が当たった。…逆の方向に逃げてたら確実に跡形もなかっただろうけど。」

 …よかった、どうやらエレーナは無事のようだ。

 だが、エレーナを狙ったクリスの主砲の威力の凄まじさは、遠く離れたここからでも、山の中腹に空いた大きなクレーターを見れば嫌が応にもわかってしまう。それに、エレーナはここから見えるいくつかの砲撃ポイントを動き回りながら援護砲撃をしてくれていたはずだ。何度か同じ場所に戻って砲撃をしていたことはあったはずだが、それでも、エレーナのいる場所をピンポイントで狙い撃ちするのは難しいだろう。まぐれなのか、はたまたクリスはエレーナが今まで見せたいくつかの移動パターンの中から、次に移動するであろう場所を予測したとでも言うのか。

 …いずれにせよ、あの精度と威力の長距離砲撃を返され、なおかつ移動パターンがある程度把握されている可能性がある以上、エレーナも迂闊に定点狙撃を行うことができない。千代先輩たちもここから見えないところから援護をしてくれており、絶え間なくクリスに砲弾を送っているように見えるが、射撃の間隔や規模を見るに、心なしか焦りが出てきているようにも感じられる。


「------モウ、知ラナイ------

 オーディン…食ベチャエレバ…ソレデ------」


 度重なる飽和攻撃の雨霰とはいえ、鬱陶しいだけの攻撃など、もはや遊んでやる価値もないと踏んだのだろう。クリスの目線が、今度は俺をしっかりと捉えた。そして、飛び交う砲弾や銃弾など構わず、吹き飛ばされるなら吹き飛ばされるに任せ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 ------いや、違う。俺は気づいてしまった。クリスの視線は、俺と、そしてリゼットへと向いているんだ!!

 …まずい。リゼットは眠ったばかりで、俺はすぐには動けない。理性を失っている今のクリスにとっては、リゼットは親友ではなく、ただの邪魔物に等しいはず。もしもリゼットにクリスの狙いが向けば、俺はリゼットともろともに吹き飛ばされ、おそらく命はないだろう。そうなれば、クリスと一緒に帰るという誓いを果たすこともできないことになってしまう。

 俺は死ぬわけにはいかない。しかし、このままリゼットを置き去りにするわけにもいかない…クリスにリゼットを…クリス自身の親友を殺させるわけにはいかない…どうすればいい…どうすれば…どうすれば…!?

 ------退避は、間に合わない。クリスが俺たちを狙っていることに気づいたシャーリーがこちらに来るのも、エレーナの狙撃も間に合わない。そして、クリスが俺たちに近づいて来ることで、俺たちを巻き込むことを躊躇したのだろう。パンツァーΩのメンバーたちのものであろう攻撃が一瞬止み、クリスの主砲が、俺とリゼットをしっかりと捉える。


「------」

 

 クリスの唇が動き、主砲から轟音が轟く。


「------!!!!!」


 俺とリゼットに、アハト・アハトの砲弾が突き刺さろうとした時。


正面装甲(フロントアーマー)…一撃でいい…耐えてくれ!」

 

 瞬間、飛鳥を地面に寝かせていたヴィクトリカが、俺とリゼットの前へと躍り出た。彼女によって呼び出された装甲板…チャーチルMk.Ⅶの分厚い正面装甲に、ゴォォン!と重苦しく鈍い音を響かせて、クリスの放った砲弾が直撃する。

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ…!!」

 凄まじい衝撃、そしてそれによって生み出された厚い空気の奔流が、ヴィクトリカが展開した防壁の裏にまで回り込んできたことで、俺は苦しさのあまり声を上げることしかできない。俺とヴィクトリカがビフレストを繋ぎ、なおかつがむしゃらに固さによって真正面から守るのではなく、被弾経始をしっかりと考えて展開しているにも関わらず、クリスの撃ち出した砲弾の威力と衝撃は凄まじく、分厚い装甲板は砲弾を何とか反らしたものの、ぶつかった衝撃にはとても耐えられず、亀裂を生じて粉々に砕け散った。

 だが、危機が去ったわけではない。痛み分けのような形で防ぎきったとはいえ、もしも二射目が来れば、完全なる万事休す。

「危ない…ヴィクトリカ、逃げて…!!」  

 叫ぶ俺の前には、ヴィクトリカが『まだ立っている』。息を切らし、砕け散った装甲板だけでなく、先ほどの衝撃波によってスヴェルに相当な損傷を受けて、ところどころ血が滲んでいるにもかかわらず。

 ------次の瞬間、ヴィクトリカがこちらを見て、にやりと笑みを浮かべて言った。


「…はは、どうだ…。弱きを助け、強きを挫く…これぞ…貴族の真の役割なり…!!」

 

 俺はここで、ヴィクトリカが何を考えていたのかを知る。

 いつか、ヴィクトリカは言っていた。貴族の力は弱いもののために。それが、ヴァルキリーとなった自分自身への誓いなのだと。

 チャーチルは機動性を犠牲にした歩兵戦車で、それはヴィクトリカの力にもしっかりと受け継がれてしまっている。だが、自分のその重い機動性は弱みではない。それを捨ててまで得た鉄壁の防御力は、敵国の侵攻から国を、そこに住まう人々を、そしてそれを守る兵士たちの盾となるために作られたのだということ。チャーチルは、そんな騎士道の国イギリスの叡智が集まって完成した戦車なのだということを、ヴィクトリカはしっかりと理解していたのだろう。

 自分の役目は守りにより、敵の攻め手を膠着させ、味方が攻めに転じるための活路を開くこと。ならば、その攻めに転じるための一手は------

「------シャシコワ、今だ、撃て!」

 一瞬、クリスの足が止まったことを見逃さず、ヴィクトリカが鋭く声を上げる。


「------|お任せなさい《Оставь это мне》!!」


 俺たちの後方、アナスタシアが、右手に主砲を呼び出す。ドイツ軍機甲部隊の恐ろしさを目の当たりにしたソビエト連邦が、ドイツの技術に勝るべく製作したという戦車、IS-7の砲塔…S-26戦車砲。口径130ミリメートルを誇るその巨大な主砲が、細く華奢なアナスタシアの見た目に反する完璧な制動によって、クリスの体を照準にしっかりと捉えた時。

 

「オーケーみんな、よく持ちこたえたね!アナちゃん、あたしと同時に主砲発射、いくよ!秀、用意はいい?」

「大丈夫だ珀ちゃん、やろう。君の教え子、そして僕たちの弟分とその恋人の未来のために!」


「------珀亜さん、秀真さん!!」

 俺が二人の名を呼んだ時。

 瞬間、凄まじい轟音を轟かせて、アナスタシアの掲げた砲塔、そして珀亜さんの掲げた、口径120ミリメートルを誇る10式戦車砲が同時に火を噴いた。俺とのビフレストによって極限まで強化されたアナスタシアの砲弾、そして、秀真さんとのビフレストによって強化された珀亜さんの砲弾が、クリスのスヴェル、その胸に同時に真正面から直撃する。やはりスヴェルには傷ひとつつかない。だが、それにより引き起こされた巨大な衝撃波によって、クリスの体が歩いてきた方向の彼方へと弾き飛ばされ、その場にあった切通しのような山肌へと叩きつけられるのが見えた。

「------みんな、今のうちにブロックEの予備隔壁まで走るんだ!エレーナもすぐに戻ってきて!…重樹、リゼットをお願い!」

「わかった…って、誠、お前はどうするんだ?」

 走れと言ったにも関わらず、リゼットを預けてその場に留まる俺に、重樹が、そして俺が来た理由を知らないβのみんなが、驚愕の表情で俺を見つめる。

「…ごめん、俺は…今からやることがあるんだ。」

 俺がそれだけ言うと、重樹の隣にいた高鶴さんが口を開く。

「…そういえば、さっきあなた、ポワティエールさんに言っていましたよね。『ローレライさんを助ける』とか何とか…。」

「…うん。俺は…クリスを助けにきた。

 今、一人で泣いている彼女を助けるために…泣かないで、一緒に帰ろう、って手を繋ぐために来たんだよ。」

 

「…なるほどな。やっぱお前はお前だな。」

 重樹がにかっと笑って、俺の肩をぽんと叩いて言う。

「…よし、リゼットのことは任せな。お前はお前のやりたいことをすりゃいい。自分の彼女…男なら、しっかり連れて帰ってこい。…絶対に、死ぬんじゃねぇぞ。」

 その言葉に、みんなが続けて声をかけてくる。

「…頑張んなさいよ、誠。」

「誠、行ってこい。クリスを…頼んだぞ。」

『こちらエレーナ、すぐに戻るよ。…鶴城、しっかりね。』

「マコト…絶対に、クリスと一緒に帰ってきてね。じゃないと…どれだけ痛いって言っても、許してあげないから。」

「…何だかんだ言って、あなたとローレライさん、お似合いですもんね。早いところ、ローレライさんを連れてきて、散々惚気てくださいな。…風紀を乱さない程度に、ですけど。」

「…行ってきな、マコ。あんたならやれる。」

「誠君。…あんなこと言っちゃったけど、僕は、最後の最後の時間まで君を信じる。ここにいるみんなも同じだ。」

「…みんな、ありがとう…。」

 俺が答えると、最後にアナスタシアが俺の前に一歩踏み出して、俺にその紫色の瞳をまっすぐに向けて言う。

 

「------鶴城さん。クリスティナのこと、わたくしの友のことを…どうか、頼みます。

 あの子を愛する者として、あの子に愛される者として。

 あなたは一人の騎士。捕らわれし己の愛する姫君を救うことができるのは、姫君に愛されし騎士であるあなたのみ。あの子を助けるために戦い、そして必ず帰ってくる、これはあなた自身の、騎士としての誓い。その誓いを違えることは、このわたくしが許しません。」


 …クリスティナは姫君。俺は姫君を救うべく戦う騎士。

 あの時と同じ言葉…クリスと俺が恋人になったその日に、俺の背中を押してくれたアナスタシアの言葉と同じその言葉が、俺の中にしっかりと刻み込まれる。

 アナスタシアは、俺にとって友人であり、クラスメイトであり、かつて俺のことを愛してくれていたらしい人でもある。そして今は------『氷の王女』アナスタシア・ニコライエヴナ・シャシコワとして…自分が騎士と呼んだ俺に、『己の誓いを果たせ、己の愛する者を救え』と命令を下したのだ。


「…ありがとう。待ってて。俺…絶対クリスと一緒に、みんなのところに帰るから!」

 俺はそう言って、後ろに向き直る。


「-------接続解除(リジェクト)------」


 俺の口がルーンを紡ぎ、ビフレストの接続が切れる。

 …だが、これはみんなとの別れではない。

 ビフレストは、俺を信じて送り出してくれるみんなとの握手。必ずまた会おう、そんな、みんなから俺への、そして俺からのみんなへのメッセージを込めた握手。

 ならば------俺はまた、みんなと手を繋ぐため、必ず戻ってこなくてはなるまい。

 クリスと、一緒に。

  

 ------クリス、待ってて。

  

 俺は、所々にちろちろと揺れる陽炎の向こうを見つめ、心の中で呟いた------



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ